オートバイをもう一度(93) | cb650r-eのブログ

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緊急事態

 

1997年も7月に入った。ようやく上海での日常生活にも慣れ、通常の事務や日本との連絡、調整もスムーズにできるようになった。上海支店の仕事は、円高を背景にした、中国でのモノづくり調査(安くて良いものが造れないか)、中国国内(投資先)視察の調整とアテンドの二つがメイン業務だ。中峰所長と大阪市ともがっつり協力して、大阪、関西のお客さんを中心に一生懸命サポートした。

ただ、7月中旬頃になると、上海界隈にもまずい雰囲気が漂ってきた。この年の夏(1997年7月頃)、タイを震源としてアジア各国に伝播した自国通貨の大幅な下落および経済危機が発生する。そう、「アジア通貨危機」である。また、日本国内では、一部金融機関の信用不安も噂されるようになっていた。ただ、それでも上海は元気いっぱいの雰囲気に変わりない。俺も、アジア通貨危機、日本国内の金融不安を、どこか対岸の火事のように見ていた。

7月下旬の月曜日朝一番である。国際業務部長の田沼さんから、平賀支店長に電話があった。いつになく、平賀支店長も緊張気味で電話の応対をしている。5分ほど話して、平賀さんは受話器を真向かいの机の俺に渡した。

 

 

 

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