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 1976年の古書。丸紅の人事部にいた方の著作。高度経済成長期の当時から日本人商社員が世界中で活躍していたことがよくわかる。
 顔相について、いろんな芸能人の名前を挙げて説明しているけれど、古書なのでその芸能人の顔を思い浮かべることができない場合が少なくない。
 顔相以外の記述の方が興味深かった。

 

 

【必要あっての顔相学】
 私の顔相学的文明論は、民族の特性をその外貌の面からとらえ、分類し、解明しようとするところからスタートした。そしてそれは、多くは海外駐在や、海外出張の際に、即物的に、業務上の必要から肌をもって、感じ取ったものである。そして、私が同業他社の人びとの会合の機会に、その一部を紹介したさい、ほとんどの人びとが、熱っぽく自らの体験談を語り、その裏付けを補足したり、賛意を力説されるのであった。(p.208)
 商社マン人事において、現地に誰を派遣すべきなのか、顔相は馬鹿にならないという経験があったらしい。
 現在は終わってしまった番組だけれど、『世界ウルルン滞在記』 という番組でも、現地人と人相が似ている人の場合は、単に対人関係が良くなる以上の何かが感じられていたから、やはり、見た目の類似性は、基本的に大切なことなのだろう。
 このような経験則は明白なことだから、対中国進出において、アメリカの企業や政府系機関が上海に進出した時期は、韓国系アメリカ人を集中的に送り込んでいたのである。

 

 

【ルオー族】
 世界でもっとも黒い色の種族といわれるルオー族や、さらにおなじように黒色の勇士として有名なマサイ族などの住む東アフリカの諸地域は、サバンナといわれる草原であり、気温も最高摂氏30度くらいで決してそれほど暑くはなく、太陽の光線もさほど厳しくはないのである。密林の日射の少ないところにも黒人の部族が多いところをみると、なぜ黒い肌の民族が生まれたのか、想像にくるしむ。(p.19)
 つまり、紫外線によるメラニン色素の沈着という関係では人種の肌の色は説明できない、といっている。

 

 

【松下の海外進出】
 世界各地を旅行してみて、商社さえも進出していないような地域にまでも、松下電産の合弁会社の組立て工場が建設されているのに感銘させられるようなことがしばしばである。むしろ強引すぎ、無理ではないかと判断されるような立地環境で松下商法が成功しているのである。(p.46)
 松下関連企業は、日本が東京オリンピックに沸いていた1960年代、内需が旺盛であった時期に、既に海外に進出していたらしい。

 

 

【終戦直後のパスポート】
 昭和20年代の後半に、はじめて海外駐在を命ぜられ、渡航の手続きを始めたとき、パスポートの申請用のフォームのなかに、国籍の記入欄のほかに、人種(RACE)という欄があって、なんと書いてよいか、とまどった記憶がある。(p.71)
 旅行会社の人に尋ね、教えられたとおりモンゴリアンと書いたそうである。
 移民国家であるアメリカのパスポート申請用紙を参考に作成されていたのだろう。

 

 

【アフガニスタンのカブール】
 カブールでの私の経験は、ひとつの得がたいものであったと思う。
 ・・・(中略)・・・公害と文明の汚れのない未開の古都で、私は、わが同胞であるモンゴル系の人々に会ったのである。街かどの毛布屋さんの店さきに、チョコンと座っている少年が、まるで日本人そっくりなのに驚かされた。(p.75)
 中央アジアには、モンゴル系の遊牧民族が今でもたくさん存在している。彼らに国境という概念などないから、どこにでも住んでいる。つまり、幼児期に蒙古斑を生ずるDNAを持つ人々は世界中に散らばっているのである。
 日本人だって単一DNA民族であるわけはなく、世界中あらゆる国々がそうである。政治的にかってに決められた国境によって、国々が地図上に存在しているだけであって、それらが民族を表すものでないことなど言うまでもない。
 日本の場合は、大陸から離れた島国という特性、日本語という言語特性、そして日本列島という特異な神霊的磁場とによって、固有な思考形態の民族となっている。

 

 

【戦後の韓国】
 戦後に訪問した際にも、ことさらマーケットや、下町をうろつき、昔の友人がいないかと捜し求めるような気持ちで歩きまわってみた。・・・(中略)・・・
 韓国の大衆たちは、太平洋戦争や朝鮮戦争のために、想像以上にいためつけられて、疲弊しているように見えた。そして、日韓のきずなの深さに比して、その運命的な経緯から生まれた溝をうめる努力の欠如を自省した。
 ふとある果物屋でみかんを買っているとき、50歳がらみに主人が、私をみつけて店の奥から飛び出してきて、なつかしそうに日本語で話しかけた。
 「わたくし、早稲田大学でているよ。日本語忘れちゃって、ダメね。でもなつかしいよ。東京の友人、親切だったよ」
 外国を歩いていて、このような形で心を打たれることはまずない。これが違う国民、違う民族かと疑いたくなるほどの親密感である。(p.95)
 戦後、年数を経るにしたがって韓国では、アジア分断工作の一環である「反日教育」が徹底し、日本人に親しみを感じていた人々が、素直に本当の感情を表せなくなってきたのである。

 

 

【両極を併せ持つ日本人】
 最高に喧嘩好きであるが、しかしおとなしい。軍国主義であるが、しかし耽美的である。不遜であるが、礼儀正しい。頑固であるが、しかし順応性に富む。忠実であるとともに不忠実であり、勇敢であるとともに、臆病であり、保守的であるとともに、新しいものを喜んで迎え入れる。
 そして、人類学者として明晰な、しかも暖かい目で日本人をとらえ、このような 「矛盾に満ちた性格」 すなわち、 『菊と刀』 を同時に愛しうるのが、その特性であると結論づけられたのである。
 われわれ日本人自身からみれば、なるほどそのようなものかと手軽にうなずき、受けとめてしまうかもしれぬが、このような矛盾概念を含む性格は、外人にとってはきわめて不可解な、理解しにくいものである。見方によっては、神秘的なエキゾチックな謎として、東洋人との壁をそこに感じとると思う。しかし、日本人自身がそのような矛盾に馴れ、気軽に受けとめていたところに、問題がありはしなかったか。(p.133)
 なんら問題などありはしない。
 日本人は、自分自身の中に矛盾する両極があることを知っているがゆえに、他との軋轢を起こすことの無益さを知悉していたのであり、それゆえにこそ忍耐強く “和” を第一とする社会を築いてきたのである。日本人こそが最も成熟した民族なのである。

   《参照》  『色と形の深層心理』 岩井寛 (NHKブックス)

            【日本の色:紫】

            【紫に潜在する両極性】

 現在の世界で国際的な交流をする場面では、日本人のこの特性は確かに有効に機能しない。しかし、世界全体が本来目指すべきなのは、日本社会のあり方なのである。
 現在、世界中の若者たちが、日本のアニメを通じて日本人の心のあり方を感受しつつある。漸次世界の日本化は進行しているのである。