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cb650r-eのブログ

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「CB650R e-clutch」って、バイクでしたっけ?

 

報告書の構成

 

報告書の構成は以下の5項目から成る。
 

1.収益性・採算性の乏しい「付き合い」外為取引の取引解消交渉(業務計画値の見直し)
2.人員削減
3.オフィス移転と「支店」から「分室」への降格
4.独身寮、支店長社宅の売却
5.新規先開拓
 

取組期間:1995年4月開始、1997年3月完了
添付:参考資料

 松岡支店長は、黙々と報告書に目を通している。10分ほどが経過しただろうか、ようやく口を開いた。「よくわかった。これで行こう。」その一言で、全てが決まった。「山本と小川次長が印鑑を押し、私の稟議決裁箱に入れておいてくれ。本部とスケジュールを調整して、今月下旬に私と小川次長が総合企画部の柴田部長に説明する。そして最終的には、堀崎社長に報告する。」

 支店内で、俺と小川次長の動きに薄々気づいているのは、小笹さんくらいだろう。他のスタッフは、まるで他人事のように無関心を装っている。だが、その無関心さが逆に怪しく感じられるのは、俺だけか。

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

 

 

 

 

 



 

「CB650R e-clutch」って、非売品でしたっけ?

 

最終報告書


 1995年1月7日金曜日。松岡支店長の年始の挨拶周りがようやく終わり、金曜日でありながら、新年会の予定も入っていなかった。そのため、支店長との打ち合わせの時間が取れた。夕方6時頃、松岡支店長と小川次長が応接室に入っていった。すぐにドアが開き、小川次長が鋭い声で言った。「山本、お前も入れ。」オフィスには、上尾次長が一人残っているが、彼は気にする様子もなく、ただ無関心を装っている。
 

 もちろん、松岡支店長にはこれまでも進捗を逐一報告してきた。しかし、ここまでの網羅的な、完成に近い形の報告書を直接見ていただくのは初めてのことだ。資料の作成や集計は俺が担当したが、文章の作成や報告書全体のまとめはほぼ小川次長の手によるものだ。

 

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【悲報】俺には到底わからない。

 

 

俺には到底理解できないし、それを許す組織も同様である。

 

この企業はdreamを売ることを標榜しているようである。

ただ、このバイクは、半年間も納車が遅延し、顧客によっては休暇をキャンセルし、資金繰りが無駄になり、何より、バイクライフの大幅変更を余儀なくさせられている。

 

すべてのライダー以前に、注文したライダーをまず優先してサポートしてほしい。

 

売れればよい、儲ければよい、株主資本主義の申し子、その場しのぎしかできないフォアキャスティング企業。あの人が亡くなってから、この会社は全く変わってしまったように俺は感じる。

 

でもこの会社、グローバルに成績を残し、世界からの称賛と支持を得てるんでしょうね。知らんけど。

 

【1995年当時】
1995年6月3日、野茂英雄が「7度目の正直」でメジャー初勝利を挙げた。活躍を続ける日本人大リーガーのパイオニアは、もちろんこの人である。

【エバンティにて】
店内の雰囲気BGM(音量注意!)

 


1995年6月2日金曜日、夕方6時半、小川次長と小笹さんは、いつもの「バー・エバンティ」で飲んでいる。そこに、俺は30年後の2025年の世界へのタイムトラベルから戻ってきた。

「いよいよ、野茂は明日7度目の登板だな。次こそは初勝利しそうな予感がする。いや、間違いない。」と小川次長は小笹さんと野球談議をしている。

「小川次長、小笹さん。2025年のメジャーリーグがとんでもないことになっています。」俺は息を切らしながら言った。

「まあ、落ち着け山本。ジェイクさん、お水を一杯ください。」

「どうした、野茂がドジャースの監督にでもなっていたか?」小川次長はニヤリと笑って言った。

「違うんです。ドジャースのOhtani Shoheiという日本人が、ピッチャーで21勝、防御率1.89、ホームラン51本、盗塁50、ワールドシリーズ優勝。満場一致でMVP、サイヤング賞を受賞したんですよ!」

