<前編> より
 

 

【星という言の葉の意味】
 毎日毎日、静かに天(あめ)の意志を眺めていた人がいたのです。のちに、「陰陽寮(おんみょうりょう)」となる人々です。彼らによって天の事象が記録されていきました。
 ところで、この星という言の葉の意味はご存じでしょうか。
 じつは、 “ほし” とは、 “火日(ほしろ)” の意味なのです。晴れた闇夜にきわめて高く天に満ち満ちて、火のごとく、そして小さく白く輝き見える天の聖靈に名づけられた名称です。(p.106-107)
 大相撲の星取り表に見られるように、日本では星を白星 ○ 、黒星 ● で表す。
 中東などの乾燥地帯では水蒸気でぼやけないから ☆ である。

 

 

【ゲンジボタル】
 ゲンジボタルの “ゲンジ” というのは、光源氏の 「光」 を蛍の光と見て、ゲンジボタルと命名したのだといいます。一般には源平合戦の源氏と思われているようですが、違うのです。(p.117)
 ヘイケボタルはゲンジボタルに比べて小型で光も弱いので、源平合戦の敗者としてそう名づけられた、と書かれている。
 

【黄葉と紅葉】
 古代の人々は、色を揉みだして求めていました。そこで、草木が露・霜のために揉みいだされるところから、木の葉が赤や黄に色づくことを、 “モミイズル” といい、 “モミヂ” といわれるようになります。
 古くは、 “モミヂ” を 「黄葉」 と書いていました。万葉集では、ほとんどが黄葉です。「紅葉」 「赤紫」 「赤」 といった赤系統の “もみぢ” の用字は少なく、「黄葉」 「黄変」 「黄」 「黄色」 「黄反」 など、黄系統は計88例もあります。万葉人にとって、 “もみぢ” というのは、黄色感覚であったようです。
 ・・・中略・・・
 さて、 『源氏物語』 『平家物語』 の時代のもみぢは、万葉の時代と違い、楓もみぢを主に鑑賞するようになります。もみぢ狩りといえば、現代同様、 “観楓(かんぷう)” のことをいうようになるのです。(p.163)

 

 

【呂律がまわらない】
 三千院前、桜の馬場の南に呂(りょ)川が流れそこに架かる赤い橋、魚山橋の裾から渓流沿いに谷に入る道があります。この坂道こそ、もみぢ狩りの秘所です。
 坂道をしばらく登り、来迎院。ここで本堂をお参りして、裏手の道を律川へ。・・・中略・・・。「呂律がまわらない」 というのは、呂川と律川が乱れてうまく調和しなかったというところから生まれたといわれます。(p.165)
 Googleで調べてみると、この二つの小さな川は正面衝突するような形状で合流し、相互に直角に折れて下流に向かっている。勇ましさと謙虚さが瞬時に重なって呂律がまわらなくなってしまったのだろう。

 

 

【 『和漢朗詠集』 と日本的茶の湯の世界】
  『和漢朗詠集』 『詠歌大概』 は、茶の湯との関係でも古来、非常に大切にされてきたものです。最近の茶人と称する人々の心には、こうした基本的な根底部を見失っているきらいがあるようです。であるとすれば、それはとても残念なことというしかありません。
 茶道の大成者である千利休の師武野紹鴎が、当時の文化人の最高峰であった公家三条西実隆卿より、『和漢朗詠集』 『詠歌大概』 の伝授をされ、 『和漢朗詠集』 における和歌(やまとうた)と漢詩の兼帯という姿から、その文学的姿の具象化として、それまで唐物(中国製のもの)ばかりで道具組されていた茶の湯の世界を、日本で作られた道具も取り入れ、和漢兼帯の茶の湯の姿を示現させたのです。
 ですから、日本的茶の湯の世界は、武野紹鴎が村田珠光の茶の湯の世界を一歩進めて国風化できたことによって生まれた、と言ってもよいのです。現代の風流人にも、ぜひとも心得てほしい世界なのですが・・・。(p.167)
 なるほど、武野紹鴎と村田珠光の間に『和漢朗詠集』 が介在して日本的なる国風化があったということ。
 日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】 を書いた時には、そこまで知ってはいなかった。

 

 

