一橋治済 | 文武両道

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 NHKの大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』第15回⁉️


 次期将軍と目された徳川家基(奥智哉)、「白眉毛」こと老中首座の松平武元(石坂浩二)が立て続けに不審死を遂げるなか、不敵な笑みを浮かべつつ人形を操る一橋治済(生田斗真)の姿に恐れおののく視聴者が続出?


 徳川家基が鷹狩の最中に突然心臓発作を起こして急死❗️


 徳川家基の父・徳川家治(眞島秀和)からの命を受けた松平武元は、謀殺の疑いで調査を進め、決定的な証拠である手袋を入手!!




 松平武元は信憑性の高い仮説にたどり着きますが…⁉️


 田沼意次(渡辺謙)と面会後、松平武元は体調を崩したまま伏していた床で息を引き取ります?


 松平武元は手袋を正体不明の女に持ち去られ…という最後❗️


 止まない咳に苦しむ松平武元の場面で、人形を操る一橋治済の姿がフラッシュバック!!




 一橋治済の口元には不敵な笑みが⁉️


 一橋治済は御三卿である一橋家の当主?


 一橋家は田安家・清水家とともに将軍家の血筋が途絶えそうになった際、後継を差し出す役目を担っています❗️


 史実では、一橋治済の嫡男、豊千代が“徳川家斉”と改名して11代将軍の座につき、一橋治済は将軍の父として、すべての富と権力を握ります!!




 一橋治済の表情から、息子を将軍にするための一手として、裏で徳川家基暗殺の糸を引いたのではないかと受け止めた視聴者は少なくありません⁉️


 SNSには「毒を盛るとすれば治済?」「治済が本性を現したね」「男女逆転大奥で一橋治済が怪物だということを履修している我々は今、とても震えている!」といったコメントが相次いで書き込まれていました?


 一橋治済は宝暦元年(1751年)に生まれ、幼名は豊之助❗️


 宝暦12年(1762年)に元服し、一橋治済と名乗り、民部卿に!!




 明和元年(1764年)従三位左近衛権中将に叙任し、一橋家の家督を…⁉️


 田沼意次が幕政を指揮する中、一橋家には田沼意次の弟・田沼意誠や、甥・田沼意到が家老となり、一橋家家臣とも縁戚関係を築いていました?


 しかし、一橋治済は松平定信ら反・田沼派の黒幕として運動❗️


 天明6年(1786年)、一橋治済は将軍・徳川家治が亡くなり、徳川家斉が11代将軍に就任すると、田沼意次は罷免、そして田沼派を一掃!!




 天明8年(1788年)に徳川家斉は一橋治済を「大御所」待遇にしようと幕閣に持ちかけますが、当時朝廷で光格天皇が実父・典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしてこれに反対した老中の松平定信と対立する尊号一件が発生⁉️


 結果、一橋治済の大御所待遇はできなくなり、一橋治済・徳川家斉父子の怒りを買った松平定信は失脚?


 文政元年(1818年)一橋治済は剃髪して穆翁と号し…、文政10年(1827年)77歳で死去❗️


 法名は最樹院で、墓所は東叡山寛永寺!!