テレビをつけてすぐに、
「この番組、つまんない」って
チャンネルを変えたことない?

 

 

その日の内容はまだ見てもないのに、
チャンネルは、もう変わってる。

 

 

それ、人にも、場所にも、やってるよ。

名前だけ聞いた相手。
一度も行ったことのない場所。
ちょっと話しただけの人。

 

 

中を見る前に
「あの人は、こういう人」
「あそこは、ああいうところ」
って先に出して、そこで話を閉じてない?

 

 

行きたい方向は、見えてる。
なのに先に枠をはめて、その外には出ない。

名前を聞いた瞬間に、距離を取る。

 


会う前から「こういう人」が決まってると、
話さなくて済む。傷つかなくて済む。

その代わり、見える世界もそこで止まる。

 

 

たぶん、

わからないまま見るのが、怖いんだよね。
会う前から物語が終わってると、

失敗しなくて済むし、
自分の正解のまま、歩ける。

 

 

ラベルは、便利だよ。
考えなくていいし、

自分の正解のまま歩けるもん。

怖いのは、わかる。
わからないままってのは、不安だもの。

 

 

だから枠を先に置いて、

その中だけで動こうとしてる。

 

 

仕事でも、初めて会う人でも、

よく行く店でも、同じ。
見る前に決めた色が、全部に乗っかる。

 

 

その目のままだと、
相手の一言も、場所の空気も、
自分の都合のいい形でしか入ってこない。

全部、最初に決めたラベルの色になる。

 

 

それは、世界が狭いんじゃない。
ただ、見てる側が、閉じてるんだよ。

 

 

閉じた目のまま人と会っても、

どこかへ行っても、
最初に決めた話しか聞こえない。
新しいものは、枠の外にあるのに、見ない。

 

 

苦手だと思ってた人に、

話してみたら違った、とか。


行かないと決めてた場所が、

案外しっくりきた、とか。

 

 

あれ、向こうが変わったんじゃなくて、
あなたが枠を外しただけなんだよ。

偏見は、相手の話に見えて、

自分の安心の話。

 


わからないまま見るのが怖いから、

先に「こういう人」で閉じる。

閉じた瞬間、世界はそこで小さくなる。

 

 

枠の外に、行きたい場所があるのに、
枠の中の方が安心ってなってる。

 

 

その安心のままじゃ、景色は変わらない。

偏見を捨てたら、世界は変わる。

閉じたままじゃ、行きたい方向にすら進めない。
だから、その枠、外してみて。

どうせうまくいかない。
また同じになる。
私には無理だろう。

 

 

そうやって、
頭の中で、先に終わらせる。

 

 

でも、
悲観的に考えたって、
いいことないでしょ。

 

 

考えてるつもりが、
ただ、沈めてるだけ。

 

 

まるで、
起きてもいない失敗を、
先に日記に書いてるみたい。

まだ、何も起きてないのに、
文字だけが先にある。

 

 

最悪を想定して、備えておくのも、
大事なことだけど。

でも、想像だけで一日を終わらせると、
まだ何も起きてないのに、
頭も体も疲れちゃうんじゃない?

 

 

それって、めちゃくちゃもったいない。
命の無駄遣いみたいで、私はイヤ!

だから、想像だけでは終わらせない。
動いてから次を考える。

 

 

どんなに、先に考えたって
完璧にできることなんてないんだもん。

 

 

私だって、人間だもの。
失敗しちゃったら、
落ち込むときありますよ。

でも、そこで悲観的にはならない。

 

 

悲観的に考えたって、
いいことないでしょ?

 

 

いいことがないなら
考えるだけ無駄じゃない?

 

 

その時間、もったいないと思わない?

もう無理。
これ以上はムリ。
私にはできない。って

 

 

その線、誰が引いた?

