やりたいことは、見えてる。

なのに、決める瞬間だけ、人に渡してる。

 

 

乗車券を、人に買ってもらって、

乗ってから「違う」ってなる感じ。

行き先を、自分が選んでないから。

 


でも、乗ってから文句を言っても、
その乗車券で乗ったのは自分じゃない。

 

 

やりたいことは見えてる。
決める瞬間だけ、
相手の顔や場の空気が先に出る。

 

 

行くか、行かないか。
言うか、言わないか。

自分の行動なのに、

自分が決めてない。
それ、やってるよ。

 

 

「どっちでもいい」
「みんなに合わせる」

 

 

優しさに見える。
場は丸くなる。

でも本当は、自分がいないだけ。

 


責任が、外に置ける。
合わなかったら、

相手のせいにもできる。

決める瞬間を渡すのは、
関係を壊さないため、に見える。

 


でも本当は、
失敗を自分の側に置きたくないだけ。

一度決めたら、それは自分の話になる。
自分の話になると、恐れも本物になる。
だから先に、人の顔を見る。

 

 

預けた行動は、

うまくいっても満たされない。

 


うまくいったら、

誰かの正解だった気がするし、
うまくいかなかったら、

預けた側に逃げ道がある。

 

 

どっちに転んでも、

乗ってる列車が、自分のじゃない。

不安で止まるのは、わかる。
恐れがあるのも、わかる。

 

 

見えてるのに、決めるところが怖い。
決めるのが怖いから、先に預ける。

 

 

場は丸くなるけど、
自分の一日は、他人の続きになる。

 

 

預けたまま乗ると、

到着しても、自分の駅じゃないんだよね。
選んだ感はないし、

選んだのが自分じゃないから。

 

 

決めるのは、自分だよ。

丸い場は楽だけど、
楽な場にいるあいだ、

決めてるのは、いつも向こう。

 

 

渡した瞬間は楽。
乗ってから、違う、が出るんだよ。

 

 

だから、

自分の行動は、自分で決めよう。

見えてる方向があるなら、

乗車券は自分で取る。
 

 

決める瞬間を、人に渡さないで。

「今の言い方、微妙だった」

会話の途中で、

それだけ拾ってることない?

 

 

言い方の抜け。
タイミング。
返信の遅さ。

 

 

会話してるつもりが、

粗の回収になってる。

それ、あらさがしだよ。

 

 

気になってるんじゃなくて
探してるんだよね。

気になる、なら流れる。
探してる、は取りにいってる。

 

 

耳に入ってくるのは、

欠けたところだけで、
見つかると、少し楽になる。

 

 

欠けてるのは相手だ、

ってことにできるから。
自分は正しい側にいられるから。

 

 

正しい側に座ると、

その会話から降りていい理由ができる。
欠けてるのは向こう、で一日が終わる。
自分の話は、そこで止まってる。

 

 

口から出るのは、指摘。
心の中は、

なんでわからないの、でいっぱい。

 

 

会話のあとまで、

その一言を巻き戻してる。
相手の話より、粗の方が残ってる。

 

 

仕事のやりとりでも、

画面を見てるときでも、同じ目になる。

 

 

でもさ、

相手の欠けを見てるあいだ、
自分の一日の話は、そこで止まるんだよね。
 

 

それって、

探してる側に、逃げてるだけなんだよ。

 

 

目がいいんじゃない。
距離を取る許可を、

相手の欠けから受け取ってるんだよね。

 

 

「微妙だった」は観察に見える。
でも、本当は、自分の席を守る作業。

上手い指摘は、会話に見える。
でも、中身は、あらさがし。

 

 

指摘してるあいだは、自分が正しい。
正しいあいだは、自分の欠けを見なくて済む。

 

 

気になるものは、ある。
腹が立つこともある。

でも、相手の欠けを集めても、
あなたの一日は埋まらない。

 


あらさがししてるあいだ、
自分の選択も、止まってる。

探してる間は、自分の話は進まないよ。

 

 

だから、粗を探すのはもうやめませんか。

「それ、知ってる」って

話の途中で、先に言っちゃうことない?

 

 

たとえば、
本で読んだとか、
誰かに聞いたとか、
同じ話が、別の本でも出てきたとか。

 

 

頭の中では知ってるから、

あなたの中では、昨日までと同じまま。

 

 

まるで、

レシピは持ってるけど
一度も、火を入れてないみたいな。

作り方は言える。
でも鍋は、まだ冷たいまま。

 

 

誰かに説明もできる。
「それ、知ってる」と言うだけで、
自分の中には、まだ落ちてない。

 

 

それは、知った、であって
理解した、じゃないんだけど、

この二つを、混ぜてる人は

めちゃくちゃ多い。

 

 

知ってるって言えると、

もうできる人みたいな顔ができる。

 


