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 「本なんか読まなくたって生きてゆける」 と思いつつも、タイトルに興味を持って読んでみた。けれど 「これだ」 とか 「そうそう」 と思えるような内容は記述されていなかった。
 読書好きな著者固有の読書観は綴られているけれど、読書が好きになった理由は人それぞれだろう。特に男性と女性ではその趣にかなりの違いがあるように思う。


【たしかな感性を・・・】
 たしかな感性を身につけるためにも、やはり本は読むべきもの、感想文は書くべきものである。 (p.80)
 女性の著者だから、このような記述になるのだろう。
 活字媒体の読書は視覚を通じて入ってくるので、大脳の中の新皮質で処理される。故に読書は本来、感性というよりは知性に働きかけるものである。聴覚に働きかける音楽は大脳の中の旧皮質に近い部分で処理されるので感性的なのであろう。臭覚は古皮質に近いところで処理される。古皮質は感性的というよりは生存的というか本能的な働きを司る部位である。

 

 

【環境よりはきっかけ】
 良い読書環境のなかに育っても、本を読まない人はいる。悪い環境の中で育っても、本を読む人はいる。 (p.99)
 読書をするようになった人々に比較的多く共通するのは、親が読書をしていたので自分も自然と本を読むようになった、ということらしい。家に本がたくさん並んでいても、それだけで子供が読書好きになることはない。あくまでも、子供は親の背中を見て育つ。親の行動様式まで含めて環境である。
 チャンちゃんの家には、日本・世界・古典などの全集物が並んでいたけれど、そんなものは一度として開いたことはなかった。親が本を読んでいる姿など見たことがなかったし、自分自身もスポーツ以外に興味が向くようなことは決してなかった。それでも、後々、世界の名作や日本の名作のいくつかを読むようになったけれど、その頃は実家を離れて生活していたので、自分で新潮文庫を買って読んだのである。
 チャンちゃんが本を読むようになったのは、大学に進学して同じアパートに住んでいた先輩たちに接する機会に恵まれたのがきっかけである。理学部数学科のドクターコース、工学部化学科のマスターコース、法学部生、工学部生、医学部目指して浪人中のお歴々が夜な夜な集っていろんな話をしているのを聞いていた頃が懐かしい。殆ど本を読んだことのなかったチャンちゃんにとって、そこで話されている内容はどれもこれも真新しい世界のことばかりだった。聞いているだけでとても刺激になり楽しかったことを覚えている。

 

 

【異質な刺激を求めて】
 しかし、よんどころない理由でそのアパートを出ることになり、私を知的に刺激してくれる先輩たちを失ってしまい、自分と同質・同レベルの連中ばかりの環境になってしまった。そこで、やむなく自分で本を読むようになったのである。文学から読み始めていったのだけれど、興味の対象は文学の世界に留まるものではなかった。
 国際社会で活躍する上での日本人の弱点として、異質な世界での経験不足から来る人間的な弱さを指摘する人は多い。数日前の読書記録で取り上げた榊原英資さんの本の中には、異質なものから学ぶ機会を与えるために、全国から高校生を集めて、そのような教育を行っていることが書かれていた。
 人生経験であれ、体験であれ、知的な刺激であれ、思想的な刺激であれ、現在の自分自身が保持していないものを、異質なものから学ぼうとするのに最も容易な手段が “読書” なのである。書物の中には、著者の、それを書くまでに費やされた少なからぬ経験と思索に費やされた時間が込められているのだから。     
 
<了>