「山本。お前、働きすぎだ。食生活も見直した方がいいぞ。」と小川次長がなだめるように言う。

「そういう、夢を見たって話だろ。山本。」小笹さんが続ける。

「まあ、夢みたいなもんですけど。」

「よし、山本、お前が見た夢とやらをゆっくり聞かせてくれ。」小川次長が真剣な顔で言った。

「えーと。Ohtaniが飼っている犬がいるんです。名前が『デコピン』っていうんです。」

「うん、いい名前だな。」

「そのデコピンが始球式をするんですが、それが見事なストライクで…。」

「そうか、そういうこともあるだろう。山本よ。」

「で、Ohtaniの給料は10年で1000億円なんです。」

「ということは、年収100億円、160試合出場として、1試合6000万円くらいか。割のいい仕事だな。」「それで…。」

「165kmの『フォーシーム』と、とんでもなく曲がる『スイーパー』を投げるんです。」

「新しい魔球だな。」と小川次長。

「とにかく、漫画みたいなんですよ」と俺は食い下がった。

「漫画にしては糞面白くねーなー。」と小笹さん。

小川次長が腕を組んで、目をつむって上を向いた。

「うーん、山本。来週、何日か休め。支店長には俺から言っておくから。

 

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「CB650R e-clutch」って、売ってるんでしたっけ?

 

旗艦店舗

 

 「年内に二人の調査結果を1つの報告書にまとめ、年明けの1月中旬には松岡支店長の了承を取り付ける。2月の初旬には大阪本社の総合企画部に報告書を松岡支店長に持参いただき、柴田部長に報告して、堀崎社長の了承を取り付ける。うまくいけば2月の経営会議にかけてもらう。1995年度の業務計画について、東京支店に関しては従来より大幅に下方修正し、5月の取締役会では一定の説明が必要になるだろう。

 そもそも、一般には支店ごとの収益状況などは可視化されていなかった。表立っては会社全体でまとめてナンボの世界であった。ただ、一部の会社上層部は東京支店を経費がかかる不採算店舗と認識していたはずだし、会社にとっても東京支店を一流の場所に構えることは、国内外の信用を得る点からも不可避であることは理解できないわけではない。しかし、バブルがはじけ、そんな悠長なことを言っている時間はない。」

 

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「CB650R e-clutch」って、売ってるんでしたっけ?

 

打ち手は?

 「よし、次は俺の番だ。」小川次長が話し始めた。
 

 「京橋の一等地の今のオフィスは、約50坪、㎡単価2万円、年間家賃約4000万円。これを月島の25坪、㎡単価8000円のところに移転する。月々60万円、年間約800万円。
 人員は18人から8人、支店長、次長、課長ほか女性スタッフ5名にする。人件費は今の1億3000万円から、5000万円に圧縮。東京支店は廃止し、国際業務部東京分室に格下げだ。」


 「山本、取引適正化後の想定収支はどう見ている。」
 「取り扱い手数料、為替収益、立替金利、その他手数料を込めて、営業利益は年間1億円程度だと思います。今、次長が言われた削減後の経費にその経費を考慮すると、収支はトントンではないでしょうか。」
 「わかった。残念ながら、荻窪の独身寮は売却だ。いずれ必要なくなるからな。坪200万円くらいだから、1億5000万円くらいでは売れるだろう。あと目黒の支店長宅も売却。俺の社宅の原木中山の賃貸マンションにすべて集約だ。」


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CB650R e-clutch って、メーカー、本田ですよね?

