昨日、文中で「つつがなく」という言葉を使いました。

あらたまった場所やカタい文章ではまだ使うかと思ってたら、寒中見舞いを作ろうとハガキ作成ソフトを見ていたところ、例文にまったく出てきませんでした。なるほどー、これはそろそろ《レトロな言葉》の仲間入りかな…と。


つつがない(文語では「つつがなし」)は「恙ない」と書き、「恙」は病気・心配事・事故などを表す文字です。中国の戦国時代(紀元前220年以前)の詩を集めた『楚辞(そじ)』にも「無恙」の形で出てきますが、普通は否定で受け、「異常がない」「無事」「障りない」という意味に使います。

衛生環境がよくなる前は、野ネズミに寄生するダニ「ツツガムシ」が媒介する「恙虫病」にかかる人が少なくありませんでした。これは発疹チフスや紅斑熱と同じくリケッチアという細菌によるもので、やはり死亡率の高かった病気です。

そのため、ツツガムシがいないことが「つつがない」の語源とする説があります。しかし『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』では漢文の「恙」を「憂う・つつが」と訓ずるよう書いてあるものの、『万葉集』では「無恙」を「つつみなし」としています。このツツミは「障み」と書いて「目的を妨げる障害」や「事故」を指す言葉。

「つつみない」という言葉もしばらく併用されていたようですし、『暮らしのことば 新語源辞典』によると、問題のダニをツツガムシと呼ぶようになったのは中世(鎌倉~室町時代)以降のことだそうなので、ツツガムシ語源説はやはり誤りのようです。


あと、昨日は「野放図(のほうず)」という言葉も使いました。
これは「野放途」とも書いて、この字面からはなんとなく感じられることと思いますが、「ルールを無視して気ままにふるまうこと」の意。

最近、字面からの誤解か「ルールに縛られない自由すぎる態度」を「破天荒」と誤用する例が増えていますが、破天荒の意味は「前人未到」と同じ、まだ誰もしてないことを成し遂げることです。

「天荒」が「未開の荒地」を意味していて、「破」は「打ち負かす」とか「突き抜ける」「やり抜く」の意があり、この場合「切りひらく」といった感じ。

ゆえに、慣習に縛られないで “ 何か新しいこと ” をした時には使えますが、慣習に縛られない態度や人柄について使う言葉ではありません。

野放図に近い言葉に「傍若無人」がありますが、これは「傍らに人が無い若(ごと)し」の意で、周囲に人がいないかのように自分勝手にふるまうことを言い、無邪気な感じにも使う野放図よりも悪い印象かなと思います。



傍若無人なくま…
ペタしてね


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