《前編》 より

 

 

【歴史を動かした「文」】
 この国は本当は、「文」を大切にする人々のものであった、と思う。「文」を守り抜くために「武」を使う民族であった。 (p.106)
 「古今伝授」のキーパーソンとなる細川幽斎と、関ヶ原の合戦が絡んでいるというのである。
 幽斎は、戦国時代にありながら、三条西実枝にやまと歌、千利休に茶を学び、その奥義を極めた文武両道の士である。 (p.107)
 幽斎がいた丹後・宮津城を石田三成が攻めるに及んで、多くの人々が奔走したという。
 幽斎からやまと歌の道を教わっていた八条智仁親王は、師の危機を知り、後陽成天皇に幽斎を救ってほしいと頼み込む。
「幽斎が討ち死にしてしまうと、やまと歌の秘伝 『古今伝授』 を伝える者がいなくなります。本朝の神道奥義、和歌の秘密が絶えてしまうこととなります。どうか、幽斎の命をお救いください」  (p.110)

 ついには「古今伝授」の断絶を恐れた後陽成天皇から、城の包囲を解かせるための勅令が出たのである。「古今伝授」がどんなに尊重されたかが想像できる史実である。 (p.111)
 「継承を絶てば、この国は消える」 とする章の中で、著者はこのように書いている。
 永い歳月をかけて守り抜かれてきたやまとの 「こころ根」 を持つ者が、無私無欲で国づくりに立ち向かわないかぎり、日本という国はなくなってしまおう。
 国際協調という虚構で 「武」 に走る風潮は、再び日本の敗北となる。それを細川幽斎の 「文」 が教えてくれるのである。 (p.119)

 

 

【能因・西行・芭蕉】
 西行は、時空を超えて、日本人の心の中に生き続けている。それにはいくつかの理由があるだろうが、生き方の美学という面で記しておきたい。
 出世の道も、妻子も捨て、謎を残して出家した。しかし、出家して出家しきれず、俗にまみえながら、やまと歌の道に没頭した。悲しみ、わびしさ、せつなさを身をもって味わい、風流風雅の境地に立ち浮世を送った西行の生涯に、日本人は、本来の自分を見るから引きつけられる。理由なき世捨ての衝動というものに美学を見いだすのである。
 そんな西行は、1144年頃、奥羽・出羽に旅立ち、各地の歌枕を訪れ歌を読んでいる。やまと歌の先達である能因法師という人のたどった道を追ったのである。
 能因法師から百年後のことであるが、・・・(中略)・・・、やむにやまれぬ「あくがれ」の心によって能因の足跡を訪ね旅に出たのである。
 またその五百年後には、俳諧の雄・松尾芭蕉が、能因・西行のこころ根を慕い、「奥の細道」の旅をすることになる。 (p.121)
 西行と芭蕉を繋ぐ記述はかつて読んだことがあったけれど、能因にまで遡って繋ぐ記述はこの著書が始めて。

 

 

【能因と伊勢】
 百人一首には、能因法師のつぎのような歌がある。

  嵐吹くみむろの山のもみじ葉は竜田の川の錦なりけり

 みむろ山とは、「神の降臨する山」との意である。奈良県生駒郡三郷町の竜田神社の背景の山を言っている。この歌を歌ったときの能因法師の心には、いにしえの和歌の達人・紀貫之の 『後撰集』 がある。

  から衣たつたの山のもみじ葉ははた物もなき錦なりけり


 の歌があった。しかし、紀貫之の理知的な歌を音・色をもったやまと的な響きを内包した歌に仕上げている。
 貫之は、目に映った状況を、型にはめて言葉にしている。だが、能因は逆に、それを背景としつつ、風の音を聞かせ、紅葉するうつろいの色を浮き上がらせているのである。山嵐の音を聞かせ、流れに乗るもみじ葉という動きがみえるではないか。
 なぜ、このようなことを記したかというと、そこに能因に影響を与えた人物の影を見るからである。
 紀貫之と同時代の女性歌人の第一人者に、伊勢(生年は874)という女性がいる。
 
  難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや

 これは百人一首の中にある伊勢の歌であるが、こんなやまと的な風格をかもしだす女性に、あこがれたのが能因である。夜な夜な、能因の夢枕に伊勢が現れるのであった。
「女のこころは、やまとのこころ。いくら唐様(外国)の知識が蔓延っても、やまとのこころ根をもたぬ男には、なびきませぬ。やまとのこころ根を伝え続ける力をもたない男なんて・・・」
 美しい女の一言は、能因のこころに響き続けたのである。  (p.123-126)
 歌人・伊勢のことをかろうじて知っている私でも、普通に生活していて “やまとのこころ根” から少しずつズレてしまっていることに気付く。グローバル化している今日の日本を、いにしえから見たら、殆ど “狂気のこころ根” が蔓延っているだけの国にしか見えないことだろう。
 ちなみに、 女性歌人に、伊勢 と 伊勢大輔 がいるけれど別人。
               【伊勢大輔】
 
 
【やまと言葉という音のなかに宿っているもの】
 命がけの旅から得た個人の言の葉に宿る、やまと人の一人ぼっちへの憧れが、人、独りで生まれ、独りで死んでゆくという事実を身に修めることができる契機となる。
 人を頼らず、己の身で生きていく迫力が、やまと言葉という音のなかに宿っていることを、ぜひ実感してほしいものである。(p.129)
 こうあるので、「火の鳥」というやまと言葉を
   《参照》  日本文化講座⑧ 【 武士道 】
            『 武士道は不死鳥である 』
 

【「いただきます」】
 姿正しく命の素をいただくのは、自然(あめつち)への感謝の気持ち。姿正しく、心正しく、これが正しい身だしなみ。動物・植物の命をつなぐ力を自然からいただく。だから、『お命、いただきます』 の意をもつ、「いただきます」 を言葉に出すのが日本人なのである。お米一粒も残さない作法。 (p.189)
 

【「まとも」】
 「まとも」とは、物事に真正面から精一杯挑む生き方を貫き通すということである。
 やまと言葉では、船の先端を「へ」といい後尾を「とも」という。順風満帆、「とも」から真っ直ぐ風を受けると真っ直ぐに船は進む。ここから「まとも」という言葉が生まれた。   (p.193)

 

 

【<本>を跨いだら「凶」。物覚えが、急に悪くなる】
 世の中には、主君の枕を跨いで左遷させられた男もいる。ものを跨ぐと、モノの恨みが身に宿る。日本人は、跨ぐという行為を「お便所」扱いととらえていた。跨いだ対象を不浄扱いしたと見ているのである。
 跨れた物の復讐が始まるのが、やまとの掟である。(p.204)
 「猫マタギ弁当」は、お弁当の不味さを揶揄する表現だけれど、人間がお弁当を跨いだら、即、人間失格である。
 お弁当を跨がなくても書物を平気で跨ぐとしたら、見るべき知性のない人間であることは確実。そのような人は、そもそもからして、知に対する敬意というものが殆ど無いのだから、「もともと知性がない+物覚えが悪くなる=生涯に渡るお〇〇」、という鉄板方程式に当てはまるような人なのである。
 
 

  友常貴仁・著の読書記録

     『大和古流の「躾」と「為来」』

     『大和的』

     『美人のお作法』

     『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書 『未来記』 の真相』

     『千年の四季』

     『辰歳生まれは秘密の深い人』

     『もう朝だぞ!』

     『日本の「ち・から」』

 

<了>