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cb650r-eのブログ

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はじめまして…。


頭の中で「所長」という文字が一人歩きを始める。「所長……え、俺が?」――だが、組織の長などやったこともない。どうやら、俺の新たなステージが始まるらしいが...。

「貿易投資相談所?そんな部署ウチにありましたっけ?」
「今日から新設だ。」
「はあ、そうですか。それでメンバーは?」
「本日発令の試用社員、北浦 勉だ。」
「……他には?」
「以上だ。」
「いやいやいや!新入社員と二人だけですかって!」
 

「文句を言う前に動け。場所は5階の国際業務部にあるのデスク2台を使え。」

あまりに突然の話に絶句する間もなく、状況説明が続く。実際のところ、この「貿易投資相談所」とやらは、国際業務部と連携して顧客の貿易案件や海外進出をサポートするための窓口らしい。とはいえ、実態はほぼ「国際業務部の下っ端」みたいなものである。

おれの目には、5階の片隅に向き合って置かれた机2台がまるで無人島のように見えてきた。

午後になって、ひとりの輩がやってきた。明らかに武闘派である。

「北浦です。ヨロシクお願いしゃっす」

「山本です。ボチボチやっていきましょう2人で…。」

 

机は横並びに変えとこ~。

上釜部長~。ほか居なかったんすか~。

 

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

所長…。


さて、大阪である。4月1日、木曜日だ。この日は、何とも言えない妙な緊張感が漂う日だ。通常、社員の4月1日付の異動は3月中旬に通知されるが、今回の俺の異動辞令は新入社員と一緒に発表されるらしい。

俺は人事部のドアをノックしながら思った。「新年度のスタートに、まさかの転勤先でサプライズなんてこともあるのか?」――期待と不安が入り混じる。

ドアを開けると、そこには上釜副部長……いや、上釜部長は見当たらない。そういえば昨年、晴れて部長に昇格していたのだった。副部長の座には、かつて下関支店長だった松島さんが就任している。松島さんは、社内でも、その穏やかな人柄で知られる人格者だ。あの、取手 豪を見事に操り、何度も成績優秀者にした陰の立役者でもある。

「松島副部長、大変ご無沙汰しております」と声をかけると、彼は満面の笑みで迎えてくれた。
「おぉ、山本君、久しぶりだな。東京での活躍、上海での活躍、全部聞いてるぞ。下関支店でも話題だったぞ」
「いえいえ、そんな大したことでは……普通ですよ、普通」

そんなやり取りの最中、奥の部長室のドアが勢いよく開いた。現れたのは、上釜部長だ。
「おい、俺には挨拶もないのか、仮面ライダー」
「いやいや、上釜部長。お久しぶりです。国外追放から、ついに恩赦で戻ってまいりました!」
「相変わらず冗談ばっかり言いやがって。まあいい、中に入れ」

部長室に通され、ソファに腰を下ろすと、上釜部長が少し意外な話を切り出した。
「そういえば、林社長が来たときに言ってたぞ。上海で寺田さんって方に大変お世話になったらしい」
「え、本当ですか?」
「冗談だ。山本が上海で奮闘してたって話の中で、その女性の名前が出てきただけだ」

冗談に振り回されながらも、俺は本題を待った。そしてついに、上釜部長がクリアファイルからB5サイズの辞令を取り出す。
「さて、本題だ。お前の異動先について、これまで保留していたが、ついに本日付で発令する」

辞令を受け取ると、そこにはこう記されていた。
「山本直太郎、貿易投資相談所 所長を命ず。」
 

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さよなら上海

 

1999年3月。
俺の上海からの帰国の日は、なんとも妙な気分だった。休日だというのに、平賀支店長と中峰所長、そして謝さんがわざわざ上海虹橋空港まで見送りに来てくれたのだ。平賀支店長は「2000年問題が片付くまで」との名目で、上海にもう少し残るらしいが、その顔には「実は居心地がいいんだよな」という本音が透けて見える。

 

