《中編》 より

 

 

【GHQ焚書図書開封】
 焚書と言うとすべて燃やされてしまったかのように思ってしまうけれど、実際には一般流通ルートに乗らないように、どこかで保管されている状態になっているものなのだという。
 秦の始皇帝の焚書坑儒は有名だけれど、この時も儒教図書一式は保管されていたという。後にその保管庫が火災にあって焼失したというのが事実だという。
 戦後GHQの検閲で市場から姿を消した図書の多くは、アメリカの大学に保管されている。それ以外に、タダで没収されるのを嫌ったり、愛国の意地があって、古書店の店主が個人的に隠匿し保管しておいた物なども少なからずあるという。

 

 

【戦後の日本文化崩壊に加担した南原繁】
 この男が戦後いろんなことをやったんですね。だいたいこいつが悪いわけですよ(苦笑)。
 ちみに、昭和天皇の退位をめぐる運動が戦後たくさん、何度もあちこちで起こるわけですが、その退位をめぐる運動の中心人物はこの南原繁です。吉田茂に 「曲学阿世」 と罵倒された人物です。私は中学時代、この四文字が新聞の一面に踊っていたのを覚えています。(p.245)
 南原繁とは、当時、東大の総長だった人物。
 GHQの指令で、焚書選定に関わる尾高邦雄、金子武蔵の二人を推薦してもいたのだろう。
 著者の西尾先生は、 『GHQ焚書図書開封』 という書籍を出版してくれているけれど、その中の一部が本書内に記述されている。

 

 

【GHQが焚書とした 『国体の本義』 】
 表題に 「国体」 と名のつくGHQ焚書は143冊あります。その中で昭和13年に文部省が刊行したのが 『国体の本義』 であり、 ・・・(中略)・・・ わかりやすいスタンダードブックなのです。(p.185)
 この本に記述されている内容が紹介されている。「まこと」 に関する部分だけ書き出しておく。

 

 

【「まこと」】
「『まとこ』の心は、人の精神の最も純粋なものである。人はまことに於いて、その生命の本をもち、まことによって万物と一体となり、又よく万物を生かし、万物と和する」
「真心とは心の欲するところに従って矩(ノリ)を踰(コ)えざる心である。かかる心は即ちわざであり、言であり、行であり、よく一事・一物に執せずして融通無碍である。即ち私を離れた純粋の心、純粋の行である。実にまことは万物を融合一体ならしめ、自由無碍ならしめる。まことは芸術に現われては美となり、道徳としては善となり、知識に於いては真となる。美と善と真とを生み出す根源にまことのあることを知るべきである。而してまことは又所謂明き浄き直き心、即ち清明心であり、これは我が国民精神の根底となっている」 (p.193)

 最後に出てくる 「明き浄き直き心」 すなわちこれを言い換えて 「清明心」 ともここで言っていますが、まるで神道の奥義書にも出てくるようなこの表現、神殿で柏手を打つ時の無心の気持ちがこれですね。武人の果たし合いの場に臨む前の澄んだ心もおそらくこの語がふさわしい。
 「まこと」 は、誠とも真とも真心とも書かれるけれど、「誠実」 という言葉を説明するにしても、この 『国体の本義』 のような図書が焚書にされてしまったので、学校の先生でも、日本人の心のあり方に則した説明ができなくなってしまっている。
   《参照》   『道徳力 「まこと」 の甦りが日本を正す』 丸山敏秋  風雲舎
               【清明心から正直へ】

 日本文化の要の位置にある 「まこと」 も、このまま諸外国に通用するかというと、残念ながら無理である。
 日本特殊論を言いたいわけではないけれど、実際に世界の民族の中にあって日本人の精神性は特殊と言わざるを得ないような面が多いのである。
   《参照》   『黄金の帝国』  三原資忍  サン企画
               【日本民族の特殊性】

 

 

【自我が弱い日本人】
 鈴木敏明著 『逆境に生きた日本人』(展転社)の中にあるラーゲリー(強制労働収容所)での記録から。
 ソ連抑留中に出た死亡者の死亡原因の最大のものは日本人による虐待でした。
「シベリアでは零下40度以下になると、野外労働は中止になるが、実績を上げようとする民生委員のなかには、その規定を無視してさえ、作業に捕虜たちをかり出した者もいる。こういうときの制止役はむしろソ連側なのである」(p.203-204)
 言葉を失う記述であるけれど、下記のリンク書籍にも、著者の実体験として同じようなことが記述されていた。
   《参照》   『顔相と日本人』坂元宇一郎 (サイマル出版) 《後編》
              【ドイツ人の誇り】
 いくら無事に帰りたいからといって、ここまで自分を失い、誇りを捨てて、しかもしなくてもいい同胞への迫害を重ね、加虐快楽に陥った捕虜囚人の恥ずべき言動は世界史的にも例がない不名誉な記録です。
 日本人は自我が弱い、これはとうから気がついていたわが民族の悲哀の短所です。権力に迎合し、変わり身が早く、信念を通す人に冷淡なのは、国民あげて自我が弱い証拠です。(p.205)
 地球と言う物質過程の星で生命形態を安定的に維持するには、強固な自我が相応しいのだろう。しかし非物質過程の生命形態を希求する趨勢のある日本人には、自我にも非物質化の仕様が組み込まれているので強固な自我を持っていない。それ故に地上での学びの過程に於いて、日本人はルース・ベネディクト著 『菊と刀』 に語られたような二面性が生じてしまうのである。このラーゲリでの、不名誉な記録も、同じ心理メカニズムだろう。
   《参照》   『Nippon as Only One』 富士富仁 (丸善プラネット)
              【日本人の二面性】

 しかし、死を畏れぬ気高き本来の日本人なら、決してこのような恥ずべき行動は起こさないはずである。日本人の精神には非物質過程(生の反対側=死の側)へと向かう時に、物資過程の世界を善化するエネルギーを放つDNAが組み込まれている。無駄死にどころか、意識的な死によって発する光芒に身をゆだねる積極的死というパワーを、日本人は発揮しうるのである。それを自覚しなくなった日本文化・日本精神が、生に執着し二面性の悪しき側に振れるという日本人を多く生み出しているのだろう。
   《参照》   『光の記憶』 高橋克彦/ゲリー・ボーネル (VIOCE)
              【コンシャスダイイング】

 

 

【真珠湾攻撃の不徹底は、何故か?】
 今の日本人ではかんがえられないけれども、その当時は 「ハワイを叩いて何で戻ってきちゃったのか」 という見方は当然あった。やるなら第二波、第三波攻撃で全部あそこを動かなくしてしまって、さっさと占領してしまったらおそらくアメリカは参戦しなかったかもしれません。(p.232-233)
 海軍提督の米内光政、山本五十六らが、アメリカ側のエージェントだったからである。
    《参照》   『歴史に学ぶ智恵 時代を見通す力』  副島隆彦  PHP研究所 <後編>
             【日米開戦を仕組んだのは米内光政と山本五十六である】

 

 

  西尾幹二著の読書記録

     『日本をここまで壊したのは誰か』

     『日本精神の道標』

     『男子、一生の問題』

 

<了>