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 戦後日本の文化状況を憂え、果敢に言論の矢面に立って、若者たちに本当の日本と日本人を語ってくださっている方といったら、渡部昇一先生と本書の著者である西尾幹二先生だろう。2010年6月初版。
 
 
【国際政治史上に名を残す福田赳夫・元首相】
 私はあるとき彼が 「政治は道徳だ」 と語ったのを聞いてがっかりしたのを覚えている。田中金脈事件に当てつけて言ったのだったが、政治は決して道徳ではない。道徳の含意するところも問題ではあるが、政治に道徳を期待するとかえって非道徳になることがある。周知の通り福田はダッカ日航機ハイジャック事件で 「人命は地球より重い」 といって犯人側の人質解放の条件を呑んで、600万ドルの身代金を支払い、超法規的措置として収監中の殺人犯、赤軍派のテトリストの引き渡しを行った。これは道徳的行為でも何でもない。(p.19-29)
 理想とか道徳を持ち出して貫徹させることなど国家レベルでの政治では不可能である。政治は現実的な利害調整であり、落とし所としての妥協点を見出すことなのではないだろうか。
 私が、福田元首相の 「人命は地球より重い」 という発言を聞いたのは子供の頃だったから、それが間違っているとは思えなかったものである。だから、後々、大学生になってクラウゼヴィッツの 『戦争論』 の中に、「戦争は、軍事力を持ってする政治の延長である」 というような文章を見つけて、固まってしまったのである。
 諸外国の政治家たちは、福田赳夫・元首相の発言と行動に、「バカか・・」という思いで固まったのである。
 日本は平和な農耕社会を長いこと維持できた島国だったから儒教的道徳でやってこれたけれど、国内と国外は違う。国外は現在でも狩猟社会の文化を基盤として苛烈な経済的略奪に晒されている状況になんら変わりはないのである。
   《参照》   『アメリカはどれほどひどい国か』  日下公人&高山正之  PHP  《前編》
              【略奪経済】
   《参照》   『お金の正体』 日下公人 (KKベストセラーズ)
              【略奪と踏み倒しは国際金融の常識】

 

 

【アメリカとオーストラリアの共通点】
 アメリカのWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の人種偏見は、オーストラリアの白豪主義と通じ合うものがある。(p.48)
 アメリカのインディアン虐殺は誰でも知っているけれど、オーストラリアにおいても、先住民のアボリジニに対する虐殺の歴史があったことは、それほど知られていない。
   《参照》  『すすにまみれた思い出』 アンソニー・ヒル  金の星社
                【アボリジニ】

 また、アフリカから黒人奴隷がアメリカに連れてこられたように、オーストラリアは、ポリネシアの群島からカナカ人という黒人を騙すようにして連れて来て、彼らを労働力として酷使するなど、アメリカの歴史と共通する面が大きい。(p.66)

 

 

【オーストラリアの対日観】
 アメリカとオーストラリアは、政治面でも連携することが多い。
 第一次大戦以後ずっとアメリカとオーストラリアは秘かに手を結んで反日の矛を磨いていた。アメリカが反日で協力し合った最初の国はイギリスではない。(p.50)
 オーストラリアは捕鯨船を襲撃し、大使館で日の丸を汚し、牛肉を売りつけようとするなど、官民挙げての行動は異常である。第一次大戦の頃から何も変わっていない野蛮で情けない国である。日本人はそういう国々に取り囲まれているのだということをよく知っておいた方がいい。(p.76)
 オーストラリア人は、東洋人全体を蔑視している傾向があるらしいけれど、特に日本に対する蔑視意識に遭遇した経験がある。
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 パースの沖にあるロットネスト島という観光地で40歳くらいの男性ガイド(上掲写真)が、日本人は私だけの集団への説明で、「日本人がレイプした」 と言ったから、 「見たんか!」 と言いそうになったけれど、こらえつつ睨みつけてやったことがある。オーストラリア南部のロットネスト島が戦場であったなどという訳がないだろう。バスを降りる時、鋭い視線で 「サンキュー」 と言ってやったら無言で固まっていた。
 僅か数日の滞在だったのに、こんな不愉快な体験が2回もあった。日本と戦争で敵対したという関係などないのに、英連邦の国であることが関与しているのだろう。オーストラリアと言うのはそういう国である。
   《メディアの米豪関連・参照》  『さらばアメリカ』 大前研一 (小学館) 《前編》
                         【アメリカの真実】

 

 

【 「地球企業」 をめざしたトヨタの奥田碩氏】
 昨年(2010)からトヨタはアメリカ市場で標的にされていいたけれど、前社長の奥田さんの発言が記述されている。ちょっと 「むかっ」 とする発言である。
 永年に渡り 「地球企業」 などと歯の浮くような甘い概念を撒き散らして、トヨタ社内だけでなく日本社会にも相応しい害毒を流していた奥田碩氏の、「マッカーサー鎖国」 に全身どっぷりひたっているくせに、自分だけは地球的規模で開かれた国際人であるかのように思いなした自己錯覚が、今回の自社損傷の破局に至った原因である。
 まだまだ 「日本企業」 のレッテルが取れないとの思いがあると仰ったそうだが、何という言い草か。(p.56)
 略奪国家アメリカにおいて、東芝や三菱が、卑劣ともいえる阿漕な訴訟によって莫大な和解金を支払わされるという手痛い目にあっていたけれど、「地球企業」 のトヨタにはないと思っていたのかもしれない。 “肥えたブタは肉を削ぎ落とすためにこそ飼育する” という、アメリカ社会の中枢にあるWASPの略奪DNAを甘く見てはいけないだろう。
 奥田碩氏が社長だった当時、アメリカの力を背景にした小泉改革に乗じて、政治力を使って卑怯なことを行っていた証拠もある。
   《参照》   『トヨタの正体』 横田一・佐高信 (金曜日)
              【一億総期間工化】
              【ミサワホームとトヨタ自動車】

 

 

【経済は経済だけで自立できない】
 経済が牙を持たない限り、すなわち経済が国家の権力意志を示す政治の表現にならない限り、経済が自分を維持することさえ難しくなる隘路に今の日本は次第に追い込まれつつある。
 そのことにいまだ気がつかないのは、経済は経済だけで自立していて勝手に翼を広げられると思っている人々、本論で問題にした現代日本の経済人である。経済人が政治に目ざめ、自ら国家意識の所有がいかに必要かを自覚しない限り、アメリカと中国の両サイドからの見えざる国家意志から今後もはさみ打ちにされ、もてあそばれることになるであろう。(p.64)
 日本経済が順調であった時期は、経済は政治に勝つかのようにも思われたけれど、実際は、東西冷戦終結後、アメリカは経済戦争にシフトし標的を日本に定めたのである。その結果が、バブル崩壊以降、決して以前に復さない今日の日本経済である。力技の政治は、容易に経済を支配するのである。
 東国原知事の出現で経済的に潤沢になりつつあった宮崎県がピンポイントで狙われたように、日本は何度でも、アメリカの軍需産業がワクチンを有する鳥インフルエンザに苦しめられることだろう。世界は未だに戦争経済の真っただ中である。
   《参照》   『消された惑星「冥王星」の黙示録2012』 神谷充彦 (学研) 《中編》
             【パンデミックを創出する者たち】