【白羽の矢】
 じつは、白羽の矢とは、雷神の魂靈宿る矢を意味しているのです。・・・中略・・・。そして、この “白い” という羽根の色がまた重要な意味を持つのです。白とは、古来、光の色を表し(しらじらと夜が明けるなどの例)、宇宙全天の輝く父としての天(あめ)の色なのです。その点の色である白い色を矢羽とすることは、すなわち天意そのものを表します。
 “白羽の矢が立つ” とは、天の心をその手にしていることを意味しているのです。
 正月に初詣をして手にする破魔矢を思い出してください。これは稲藁でつくった輪型のハマを、白羽の矢で射る豊穣を祈願する儀式のなごりなのです。
 この稲藁でつくった輪型のハマは、トヨウケ(稲の女神)を表しています。そこへ白羽(ホノイカツチ・ワケイカツチ)の天の力を射込むことによって、稲の実りを祈願しその年の豊饒を占ったのです。ですから、破魔矢という字はのちの当て字で、ハマヤは豊饒(身ごもること)を祈願する矢なのです。(p.179)
 ギリシャ神話に出てくるゼウスみたいな不埒な神様だったら、破魔矢を手にした女性で溢れかえる日本の正月三ヶ日は、狂喜ながらにレイプのしまくりか? 幸い日本の神様であるホノイカツチは、そんなに不埒じゃない。
   《参照》   『美しい日本語の風景』  中西進  淡交社
              【いなづま】

 

 

【はる なつ あき ふゆ】
 私は春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)という響きより、春夏秋冬(はつなつあきふゆ)という “大和ことば” の響きのほうが好きです。やはり言葉の響きに魂靈を感じます。
 “はる” とは、草木が芽張るころとなり、天地万象のすべてが、「発(は)る」ころ、というところから “はる” といわれました。
 “なつ” は、「暑(あつ)」 が転じて “なつ” となりました。
 秋になると、草木も “もみぢ” してあかくなります。「黄熟(あかり)」 から “あき” となったのです。
 冬になると、とても寒くなります。古代は現代と違って、暖める術もあまりなく、とても冷えました。「冷ゆ」 から生まれたのが “ふゆ” です。 (p.188)
 日本の言霊(著者流の表現では言魂靈)は、何と言っても大和言葉の訓読みにしないと本来の輝きは生じない。

 

 

【日本初の水時計の作者】
 天智天皇が、日本初の水時計の作者なのです。毎年かるた祭の儀式の行われる大津市の宇佐山の山腹にある近江神宮は、天智天皇が祭られています。大津京を造営し、近江令をつくり、大化の改新を行った天皇が、日本国に初めて時刻制度をとり入れたのです。このゆかりにより、近江神宮には、古今東西の珍しい時計が約3500個も収蔵される時計博物館まであります。 (p.202)
 西の宇佐山に宇佐八幡を祭り、東には琵琶湖を有する近江神宮の祭神・天智天皇。なにやら意味深である。

 

 

【蘭奢待(らんじゃたい)】
 この大雪の日に、利休によって炷かれた 「蘭奢待」。 隠名 「東大寺」。この名香の名をご存じでしょうか。
 日本で一番有名な香木です。
 ・・・中略・・・。
 聖徳太子は、この像(法隆寺夢殿の秘伝観世音菩薩)を礼拝されるときには、その尊像を造った際の削残木を香としてお焼きになったと伝えられています。その香は、手函に納められて後の世に伝えられました。そこからこのお香を 「手函の太子」 と唱え、香銘(香の名称)を、「法隆寺」 と称していました。それだからこそ、日本最古、日本香道の始まりを示す 「法隆寺」 が、日本最高の名香群61種名香の筆頭となっているのです。
 61種名香の場合、その順序にも多くの秘伝があり、細心に構成されています。「蘭奢待」 の存在の前提に 「法隆寺」 があり、「蘭奢待」 は、「法隆寺」 の次位にある香木だということを知らなくてはいけないのです。(p.209)
 「蘭奢待」 が一番有名といっても、所詮は隠名にある通り、№2の 「東大寺」。
 日本香道の創始者である聖徳太子ゆかりの 「法隆寺」 の上をゆくことはありえない。
 
 
<了>