限界なんて、本当はないんだよ。

あるのは、自分が引いた線。

 

 

なが~い階段、あと少しで終わるのに、
「もう無理っ」て座り込む感じ。

足は、まだ動くのに、
頭が、先に終わらせる。

 

 

怖いとか、
わからないとか、
失敗したくないとか。

そう思う気持ちはわかる。

 


でも、それが限界の証明には
ならないんだよね。

 

 

私は、やりたいって思ったら
怖くても、不安でもやる。

無理だとか、できないとか、
そういうものを出しちゃったら、
その先には行けないから。

 

 

限界だと思ってるその線、
実は、まだ途中なんだよ。

 

 

あなたが引いたその限界の線は、
ここまでなら大丈夫のラインじゃない?

 

 

わかる、知ってる、できる。
だから、怖くないし失敗もしない。
っていう「安心」の境界線じゃない?

 

 

その線は、

限界なんかじゃないんだよ。

 

 

あなたは、その先に進みたいの?
それとも、それ以上は進みたくないの?

 

 

もし、その先に進みたい気持ちがあるなら、
そこに引いた線をまず消そう。

 

 

次の一歩はそこからだよね。

お金、大事。
選択肢が増える。
安心も、乗ってくる。

 

 

でも、

お金よりも大切なもの、

あるよね。

 

 

時間や人。
自分が「これだ」と思えること。

 

 

稼げばお金は増えるけど、
一日の中身が空、みたいな。

数字はある。
でも、大切なものがない。

 

 

そんな風に感じたことない?

 

 

人との時間を削って、

数字だけ残る、とか。
稼いでるのに、

心にぽっかり穴が空いてる、とか。

 

 

向かいたい方向は見えてるのに、
先に数字を追いかけると、
一日が道具の話だけで終わる。

 

 

不安なときほど、数字が先に来る。
先に来た数字が、

一日を全部持っていくみたいな・・・

 

 

お金は、ただの道具でしかない。
それを目的にすると、

大切なものが見えなくなる。

 

 

安心を買うために、時間を渡す。
渡した分だけ、心が空いていく。
空いたまま数字が増えても、満たされない。

 

 

数字が増えることと、

一日が満たされることは、別物。

 


数字が増えてるのに

心が空いてるなら、

追ってるものが、ずれてる。

 


残った数字は増えて見える。

削った側は、戻ってこない。

私はお金の話もするし、

価値の交換も見てる。

 


そのうえで、言う。

お金より先に、

自分の一日を、雑にしないこと。

 

 

稼いでるのに、心が空いてるなら。
大切なものを、どこかに

置き忘れてきたのかも。

 

 

置き忘れたまま数字だけ追うと、
大事なはずのお金まで、空洞になる。

 


道具なのに、目的にしてるから。

お金よりも大切なものを、先に置く。

 

 

先に置かないと、数字だけが残る。
数字だけ残った一日は、

大事なお金の話ですら、ない。

 


先に置くのは、残したい方

だと私は思う。

なんか違う。

うまく言えない。
理由も、まだ出てこない。
なのに、内側だけが先に知ってる。

 

 

その違和感、
無視しないで。

 

 

「気のせい」
「考えすぎ」
「まあ、いいか」

 

 

って流した瞬間、
自分の感覚が、後ろに下がる。

 

 

一口食べて、なんか違う。
なのに、残すのがもったいないって、
食べ続ける感じ。

味は、もう知ってる。
頭が、まだ理由を探してるみたいな・・・

 

 

人の話、仕事の話、自分の選択。

言葉になる前から、
心が先に、違う、って言ってる日がある。

私は、その感覚を、気のせいしない。

 

 

理由が揃ってから動くんじゃない。
なんか違う感覚がある。

それが先なんだよね。

 

 

無視すると、楽に見えるかもしれない。
考えなくて済むから。

 

 

でも、楽にした分、
自分の感覚が、聞こえなくなる。

それってなんか違うと思わない?

 

 

その感覚を、
流さないで。