頭の中の棚が増える。

話せることも増える。
動かなくて済むし、

失敗しなくて済む。

 

 

頭の中で完結してるうちは、

現実に触れなくていい。
だから、知った、が増えていく。

 

 

忙しいのは、わかってる証拠じゃないよ。
自分の話にならなくて済む証拠

ってこともある。

 

 

知ったの量が増えるほど、

選択は昨日のまま。

 


口は進んでるけど、

手は、昨日の位置みたいな。

 

 

本を閉じたあとも、口では話せる。
なのに翌朝の選択は、昨日と同じ。

 


知ってるつもりが、

一番、手を止める。

 

 

理解したというのは、

話せるかどうかじゃないんだよね。

 

 

自分の言葉になってるかどうか。
手が、昨日と違ってるかどうか。

 

 

頭の棚が埋まっても、

実行してないなら、まだ知っただけ。

 


知った、は頭の話。
理解した、は行動の話。

 

 

頭が忙しい人ほど、取り違える。
取り違えたままだと、

わかった顔だけが先に出る。

 

 

「知った」と「理解した」は、

全く違うんだよ。

 

 

知っただけじゃ、自分の話にならない。
だから、知った、で終わらせないで。

人を育てるって、どういうことかな?

 

正解を渡す。
先に決めてあげてる。
転ばないように、全部先回りする。

 

 

それ、育ててるんじゃなくて、
代わりに歩いてるんだよ。

 

 

あなたが傘を、さしてあげて、
隣の人は一度も濡れてないみたいな。

 

 

雨に当たらないのはいいけど、
本人は、自分で傘を開いてない。

濡れないから、うまくいってるように見える。

 


でも、

傘を持ってるのがあなたのままだと、
隣の人は、自分の空を知らない。

 

 

心配なのは、わかる。
失敗させたくない。

遠回りしてほしくない。

その気持ちは、よくわかる。

 


近い人ほど、
先に答えを出したくなったりする。

でも先に答えを出すと、
相手は自分で選ぶことをやめるのよ。

 

 

それは、
育ててるつもりが、

自分の安心のために

なっちゃってるんだよね。

 


転ばせない方が、

見てる側は楽だから。

 

 

育てるって、
相手の人生を代わりに生きる
ってことじゃないんだよ。

 

 

先回りした分だけ、

相手の手が空いていく。
空いた手は、自分で掴んでない。

 

 

濡れないように先回りすると、
その人は、

自分の空を知らないまま歩く。

 


育てるつもりが、

相手の成長のチャンスを奪ってる。

 

 

だから、

少し前を歩く、でいい。
代わりには決めない。
転ぶ前に、全部はどかさない。

 

 

転んでも立ち上がれるように、
必要な時に手を差し伸べられるように
そばにいる。

 


起き上がるのは、本人。

 

 

できるようにしてあげる、じゃない。
放っておく、でもない。

隣にいることが大事なんだと私は思ってる。

 

 

人を育てるって、どういうことかな?

 

 

代わりに歩かない。
その人の足が地面についてるかを見て。

ごめん、って送った瞬間、
少し楽になること、ない?

LINEでも、その場でも。
空気は丸くなる。
相手も「いいよ」って言ったりする。

 

 

それで、終わったつもりに
なってたりしない?

 

 

なのに、また同じことが起きる。
で、また、同じごめんが出る。

 

謝ってる側は、リセットしたつもり。
だけど相手は、「またか」って思ってる。

言葉より、行動を見てるんだよね。

 

 

一度なら、ごめんは届く。
でも、同じ場所で何回も出ると、
言葉の方が先にすり減る。

 

 

相手は、ごめんの回数じゃなくて、
そのあとに何が変わったかを見てるんだよ。

 

 

「いいよ」って言ったことも、本当は覚えてる。
でもそれは、空気を整えるために、

いったん受け止めただけなんだよね。

 

 

ごめんのあとに、何も変わってないなら、
それはごめんじゃなくて、
単なるその場しのぎだよ。

 

 

LINEでごめんだけ送って、
何も動かないなら、

その場は丸く収まったかもしれないけど、
中身は、昨日のまま。

 

 

近い人ほど、ごめんが先に出る。
空気を整えたいから。

嫌われたくないから。

 

 

ごめんが、

関係を整える言葉じゃなくて、
空気を戻すための道具になってない?

 

 

そんな、
道具になったごめんは、
何回出しても、中身を持たない。

 

 

謝るなって話じゃない。

そのごめんの下に、

変えるものがあるかどうか。

 


ないなら、言わない方がいい。

便利に使ったごめんは、

どんどん薄くなっていく。

 


相手の気持ちを預かって、
返してないのに、終わらせたような顔をしてる。

楽になったのは、自分だけ。

 


相手の気持ちは、

ずっと同じ場所に残ってる。

 

 

口先だけの「ごめんなさい」なら、
言わない方がましなんだよ。