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cb650r-eのブログ

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【希望】これが究極のカーボンニュートラル。

 

一応、このブログでは1995年頃をウロウロしてる設定でしたので、30年後の2025年の未来に行って、バイク事情を調べてみた。


ホンタが「EV Fun Concept」を発表! 初の電動スポーツ車として今年2025年に発売予定。

 

一方、究極のカーボンニュートラルともいえる「潮流発電」の最新発電機をこの目で見てきた。

これは、月と地球の引力。つまり、海の潮の満ち引きを電気に変える発想である。

昼夜、季節を問わず、一定の発電を予測どおりできる点が画期的である。

 

 

 

ホンタはナンバーワン二輪車メーカーとしてEVでもNo.1を目指しているという。


ただ、俺はこれは買わない。ごめんなさい。

 

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

 

 

1か月点検完了。

 

1か月点検、行ってきました。

距離は1,888Km 。

ド素人ですが、結構、本気で走りこんでみました。

ということで、HONDA E-clutch(CB650Rについてではありません) について、一旦感想を述べたいと思います。

 

私、ホンダとは利害関連は全くありません。

各10点満点ということで、辛口批評のつもりです。

 

スポーツ走行、10点です。

渋滞、ツーリング走行、10点です。

アラ還・カンバックライダー向けの機構、10点です。

期待に対する結果、価格、10点です。

終のバイクの仕掛け、10点です。

 

う~ん。天邪鬼の俺だが。文句のつけどころが無い。

雑誌ライターや、クローズドコースを数周回ってのレポートも読みましたが。

 

シロートの私に批判できるポイントはありません。

 

 

 

もし、購入を迷われている中年ライダーがいらっしゃったら。

 

迷わず「買い」ですよ。(個人の感想ですが)
 
長きにわたり、愚痴を聞いていただきありがとうございました。
暖かくなったら、ライディングの気付きを発信してみたいと思います。
 

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Letter from Japan

 

数日後、林夫婦と華さんが映った写真が焼き上がった。それぞれに焼き増し、手紙を添えて郵送することにした。数日後、林ご夫妻からも、写真と旅の思い出をつづった丁寧なお返事が届いた。
そしてしばらくして、華さんからもお礼の手紙が来たのだが、その内容が俺の予想を大きく裏切るものだった。簡潔にまとめると、こうだ。

「上海では大変お世話になりました。そして、私、決めました。これから二ヶ月に一回のペースで上海にお邪魔することにします! 山本さんもお忙しいでしょうから、基本的に土日を挟んで2泊3日。次回は蘇州に行きたいと思っています。候補日は以下の通りですので、山本さん、選んでくださいね。それから、食事ですが、シーズンが合えばまた上海蟹をお願いします。追伸、今度はアクアチウム持参します!」

…俺は思わず二度読みした。「決めました」って、何を勝手に決めたんだ。

結局、華さんは1999年の2月まで、本当に隔月ペースで上海にやってきた。そのたびに、うまいものを食べ、観光名所を巡り、上海雑技団を何度も見に行った。もちろん、「アバンティ」にも連れて行った。

ただ、一つだけ困ったことがあった。華さんは毎回、伊丹空港の入国審査で足止めを食らうのだ。

<伊丹空港・入国審査場>
「上海に頻繁に行かれる理由は何ですか?」
「旨い食べ物、異国感満載の観光地、圧倒的なエンターテイメントってところかな。」
「それにしても頻繁すぎませんか? 誰かに荷物を預けられているとか、そういうことは?」

華さんは「ハァ~?」不満げなリアクションを取っていたようだ。何度説明しても、審査官の疑念は晴れないまま。

華さんには悪いが、彼女の天真爛漫さが時として仇となることを俺は悟った。
 

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皆まで言うな。

 

