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 著者は大卒後から60歳まで米国に住み現地の米国企業で働いてきた方。グローバル社会の中で日本人に是非とも習得し、成し遂げてもらいたいことが書かれている。2008年1月初版。

 

 

【グローバル社会と日本社会】
 実践から得た両者の相違点を縮めること、なくすことが、我々(日本社会)がこれから益々直面せざるを得ないグローバル社会の中を、生き抜き成功を収めるための大きなポイントになることを痛感したのです。 (p.9)
 両者の相違点を縮めること、なくすこと、という目的なのだけれど、本書に書かれていることと言ったら、日本人は、グローバル社会の標準的な思考パターン・行動パターンを率先して取り入れよ! ということである。
 つまり、「両者の拮抗点を探れ」 ではなく 、「日本人は、もっとグローバル社会の側へ歩み寄れ」 ということである。

 

 

【喋れることの重要性】
 グローバル社会においては、この喋れるということは、人が論理的思考・行動を実行していくための礎として、また効率的な行動の礎として、絶対に欠かせない重要な道具であり要素なのです。
 うまく喋れるようになるということは、個々の人に、論理的思考・行動が見につきだした第一歩といえます。論理的思考・行動と “喋れる” ことは、正比例の相関関係に基づいた自己改革行為なのです。(p.15)
 “喋れる” ということは、ポイントが明確になっているということだけれど、日本国内だけがフィールドの企業であっても、業績の良い企業ないし秀でた業績を残す人の頭の中では、物事のポイントは明確になっている。
 “なんとなく” というのは何もわかってないのと同じで、なんとなくやっていると、行き詰まった時ですら、原因もなんとなくの世界で浮遊している状態だから殆ど対応できない。外資系コンサルは、 「なんとなく」 や 「(根拠のない)常識」 を合理的に検証し 「見える化」 するなどして、デメリットを回避するための有効な手法をたくさんもっている。
      《参照》  『外資系コンサルタントの真実』 北村慶 (東洋経済新報社) 《後編》
 言葉にして喋り・文字に書くということは、明晰にするという点で、論理的思考・行動へと連なってゆく。
 日本で言われている 「沈黙は金」 というのは、相手や集団の良知を信頼しての沈黙や寡黙という価値を語っているのであって、ものごとを明確に言語化して捉えることを不要だと言っているのではないだろう。
 欧米では 「沈黙は愚鈍(イディオット)」と評される。グローバル社会という異文化との接触において、喋れないことは愚鈍なのである。

 

 

【子育て方法】
 もし、お子さんが生まれたら、これからお子さんをもとうとしているお父さんお母さん、最低3年間、できれば5年間は、お子さんの傍らで24時間一緒に過ごして頂きたいのです。そして、1日の時間の中、できるだけ多く、子供を抱きしめる時間をつくっていただきたいのです。(p.30)
 濤川栄太さんが 『抱きしめる教育』 というタイトルの著作を著しているけれど、目的は同じだろう。スキンシップを通じた愛情は、子供に深い安心感を与える。安心という感覚を子供の頃に十分体験的に味わった子は、その後に、苛烈な大人の社会へ出て行ってもやってゆける。これが得られなかった子は、愛情の欠落を補うべく無意識的に愛情を求めて彷徨い、甚だしい場合は荒れるのである。

 

 

【時間の効率という視点を重視する欧米ビジネス】
 欧米社会においては、この時間の効率の重要さを常にビジネスの最課題にしていることを頭に入れておいてください。(p.48)
 だらだらと意味のない残業をしたり、空虚な内容の会議に時間を割いている日本企業の悪弊は、働いている人々みんなが分かっているだろうけれど、誰もそれを改善しようとしないということは、タイム・イズ・マネーという効率意識が全く欠落していことを物語っている。
 国際会議においても、それぞれの国の代表がきちんとした意見を述べないということは、完全に時間の効率を無駄にしたことになるのである。
 積極的に参加していない出席者の所為で、非効率的な時間を費やした相手側(特に外国企業)は、次回からそのような会議を要求しても拒否することにもなるのです。(p.48)
 最近の沖縄をめぐる日米の政府間交渉においても、アメリカ側は、「日本政府は、相手にしているだけ無駄だ」 と思っていることだろう。

 

 

