「考えすぎだよ」って言われた瞬間、

「そうだよね、考えすぎだよね」って、
胸の中の違和感まで消えた気になること、

ありませんか。

 

 

でも、それ消えてない。
ただ、押し込めただけ。

 

 

違和感って、
サイズの合わない靴を

履き続けてる感覚に近くて。

 

 

歩けるんです。
周りからは問題なさそうに見えるんです。
でも足は、ずっと擦れていて

赤くなってるし、痛いんです。

 

 

その擦れを「考えすぎ」で片付けていたら、
靴は直せない。

 

 

私も言われたことあるよ。


で、口を開きかけて、
「まあ考えすぎかな」で飲み込んだ。

その場は丸く収まったんだけど、
でも夜になって、
やっぱり引っかかってる自分がいる。

 

 

で、私は気づいたの。

相手にとっての「考えすぎ」は、
相手にとって都合のいい消音ボタンなだけ。

 

 

あなたの感覚は、
相手の快適さのために消すものじゃない!

 

 

気づきは、
自分の内側から生まれるものだから。
外から「大丈夫」って言われても、
内側がNOなら、NOなんです。

 

 

だから、違和感は消さないでほしい。

消すより、先に認めてあげて。

 


「あ、私いま引っかかってる」って。

 

 

言葉にしなくていい日もある。
でも、気のせいにはしないで。

 

 

違和感を持ったまま動くと、
人生は少しずつズレていってしまうから。

 

 

考えすぎじゃない。
自分の人生を守るアンテナが、

ちゃんと動いてるだけだから。

 

 

感覚が灯ったその引っかかりだけは、
後回しにしないで。

 

ソファに座った瞬間、
ホッと一息つく前に、頭が騒ぐ。

 

 

「こんな時間あるなら、あれやらなきゃ」
「休んでる場合じゃない」

 

 

って、別にサボりたいわけじゃないのに、

休むと罪悪感が出る。

 

 

それって、

蓋をしたままの鍋に、
ずっと火をつけっぱなしにしてるのと同じ。

 

 

中身は煮えてるのに、
蓋を開けて香りを確かめる暇がない。

 

 

そんなあなたが、

休めない本当の理由は、
休み方を知らないことより、
「休む=ダメ」が体に刻まれてること

 

 

私も、横になったらすぐに
スマホを開いてた時期がある。

何も見ないのに、触ってる。
止まってる自分に耐えられないみたいで。

 

 

でもね、止まらない人生は、
進んでるようで、

感覚だけ置き去りになっているんです。

 

 

命には今しかないのに、
今を休ませないで、
いつ休むつもり?

 

 

休むは、サボりじゃない。
次に動くための、いのちの給油。

 

 

窓の外を一分見る。
湯船につかる。
目を閉じる。

 

 

立派な休みじゃなくていい。
「何もしない」を、一回だけ自分に許可する。

 

 

罪悪感が出ても、消そうとしなくていい。
出てきたまま、体を先に休ませてあげる。

 

 

真面目さで命を削らなくていい。

休めた後から、また動き出せるから。

「頑張らなきゃ」が口癖のうちは、
体が先に疲れていく。

休む日なのに、
頭の中ではもう次の課題が並んでる。

 

 

それ、やる気が強いんじゃないんだよ。

 


エンジンをかけっぱなしの車と同じで、
止めるタイミングを忘れてるだけなの。

 

 

頑張るって、悪いことじゃない。
でも「なきゃ」がつくと義務になる。

 

 

義務になると、
自分の望みより、
誰かの物差しが先に来る。

 

 

私、昔は朝起きた瞬間から
「今日も頑張らなきゃ」って言ってたんです。

 

 

まだ何もしてないのに、
すでに借りがある感覚。

で、一日中走って、
夜に残るのは達成感より、
「まだ足りない」の残響・・・。

 

 

それって、頑張りじゃなくて、
自分を削ってるだけなんだよね。

 

 

命は、成果物のために

借りてる時間じゃない。

 


