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cb650r-eのブログ

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医療、介護?

 

「はぁ。」
「で、私はどこに?」

「医療・介護グループだ。」
「医療・介護グループ?」

「私は外国為替と海外取引しか経験がないのはご存じですよね?」
「もちろんだとも。」

小川常務はにやりと笑うと、手元の資料をちらりと見せた。
「リーダーは真崎 孝、あと若手の大坪 信吾に井村 ひとみ、そしてお前だ。お前以外の3人は医療経営コンサルタントの有資格者で、経験も3年以上。お前は資格なしのオールドルーキーってわけだ。」

「私が異動する理由が見当たりませんね。」
つい、むっとした声が出てしまった。

「行けば分かるさ。」小川常務は、どこか楽しそうだ。

「まず、医療業界ってやつは景気に左右されにくい。お前が生まれた昭和40年代、大きな病院がどんどん建てられた。あれから40~50年が経ち、立て替え案件が今、ラッシュなんだ。それに事業承継だ。同じだろ?どの業界も。医療も例外じゃない。これからピークを迎えるだろうな。淘汰とM&Aも増えるし、介護業界だって医療と切っても切れない仲だ。もう、表裏一体と言っていい。」

常務は資料を閉じ、指を組む。
 

「物を右から左に動かして金を稼ぐ――そんな古典的な商社機能だけじゃ、もうやっていけない。分かるだろ?ソリューションを提供して、そのフィー(手数料)で稼ぐ。それがこれから生き残る唯一の手段かもしれん。要するに、早い者勝ちだ。」

「ここからは、俺の独り言だと思って聞いてくれ。」
小川常務は少し声を潜め、顔を近づけてきた。

「わが社もだな、昨日までの敵と手を組む…異業種とコラボする、なんてことも、そう遠い未来の話じゃないかもしれんぞ。」
その表情には、どこかしたたかな企みがにじんでいた。

 

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

貿易投資相談所の行方は…。

 

2011年3月のある日、小川常務から突然の電話がかかってきた。
「8階の俺の部屋に来れるか?」
「えっ、私、何かやらかしましたかね?」
「いやいや、相談ごとだ」

そのやり取りだけで、なんだか妙な胸騒ぎがした。小川さんの「相談」と言えば、たいていは面倒事か厄介事に決まっている。

「山本、お前、貿易投資相談所で何年になる?」
「12年ですかね」
「バイクには乗ってるのか?」
「いや、BMWは手放しました」
「俺もだ。役員になったときにバイクは卒業したよ」

どうやら雑談から始めるつもりらしい。


話は遡るが、2005年頃のこと。
週末の朝、俺は新聞を広げながら、コーヒーを一口すすっていた。ところが、その時、マグカップが突然手の中でガクンと傾き、コーヒーがテーブルに派手にこぼれた。
「もう、よそ見するからよ!」と妻の華が呆れ顔で注意する。

だが、それは単なる不注意では済まなかった。その後も何度かカップが手の中で滑るようになり、どうも左手に力が入らないことに気付いたのだ。

久しぶりにBMWのクラッチを握ってみた時も同じだった。
「重い…」と思わずつぶやく俺。愛車K75は元々クラッチが重めで、しかも油圧式ではない。だが、握る感覚が以前とは違う。さらにバイクの下を見ると、地面にオイル染みが広がっているのが目に入った。エンジンブロックからオイルがにじみ出ている。
「もう潮時か…」そう俺はつぶやいた。

バイクはお世話になったバイク屋に引き取ってもらうことにした。

「さて、本題だ」と、小川常務が言った。
「法人ソリューション部を再編して、新たに『ソリューション推進部』を立ち上げることにした。次年度から稼働する。その名の通り、お客様の“お困りごと”に解決策を提案するのが仕事だ」
具体的には「法人グループ」、「M&Aグループ」、「医療・介護グループ」の3つで構成されるらしい。

「で、山本、お前にはソリューション推進部に異動してほしい」
「えっ、私が…法人グループですか?」
「まあ、グローバルチームは作る。3人構成だ。リーダーは取手 豪、あとお前の同期の吉富 太郎、それにお前の相棒だった北浦 勉。どうだ、ベストメンバーだろ?」

やたら満足げな顔の常務に、俺は言葉を詰まらせた。
「貿易投資相談所はどうなるんですか?」
「グローバルチームが全部引き継ぐ。それで問題ないだろ?」

常務の決断はあっけなく、そしてやけに強引に感じた。

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CB6050Rの慣らし運転も完了したところ、急にF15が見たくなり、空自に行ってみました。

さすがにバイクで、F15との並走することなど、許されるはずもないですが…。

バイクで並走といえば、映画「トップガン」。

 

トップガン次回作では、トムには、是非とも「K社」のバイク「N」でなく、HONDA CB650R E-clutchでF15と並走してほしいものです。

 

