オートバイをもう一度(90) | cb650r-eのブログ

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帰郷

 

3月下旬。いよいよ出発の日。俺と小川次長は高井戸インター近くにあるバイクショップ「BOXER」に寄った。もちろん異動のことは江口さんに伝えてある。

江口さんは「2人のバイクはちゃんと整備してあるから安心して大阪に行きな」と最後の言葉をかけてくれた。

「江口さん、本当にありがとう。お陰様で、東京支店の4年間、充実したバイクライフを送れました」と小川次長と俺はお礼を言った。

江口さんはぶっきらぼうに1枚のメモを渡してくれた。「大阪の北区にある小さなバイク屋だ。BMWの専門店でもねぇ。ただ、俺の弟子が働いている。お二人のBMWぐれぇだったら見れると思う。なんかあったら相談に行け。東京の江口の紹介だと言えよ。」

 

小川次長との一泊二日ツーリングで、無事、和歌山の実家に辿り着いた。お袋は元気そうだった。手料理は俺の好きな里芋の田楽と鶏肉のレモン煮を作ってくれた。「あんた、東京に四年行ってたと思ったら今度は海外なのね。いいわね、あんた。会社に感謝しなきゃね。」

俺は入社面接で林専務から言われた言葉を思い出していた。あの時言われた海外支店勤務か。本当にそうなってしまったな。

 

 俺は、上海赴任前に人事部を訪れ、その際に、先に退任された林専務の近況を人事部にたずねた。上釜副部長によると、役員退任後、関西地区一円で冠婚葬祭式場を手広く展開する「メモリーライフ」で、社長を務められているという。創業家の会長が高齢で、ご子息はまだ若く、経験が浅いということで、会社役員経験の豊富な林専務に白羽の矢が立ったという。 「林専務は経営者としてはもちろん、人格者だったもんなぁ。」俺は人事部をでた廊下で、ひとり呟いた。
 

さて。愛車BMW K75は2年間実家の倉庫で眠ることになる。いや、半年に1回ぐらいは帰国してエンジンに火を入れたいものだ。

 

 

 

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