俺の後任は、同期の吉富 太郎。あいつとは同期の中でも馬が合う方で、3月の初旬に上海で1週間だけ引き継ぎをした。奥さんも一緒に来るそうで、こっちは気楽だろう。上海の喧騒と吉富の天然ぶりは、いいコンビになりそうだな、と密かに思ったりもした。

 

そんな俺を乗せた伊丹空港行きの飛行機は、午後の陽を浴びながら上海西橋空港を離陸した。窓の外に広がる上海の景色を見下ろしながら、そして最初に上海にやって来た時と同じ揚子江河口の茶色い海を見送りながら、妙に感傷的になっている自分に気づいた。

 

上海は、本当に印象深い街だった。二年間の滞在中、楽しいことばかり――いや、たぶん美化しているだけだけど、それでも「あと一年くらい居てもいいかな」と思ったのは事実だ。

 

伊丹空港に降り立つと、迎えに来てくれたのは華さん、たった一人。彼女の笑顔を見た瞬間、「帰ってきたんだな」と思った。そして同時に、「なんか、あっさりしてんな」と苦笑いがこぼれた。

 

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【希望】これが究極のカーボンニュートラル。

 

一応、このブログでは1995年頃をウロウロしてる設定でしたので、30年後の2025年の未来に行って、バイク事情を調べてみた。


ホンタが「EV Fun Concept」を発表! 初の電動スポーツ車として今年2025年に発売予定。

 

一方、究極のカーボンニュートラルともいえる「潮流発電」の最新発電機をこの目で見てきた。

これは、月と地球の引力。つまり、海の潮の満ち引きを電気に変える発想である。

昼夜、季節を問わず、一定の発電を予測どおりできる点が画期的である。

 

 

 

ホンタはナンバーワン二輪車メーカーとしてEVでもNo.1を目指しているという。


ただ、俺はこれは買わない。ごめんなさい。

 

 

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1か月点検完了。

 

1か月点検、行ってきました。

距離は1,888Km 。

ド素人ですが、結構、本気で走りこんでみました。

ということで、HONDA E-clutch(CB650Rについてではありません) について、一旦感想を述べたいと思います。

 

私、ホンダとは利害関連は全くありません。

各10点満点ということで、辛口批評のつもりです。

 

スポーツ走行、10点です。

渋滞、ツーリング走行、10点です。

アラ還・カンバックライダー向けの機構、10点です。

期待に対する結果、価格、10点です。

終のバイクの仕掛け、10点です。

 

う~ん。天邪鬼の俺だが。文句のつけどころが無い。

雑誌ライターや、クローズドコースを数周回ってのレポートも読みましたが。

 

シロートの私に批判できるポイントはありません。

 

 

 

もし、購入を迷われている中年ライダーがいらっしゃったら。

 

迷わず「買い」ですよ。(個人の感想ですが)
 
長きにわたり、愚痴を聞いていただきありがとうございました。
暖かくなったら、ライディングの気付きを発信してみたいと思います。
 

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Letter from Japan

 

数日後、林夫婦と華さんが映った写真が焼き上がった。それぞれに焼き増し、手紙を添えて郵送することにした。数日後、林ご夫妻からも、写真と旅の思い出をつづった丁寧なお返事が届いた。
そしてしばらくして、華さんからもお礼の手紙が来たのだが、その内容が俺の予想を大きく裏切るものだった。簡潔にまとめると、こうだ。

「上海では大変お世話になりました。そして、私、決めました。これから二ヶ月に一回のペースで上海にお邪魔することにします! 山本さんもお忙しいでしょうから、基本的に土日を挟んで2泊3日。次回は蘇州に行きたいと思っています。候補日は以下の通りですので、山本さん、選んでくださいね。それから、食事ですが、シーズンが合えばまた上海蟹をお願いします。追伸、今度はアクアチウム持参します!」

…俺は思わず二度読みした。「決めました」って、何を勝手に決めたんだ。

結局、華さんは1999年の2月まで、本当に隔月ペースで上海にやってきた。そのたびに、うまいものを食べ、観光名所を巡り、上海雑技団を何度も見に行った。もちろん、「アバンティ」にも連れて行った。