 

東京支店の実力


 1994年12月中旬のある日のこと。夜の7時から、小川次長と二人きりで、第一段階のすり合わせを応接室で始めた。
 

 「まず、山本。個社別取引の採算性と、取引を適正化した場合の取扱高についての仮説を教えてくれ。」
 東京支店の近年の業務計画目標額は年間4億ドルで、この5年間、目標額は毎年100%達成されている。
 

 「そこでだ、山本。仮にお前が不採算だと判断した上場企業など、大手の『お付き合い外為』をすっぱりやめた場合、取扱高はどうなる?つまり、東京支店の本当の実力が知りたい。」
 

 俺は、黙ってうなずくと、事前に集計して準備しておいた数字を取り出し、机の上に広げた。
 「1億ドルか。」小川次長が一瞥すると、ため息交じりに言った。「正直なところ、ここまで減るとは思っていなかったが……いや、ひょっとしたらこのくらいかとも予感していたよ。」
 

 小川次長は一瞬考え込むような素振りを見せたが、すぐに顔を上げて言った。
 「よし、山本。これを踏まえて、次はどう動くかを詰めようじゃないか。」


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【悲報】マジかよ!? ホンダ二輪スポンサーのレプソルが2024年限りで契約解消へ

 

 

ホンダのバイクのスポンサーといえば、まずはロスマンズ(タバコ)。 バリバリ伝説でおなじみの巨摩郡のプライベートバイクもこれでした。


あと、国内のスポーツドリンクで「Terra(テラ)」がNSRの88年型とかで、車体の「青色」がテラブルーと呼ばれていたような気がします。

そしてなんといっても、国内では「SEED」でしょう。SEIBU系のファッションブランドで、山本寛斎がファッションデザイン監修だったような。NSRの90年型ぐらいだったですかね。

レプソルも色合いがよかったな~。一時期レプリカが欲しかったし。

 

バイクレースもホント厳しくなったんでしょうね。

CB650R e-clutch って発売されましたよね?

 

パーソナルコンピューター。人呼んで「PC」。


 話は少し逸れるが、1995年11月には、あの「Windows 95」が登場する。だが、その頃の俺たちにとっては、パソコンなど夢のまた夢。唯一の相棒といえば、電卓。こいつを片手に、ひたすら数字と格闘する毎日だった。ただし、平成の時代には、報告書は「手書き」から脱却し、「ワープロ」に移行しつつあった。俺のワープロは、当時の俺にとっての救世主であり、フロッピーディスクにデータを保管できる機能には本当に助けられた。
 

 1年半にわたる取引データを分析し、報告書を仕上げるのにはさらに3か月を要した。毎日2時間ぐらいずつ残業して、報告書と付随資料の叩き台が完成した。当社一悪筆の俺だが、ワープロで書くと何となく説得力がある。
 

 さて、東京支店の年間外国為替取扱高は、ざっと4億ドル(400億円)。一部上場企業を含む大手の取引量は毎年一定である。その理由は簡単だ。こちらの担当者も、彼らの年間持ち込み量を完全に把握しているからだ。期末が近づけば、「○○米ドルが足りていませんので、よろしくお願いします」と、半ば営業とも取立てとも言えぬ電話が飛び交うのがお約束だ。これも商社マンの務めというやつだろうか。

 


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半年前に、CB650R e-clutch を注文した。絶対に。

 

数字の見える化


 1993年4月から1994年9月までの1年半、外為取引(≒貿易取引)の現場に入った俺は、個社ごとに取引の採算性や収益性を徹底的に精査した。そう、大口取引だからといって必ずしも利益が出るわけではない。数字の帳尻だけでは見えない隠れたコストが潜んでいることは何となく分かっていたが、それを「見える化」して数値化するには相当の時間を要した。
 見かけの利益は悪くない。だが、人件費やその他の経費を洗い直した結果、あまりにも厳しい現実が突きつけられた。一部上場企業を含む大手の取引は、そのほとんどが不採算。これが結論だ。やはり数字というのは魔物だ。時に希望を見せ、時に冷徹な現実を突きつける。もっとも、バブルがはじけたこの時代の東京の外為取引に、「甘い汁」など存在するはずもなかった。


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