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cb650r-eのブログ

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みやぞん?

 

Ninjaは、俺のCB650R E-Clutchの横に静かにバイクを停めると、すばやく降り、ヘルメットを脱いだ。
Kawasakiグリーンでコーディネイトされたヘルメットとクシタニのレザーのツナギがいかにも走り屋の雰囲気を醸し出している。

「ちゃーす!」

20代半ばぐらいの若者だ。人の容姿をどうこう言うのは俺の主義に反するが――いや、言わせてもらおう。
顔はお笑いタレントの「みやぞん」にそっくり。ただし、体格は一回り小さい。

「はい、こんにちは」
「おじさん、見ないバイクだけど、ここは初めて?」
「まあ、そんなところだな。正確には……20年ぶり、かな」

若者は興味深そうに俺のバイクを眺める。

「ホンダのCBか。きれいだけど、新車?」
「まだ2,000キロくらいしか走ってないな。いわゆる“リターンライダー”ってやつだ」
「ふーん。おじさん、久しぶりに戻ってきたって感じ?」

彼の視線が、一瞬だけ鋭くなった気がした。気のせいか?

「君のバイクはNinja 250だね。クォーターでは唯一の4気筒、いい音してる」
「だろ? 正確には「ZX-25R」これ、めちゃ高いんだよ!」
「そうらしいね」

俺が軽く相槌を打つと、彼はふと、エンジンに目をやった。

「……おじさんのバイク、これ、雑誌で見たことある。最近話題のオートマチックのやつじゃん」
「いや、正確には違うけど……まあ、そんな感じかな」

若者はニヤリと笑う。
「歳を取ったら、オートマがいいよね」

その言葉に悪意はない。むしろ、どこか無邪気な響きさえあった。だが――なぜだろう。この会話の流れに、うっすらとした違和感があった。

 

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

高野山に帰る

 

和歌山県伊都郡高野町、高野山の周辺には、いくつものワインディングロードがある。

2025年2月のある土曜日の昼下がり、俺は1980年代の半ば頃から峠族に「K1」と呼ばれたワインディングロードへと向かった。

2005年にBMW K75を手放して以来、ここにバイクで来るのは20年ぶりだ。K1のスタート地点とゴール地点(どちらがどちらでもよいが)には、小さな駐車場があり、自動販売機が設置されている。かつてはライダーたちの憩いの場、そして情報交換の場でもあったが、今日は誰の姿もない。

俺は家から持ってきた小さな折り畳み椅子を広げ、ゆっくりと腰を下ろす。水筒に入れてきたホットコーヒーの蓋を開けると、湯気が静かに立ち昇った。

‘80年代後半、日曜日ともなれば数十台のバイクが集まったこの場所も、今では静寂に包まれている。来る途中の景色もすっかり変わった。昔はなかった大規模な太陽光発電所が点在し、冬の寒さも手伝ってか、バイクとすれ違うことは一度もなかった。

静寂の中、ふと遠くからバイクのエンジン音が微かに聞こえてきた。

滑らかで軽やかな音。

次第に音が大きくなる。

やがて視界に飛び込んできたのは、車体色カワサキグリーンのNinja。

懐かしくもあり、そしてどこか異質な気配を感じさせる、そのバイクは――。

 

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いよいよ納車。

 

さて、2024年8月の日曜日の昼下がりのことである。 俺には2人の娘がいる。長女は阪大の医学部医学科の4年生、次女は阪大の理学部数学科の1年生。 2人とも夏休みで、実家に帰省している。

俺は、寝転がりながら「CB650R E-clutch」のカタログを眺めていた。 そこに、2人がニヤニヤしながら近づいてきた。

「お父様、退職金でバイクを買われたんですね。しかも新車で。」と長女。 「お高いんでしょ~?」と次女。

「正しくは『積立ニーサ』、つまりパパのへそくりです。」

「ズルーイ!」 「私たちにも買って~買って~!」

「何を買うんだ?」

「え~、まずは長女の私から。アメリカ製の聴診器、色はワインレッド一択! 臨床学習がそろそろ始まるんだよね。」

「私は、YAMAHAの2輪! 通学に使うから、アパートに届けてください。」と次女。

「今、取ってるのは車のAT免許だろ?」

「電動自転車っす。10万円超えのやつ。」 

「わかった、わかった。」 

 

「私は携帯電話の機種変で~」と妻の華が、話に加わった。

「それも含めて、了解、了解。」

2024年12月26日の午後、家の納屋にCB650R E-clutchが収まった。 妻と子供たちが音を聞きつけて、見に出てきた。

「かっこいいねぇ!」

35年間の俺へのご褒美。 「いいんじゃねぇ?」と俺はつぶやいた。


第一部終

 

 

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万年次長決定。

 