ただ、一つだけ困ったことがあった。華さんは毎回、伊丹空港の入国審査で足止めを食らうのだ。

<伊丹空港・入国審査場>
「上海に頻繁に行かれる理由は何ですか?」
「旨い食べ物、異国感満載の観光地、圧倒的なエンターテイメントってところかな。」
「それにしても頻繁すぎませんか? 誰かに荷物を預けられているとか、そういうことは?」

華さんは「ハァ~?」不満げなリアクションを取っていたようだ。何度説明しても、審査官の疑念は晴れないまま。

華さんには悪いが、彼女の天真爛漫さが時として仇となることを俺は悟った。
 

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皆まで言うな。

 

3人の上海から大阪への帰りの飛行機での会話。林ご夫妻と華さんは同じ機内で、比較的近い席に座っていた。

上空に達し、シートベルト着用のサインが消えると、林夫人のヤス子さんが立ち上がり、華さんの肩を軽くたたく。

「うちの主人がね、華さんと話したいんですって。ちょっと席、代わってもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろん。」
華さんは笑顔で応じると、林社長の隣の席に腰を下ろした。

「実はね、私、山本のご両親と和歌山の高校で同級生だったんだよ。」
林社長は軽く咳払いをしてから、懐かしそうに語り始めた。

「彼の両親、頭が良くてね。父親の頴二君なんてクラスでぶっちぎりのトップ。お母さんもその次でね、なかなかの才女だった。頴二君は京都大学の医学部を目指したんだけど、まあ人生いろいろあってね、二期校、つまり今の後期日程だな、和歌山県立大学の医学部に入った。それでも立派なお医者さんになったよ。お母さんの方は、当時まだ女性が大学に進学するのは珍しかったから、日本交通公社に就職したんだってさ。」

「なるほど、それで?」
華さんが興味深そうに相槌を打つ。

「いや、要するに、山本は両親ほど勉強はできないが、人間としてはまともな男だってことだよ。だからね、大阪貿易の入社試験で彼が落ちそうになったとき、つい、ちょっとだけ口利きをしてやったんだ。」

すると、華さんがにっこり笑って言った。
「あのう、林社長。それって、私と山本さんがお付き合いしたらどうだ、って遠回しに言ってます?」

「おお、察しがいいな。まあ、そんなところだ。」
「それなら心配ご無用です。山本さんはともかく、私、中国の食べ物の美味しさとか、無限にある観光資源にすっかり魅了されちゃいまして。これから二か月に一回ぐらいは上海に通おうかと思ってるんです。次は蘇州あたり行ってみようかな、なんて。ハハハ!」
「そうか、それはいい。もしタイミングが合えば、私たち夫婦もまた上海に行きたいな。上海経由で香港なんてのもいいな。」

そんな話をしているうちに、飛行機は着陸態勢に入り、無事に伊丹空港に到着した。

 

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再見!

 

さて、翌日は晴天である。林ご夫妻と華さんは、同じ飛行機で上海に来て、同じ便で大阪に帰る。不思議な2日間だった。これも何かの縁である。俺は3人がイミグレーションを通るまで、謝さんと2人で大きく手を振って3人を見送った。

 

さて、事務所に戻って来た。「平賀支店長、ただいま任務を終えて戻ってまいりました」と少しふざけた感じで平賀支店長に挨拶した。「おう」と平賀支店長。そして、平賀支店長が手のひらを前に俺の前に差し出してきた。「何ですか?」「領収書だよ、領収書。」「ああ、その件ですか。いや今回は、林社長が全部出してくださいましたので領収書は無しです。」「ああ、そうか。そりゃ林社長は真摯な方だからな。」 

 

「了解了解」と言って平賀支店長は通常業務に戻った。俺はオフィス1階にあるDPEにカメラフィルムの現像を頼みに行った。

 

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上海雑技団

 

さて、本日の2つめのメインイベントは、ポートマンシャングリラホテル上海で夕方開催されている「上海雑技団」である。これは、俺は既に数回見たが、毎回度肝を抜かれる面白さである。

 

