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 著者は、1943年生まれの方で、 「一水会」 という右翼団体の代表を務めていたと書かれている。
 本書は、政治に関する内容がメインで書かれているのではない。基本的には、生き方の書物である。
 急進的な左翼に対して、保守的な右翼が基とする 「愛国心」 であるけれど、右翼だから左翼だからという区分を越えて、日本人として自ずから 「愛国心」 が芽生えるのが正しいあり方である、という意味が込められたタイトルなのだろう。
 短文で書かれているから、読みやすいし分かりやすい。2008年3月初版。

 

 

【右翼と言われる人々】
 ハガチー大統領秘書官が、アイゼンハワー大統領訪日の打ち合わせのために来日した時(1960年6月)のこと。日米安保(安全保障)条約に関して、反対する左翼と賛成する右翼が鋭く対立していたらしい。
 この当時は、社会党、共産党を中心とする左翼の力が強かった。 ・・・(中略)・・・ 。左翼のデモ隊20万に対し、警察力だけでは不足だ。だから、右翼と言われる人々に、さらに宗教団体、ヤクザ、テキヤといわれる人々まで含めて、必死に集めた。 「この日本を守るために協力してくれ」 と頼んだのだ。いままでヤクザだといって警察にいじめられていたのに、今度は 「愛国者」 「右翼」 といわれて協力を求められる。彼らは喜んでそう自称するようになった。(p.44-48)
 ヤクザとの繋がりを指摘されて、先ごろ芸能界を引退することになった島田紳助に関する新聞記事に、 「右翼とトラブルがあったとき、ヤクザに助けてもらった」 と書かれていたのを読んで、やや首をかしげていたのだけれど、この両者の関係はケース・バイ・ケースで、繋がっていたり繋がっていなかったりするのである。かなりヤヤコシイ。
 そもそもヤクザのルーツは、以下のようなものなのであるから・・・。
   《参照》   『この国を支配/管理する者たち』 中丸薫・菅沼光弘 (徳間書店) 《前編》
             【ヤクザの起源】

 

 

【浅沼委員長刺殺事件】
 僕はテレビを見ていた。臨時ニュースで映像が流れた。僕と同じ17歳の少年が、演説中の日本社会党委員長の浅沼稲次郎さんを刺した。浅沼さんは死んだ。すべては一瞬のことだった。 ・・・(中略)・・・ 1960年、10月12日。(p.60)
 この刺殺事件を起こした山口二矢(おとや)少年が、三島由紀夫の 『豊饒の海 第2巻<奔馬>』 の主人公・飯沼勲のモデルなのであろうけれど、著者は、三島の小説には一言も言及していない。
 チャンちゃんとすれば、おもいっきりガッカリである。とはいっても、チャンちゃんは右翼ではない。そもそも運動家などでもなかったけれど、思想的に左に振れてから右にも振れて、結局、平和をかき乱すことにおいてどっちも肯定できなかったから、飯沼勲的な生き方についても学生時代に清算してしまっている。
 『阿修羅を越えて』 という自作小説の中に、「自ら時代の捨石となり死ぬ瞬間、“己の瞼の裏に、かくやくと日輪が昇る”かどうか、己の倫理を超えて答えを知っていなくてはならない。」 と書いて自己清算してしまったのだ。

 

 

【「過去」 は「現在」によって塗り変わる】
 この事件を 「なぜ?」 と問い続けることがキッカケとなって、僕は右翼になる。 ・・・(中略)・・・ 
 日記をつけておけばよかったな、と思う。そうすれば、当時の自分のありのままの気持ち、感じ方が分かる。いまからだと、どうしても現在の自分からさかのぼって考えてしまう。・・・(中略)・・・。「過去」 は単に終わったものではない。「現在」 によって、どんどんと塗り変えられているのだ。(p.68-69)
 「現在」 の思いによって 「未来」 が変わるように、「現在」 の思いによって 「過去」 も塗り変わっている。
 善し悪しに関わらず 「過去」 に捉われている人は、その思いによって 「現在」 が支配されているから、「未来」 も変えられない。
 自由自在な人生を欲するのであれば、「中今(現在)に生きる」 しかないのである。
   《参照》   『無意識はいつも君に語りかける』 須藤元気 (マハジンハウス)
             【 “ただいま” に生きる】

 

 

【右派的な文化人】
 当時、「左翼と対抗して運動するなんて偉い」 と、右派的な文化人、学者はずいぶんと応援してくれた。僕らの集会、合宿、講演会にはタダで来てくれたし、その上、カンパ(寄付)までしてくれた。林房雄、三島由紀夫、田中卓、石原慎太郎、福田恆存、村松剛・・・・といった先生方だ。(p.124)
 戦後間もない当時、左翼主導の時代が作られた経緯については、下記の渡部先生の著作に書かれているけれど、左派の方が圧倒的に優勢だったのだから、右派として言論の矢面に立っていた人々は、本当に国士みたいな存在だったのである。
   《参照》   『楽しい読書生活』 渡部昇一 ビジネス社 《後編》
               【反日教育の出発点】