4月に入り、大阪北病院の「事業承継」と「病院建て替え」プロジェクトは、いよいよ正式にスタートを切った。

その日、田下部長から声をかけられた。「少し、時間をもらえるか?」

俺は、少し驚きながらも小会議室に足を踏み入れた。久しぶりに田下部長と向き合う瞬間だった。

「今回の大阪北病院の件、君のおかげで起死回生だ。感謝するぞ、山本次長。」

「いえ。色々な意味で自分にとっても勉強になりました。」俺は、少し緊張しながら答えた。

「実は、君の今回の活躍をきっかけに、もう一度君の職歴を見返してみたんだ。率直に言うと、なぜ君が出世できないのか不思議だった。」

田下部長は、少し真剣な表情で続ける。

「小川専務やOBの上釜さんにも話を聞いたが、最終的に俺が出した結論はこうだ。君の外為に関する知識とスキルは、グループトップクラスだ。ただ、それ以外は、平均か、それ以下だと感じる。けれども、不思議なことに、君がピンチに陥ると必ず誰かが助けてくれて、難局を乗り越える。まるで、運命に守られているような男だ。」

「その通りだと思います。」俺は静かに頷いた。

「実は、僕も過去に唯一1度だけ一番になったことがあるんですよ。」俺は少し恥ずかしそうに話を切り出す。

「それは大学生の時、和歌山の高野山の峠で「最速の男」と言われたことなんですけど。笑い話のようですが、それだけが今日までの人生の支えだったんです。」俺は続けた。

「最近はっきりと分かったんですよ。何かというと、私の自力は全くダメ。ただ、バイクや、他人の力を借りた時に実力以上の力と結果が出る。」

「なるほど。」田下部長は少し意外そうな表情を見せた。

 



「というわけで、君の出世はもうないだろう。この先も恐らくは山本次長のままだろう。それでいいな?」

「はい、万年次長で結構です。」俺は平然と答えた。

「そうか。俺は、もっと上を目指すがな。」田下部長は、力強く言い放った。

「足を引っ張らないよう、気をつけます。」俺は、冷静に答える。

「はっはっはっ。」田下部長は、笑いながら部屋を出て行った。

その背中を見送りながら、俺は自分の立ち位置を改めて確認した。

 

今後どう進むべきか――それが、この先の運命を決めるのだろう。

 

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心配ご無用!

 

帰りの車中、宇都宮理事長は俺が知らなかった親父の和歌山県立大学でのエピソードを語ってくれた。とにかく、頴二は優秀だったと繰り返していた。

父の名前から「頴」、理事長の名前から「悟」を取って、医療法人「頴悟会」が名づけられたことについては、恐らくそうだと思っていたが、「頴悟」という言葉自体が、賢く聡明で、才知に優れるという意味を持つことを、理事長からその時初めて教わった。

無事に理事長を送り届け、事務長に車を返すと、彼は長旅にもかかわらず、矍鑠(かくしゃく)とした足取りで病院の建物に戻っていった。

数日後、井村さんと一緒に北病院を訪れ、事務長に報告とお礼を伝えるために玄関に近づくと、スーツ姿で眼鏡をかけた細身の男性が出てきた。大阪経営の藤沢社長だ。

俺は軽く会釈をしてすれ違おうとしたが、その時、藤沢社長はすれ違いざまに振り返り、こう言った。 「ひょっとすると、山本さんですか?」

「はい、そうですが…。」俺は答えた。

「大阪経営の藤沢です。実は、宇都宮理事長からとても素晴らしい話を伺いましたよ。」

「そうですか。」俺は淡々と答えた。

「私はね、両親を大切にする人間が好きなんです。身近な人を大切にできない人間は、信用できませんから。」

「余計なお世話かもしれませんが、事業承継と病院建て替え、このタイミングではしっかりコンサルをしないとダメですよ。」藤沢社長がこちらに背中を向けて歩き出しながら言った。

その言葉を聞いて、井村さんが大きな声で言った。「心配ご無用!私たちが、しっかりやります!」

藤沢社長は振り返らず、右手を軽く上げて応じた。

「井村さん、言うね~。」俺は呟くように言った。
 

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墓前にて。

 

「確か、墓は実家のすぐそばだったな。」
「はい。」
「おふくろさんは元気か。」
「はい、元気にしています。」
「君と会うのはいつ以来だ。」
「1986年3月の下旬以来だと思います。父の葬儀以来です。日付はあいにく覚えていません。」
「30年ぶりか。」
「はい。」

父の墓は、和歌山市関戸の実家のすぐ隣にある。急な階段を登った先の高台に位置し、周囲を一望できる場所だ。
墓は手入れが行き届いており、生花が新たに活けられていた。おそらく、母が日常的に管理しているのだろう。
俺は墓前のろうそくにライターで火を灯し、2本の線香に火をつけ、それを理事長に渡した。