予想通り、全員終始絶叫、爆笑していた。クライマックスは階段椅子積みである。これでもか、これでもか、というぐらい積み上がった椅子に逆立ちする演技は、最高潮に達した。

 

 

ヤス子さんと華さんは「おもしろかった~。また見たいわね」と言い合っていた。林社長も「これはすごいな。予想をはるかに超えてきたな。」俺は得意気に「そうでしょう。これは、最高のエンターテイメントだと思いますよ。」と言った。

 

最後のディナーは『陶陶』という上品な中国料理店を予約しておいた。ここのオーナーは日本人らしく、料理の味付けも日本人が食べても全く違和感のない中華料理である。そして、なんといってもこの店のおすすめは「フカヒレの姿煮スープ」である。日本で食べれば5,000円ぐらいするであろうが、こちらではおよそ1,000円程度だ。フカヒレスープをメインに蒸し料理、焼き料理をフルコースで堪能いただいた。 

 

さて、料理もデザートの杏仁豆腐が出てきた。そこで、林社長が俺の肩をたたいて個室の片隅に呼んだ。「今回の上海アテンド相当お金がかかっただろう。費用はすべて俺が出す。もちろん華さんの分も含めてだ。ただ、あいにく日本円しか持っていないがそれでいいな。」 「いや、林社長、今回は一切いただかないことに決めています。実際、そこまでお金がかかっているわけではないんですよ。思い起こせばこの八年間充実した日々を過ごせたのも、全て、林社長が私を大阪貿易に入れるようにご配慮いただいたおかげです。いつか恩返しができれば、とずっと思っておりました。今回、上海をご案内させていただいて、少しは恩返しできたかなと思っています。ですから、上海のことは私に全て、おまかせください。」

 

林社長はしばらく考えていた。「わかった。ただし、大阪に帰って来たときは必ず連絡してくれ。ヤス子と2人でおもてなしする。もちろん、華さんも一緒だぞ。」 「分かりました。それで行きましょう。」振り返ると、ヤス子さんと華さんは、先ほど見た「上海雑技団」の話題で盛り上がっていた。

 

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アンティークコレクター?

 

林夫妻が戻ってきた。満面の笑みで「謝々」と言いながらその中国人夫婦と握手をしていた。そこに華さんが、通じないであろう流暢な英語で、中国夫婦に話しかけた。「I am a collector of Chinese antiques. If possible, could you please give me that address plate?(私は中国アンティークのコレクターなの。もし可能なら、この住所表示プレートを譲ってくれませんか?)」

 

やっぱり通じてないが、100元札を見せて、301号のプレートを指さして「チェンジ、チェンジ」と言っている。林ご夫妻と俺は、あっけにとられた。中国人のご夫婦は、何やら思案顔である。華さん今度は逆のポケットから、もう1枚100元札を出して「もう100元。200元でどうかしら」と言っている。「チェンジ、チェンジ」林夫妻と俺は相変わらず呆然と見ているだけだ。

 

ついには、中国人夫婦はにっこり笑って、「好的(いいよ)」と言った。「山本さん、ヨロシク!」と華さんが言ったので俺は錆びたくぎで止められた301号のプレートを力任せに外した。そして華さんは、200元を渡しながら「謝々、謝々」と言った。そして、我々4人は中国人夫婦に手を振りながらその場を離れていった。 

 

謝さんの待つ車に戻った華さんは、後ろの席に乗り込むとハンカチでくるんだ301号のプレートを自慢げに謝さんに見せた。謝さんはかなりびっくりした様子で、俺に言った。「山本さん、泥棒ダメよ。」俺は半笑いで「違うよ、泥棒じゃないよ。お金は払ったよ。」「売るのダメよ~。」と言いながらも、謝さんはいつもの笑顔に戻った。そこで、プレートはご夫妻に引き渡され、ようやく俺と林夫妻と華さんは笑顔で笑った。

 

あとで、謝さんに聞いたのだが、今回訪ねた武昌路の界隈の建物は、近々再開発で解体されるらしく、まあ今回の件は問題にはならなそうだと分かった。

 

 

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