蒸し暑い夏休みの初日。某有名スーパー中学1年生チェリストのリサイタルに、チェロ弾き次男と一緒に行って来た。

 

開演15分前に到着した会場は、スーパー中学生を見に来たクラシック好きの年配の方々がすでにぎっしり。我々同様の子連れ客やソリストのお友達らしき少年少女などもちらほら見受けられた(楽器などを持っていなくても、音楽をやっている子達というのは何となく見た感じで分かるのが不思議)。

自由席のため、すでに端っこか後ろの方の席しか空いていなかったので、仕方なくソリストのはるか左手二列目の席に腰を下ろす。

 

プログラムは、誰でも知っている有名な小品を皮切りに、バッハの無伴奏チェロ組曲から数曲、パガニーニやチャイコフスキーの変奏曲など技巧的で華やかな曲がぎゅっと詰め込まれている。

「中学生なのであまり夜遅くまで演奏できないため、通常より短めのプログラムにさせていただきました」との主催側から説明があった

 

小学校の低学年の頃からあちこちのコンクールで優勝し、全国的にも有名でテレビで特集もされ、10歳でソリストとして著名指揮者のもとオーケストラとの共演もこなしている彼の演奏は、もちろんすばらしかった。若々しくて伸びやかな高音と低音のふくよかな響きの対比が、何とも色彩豊かな音楽を形作っていた。「大人顔負けの」という言い方は好きではないが、それでもこの「雄弁さ」はいったいどこから来るのだろう、と思わざるを得ない。

 

そしてその演奏の魅力が本領発揮されたと感じたのは、意外にもバッハだった。無伴奏チェロ組曲第4番から、プレリュード、サラバンド、ジーグの三曲。聴いているうちにそれまでの空気がどんどん変わり、低音のうなりがホールを満たす。ことさらその「精神性」や「奏者の思い入れ」が取り沙汰されがちなバッハの無伴奏組曲だが、そういったもっともらしい解釈とは無縁の、純粋な音の連なりとリズムが心地よかった。「そう言えばこれはそもそも舞曲形式、踊りの曲なんだったな」と思い出させてくれる演奏だった。

 

このバッハの時だけ、彼は暗譜でなく、譜面代に立てた楽譜を傍らに置いた。演奏中それを見ながら弾いた様子はなかったが、それは「このバッハはまだ完成していません」と暗に彼が感じていることを象徴しているような気がした。それがまた良かったのかも知れない、とずいぶん経ってから思い返した。

 

クラシックの演奏会では必ずと言っていいほど爆睡する次男も、さすがにこの日は寝るヒマもなかったようで、珍しく凍り付いたようにガン見(ガン聴き?)していた。後で感想を聞いたら、「曲の合間のトークでは噛み噛みでつらそうだったけど、チェロを持ったら途端に安心して弾き始めるのが良かった」って…。

ビミョーだけど面白いコメントだと思った。彼にとっては、喋ることよりもチェロを弾く方が楽だし自然なことなのだ。

 

演奏後ロビーに挨拶に出てきた彼は、あっと言う間にファンのおじいちゃま・おばあちゃま方に囲まれ、写真責めに。「君は天才だ!期待してますよ!!」などとぶんぶん握手され「ありがとうございます」と小さく答えている。次男に「一緒に写真撮ってもらう?」と聞いたら「いや~、いい」と言うので(私もあまりそういうのが好きじゃないので)、横の方からこっそり写メして帰って来た。

 

 

「まだ中学生なのに」「ついこの間まで小学生だったのに」という前置きは彼の場合にももちろんつきまとう(藤井四段だけでなく!)。これがなくなるのはいつなのだろうか。「スーパー中学生」「最年少○○」「若き天才○○」という修飾がきれいさっぱりはずれた頃、また彼のバッハが聴きたいと思った。

 

今度は楽譜いらないね。