酒とホラの日々。 -56ページ目

桜桃忌を前に・・・

都内の某養護老人ホームから先日一人のお年寄が行方不明になって今なお捜索中だ。関係者が手を尽くして探しているようだがまだ行方がわからない。


この今年97歳になるお年寄とは、実は多摩川で入水自殺を図って死ねなかった太宰治その人であり、桜桃忌に上がった土左衛門は別人だったというのは、知る人ぞ知る事実である。このあたりの事情は去年書いたのでそちらの記事を参照してもらいたい。(→太宰生存説はここ)

今回の失踪事件が厄介なのは、太宰の意思とは無関係に、いよいよ余命幾ばくもないと見られる太宰を再度商売のネタにしようと様々な思惑が絡んでいるところだ。
何せ太宰治は昭和の文学史に残るアイドル的存在で、今もって信奉者は多く、今年は映画(富岳百景)まで公開されている。

太宰を再び表舞台に出して斜陽を何とかしようとする青森県観光協会の暗躍、毎年三万人を越える自殺者に手を焼き、無策を指弾される厚生労働省が自殺防止キャンペーン『人間生きていればいいことある』の広告塔に太宰を起用しようとする動き、

これに対し太宰の復活とともに生じる印税負担をよしとしない出版業界の妨害活動、さらには太宰の静かな老後を守るファンの会(こんなものがあるのだ)の復活阻止運動。等々、今盛んに暗闘が繰り広げられているのである。

でも、高齢の太宰はこのところ体調を崩していたと伝えられるし、復活かどうか決着がつくまで、太宰治の余命がもつかどうか予断を許さない状況だ。

しかし、万一復活したら、6月19日の桜桃忌の扱いは?、

いずれ来る本当の命日はなんといって扱うのか? 
しばらく水面下の争いから目が離せない。

セクハラとは何をされたかではなく、誰にされたか、である (某女友達の発言)

会社から駅に向う道に、2,3件屋台が出ることがある。
ある晩、屋台を囲うのれんの下からミニスカートの足が並んでいるのが見えた。


当然今では女性グループだけで屋台に入るのも珍しくはないが、なにやら
いやな予感がして道を変えようとしたその瞬間、のれんの隙間から顔がのぞいて
目が合った。苦手の入社2年目のT嬢である。歳も部署もまるで違うが、
私とは妙に気が合うのが逆にわずらわしいので、できれば関わりたくないのだ。
しまった、と思ったが、見なかったことにしてクルリと向きを変えると
なんと「あ、コラ、待て!」という声とともに追いかけてきた。
まさか追いつかれることはあるまいと、走りながら後ろを見ると、
敵は驚いたことに太もももあらわにピンヒールで駆けてくるではないか。
うえっ、と思った瞬間、T嬢は突然止まってペタリと座り込み「イタタタタ!」
声を上げた。もちろん見え透いた芝居である。
だが、駅近くで人通りも多い中で人目を引いて、放っておくわけにはいかない状況だ。
そばに行って覗き込むと、下からネクタイをつかみ、年長者に向って
「よくも逃げたな、さて今日はどこに連れて行ってもらおうか」などという口をきく。
あたりにはまだ驚いたように遠巻きに様子を伺う人が何人もいて、ここは
穏やかにことを運ぶしかない。。。

まあ、これくらいの女性と友達でいれる時間はたいてい短いので

多少は大目に見ているところはあるのだが、
・・・こういうのは反則行為である、と思う。言うなれば逆セクハラではないのか?

雑草記

春も浅いある晩のこと、家の軒下に男の子と女の子が震えて立っていた。聞けば、住んでいた土地を追われ、行くところもないのだという。

私は彼らを家に招きいれて、泊まっていくように言い名前を聞いたのだが、追われた土地に名前も捨ててきたので、新しい名前が見つかるまではどこにもとどまることができず、行く先々でまた追われて、こうしてあてどなくさまよい歩くしかないのだというのだった。
それなら私が新しい名前をつけてあげるよ、というと彼らは喜んだ。

その晩、寝入ってから夢の中で新しい名前が浮かんだ。
だが朝になって、さっそく彼らに名前を告げに行くと、部屋には彼らの姿がなく、慌てて外に飛び出した庭に、昨日まではなかった草が朝日を浴びて立っていた。

・・・そして春が過ぎて梅雨時を前にして、庭では点々と連なる可憐な白い花と小さな赤い実がかぜに揺られてニコニコと笑っている。

 

白い花の名前は雪片草(ゆきひらそう)

赤い実は紅幼草(べにおさなぐさ)という。
雪片草   紅幼草




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・・・なんだって、ただのどくだみとヘビイチゴだろうって?