【日本人の二面性】
 日本人・日本社会の特徴を説明するに当たり、あのベネディクト女史を悩ませた、一方では “こう” だけど、他方では “こう” だと、必ず だけど をつけないと説明がつかない日本人の多くの特徴が、ひとつでも減って欲しい・・・(中略)・・・。(p.56)
 日本人は、自他の心に潜む多様な心理の存在を認知するが故にこそ 「和」 の文化を生み出したのだから、二面性や多面性を直せといったって直そうとはしないだろう。それは人間の真実なのであるから、真実を隠蔽ないし無視して文化的行動を変えてしまったら日本人は文化的に後退することになるのである。
 著者は、 “二面性” や “和を以って、尊し” とする日本人の性や日本文化の様式をやや弊害的な視点で見ているけれど、私は肯定的な視点で見る。しかし、諸外国と接する担当者の在り方に関しては、同意見である。即ち、諸外国との交渉やビジネスを担当する人だけは、文化的後進国(日本以外の諸国)に合わせるべく、ノブレス・オブリージェとして、明確な一面的見解を持って渡り合う必要がある、と。
 以前にも同じことを書いた。
   《参照》   『顔相と日本人』 坂元宇一郎 (サイマル出版) 《前編》
              【両極を併せ持つ日本人】

 

 

【唯一の国】
 日本のように、世界唯一の国を目指せる国は、涙を流すが如くのコンピュータをつくりあげることのできる国は、世界広しとはいえ、そんなに多くは存在しません。(p.107)
 コンピュータは理性の左脳、涙は情緒の右脳と解釈していいだろう。つまり、日本は、左脳と右脳のバランスが取れた、世界で唯一の国を目指せる、と。
 効率一辺倒のアメリカはコンピュータという “全能と神” で世界を支配しようとしている。そのアメリカ的 “全能” の実体は、全脳ではなく偏った左脳のみである。
 イギリスはどうかというと、古い伝統や習慣にとらわれすぎて、論理的合理的行動を軽んじたため、グローバル社会の競争に遅れをとる結果となった時期があった。しかし、元々アメリカのルーツとなった国である。
(イギリスは)本質が論理的思考、合理主義の根が張った国なので、その回復はきわめて早いのではないかと察せられます。イギリスが、この回復、つまりグローバル競争(主に経済)の上位に達したとき、そのときに、騎士道精神など古来より受け継がれてきた財産の重要性に気づき、うまくそれらを経済の成功に融合させたとき、日本同様、否、もしかしたら、日本よりも早く、世界唯一の国になり得るかもしれません。(p.107-108)
 イギリスと日本はユーラシア大陸の両耳のような場所に位置した島国であるから、地政学的にも文化的にも類似した点が決して少なくない。
 産業を興隆させる弾み車的役割として見ても、イギリスが先んじて西洋の産業化を推進したように、日本は先んじて東洋の産業化を推進してきた。
 しかし、大局的な時代の潮流は西洋から東洋へと移動しつつある。
 西洋は、左脳に偏した文明を生み育ててきたけれど、東洋は右脳を殺さずに保ってきた文明である。故に、20世紀を主導してきた西洋と、21世紀を主導することになる東洋は、全く同じパターンの進展を繰り返すということにはならない。仮にイギリスが古の文化的財産との融合を成し遂げたとしても、日本より左右両脳のバランスのとれた国になることはあり得ない。
             【経度0度と経度135度の文明的特徴】
 イギリスは西洋を中心に世界の産業化の起点となり、覇者となって世界展開する過程で 「太陽の沈まぬ国」 となったけれど、日本は東洋を中心に世界の高品質な産業化の起点となり、これから益々、国旗・日の丸のように「全地球を照らす太陽のように輝く国」 になるのである。

 

 

【 「Zero Base」 と 「TQM」 】
 著者は、ビジネスで用いる2つの用語を明治維新時の日本に当て嵌めて語っている。
 明治維新の “廃藩置県” の制度こそが、Zero Base コンセプトの実践であり、TQMの最終目的は “国際社会への仲間入り” (p.118-119) であったと。そして、日本は、再度の明治維新に相当する変革を成し遂げ、国際社会に参入しなければならない、といっている。
 “廃藩置県” とは、当時の武士階級である為政者たちが、既得権を放棄することによってなされたことであるけれど、今日の為政者をも支配する官僚たちは、既得権放棄どころか天下りとなって国家財政に寄生して国家を衰弱させているだけである。
      《参照》  『中国バブル経済はアメリカに勝つ』 副島隆彦 (ビジネス社) 《後編》
               【中国が腐敗しているというなら、日本は清らかなのか?】

 “国際社会への仲間入り” とは、国際社会できちんと喋れる日本人になれ、ということだろう。明治維新のときは 「脱亜入欧」 を目指し、日本人のメリットである右脳を脱して左脳に入ることを目指したけれど、著者はグローバル社会の基調である左脳的要素が未だに身に付いていないから、きちんと身に付けよう、というふうな記述である。
 しかし、明治維新後の日本人は、結果的に、左脳も右脳も中途半端になってしまっているだろう。明治維新を成し遂げてから130年ほど経過した今日、日本人が新たに成し遂げるべき世界維新は、全脳的バランスの回復した世界を地上に実現することにある。これはそう簡単なことではないけれど、日本人にしかできないことである。
   《参照》   『「無邪気な脳」で仕事をする』 黒川伊保子・古森剛 (ファーストプレス) 《後編》

 

 

<了>