NHKの大河ドラマ『光る君へ』で初回、最も話題になった人物…玉置玲央さん演じる藤原道兼❗
貴公子の生まれでありながら、終始イラつき、何かと弟の三郎(藤原道長)をいびり、憂さを晴らしていました⁉
極めつけは、まひろ(紫式部)の母である“ちやは”を背後から刺してしまったこと?
「コイツは何なんだ?」「完全にぶっ壊れとるやないか!」…と視聴者のほぼ全員が驚愕!!
でっ♪、史実の藤原道兼は?
藤原道兼は、応和元年(961年)、藤原兼家と時姫の間に生誕❗
父である藤原兼家は野心家で、権力争いに勝つため色々と画策しますが、その最たる一手が娘の藤原詮子が産んだ子供が新たな天皇となること⁉
障害はいくつかあり…まずは円融天皇!!
藤原兼家は、円融天皇の女御として娘の詮子を送りこむところまでは成功❗
でっ♪、待望の皇子・懐仁親王も生まれます!!
こうなってくると、懐仁親王に皇位を継いでもらいたいと考えます?
そのためには円融天皇の譲位が望ましい⁉
藤原兼家は家に引きこもり、円融天皇をさんざん翻弄した挙句、譲位の確約を取り付けますが、円融天皇が定めた東宮は、詮子を母とする懐仁親王ではなく、師貞親王でした❗
永観2年(984年)、円融天皇の譲位後、師貞親王が花山天皇として即位します!!
父の寵愛と政治権力を競う藤原道兼にとって、手っ取り早い道筋は⁉
花山天皇を追いやること――?
花山天皇は、よくいえばナイーブ、悪くいえば情緒不安定だったとされています⁉
最愛の女御・藤原忯子を失って以来、鬱々たる日々を送っていたとか?
そこに蔵人である藤原道兼はつけ込みます❗
仏の教えを説き「いっそ出家してはどうか?」と語ります!!
藤原道兼は、「そのときは私も供をする」とまで言い、花山天皇は心を動かされます⁉
かくして寛和2年(986年)6月23日、丑の刻――藤原道兼に手引きされ、花山天皇は密かに内裏から抜け出し、元慶寺まで行き…剃髪❗
花山天皇とその側近たちは、藤原兼家とその息子たちによって次から次へと内裏から遠ざけられてゆきます!!
花山天皇の側近たちの中には、漢籍教養を誇りにするまひろ(紫式部)の父・藤原為時も⁉
花山天皇が唆されて譲位し、懐仁親王が即位して一条天皇へ――?
一連の政変を【寛和の変】と言い、そのMVPは藤原道兼⁉
藤原道兼は986年7月に参議となったのを皮切りに、10月には従三位権中納言へ出世❗
さらに11月に正三位、永延元年(987年)に従二位、そして永祚2年(989年)には正二位・権大納言と順調に昇進を重ねてゆきます!!
しかし、正暦元年(990年)に父の藤原兼家が病で没し、兄の藤原道隆が関白になると、藤原道兼は一気にふてくされ…あてつけのように遊び呆けてしまうのですが、藤原道隆は何も弟を蹴落とそうとしていたわけではありませんでした⁉
藤原道兼は991年に内大臣となり、994年には右大臣へ昇進?
すると、にわかに風向きが変わり始めました❗
長徳元年(995年)に兄・藤原道隆が重病に伏せってしまうのでした‼
藤原道隆は自身の嫡男・藤原伊周を関白に望むものの果たされず、藤原道兼が跡を継ぐことに?
粟田に山荘があった藤原道兼は“粟田関白”と称されます❗
ところが、運命のいたずらなのか⁉
藤原道兼は念願の関白になって程なくして、流行病に倒れて没してしまうのでした!!
享年35歳。