3人の上海から大阪への帰りの飛行機での会話。林ご夫妻と華さんは同じ機内で、比較的近い席に座っていた。

上空に達し、シートベルト着用のサインが消えると、林夫人のヤス子さんが立ち上がり、華さんの肩を軽くたたく。

「うちの主人がね、華さんと話したいんですって。ちょっと席、代わってもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろん。」
華さんは笑顔で応じると、林社長の隣の席に腰を下ろした。

「実はね、私、山本のご両親と和歌山の高校で同級生だったんだよ。」
林社長は軽く咳払いをしてから、懐かしそうに語り始めた。

「彼の両親、頭が良くてね。父親の頴二君なんてクラスでぶっちぎりのトップ。お母さんもその次でね、なかなかの才女だった。頴二君は京都大学の医学部を目指したんだけど、まあ人生いろいろあってね、二期校、つまり今の後期日程だな、和歌山県立大学の医学部に入った。それでも立派なお医者さんになったよ。お母さんの方は、当時まだ女性が大学に進学するのは珍しかったから、日本交通公社に就職したんだってさ。」

「なるほど、それで?」
華さんが興味深そうに相槌を打つ。

「いや、要するに、山本は両親ほど勉強はできないが、人間としてはまともな男だってことだよ。だからね、大阪貿易の入社試験で彼が落ちそうになったとき、つい、ちょっとだけ口利きをしてやったんだ。」

すると、華さんがにっこり笑って言った。
「あのう、林社長。それって、私と山本さんがお付き合いしたらどうだ、って遠回しに言ってます?」

「おお、察しがいいな。まあ、そんなところだ。」
「それなら心配ご無用です。山本さんはともかく、私、中国の食べ物の美味しさとか、無限にある観光資源にすっかり魅了されちゃいまして。これから二か月に一回ぐらいは上海に通おうかと思ってるんです。次は蘇州あたり行ってみようかな、なんて。ハハハ!」
「そうか、それはいい。もしタイミングが合えば、私たち夫婦もまた上海に行きたいな。上海経由で香港なんてのもいいな。」

そんな話をしているうちに、飛行機は着陸態勢に入り、無事に伊丹空港に到着した。

 

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再見!

 

さて、翌日は晴天である。林ご夫妻と華さんは、同じ飛行機で上海に来て、同じ便で大阪に帰る。不思議な2日間だった。これも何かの縁である。俺は3人がイミグレーションを通るまで、謝さんと2人で大きく手を振って3人を見送った。

 

さて、事務所に戻って来た。「平賀支店長、ただいま任務を終えて戻ってまいりました」と少しふざけた感じで平賀支店長に挨拶した。「おう」と平賀支店長。そして、平賀支店長が手のひらを前に俺の前に差し出してきた。「何ですか?」「領収書だよ、領収書。」「ああ、その件ですか。いや今回は、林社長が全部出してくださいましたので領収書は無しです。」「ああ、そうか。そりゃ林社長は真摯な方だからな。」 

 

「了解了解」と言って平賀支店長は通常業務に戻った。俺はオフィス1階にあるDPEにカメラフィルムの現像を頼みに行った。

 

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上海雑技団

 

さて、本日の2つめのメインイベントは、ポートマンシャングリラホテル上海で夕方開催されている「上海雑技団」である。これは、俺は既に数回見たが、毎回度肝を抜かれる面白さである。

 

予想通り、全員終始絶叫、爆笑していた。クライマックスは階段椅子積みである。これでもか、これでもか、というぐらい積み上がった椅子に逆立ちする演技は、最高潮に達した。

 

 

ヤス子さんと華さんは「おもしろかった~。また見たいわね」と言い合っていた。林社長も「これはすごいな。予想をはるかに超えてきたな。」俺は得意気に「そうでしょう。これは、最高のエンターテイメントだと思いますよ。」と言った。

 

最後のディナーは『陶陶』という上品な中国料理店を予約しておいた。ここのオーナーは日本人らしく、料理の味付けも日本人が食べても全く違和感のない中華料理である。そして、なんといってもこの店のおすすめは「フカヒレの姿煮スープ」である。日本で食べれば5,000円ぐらいするであろうが、こちらではおよそ1,000円程度だ。フカヒレスープをメインに蒸し料理、焼き料理をフルコースで堪能いただいた。 