まあ、コンプライアンスが厳しいこのご時世、アライの「マーベリック」レプリカヘルメットを着用していただければと思いますが…。

 

 

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貿易投資相談所。

 

その後も仕事は順調だった。相棒の北浦君は、見た目と仕事ぶりが全く違い、あっという間にお客さんと仲良くなって、新規案件をどんどん取ってくる。当時は、韓国や中国、アジアから輸入される海産物がピークに達していた。回転すしネタの状態にまでカットされた刺身や、パン粉がまぶしてある白身魚などが、次々と門司港に輸入されていた。

さて、俺についてだが、周囲からは「万年所長」と揶揄されることもあったが、実際、1999年4月から2011年3月までの12年間所長を務めた。

 

商社業界も大きく変わった。大手商社の寡占が進み、我々のような中小商社は、どうにかこうにか生き残ろうと、ニッチ市場に焦点を当てるようになった。例えば、南半球のオーストラリアでイチゴを生産し、冬のクリスマスケーキの時期に合わせて輸入したり、あの手この手を使って生き残りを図った。

ただ、祖業の貿易だけでは、この厳しい競争に立ち向かうには、到底かなわないことを誰もが感じていた。

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条件とは。


大阪にあるホテルの中華料理店で、久しぶりに林夫妻と会食することになった。華さんと俺、そして林夫妻の4人。こうしてご夫婦と華さんを交えて会うのは、実に久しぶりだ。

予約しておいた個室に案内され、華さんと一緒に席に着いたところで、間もなく林夫妻がいらっしゃった。

「お忙しいところすみません。本日はありがとうございます。」
俺が立ち上がって挨拶すると、ヤス子夫人が柔らかい笑顔で答える。
「華さん、会いたかったわ~!」

そんな和やかな雰囲気もつかの間、着座すると林社長がズバリと切り出した。
「で、式はいつだ?」

あまりの直球に、俺は思わずたじろぐ。
「ああ、いきなり結論からですか……。」

すると華さんが、にっこりと笑って言った。
「21世紀初日の2001年1月1日に婚約届を出して、式は2月18日、日曜日に挙げる予定です。」

さすが華さん、怯みがない。

「で?」
林社長の鋭い目線が、今度は俺に突き刺さる。

「あの……ご夫妻に仲人をお願いできないかと……」
俺は恐る恐る切り出した。

その瞬間、林夫妻は顔を見合わせ、にっこりと笑った。

「ただし条件があるぞ、山本!」林社長がニヤリとする。

「もちろん、会場はうちの『メモリーライフ』だな?」
「ええ、それはもちろん……」
「あたり前だ!それから費用は特別価格で高めにしておくぞ!ハッハッハ!」

豪快な笑い声に、つられて全員が笑う。これが林社長のペース。

「じゃあ、乾杯だ!」
林社長がグラスを掲げる。
「お二人の幸せに、カンパーイ!」
「カンパーイ!」

乾杯の声が個室に響く中、料理が運ばれてきた。
熱々の小籠包や香り高い麻婆豆腐を囲みながら、会話は自然と昔話に花が咲く。
 

俺たちの未来を祝うような、温かいひとときだった。

 

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白浜へいこう!


五月のゴールデンウィークのある朝、思い切って華さんのPHSに電話をかけた。

「華さん、天気もいいし、どこかバイクで出かけませんか?和歌山の白浜とかどうです?ついでに、うちの実家にも寄って、母に紹介したいんだけど。」

「あら、バイク?乗ったことないけど、楽しそうね。いいわよ。」と華さんは即答。
ちなみに、俺は車を持たないが、彼女の愛車はトヨタ・レビン(AE86)のパンダカラー。ただし、ド・ノーマル仕様。だが、マニュアル車に乗る女性なんて今どき希少だ。

白浜では波の音に耳を傾け、実家に寄って母に華さんを紹介した。

医者だということは事前に説明しておいたが、そこは華さん、ひとりの女性として母ともすぐに打ち解けていた。
その場でも話題となったが、華さんの実家は、福岡県太宰府市にある内科クリニック。二人の兄がいて、長男は熊本大学医学部卒、次男は九州大学医学部卒。それぞれ福岡市内の病院で勤務しているらしい。

秋には、俺は母親と新幹線に乗って、華さんが待つ福岡のご実家へご挨拶に伺った。
玄関で迎えてくれたお父様は、まるで大学教授のような威厳と知性をまとっていたが、意外にも物腰が柔らかい方だった。

「ほぉ、海外にいたこともあるんだ。」と、こちらの話にも興味津々だったのが印象的だ。
一方、お母様は茶道をたしなむ品のある方で、和やかな空気を作ってくださった。昔のアルバムなどを見せていただき穏やかな時間を過ごせた。
 