だって、こいつら名前で大損してるような気がして、、、

うちじゃ、こう呼ぶんだよ、私だけだけど。ハハハハハ。。。


梅雨入り目前

入梅前、雨雲のはしりの季節が好きだ。

間近に迫った雨の季節を意識し始める時期でもあり、
人には嫌われがちな雨ではあるけれど、
春を経て多湿の季節に至った植物たちの表情は生気に溢れ、
国土の70パーセント以上に緑の繁茂する日本の
代表的な景観が出現する時期でもある。

空を覆うあいまいな雲と どこかひんやりとした空気が

私の季節感の座標軸を狂わせるのにまかせて、方向感覚を失ったように
目的地のない散歩にふらふらと出かけるのもこの季節だ。

行き惑うように歩く灰鼠と緑の空気の中、
生垣や庭木の住宅地の緑がしだいに農地に連なっていくあたりで
曇り空を背景にタチアオイがぴんと背を伸ばして花をつける様子などは
本当に美しいと思う。
    タチアオイ
晴れでもない、雨でもない、明るくもなく、暗くもなく。
あいまいさの中に日本の豊かな緑を生む原風景に出会える。

A君、お前が整理整頓しないからオレは迷惑してんだよ!

A君の机は汚い。机・脇キャビネ、あたり一面書類やお菓子のカスが
散らばっている。少々の乱雑さなら注意のしようもあるだろうが、
常軌を逸した乱雑ぶりに、見る者はみな目を背けてしまうので
注意をしようという意欲も萎え、半ば公然と無法地帯と化している。

あるときは
バインダーの間にクラッカーが何ヶ月も挟まっていて、異臭を放つので
撤去しようとしたところゴキブリが這い出したので踏んづけて始末したが
社内のパニックを恐れて、闇に葬られた。

あるときは
書類の山の間にできた空隙から見たことのない銀の服の生物が這い出して
駆けつけた自衛隊と銃撃戦が繰り広げられたのだが、国家防衛上の
機密事項として対外厳秘とされた。

なお、処理に当たった担当部長はその後突如一身上の都合で退社し
転居の後、今は消息も不明だ。

さらに不思議なことは、あの事件以降、誰もA君の机周辺を気に留めなくなった
ことだ。机を前にしても度を越した乱雑さも異臭もそこにはないかのように
皆にこやかに穏やかに振舞っている。
みんなには見えないのか? 

昨日だって銀色の服にヘルメットの連中がA君の机のあたりで
何かを運んでいたが皆見えないのか無視しているのかいつもと同じに
仕事をしていた。
変だと思わないのか?

あまりのことに今朝、銀色の服の連中のことを話題にしたら、
皆目をそらし私を避けた。さらに午後になると新しい部長がやってきて
明日出張してくれという。なぜか行き先は告げられていない。

明日私はどこへ行くのだろう。

このページがしばらく更新されなかったら、どうか私のことを気にして欲しい。。。

本屋の袋に入っていた広告をゴミ箱のエサにしたのは誰のせいか


いつの頃からだったか、書店で本を買うと袋に広告紙が入っていることがよくある。

広告主が袋の提供もして本屋が包装代の負担を軽減できるとかいう

利点があるのだろうか。

広告紙配布の形態の一つではあるが、はっきり言って
買うほうからすると、あらかじめ「袋に入った広告紙は邪魔」なだけである。

どれも拙者には不要なものばかりなのだが、
よく見かけるのはこんなところ。。。
 ・結婚相談所 (最近不当表示で排除勧告受けていた)
 ・速読法の通信教育 (速読でバカは直らない)
 ・生命保険  (自分が死ぬほうに賭けるギャンブル)
 ・英会話教室 (日本語教室のほうが必要)

どれも硬くて良い紙を使っているので余計邪魔に感じるし、
ただでさえ近年新聞折り込み広告やらDM、投げ込みチラシ等々
質のよくない古紙になる紙ゴミ(カラー印刷は古紙単価低いらしい)が
増えて閉口しているので、家に持ち帰りたくない私は、
本を受け取ったその場で、店員さんに返却することにしている。

中にはええっ!、と明らかに困惑した様子を見せる店員さんもいるのだが、
そんなときは、きりりと姿勢を正し、
「私は遠慮するから、これをどうか世の中のために有効に役立ててください」
と一言残して颯爽とその場を去る。

有無を言わせず客に一方的にゴミ箱の餌を押し付ける手法は
広告手段として疑問だ。関係企業に一考を願いたい。

雨の日の海岸に立って眺める空の色と海の色は・・・


「海が見たいの・・・」
彼女(B女)の急な一言で、時折小雨降る空の下、
電車で海へ出かけることになった。
霧のような雨に煙る海岸は、海も空も乳白を帯びて境があいまいで
けだるい空気がそこにあるものすべてを支配する。
実は私もこんな眺めは嫌いではない。

まとわりつくような霧雨には、傘もあまり役に立たず
結局早々に散策を切り上げた私たちは海岸のレストランに入って食事を
することになったのだが、他に客もまばらでこの日海岸一帯が
ほとんど貸しきり状態だった。

まだ昼だったが、飲んだ当然たらふく。
このために、ぐずるB女を恫喝して車を打ち捨てて
電車で移動して来たのだ。そうでなければ誰が海になど来るものか。
運転手のいない車などブタにでも食われてしまえ。