 

さて、料理もデザートの杏仁豆腐が出てきた。そこで、林社長が俺の肩をたたいて個室の片隅に呼んだ。「今回の上海アテンド相当お金がかかっただろう。費用はすべて俺が出す。もちろん華さんの分も含めてだ。ただ、あいにく日本円しか持っていないがそれでいいな。」 「いや、林社長、今回は一切いただかないことに決めています。実際、そこまでお金がかかっているわけではないんですよ。思い起こせばこの八年間充実した日々を過ごせたのも、全て、林社長が私を大阪貿易に入れるようにご配慮いただいたおかげです。いつか恩返しができれば、とずっと思っておりました。今回、上海をご案内させていただいて、少しは恩返しできたかなと思っています。ですから、上海のことは私に全て、おまかせください。」

 

林社長はしばらく考えていた。「わかった。ただし、大阪に帰って来たときは必ず連絡してくれ。ヤス子と2人でおもてなしする。もちろん、華さんも一緒だぞ。」 「分かりました。それで行きましょう。」振り返ると、ヤス子さんと華さんは、先ほど見た「上海雑技団」の話題で盛り上がっていた。

 

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アンティークコレクター?

 

林夫妻が戻ってきた。満面の笑みで「謝々」と言いながらその中国人夫婦と握手をしていた。そこに華さんが、通じないであろう流暢な英語で、中国夫婦に話しかけた。「I am a collector of Chinese antiques. If possible, could you please give me that address plate?(私は中国アンティークのコレクターなの。もし可能なら、この住所表示プレートを譲ってくれませんか?)」

 

やっぱり通じてないが、100元札を見せて、301号のプレートを指さして「チェンジ、チェンジ」と言っている。林ご夫妻と俺は、あっけにとられた。中国人のご夫婦は、何やら思案顔である。華さん今度は逆のポケットから、もう1枚100元札を出して「もう100元。200元でどうかしら」と言っている。「チェンジ、チェンジ」林夫妻と俺は相変わらず呆然と見ているだけだ。

 

ついには、中国人夫婦はにっこり笑って、「好的(いいよ)」と言った。「山本さん、ヨロシク!」と華さんが言ったので俺は錆びたくぎで止められた301号のプレートを力任せに外した。そして華さんは、200元を渡しながら「謝々、謝々」と言った。そして、我々4人は中国人夫婦に手を振りながらその場を離れていった。 

 

謝さんの待つ車に戻った華さんは、後ろの席に乗り込むとハンカチでくるんだ301号のプレートを自慢げに謝さんに見せた。謝さんはかなりびっくりした様子で、俺に言った。「山本さん、泥棒ダメよ。」俺は半笑いで「違うよ、泥棒じゃないよ。お金は払ったよ。」「売るのダメよ~。」と言いながらも、謝さんはいつもの笑顔に戻った。そこで、プレートはご夫妻に引き渡され、ようやく俺と林夫妻と華さんは笑顔で笑った。

 

あとで、謝さんに聞いたのだが、今回訪ねた武昌路の界隈の建物は、近々再開発で解体されるらしく、まあ今回の件は問題にはならなそうだと分かった。

 

 

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上海市武昌路301号。

 

5分ほど歩くと、武昌路301号があった。俺は、そこで足がすくんだ。「林社長、ありましたね」「ああ、年齢的に覚えているはずはないんだが、懐かしい気持ちがする。」 

 

しばらくの沈黙の後、後ろからスッと華さんが出て来たかと思うと、いきなり301号の扉を強くノックした。「すみません!だれかいませんか?」と日本語で言っている。ちょっと間があり、中年の中国人男性がドアから顔を出した。

 

そこで、俺は片言の中国語で言った「突然すいません。実はこちらの日本人男性は、ここで生まれたそうです。」通じたかどうかは分からないが、奥さんらしき人も出てきて中国人夫婦は最初は硬い表情だったが、やがて笑顔になった。恐らくだが「昔ここら辺は日本人が多く住んでいたことは聞いている」みたいなことを言っている。