 右派と左派が鋭く対立していた 「政治の季節」 は1960年代までだったらしい。1970年以降は、政治運動をする人々も極端に少なくなった(p.172) と書かれている。

 

 

【大切なのは・・・】
 「右か」 「左か」 を問い詰めることに、意味はあるのだろうか。「右」 であれ、「左」 であれ、たいせつなのは 「思想」 ではなく、「人間」 だ。その人そのものを見、知ることがだいじなんだ。(p.163)
 真摯に生きようとすれば、人はまず、いずれかの思想に沿って自分自身を構築することから始めざるをえない。そして、その人が純粋であればあるほど、左右いずれかに極端に振れてしまうのである。人によっては、振り切れてしまって、人生の轍を外れてしまうことがある。振り切れずにかろうじて立ち止まった人々は “正義” について悩むことになる。「社会」 から 「人間」 へと視点を移すことができた人だけが生き延びる。

 

 

【父親が伝えてくれたこと】
 僕は、「生長の家」 に入り、そこで愛国心や天皇の話を聞き、やがて右翼運動に入った。「生長の家」 の 「生学連」 の書記長になったとき、「生長の家」 本部に入らないかという話があった。つまり、専従の宗教家だ。信仰に生き、神さまの話だけをして生きる。清く美しい生活だ。悪くはないな、と思った。「生長の家」 は単なる宗教団体ではない。愛国運動をリードするもっとも愛国的な団体だった。 ・・・(中略)・・・ 。
 「生長の家」 の熱心な信者だった母は賛成した。しかし父は反対した。 ・・・(中略)・・・ 珍しく父が宗教論をした。ほかの人々のために運動することを 「愛行(あいぎょう)」 と呼ぶが、「愛行は自分の金でやるべきだ」 と言う。自分で働いて、そのお金でやるべきだ。職員になって本部からお金をもらい、あるいは他人から寄付をもらってやるべきじゃない、と。
 その時は、何を言ってるんだ親父は、と反発した。 ・・・(中略)・・・ 。でもいまは、親父の方が正しかったと思う。(p.183-184)
 なぜ、自分のお金ですることが重要なのかと言うと、目と心を曇らせないためなのであろう。経済的な背景が人に対してもつ影響力は、いくら綺麗事を言っていても、絶大である。
 信者のお布施に依存せぬ、下記のような宗教家さんもいるのである。
   《参照》   『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《前編》
              【ボランティア宗教家】

 

 

【日本は 「武器の進化」 を止めた唯一の国】
 日本は 「武器の進化」 を止めた唯一の国だ。ふつう、刀から鉄砲、大砲・・・と、武器は進化する。進化したら過去の武器は捨て去る。ところが日本は種子島に鉄砲が伝えられ、織田信長がそれを大いに使ったが、それが主流にはならなかった。むしろ、あまり使われず、実際の戦では、旧来の刀が主流だった。鉄砲は一番身分の低い兵であり足軽が撃つものと軽んじられたからだ。
  ・・・(中略)・・・ 鉄砲は刀に取ってかわらなかった。武器の進化がストップしたのだ。こんなことは歴史上、他の国ではないという(ノエル・ペリン著、川勝平太訳の中公文庫 『鉄砲を捨てた日本人 ―― 日本史に学ぶ軍縮』 にくわしく書かれている)。(p.200-201)
 これは、日本文化を語る上で、知っていなくてはならない重要なことである。
   《参照》   『日本・原爆開発の真実』 五島勉 (祥伝社) 《後編》
              【「悪の宗家」になるではないか】
   《参照》   『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄 (ビジネス社)
               【破壊のエネルギーを封印してきた日本】

 

 

【戦争史の中の奇跡】
 日露戦争では、日本に来た捕虜を日本人は厚遇した。7万人の捕虜は全国の収容所に送られたが、愛媛県の松山収容所は特に名を知られており、なんと、ロシア兵は 「マツヤマ!」 と叫びながら投降したという話は有名だ。また、第一次世界大戦ではドイツ軍の捕虜が日本に来た。近年、 『バルトの楽園』 という映画にもなったが、徳島県の坂東の収容所も有名だ。捕虜はみな、外出自由で、とても捕虜とは思えない。
 でも、一応は戦争をしている 「敵国」 の兵士たちだ。国民にだって怨みはある。だから軍部も気を使って通達を出している。「彼らも国のために闘った。力及ばず投降したが、勇敢な英雄だ。あたたかく迎えるように」 と。これは、戦争史の中の 「奇跡」 だ。誇ってもいい事実だ。(p.203-204)
   《参照》   『「日本文明」の真価』 清水馨八郎 (祥伝社)
              【日露戦争と日米戦争:戦後処理の違い】

 それぞれの国民に愛国心がある。本当に自分の国を愛する人なら、敵の捕虜や敵の将校に対しても、その心を掬い取ることができる筈である。本来の 「愛国」 は偏狭なナショナリズムに絡めとられるものではない。国境を越えているはずである。
   《参照》   『痛快! 知的生活のすすめ』 渡部昇一・和田秀樹 (ビジネス社)
             【戦後、日本を守ろうとしたカトリック】

 

 
<了>