何かを決めることが怖い。

その気持ち、よくわかります。

 

 

決めるということは、

選ばなかった方を手放すことだから。 

 

 

今あるものが、

なくなるかもしれないから。 

 

 

慣れ親しんだ場所から、

離れなければならない

かもしれないから。

 

 

でも、ここで一度だけ

考えてみてほしい。

 

 

決めないことで、

あなたは何を守っているのでしょうか。

 

 

私がビジネスの休業を決めた時、

それまで身を置いていた環境が

ガラリと変わりました。

 

 

毎日当たり前にあった日常がなくなった。 

自分の居場所だと思っていた場所が消えた。

 

 

正直に言うと、

最初は怖かったです。 

 

 

自分がどこにいるのか

わからなくなるような、

そんな感覚がありました。

 

 

でも今、あの決断を

後悔しているかと聞かれたら、

答えは迷わず「いいえ」です。

 

 

あの喪失がなければ、

気づけなかったことがあったから。 

 

 

あの空白がなければ、

手に入らなかったものがあったから。

 

 

失って初めて、見えてくるものがある

 

休業中、私は

初めて立ち止まりました。

 

 

動き続けていた時には見えなかったものが、

静かな時間の中で見えてきた。

 

 

その中でも一番大きな気づきは、

俯瞰して物事を見られるかどうかで、

人生は天と地ほど変わる

ということでした。

 

 

渦中にいる時、

人は近くのものしか見えない。 

 

 

目の前のことに必死で、

全体像が見えない。 

 

 

だから判断を誤る。

だから消耗する。

 

 

立ち止まって、

少し高いところから見渡した時、

初めて全体が見えた。

 

 

あの決断がなければ、

私はずっと渦の中にいたまま

だったかもしれません。

 

 

そして失った環境の代わりに手に入れたのは、

人を数字で見ないラフな人間関係でした。

 

 

数字や成果で人を測らない。 

ただそこにいるだけでいい、そんな関係。

 

 

あの頃の私には、なかったものでした。

 

 

決めない人が失っているもの

 

決めることへの恐れはわかります。

でも、決めないことにも、

必ずコストがあります。

 

 

決めない間も、

時間は流れ続ける。 

エネルギーは消耗し続ける。

人生は進んでいく。

 

 

「いつか決めよう」と思いながら、

5年が経つことがあります。 

 

 

「もう少し準備ができたら」と思いながら、

そのまま何も変わらないことがあります。

 

 

決めないという選択もひとつの選択です。 

そしてその選択にも、

必ず何かを失うというコストが伴っています。

 

 

だとしたら、どうせ失うなら、

自分で選んで失う方がいいとは思いませんか。

 

 

何かを決めた瞬間、

世界が動き始めます。

 

 

失うものがあるからこそ、

本当に大切なものが見えてくる。 

 

 

手放すものがあるからこそ、

新しいものが入ってくる。 

 

 

空白ができるからこそ、

そこに新しい何かが宿る。

 

 

決めることは、怖いです。 

でも決めることは、同時に、

自分の人生を自分の手に

取り戻すことでもあります。

 

 

あなたは今、

決められずにいることはありますか。

 

 

その決断を先延ばしにすることで、

あなたは何を守っているのでしょうか。

 

 

そして、決めることで失うものと、

決めないことで失い続けているもの、

どちらが大きいでしょうか。

 

 

決めることは失うことです。 

でも、その喪失の先にしか、

本当に欲しいものはないのかもしれません。

 

 

あなたの命は、

決めない日々に使うものでしょうか・・・

人生に、リハーサルはない。

電話も、プロポーズも、

突然の別れも、予期せぬチャンスも。 

 

 

どんな場面にも、

準備の時間は用意されていない。 

いつだって、全部本番です。

 

 

それなのに私たちは、

「いきなりで心の準備が…」と

戸惑ってしまう。

 

 

それはあなたが弱いのではない。 

心に、ゆとりがないだけです。

 

 

「いきなり」は、当たり前のこと

 

「突然のお電話で申し訳ございません」

ビジネスでよく使うフレーズだけど、

私はこれを言われるたびに思う。

 

 

電話なんて、

いきなりじゃなきゃ逆に困る。

 

 

かける前にわざわざ

「今から電話してもいい?」と

お伺いを立てられても、

 

 

そのメッセージを確認して返信して・・・

という手間の方が、

よっぽど面倒ではないでしょうか。

 