 

俺は片言の中国語を続けた。「家の中を少しだけ見せてもらえませんか?」と言うと、「好的(いいよ)」と返してくれた。林夫婦は、扉の内側に招かれ、その間、俺と華さんは扉の外で待っていた。すると、華さんが俺に小声で話しかけてきた。「山本さん、百元札(約1500円)ある?」「ああ、百元札なら何枚かありますよ。」「じゃあ、百元、いや念のため300元借りていい?」「いいですけど、何するんですか?」「任せといてよ。」と言うと、300元を左右のポケットに入れ、林夫妻が戻るのを待っていた。 

 

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上海市武昌路(ぶしょうろ)。

 

翌日。大西洋ホテルのロビーに11時に集合である。今日も謝さんが一日運転手を務めてくれる。俺と謝さんは、集合時間の30分前にロビーで地図を広げて武昌路301号を調べていた。地元っ子の謝さんも、戦前にそのあたりに日本人街があったことは聞いたことがあるという程度だった。

 

 「そうか、じゃあまずは『豫園(よえん)』に行って、昼ごはんに南翔小籠包を食べることにしよう。それから武昌路に行ってみよう。」そう話し合っているうちに林ご夫妻と華さんがロビーに集合した。「では、参りましょう。」 平日にもかかわらず、上海の『豫園』の「南翔小籠包(なんしょう しょうろんぽう)」は大盛況である。謝さんに携帯電話で席を予約してもらっていたので待たずに入れた。今日は謝さんも一緒に食事である。謝さんが注文してくれるので心強い。

「昨夜も食べましたけど、小籠包といえばここが元祖です。」 小籠包以外も頼んだが、5人で、4個入りの丸い蒸しセイロを一体何杯食べたことか。 

 

さて、満腹のまま、いよいよ武昌路301号付近に到着。謝さんは運転席で紙の地図を開いて、なにやら真剣に考えている。そして片言の日本語で俺に説明した。「山本さん。車ここまで。私車で待ちます。皆さん、歩いて行きます。」 

「謝さん、車で待ってて。」そう言いながら我々4人は車から降りた。さて、ここからは歩きである。上海は治安は良いと言われるが、それでもこの辺りは薄暗くて、少し怖い。ましてスーツ姿1名と観光客3名である。周囲の雰囲気からは、相当浮いている。地元の住民からは、怪しいものを見る目で見られている気がする。

 

 

 

 

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ご夫妻の上海訪問の本当の目的とは…。

 

上海蟹を堪能いただいたあと、待ってもらっていた謝さんの車で、外灘(ワイタン)の夜景を見に行った。

 

「緑の三角の屋根が和平飯店(ピースホテル)です。川の向こうの高いタワーが東方明珠塔です。その横には、数年後に世界で最も高い森ビルが建つ予定です。」と俺は簡単に説明した。奥様と華さんは、夜景の美しさを楽しんでいた。

 

 

しばらくして、林社長が俺の所に近づいてきて声をかけた。「実は山本、今回の上海旅行には大事な目的があってな。実は私は、上海生まれなんだ。私の実家は当時としては珍しい洋菓子店をやっていてね。戦争で、日本国内では砂糖がなかなか調達できなくなって、上海に疎開してきたんだそうだ。その家の住所がこの外灘の近くだと思うが、『武昌路(ぶしょうろ)301号』。ここが俺の生まれた場所だ。実は、この生まれた場所を妻と一緒に、一度見ておきたいと思い夫婦で上海に来た。 山本。明日、私たち夫婦を、その武昌路301号に連れてってはくれないだろうか。」

 

すると、奥様も近づいてきて「山本さん、お願いします」と言った。その後ろから、華さんが無邪気に「私も行きま~す」とはしゃいでいる。すると奥様も「華さんも一緒に来てちょうだい」と言った。

 

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