香りの記憶
私は「香り」で記憶する。初めて行く国ではまず適当な香水を買い、旅の間ずっと同じ香水を使い続けるというアイディアを思い付いたのは25歳ごろ初めて台湾を訪れたときだった。夜市の屋台で気まぐれに買った香水が、夏の台北の熱気と喧騒、むせかえるような息苦しさと目眩にも似た心地よい気だるさを、日本に帰ってからも私の中で正確に再現してくれることに気付いたからだった。というわけで私には、ロンドンの香り、ワシントンDCの香り、ニューヨークの香り、モスクワの香り、グルジアの香り、アルメニアの香り、キエフの香り、ケニアの香り、マケドニアの香り、国境の香り、紛争地の香り、温泉の香り、武器の香り、山岳地帯の香り…と数十種類もの「記憶」がある。有名ブランドの定番香水であればいつでも入手できるのでその「記憶」は手軽に再現できるが、先の台北のように、たまたま手に入れたオリジナル香水の場合は二度と同じものは手に入らないので難しい。それでも、目を閉じて深呼吸して瞑想のようなことをして香りを「思い出す」ことができれば、自動的に記憶も戻ってくる。香りで記憶を呼び覚ますだけでなく、「香りそのものを思い出す」ことができるのは、一種の特殊能力に分類されるのではないかと思っている(そうでもない?)さて、今回バンコクに出発する前に、空港で香水の小さなボトルを買った。色々試し、私なりにイメージするバンコクの香り(ジャスミン系)のもの。ちなみに香水選びの基準は、香りだけでなく、ボトルのデザイン、色、商品名であることもあり、かなり適当である。ここは私にとってあまり重要ではない。バンコクの空港に降り立った瞬間に、買ってきた香水をつける。いつも通りなら、この先何日間もこの香りを纏うことで、この香りが私にとっての「タイ(バンコク)の記憶」になるはずだった。ところが実際に街中に出て歩いてみると、一歩踏み出すごとにありとあらゆる臭いという匂いが四方八方から押し寄せてくる。自分自身からも汗が滝のように出て、か細い香りを立てるお上品な香水はあっと言う間に流れ落ちてしまった。排気ガス、道路工事で舞い上がる砂、すれ違う人の体臭、屋台の揚げ物、生ゴミ、南国の果実、炊いた米、歩道に座り込んでいる人が食べている焼き鳥、バイクの機械油。椅子に座れば張られた布からも匂いが上がる。床からも壁からも、絶えず匂いが襲ってくる。バンコク3日目、ついに私は香水をあきらめた。そのかわりホテルのバスルームに置いてあるレモングラスベースのスパイシーなボディローションが素晴らしくいい香りだったので、それを使いまくることにした。水質のせいか髪を洗うとパサパサするので、お風呂上がりの髪にも塗りたくった。もちろんローションとて香りは続かず、歩いているうちに肌の上でぬるぬると溶けていってしまうのだが、それでもへとへとになってホテルに帰りつきひんやりとしたバスルームに足を踏み入れたときに強く香るレモングラスは、じゅうぶん私をほっとさせてくれた。つまりそれは、結果として私にとっての「バンコクの香り」となったのだ。そしてそれは、決して唯一無二の特定できる香りではなく、あたりに無秩序に漂っている匂い(臭い)と渾然一体となってはじめて際立ってくるものなのだった。