 

プロポーズだって同じです。

 

 

「明日プロポーズするから、

心の準備しておいてね」

 

 

なんて言う人はいないでしょう。 

いきなりだから、心が動くし

いきなりだから、本物になるのだと

私は思う。

 

 

人生はいつだって、いきなり。 

それが普通なのです。

 

 

では、なぜ「いきなり」に

弱くなってしまうのでしょうか。

 

 

心にゆとりがない時、

想定外のことが起きると、

咄嗟に対応する回路に

つながれなくなってしまうからです。

 

 

頭が真っ白になってしまったり、

体が固まってしまったり、

 

 

そして、後になって

「あの時こうすればよかった」と気づく。

 

 

あの感覚、

心当たりはないでしょうか。

 

 

これは意志や判断力の問題

ではなく、その回路自体が、

普段から使われていないだけなのです。

 

 

だとしたら、日常の中で少しずつ、

その回路を鍛えておけばいい!

 

 

そこで役立つのが

もしもシュミレーション♪

 

 

やり方はシンプルです。

 

 

今、目の前にある現実に対して

「もしも別の選択をしていたら?」

という仮説を立ててみる。

 

 

たとえば、

楽しみにしていたセミナーがある日に、

大切な人から食事に誘われた。

 

 

今までのパターンなら

「お金も払ったし、キャンセルできない。断ろう」

となるかもしれない。

 

 

でも「もしも」を使うとこうなる。

 

 

「セミナーも楽しみだけど、

私は今日、この人との時間を選びたい。

キャンセル料を払ってでも、そちらを選ぶ」

 

 

選ばなかった方の未来を、

できるだけたくさん、

何パターンも想像してみるのです。

 

 

良い結果も、良くない結果も、

ごちゃまぜで出てきていい。

 

 

大事なのは「もしもの先」を

想像する癖をつけること。

 

 

ただ、それだけです。

 

 

最初は日常のささいな場面で

試してみてほしい。

 

 

「もしも今日、別のルートで帰ったら?」 

「もしも今日、いつもと違うカフェに入ったら?」 

「もしも今日、飲み込んだ本音を言っていたら?」

 

 

これを繰り返していくうちに、

突然の何かに対する

対応力・判断力・行動力が、

静かに磨かれていきます。

 

 

派手な訓練は必要ない。 

日常の中で「もしも」を問い続けること。 

それが、いざという時の自分を助けてくれます。

 

 

今のあなたの心に、

ゆとりはあるでしょうか。

 

 

突然の何かに、

軽やかに応えられる自分でいるでしょうか。

 

 

人生はいつだって本番なのです。 

リハーサルを待っていても、

その日は来ない。

 

 

だから今日から、

小さな「もしも」を日常に取り入れてほしい。

 

 

突然の何かを、

軽やかに通り抜けられる自分は、

日々の小さな問いの

積み重ねの中から生まれるもの。

頑張ってきた。

誰よりも早く動いて、 

誰かのために動いて、 

「ちゃんとしなきゃ」と自分を律してきた。

 

 

結果も、それなりに出してきた。

なのに、なぜか満たされない。

 

 

ふとした瞬間に、胸の奥がざわつく。 

「これでよかったのか」

という問いが、静かに浮かぶ。

あなたにも、そんな瞬間があるでしょうか。

 

 

私にも、あった

コーチとして2,800人以上と向き合い、

年収980万円を達成した時期があります。

 

 

数字だけ見れば、

「うまくいっている」はずでした。

でも、どこかに違和感があった。

 

 

満たされているはずなのに、

何かが足りない感覚。

その正体に気づいたのは、

活動を休止して、

静かな時間の中にいた時でした。

 

 

満たされない理由は、シンプルでした

他人の基準で、頑張っていたから。

 

 

「こうあるべき」という

外側の声に応えることに、

いつの間にかエネルギーを

使い果たしていました。

 

 

誰かに認められたくて動く。 

期待を裏切りたくなくて動く。 

「ちゃんとしている自分」を守るために動く。

 

 

それは頑張っているようで、

実は自分から離れていく行為でした。

 

 

心理学的に言えば、

これは「自己一致の欠如」

と呼ばれる状態です。

 

 

自分の価値観と、

実際の行動がズレている。

 

 

頭では「こうしたい」と思っていても、

行動は「こうしなきゃ」に引っ張られている。

 

