2023.9.25 西武2000系2031F、国分寺線最後の記録④ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

この三連休はイベントに動き回っていたから、さすがに疲労が抜けていない(苦笑)

歳を取るというのはしゃあないなと独りごちつつ、ここはまず溜めたネタを吐き出す場所に。



9月25日西武2000系2031Fについてのネタは、まだまだ残っている。

本当は三連休の間にも吐き出したかったが、帰宅して疲労により手をつけられなかった。

しかもこのネタは小川での撮影を継続中、まだ10時半であるw

もうしばらくこのネタを引っ張るが、何卒ご容赦いただきたい。


ここあたりは、復習のようにシャッターを切っている。

2007年以来折あるごとに撮っていた東村山方のポイント。


ほぼ必ず列車交換をしてきた小川駅では、時期によってさまざまな共演が見られたものだ。

かつては扉数も混在していたし、形式も多種多様な時期があった。

401系、3代目501系、701系、801系、新旧101系、3000系といった3扉車。

記憶はきわめて朧げだが、自分が生まれて以降は551系や601系も居たようである。

利用したとしても、身体が弱かった幼少時代に恋ヶ窪〜国分寺間を利用したくらいらしいが。

(当時、恋ヶ窪駅近くの小児科に診てもらっていたからである)


まぁ、今の南武支線がどうの!など言えないくらい、列車ごとに扉数が違ったのが日常。

それが新宿線、池袋線といった幹線ですらそうだったのが西武鉄道だったのだから。


旧2000系の最後の共演は、新2000系と広義の2000系・4扉車で統一されてはいた。

しかし、歴史上からするとそれはきわめて短い期間のことになりそうである。

来年からは小田急電鉄から8000形が転入することが予告され、また俄に混沌としてきそうだ。


東村山行きの新2000系が発車していった隙に、2031Fの編成写真を後追いで。

面白みも何も今更ありはしないが、名残りのカットである。


…と、少しして拝島線を上ってきた列車を見て、思わずカメラを向けた。

クモハ2450を先頭にした新2000系であった。


昨年春のダイヤ改正で、新2000系の2両編成は池袋線から唐突に撤退してしまった。

現在は新宿線に全編成が集結しているが、見る機会が減ってしまった感は否めない。

連結位置が常に飯能方、前パン固定であった池袋線と違い、新宿線は日によって変わる。

狙いがとかく定めにくいが、今後残された旧2000系と共に記録を重ねたい個体である。


そして、新2000系の4両編成はじわじわとその数を減らしている。

2両編成同様、クモハの力強い走りを堪能するのは今のうちに…であろう。


そして、旧2000系を差し置いて移動を開始。


国分寺行きに乗って、また鷹の台へ。


鷹の台駅は、自分にとっては恋ヶ窪同様割と昔から馴染みのある駅である。

駅近くの学校に行く用事がある時には、ほぼ必ず利用していた。

(ただ、武蔵野美術大学は距離上、国分寺から西武バスの方がアクセスしやすかった)


駅の周辺の佇まいは、そんなに以前とは変わっていない。

北側に交通広場が整備され、付随して駅改札付近が駐禁対策を施されたくらい。

まずは南に向けて歩き、線路脇で2031Fを迎撃。


もっとも線路脇の道路は狭く、走ってくる車や自転車に注意する必要がある。


さらに少し歩いて玉川上水を渡り、脇の踏切で。

ここも道が狭いがその割に人や車の流れはそこそこ活発。

車は一方通行であるものの、自転車や歩行者の読めない動きに気を揉むこともしばしば。


そして交通広場を越えて北に向かい、2031Fを撮影。

新2000系前パン車以来の撮影になったが…

ここはフェンス上に有刺鉄線が張られていて、ポジション設定を多少誤ってしまった。

後から見直すとそれもここならではの絵なのかとも思うが、少し残念に感じてしまい…

もう少しだけこの付近で粘ってみることに。


そしてさらに、北側のたかの街道の踏切に。


単線区間の踏切は、実に迫力満点。

触車しないように注意を払いながら、記録をどんどん重ねていく。