宇都宮理事長は、無言で線香を墓前に供え、黙って手を合わせた。俺はその背中越しに静かに手を合わせた。

2分ほどの沈黙が流れ、ついに理事長が口を開いた。
「これで、私も引退だ。病院は、娘婿である院長に譲る。」

「そうですか。」

「病院のことは院長と相談してくれ。私は今後、一切口出しはしない。」

「かしこまりました。」

再び、しばらくの沈黙が続いた。
 

「理事長、母にお会いになりますか?」
 

理事長は少し考え込み、
 

「いや、やめておこう。」
 

「わかりました。」

 

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では行こうか。

 

俺は、アポイントの時間の10分前に大阪北病院に到着した。
約束の場所は、病院の理事長室のはずだが、正面玄関前に一人の老人が立っている。
礼服に黒ネクタイ。しっかりとした姿勢で、矍鑠(かくしゃく)としている。

「宇都宮理事長…。でいらっしゃいますね。」
「山本 頴二の息子か。」
「はい、直太郎と申します。」そう言って、俺は名刺を差し出した。
「ふむ、顔がそっくりだな。」
「最近、自分でもそう思うようになりました。」
「医療経営コンサルタントか…。」宇都宮理事長は、名刺を見つめながら低い声でつぶやいた。
「医者ではないのか。」
「経済学部出身です。」
「そうか、そうか…」
「私にも娘と息子がいるが、どちらも医者にはならなかった。いや、正確には「なれなかった」のかもしれないな。」

理事長が言った。「では、行こうか。」

病院の駐車場に停めてあったのは、少し型が古い白いクラウンだった。
事務長が運転席に座っていたが、こちらを見てすぐに降りてきた。
「病院のETCカードを入れてありますのでお使いください。」
彼が、車から降りると、代わりに俺が運転席に乗り込んだ。理事長は助手席の後ろの席に座る。
近畿自動車道を経由して、休憩を挟みながら2時間半の道程だ。
もちろん、俺にカーナビには不要であるが、理事長が後で必要となった場合に備えて、一応セットだけしておいた。

 

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この会社はすごい!

 

バイクは置いといて、”こまつの杜” (石川県)に行ってみた。

子供向けのアミューズメントパークかと思いきやさにあらず。

 

 

展示館にある、綿々とつながれるコマツのDNAを「言葉」を通して表現した「コマツウェイ」は必見。

100年の歴史を振り返る「ヒストリーウォール」「インデックステーブル」も見どころ。

 

 

コマツウェイとは、社員の値観を行動様式で表現したもので、創業者の精神をベースに、先人たちが築き上げてきたコマツの強さ、強さを支える信念、基本的な心構えと持つべき視点を定めたものとのこと。

 

輸送用機械器具製造業の幹部の方は必見ですぞ。

 

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理事長が行きたい場所。

 

1時間ほどして、井村さんが俺の机の前に立った。「事務長経由で、宇都宮理事長のアポが取れました。3月19日、木曜日、午後1時、場所は大阪北病院の理事長室です。あと…」 「あと、何だ。」
「理事長が行きたい場所があるそうで、車を出すから、運転をお願いしたいとのことです。」
「行き先は?」
「それは…おっしゃっていませんでした。」
「分かった。まぁ、予想はつく。」

その時、田下部長が俺の肩を軽く叩いた。「山本次長、ちょっといいか?」
「はい。」と答え、2人で小会議室に向かう。

「山本次長、宇都宮理事長と、知り合いなのか?」
「いえ、おそらく向こうは私のことをご存じないと思います。」
「お前の親父さん、今も元気なのか?」
「いいえ、私が大学に入る前の3月に亡くなりました。」
「随分、早くに亡くしたんだな…。」
「はい。」

「医者だったのか?」
「はい、和歌山県立大学医学部で宇都宮理事長と同級生でした。葬儀では、宇都宮理事長が弔辞を読んでくれました。」
「なるほど、それで…。」
「母の話では、父の唯一の親友だったそうです。」
「親父さんの名前は?」
「頴二です。」
「宇都宮理事長は…『清悟』。」田下部長が呟く。

「医療法人…頴悟会か。」
「良くできた話だな、これは…。」

「実際に法人化するとき、一緒にやろうと、熱心に誘われていたらしいです。」
「そうか。」

「アポは3月19日、木曜日、午後1時。宇都宮理事長と行く場所があるので、遅くなると思います。ここには戻らないでしょう。」
「まさか、3月19日…。」
「父の命日です。おそらく和歌山にある父の墓参りに行くつもりだと思います。」
「そういうことか…。」
「すべて了解。よろしく頼む、山本次長。」

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寒いけど天気はいいので。

 

所々、雪が残っていて、少々路面は濡れていましたが、CB650R E-clutchで裏山を流してきました。

 

(注) 演出のため動画速度を速める加工を施しています

 

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