 

そのズレが積み重なると、

頑張れば頑張るほど、

満たされなくなっていきます。

 

 

燃え尽きているのに休めない。 

結果が出ているのに虚しい。 

人から見れば充実しているのに、

自分だけが知っている空洞感。

 

 

それは怠けているのではないです。 

自分と離れすぎているサインです。

 

 

では、どうするか

大きく変える必要はありません。

まず、ひとつだけ

自分に問いかけてほしいのです。

 

 

「これは、私がしたいことでしょうか。

それとも、しなきゃいけないことでしょうか。」

 

 

この問いに、

正直に向き合うだけでいいです。

答えがすぐ出なくても構いません。 

ただ、問い続けること。

 

 

その積み重ねが、少しずつ

自分の基準を取り戻させてくれます。

 

 

満たされない感覚は、

あなたがおかしいのではありません

 

 

それはむしろ、

「そろそろ自分に戻っていいよ」

という、内側からのサインです。

 

 

頑張ることをやめなくていいです。

ただ、誰のために頑張るかを、

もう一度選び直すだけでいいです。

 

 

今のあなたの頑張りは、

誰の基準に応えるためのものでしょうか。

その頑張りの先に、

あなた自身の姿はあるでしょうか。

 

 

命基準で選んだ時、

初めて頑張ることが満たされること

に繋がっていきます。

「なぜ、あの人はあんなことをするの?」

「なぜ、わかってくれないの?」

「なぜ、私だけこんな目に遭うの?」

 

 

あなたは今、

「なぜ?」をどこに向けているでしょうか。

 

 

実はこの問い、

向ける方向によって人生をどん底にも、

望む場所にも連れていく力を持っているのです。

 

 

正直に言います。

10代の頃の私は、

いつも他人のせいにして物事をやり過ごしていた。

 

 

うまくいかないことがあれば誰かのせい。 

苦しいことがあれば環境のせい。

 

 

「なぜ、あの人はあんなことをするんだろう?」 

「なぜ、わかってくれないの?」と、

「なぜ?」はいつも外側に向いていた。 

 

 

そしてその問いは、

答えが出るたびに私をさらに

被害者の位置に置いた。

 

 

他人を責めることで一時的にスッキリする。 

でも何も変わらない。 

むしろ、どんどん苦しくなる。

 

 

「なぜ?」をネガティブにフォーカスして

使い続けた結果がそれだった。

 

 

そして、20歳の時に、

水商売の世界に飛び込んだ私は、

そこで初めて本気で

お客様に向き合うことを考えました。

 

 

満足してもらいたい。 

喜んでもらいたい。 

また来たいと思ってもらいたい。

 

 

その想いが芽生えた時、

自然と「なぜ?」の向け方が変わった。

 

 

「このお客様は、なぜ今日来たのだろう?」 

「なぜ、私を指名してくださったのだろう?」 

「今日、何を求めているのだろう?」

 

 

同じ「なぜ?」でも、

フォーカスがまるで違う。

 

 

外側の誰かを責めるためではなく、

相手の内側を理解するために問う。 

 

 

答えを探すうちに、

お客様の気持ちが見えてくる。 

望みが見えてくる。 

だから寄り添えるようになる。

 

 

「なぜ?」をポジティブに

フォーカスするようになってから、

接客が変わった。 結果が変わった。

 

 

それから30代になって起業に挑戦した。

不安もあった。 

わからないことだらけだった。

 

 

でもその時も、

「なぜ?」をポジティブにフォーカスし続けた。

 

 

「なぜ、この人はこれを求めているのだろう?」 

「なぜ、これがうまくいかないのだろう?」 

「なぜ、私はこれをやりたいのだろう?」

 

 

問い続けることで本質が見えてくる。 

本質が見えると動くべき方向が明確になる。 

方向が明確になると、行動に迷いがなくなる。

 

 

結果として、望む以上のものを

手にすることができました。

「なぜ?」の力を、改めて実感した瞬間でした。

 

 

ここで整理しておきたい。

「なぜ?」という問いには、

大きく2つの使い方があります。

 

 

ひとつは、

ネガティブフォーカスの「なぜ?」。

 

 

「なぜ、あの人はこうなの?」 

「なぜ、私はこんなに不運なの?」 

「なぜ、うまくいかないの?」

 

 

この「なぜ?」は、

問えば問うほど被害者意識を強化します。 

 