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はじめまして…。


頭の中で「所長」という文字が一人歩きを始める。「所長……え、俺が?」――だが、組織の長などやったこともない。どうやら、俺の新たなステージが始まるらしいが...。

「貿易投資相談所?そんな部署ウチにありましたっけ?」
「今日から新設だ。」
「はあ、そうですか。それでメンバーは?」
「本日発令の試用社員、北浦 勉だ。」
「……他には?」
「以上だ。」
「いやいやいや!新入社員と二人だけですかって!」
 

「文句を言う前に動け。場所は5階の国際業務部にあるのデスク2台を使え。」

あまりに突然の話に絶句する間もなく、状況説明が続く。実際のところ、この「貿易投資相談所」とやらは、国際業務部と連携して顧客の貿易案件や海外進出をサポートするための窓口らしい。とはいえ、実態はほぼ「国際業務部の下っ端」みたいなものである。

おれの目には、5階の片隅に向き合って置かれた机2台がまるで無人島のように見えてきた。

午後になって、ひとりの輩がやってきた。明らかに武闘派である。

「北浦です。ヨロシクお願いしゃっす」

「山本です。ボチボチやっていきましょう2人で…。」

 

机は横並びに変えとこ~。

上釜部長~。ほか居なかったんすか~。

 

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所長…。


さて、大阪である。4月1日、木曜日だ。この日は、何とも言えない妙な緊張感が漂う日だ。通常、社員の4月1日付の異動は3月中旬に通知されるが、今回の俺の異動辞令は新入社員と一緒に発表されるらしい。

俺は人事部のドアをノックしながら思った。「新年度のスタートに、まさかの転勤先でサプライズなんてこともあるのか?」――期待と不安が入り混じる。

ドアを開けると、そこには上釜副部長……いや、上釜部長は見当たらない。そういえば昨年、晴れて部長に昇格していたのだった。副部長の座には、かつて下関支店長だった松島さんが就任している。松島さんは、社内でも、その穏やかな人柄で知られる人格者だ。あの、取手 豪を見事に操り、何度も成績優秀者にした陰の立役者でもある。

「松島副部長、大変ご無沙汰しております」と声をかけると、彼は満面の笑みで迎えてくれた。
「おぉ、山本君、久しぶりだな。東京での活躍、上海での活躍、全部聞いてるぞ。下関支店でも話題だったぞ」
「いえいえ、そんな大したことでは……普通ですよ、普通」

そんなやり取りの最中、奥の部長室のドアが勢いよく開いた。現れたのは、上釜部長だ。
「おい、俺には挨拶もないのか、仮面ライダー」
「いやいや、上釜部長。お久しぶりです。国外追放から、ついに恩赦で戻ってまいりました!」
「相変わらず冗談ばっかり言いやがって。まあいい、中に入れ」

部長室に通され、ソファに腰を下ろすと、上釜部長が少し意外な話を切り出した。
「そういえば、林社長が来たときに言ってたぞ。上海で寺田さんって方に大変お世話になったらしい」
「え、本当ですか?」
「冗談だ。山本が上海で奮闘してたって話の中で、その女性の名前が出てきただけだ」

冗談に振り回されながらも、俺は本題を待った。そしてついに、上釜部長がクリアファイルからB5サイズの辞令を取り出す。
「さて、本題だ。お前の異動先について、これまで保留していたが、ついに本日付で発令する」

辞令を受け取ると、そこにはこう記されていた。
「山本直太郎、貿易投資相談所 所長を命ず。」
 

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さよなら上海

 

1999年3月。
俺の上海からの帰国の日は、なんとも妙な気分だった。休日だというのに、平賀支店長と中峰所長、そして謝さんがわざわざ上海虹橋空港まで見送りに来てくれたのだ。平賀支店長は「2000年問題が片付くまで」との名目で、上海にもう少し残るらしいが、その顔には「実は居心地がいいんだよな」という本音が透けて見える。

 

俺の後任は、同期の吉富 太郎。あいつとは同期の中でも馬が合う方で、3月の初旬に上海で1週間だけ引き継ぎをした。奥さんも一緒に来るそうで、こっちは気楽だろう。上海の喧騒と吉富の天然ぶりは、いいコンビになりそうだな、と密かに思ったりもした。

 

そんな俺を乗せた伊丹空港行きの飛行機は、午後の陽を浴びながら上海西橋空港を離陸した。窓の外に広がる上海の景色を見下ろしながら、そして最初に上海にやって来た時と同じ揚子江河口の茶色い海を見送りながら、妙に感傷的になっている自分に気づいた。

 

上海は、本当に印象深い街だった。二年間の滞在中、楽しいことばかり――いや、たぶん美化しているだけだけど、それでも「あと一年くらい居てもいいかな」と思ったのは事実だ。

 

伊丹空港に降り立つと、迎えに来てくれたのは華さん、たった一人。彼女の笑顔を見た瞬間、「帰ってきたんだな」と思った。そして同時に、「なんか、あっさりしてんな」と苦笑いがこぼれた。

 

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