さて、有名シェフの経営するそのレストランは、
関連会社で地ビールやワインの醸造も手がけ、
野菜も契約農園から取り寄せるという凝りようで
おしゃれで当世風のポリシーが受けて雑誌にも何度も取り上げられて
結構繁盛しているらしい。
人気店かどうかはあまり関心がないが、良い酒がふんだんに注がれる
グラスの上に話が弾むのはなによりのこと。

散々飲んで引き上げるときに再び海を見たのだが、
すでに濁った重たいだけの色はつまらないものだったし
打ち上げられたゴミばかりが目に付くのだった。

 海の色は移りにけりないたずらに我ら深酒あおりせし間に・・

と、口走った自分の戯言のつまらなさにさらに興ざめする。

さらに小野小町さんごめんなさいと口走って、吐きそうになる。

だから海なんてイヤだと言ったんだよ、と私は毒づいて
酔っ払って面倒になったのでタクシーを拾って帰ってきたのだった。

飲んでリラックスできる場所があればどこだっていいのさ。

満漢全席とはいかないが中華料理を堪能の晩

赤坂の中華料理店に出かけてきました。

食事がそれなりの高級中華料理だったせいもあり、
中国通のW氏がこの日の席の話題の中心で、
中国の食文化に関わる様々な薀蓄を拝聴することができました。

で、その一端。

・・・とにかく中国人は脚のあるもので食わないのは親と机だけと
言われるくらいなんでも食材とするとされているが、
これはまったくその通りで、古くは恐竜の絶滅した原因を
中国人の悪食に求める学説もあるくらいだ。
竜骨とか言って恐竜の化石を漢方薬にして売っていたのは、その名残り。

さらに、世間では熊の手、ツバメの巣、蚊の目玉なんていう
つまらないものを珍重するけれど、実はパンダの肉ほど旨いものはない

   ノーパンダ
しかし、知ってのとおりパンダは人気の絶滅危惧種であるので、
食うなんて表立っては言えるわけがない。
だから主に中国の高官にひそかに鍋料理として提供されているだけだ。
もちろんパンダであることは否定されている鍋なので、
これを「ノーパンダ・シャブシャブ」と言う・・・。
    
以前、日本の官僚も同様のいかがわしい裏飲食接待で話題になったが、
中国の役人のやってることをまねしただけなのだ。
聖徳太子・遣唐使の昔から現代まで日本の官僚は中国の影響を脱していない。。。

まだまだ続いておりましたが、
中国食人通のW氏、なんとも人を食った人物のようです。

(誰ですか、W氏ってお前のことだろうなんて言ってるのは

-->違います。)

健康のためなら痔になるのも怖くない!?

会社である係争事例について官製の資料を見ていたら、
まったく仕事とは関係ないが、奇妙な訴訟があった。

概略はこうだ・・。
会社が義務付けた健康診断の際、胃レントゲン検査があって、
最後に検査のためのバリウムの排泄を促すために下剤を飲まされたが
下剤がよく効いてその日は何十回もトイレに通うことになった。
ところが会社のトイレはウォッシュレットでないうえに
備え付けの紙は硬くゴワゴワしているため、
肛門部に過剰な負担を強いられ、これが原因でになった。
もともと健康な社員が、無用な健康診断とその後の不適切なサポートで
痔主に転落した因果関係は明白であるので、
会社は治療費と慰謝料1500万円を払うとともに、会社のトイレを
速やかにウォシュレットに交換するべし、云々。。。


確かに、大掛かりな健康診断には前日夜間からの絶食とか、
検便キットの完成とか、受診者になにがしかの負担を伴うものだ。

検診の負荷・コストを背負い込むリスクと、何か病気が発見されないことの
リスクを比べて、一般的には受診者に多少の負荷を強いるリスクのほうが
ずっと小さいと考えられるから、画一的に一斉健康診断をするのだろうけれど、
何が負担で、いかなる状態が健康かどうかというのは個人ごとに様々な

面もあるだろう。

健康を維持するべき健康診断で、
健康収支がマイナスになってしまったこの社員の方は

本当にお気の毒と言うしかない。


・・・今日、私にも会社から定期健康診断のお知らせが来ていた。
メンドクサイなー、今年はフケてしまおうかな。

一人だけの公園

本当に今年は雨が多い。
気象統計的にどうなのか調べてみたわけでないけれど
5月に入って、雨ばかり眺めていたような気がする。

今日も近くの比較的大きな公園を通ってみたが
さすが雨降りだけあって広い敷地を見渡す限り、
出歩いている人の姿は見えなかった。

まだ雨が地面に達届いていない木の下に行き、雨傘をたたんでみた。

雨の林3

 雨がはるか頭上の樹の葉を打つ音だけが響く、静寂の世界。
 芝の海に島のように続く、濃いピンクの植え込みのツツジ。
 見下ろす池の水面で、消結を繰り返す波紋にゆれる木立の樹映。


雨なのに傘もささず、ぬれもせず、
人工物の雑音から遮断されて
緑に抱かれる気分になれるとはある意味贅沢なことだ。

この日は雨を理由に(本当は面倒だから)、煩わしい他の予定や誘いもキャンセルして

公園をぶらぶらしていたのだが、これは正解だった。

心がのどかなときだけ、こんな情趣を手に入れることができる。