今この瞬間のいのちそのもの。

 

 

頑張らなきゃ、をやめた日から、
動けなくなるわけじゃない。
減るのは、無駄な空回りの方で、

残るのは、やりたいから動く力なんです。

 

 

もし今、頑張りすぎて苦しいなら。

次に「頑張らなきゃ」が出そうなとき、
言葉を一回だけ変えてみて。

 

 

「私は、これをやりたい?」

 

 

やりたいなら動けばいい。
やりたくないなら、

今日はやらないと決める。

 

 

口癖が変わると、
現実の動かし方が変わる。

 

 

思ってるだけで「頑張ってるつもり」になっても、
現実は1ミリも動かない。

 

 

「なきゃ」を外したところから、
本当の力が戻ってくるよ。

 

飲み会の途中で、
心が笑ってないのに

顔だけ笑ってる自分に

気づいたことありませんか。

 

 

面白い話じゃなくても、
空気に合わせて口角が上がる。

その場は丸く収まる。
でも帰り道、なんか空っぽ。

 

 

わかるよ。

いい人でいたいって気持ち。


でもそれ、

長く続けると疲れるんだよね。

私も、得意だったからわかる。

 

 

たとえばさ。
相手の話に全部うなずいて、
自分の話は

「まあいいか」で終わらせてた。

 

 

相手は満足そうだったけど、
私は、自分が何を話したかったか、

もう覚えてない。

 

 

それ、優しさにも見えるけど、
傷つかないための先回りなのよね。

 

 

先回りを続けている間、
角は立たないし、都合もいい。
でも心が動く関係にはなりにくい。

 

 

いい人って、
どうでもいい人のこと

になりやすいんですよ。

 

 

だから私は言うの。

いい人をやめるのは、
人を傷つけることじゃない。
自分の居場所を、自分に返すことだって。

 

 

全部を急に変えなくていい。

次にうなずきそうになったとき、
一回だけ、口を閉じたまま胸を見て。

 

 

「私、今ほんとにそう思ってる?」

 

 

違うなら、小さな一言でいい。
「そうかなあ」でもいいし、
「私はちょっと違うかも」でもいい。

 

 

その一回から、
関係は軽くなりはじめる。

 

 

いい人のまま疲れるより、
本音のまま生きる方が、
人生はずっとラクになるから。

 

 

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▽ ▽ ▽

正しい選択をしてるのに、
なぜか景色が変わらない。

評価も、役割も、予定も、
外側から見たら問題ない。

 

 

なのに朝、目が覚めた瞬間、
「あ、また同じ一日か」って
胸の奥で小さくつぶやく。

でも、何かが違う気がする。

 


なんてことありませんか。

 

 

説明できる選択。
誰にも責められない選択。
周りが安心する選択。

 

 

そればかり重ねてたら、
ある日ふと気づくんだよね。

地図は合ってるのに、
ナビをセットしてなかったって。

 

 

正しさは、道順には強い。
でも、あなたがどこへ行きたいか
までは、教えてくれない。

 

 

これ、セッションでも
よくあるパターンの一つなんです。

ちゃんとしてる。
間違えないように選んでる。
なのに、胸のどこかがいつも寂しく感じる。

 

 

それは、
感覚を後回しにして、
正しさだけを前に出した結果です。

 

 

正しさに疲れた人ほど、
次も「正しい方」を取りがち。

安全だから。
説明できるから。
感覚より、正しさの方が声が大きいから。

 

 

でもね、何度も言ってるけど
命には今しかないんです。

説明できる人生と、
本音で生きる人生は、別物。

 

 

景色が変わるのは、
正しさを増やしたときじゃない。

「私は、どっちがいい?」に
正直に答え始めたとき。

 

 

だから、
次に何かを選ぶとき、
正しさの会議の前に、
自分の感覚を聞いてみて。

 

 

小さな選択でいい。
お昼に何を食べるか、でもいい。

その一回が、
正しさだけの運転をやめる、
最初の一歩になるから。