 

答えが出るたびに、

誰かのせい・何かのせいという

結論に着地する。 

そして何も変わらない。

 

 

もうひとつは、

ポジティブフォーカスの「なぜ?」。

 

 

「なぜ、この人はこう感じているのだろう?」 

「なぜ、私はこれをやりたいのだろう?」 

「なぜ、これがうまくいったのだろう?」

 

 

この「なぜ?」は、

問えば問うほど本質に近づきます。 

 

 

答えが出るたびに、

次の行動が見えてくる。 

そして現実が動き始めるのです。

 

 

同じ2文字の問いなのに、

向ける方向でまったく別の力を持つ。

 

 

フォーカスが現実を作る

 

 

結局のところ、これがすべてなのです。

どこにフォーカスするか。

 

 

外側の誰かにフォーカスすれば、

現実は他人に委ねられる。 

 

 

内側の本質にフォーカスすれば、

現実は自分で動かせる。

 

 

「なぜ?」はただの問いではない。 

あなたの意識をどこに向けるか

を決める羅針盤なのです。

 

 

さて今、あなたの「なぜ?」は

どこに向いているでしょうか。

 

 

誰かを責めるために使っているか。 

それとも、

本質を理解するために使っているか。

 

 

問いの向け方をひとつ変えるだけで、

見える景色が変わります。

 

 

景色が変われば、行動が変わる。 

行動が変われば、現実が変わる。

 

 

「なぜ?」は、

使い方次第で最強の道具になる。

 

 

今日から、その問いを

ポジティブにフォーカスして使ってみてほしい。

「人生をやり直したい」

そう思ったことが、

あなたにもあるだろうか。

 

 

あの選択さえしなければ。 

あのとき、違う道を選んでいれば。

そんな風に思ったことが・・・

 

 

でも、正直に言う。

やり直しは、できない。

 

 

 

過去は変わらない。 

あのときの自分も、あの出来事も、 

なかったことにはできない。

 

 

だから私は長い間、

「やり直し」という言葉に
どこか息苦しさを感じていた。

 

 

私には、忘れられない記憶があります。

小学6年生のとき、交通事故に遭い 

5日間、意識がなかったのです。

 

 

目が覚めたとき、 

「生きていること自体が奇跡だ」と告げられ

子どもながらに、何かが身体に刻まれた。

 

 

命は、当たり前じゃない。

 

 

その感覚は、大人になってからも 

ずっと私の奥底に静かにあり続けた。

 

 

それから時間は流れ、 

信じていた人にお金を使い込まれ、 

自分名義の借金を背負った。

 

飲食店を引き継いで2年で閉業した。

 

コーチとして起業して、 

セッション2,800人以上、

年収980万円を達成した。

 

そして、また立ち止まった。

 

 

環境の変化で活動を休止、

肩書きが消え、発信が止まった。 

 

 

そして、静かな時間の中で、

また浮かんできた問い。

 

 

「私は、何者なのか。」

 

 

このとき、私がしたのは

「やり直し」ではなかった。

 

 

やり直しとは過去を否定することだ。 

あの失敗がなければ、

という前提に立つことだ。

 

 

でも私が選んだのは再起動だった。

 

 

再起動とは、

今ここから起動し直すことだ。 

過去を消すのではなく、 

すべてを持ったまま、

もう一度動き始めること。

 

 

借金も、閉業も、休業も、 

全部ひっくるめて「私」として、 

また歩き始めること。

 

 

再起動に必要なのは、 

新しい自分になることじゃない。

 

 

命を基準に、選び直すこと。

 

もしここで終わっていたら、

私は何を後悔するか。 

その問いに誠実に向き合うこと。

 

 

他人にどう見られるか、ではなく。 

世間的に正解かどうか、でもなく。

 

有限の命に、誠実かどうか。

 

その基準に戻るだけで、 

不思議なほど次の一歩が見えてくる。

 

 

人生を「やり直したい」と思っている人に、

伝えたいことがある。

 

 

あなたはやり直さなくていい。

ただ、再起動すればいい。

派手な覚醒も劇的な変化もいらない。 

 

 

今ここから、静かに、もう一度動き始める。

それだけでいい。

 

 

人生は、何度でも再起動できる。

私はそう信じているし、 

自分自身がその証拠だと思っている。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。 

「そうかもしれない」と思った人は、

いいねやコメントを残してくれると嬉しいです。