北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも -38ページ目

ポパイのこと

お恥ずかしいはなしですが、つい最近まで、ポパイがずばり出目男君のことだとは、全く知りませんでした。日本でも1960年代にこの番組が日本語の吹き替えであり、テーマソングの「ポパイ ザ セイラーマン」というのは、耳に残っています。

彼女のオリーブと悪役のブルータスがいつもでてくる、勧善懲悪ものでしたが、ほうれん草を子供に食べさせる宣伝として出来た番組だとか、という話も聴いたことがありました。さて、彼の名前は 英語では Popeyeですから、突出した目というわけです。たしかに、この漫画の主人公の顔の半分は目ですよね。このような身体的な特徴によって名前につけるのは、日本では語弊があるのかもしれません。 出目男というのは差別語に入るのでしょうかね。

カタカナにしてしまうと、そのまま覚えてしまうので、怠け者の私などは、元の英語も考えずに何十年もすごしてしまうことがあるという例ですね。

ある日ドライブをしていたら、Popeyeという名のハンバーがー屋があり、それで、気がついたと言う一件でした。

今シーズン初めての虹鱒

最近朝飯前の虹鱒釣りのためにあの湖に行ってきました。前日の夕刻自転車であの湖を廻っていたら、友達の釣り人が居たので、立ち止まって話しをしたら、その日に1250LBSと500LBDの二回の虹鱒の放流があり、魚が回遊しているのが見えるというのです。なるほど、水の中を透かしてみると岸から2メートル以内のところを群れが泳いでいるのがみえます。大きな群れで20匹くらい、小さいものでは5,6匹と言ったところです。大きいものも居て5LBSはあるような魚が悠々と泳いでいきます。見える魚は釣れないという格言があるわけですが、今回はまったくその通りで数人の釣り人の一人も釣れたひとはいないようでした。

自転車の運動を終わって家に帰ると、釣り友達のFさんから電話があり、「今日、‘1750LBSの放流があったの知ってる?」と確認の電話でした。自分は明日の朝釣りにいくけど、私はどうするかと聞かれたので「明日は仕事があるからダメ」と一応断りました。しかし、よく考えてみると、仕事までの時間が6時から2時間はあるぞ、時がついて、夜はいそいそと釣りの準備にとりかかりました。

次の日は曇りというか、霧というか曇天模様で結構さむい朝でした。公園のゲートのあく6時すこし前につきましたが、もうすでにゲートが開いていたので、そのまま車をとめて釣り場に向かいました。今回の釣り場は小さな湾で底が浅い事で知られています。まだ暗いのでヘッドランプをもっていけばよかったのですが、忘れたので仕掛けのしたくには苦労しました。そうしているうちに明るくなってきて、水中をみると、いましたね虹鱒が、この日もここにたむろしていたようです。釣り人たちが、餌をなげこみ待ちますが、全くあたりがありません。ルアーを投げているひともいますが、当りが全くないようでした。私はフライを投げようと思っていたのでこの支度をして、Bubble-Flyというつり方を試しました、投げては引き、投げては引きしている間に、ついにきました、竿先がまがり、魚の動きが手元まで伝わってきます。これなんです、最初の一匹なんです。これが貴重な魚です。隣の釣り人のBさんがタモがいるかと聞いてきたので、小さいからいらないといって、すこし疲れさせてから取り込みました。姿をみたら、ダイエットした魚のようで、長さは12インチくらいあるのですが、身の幅は2インチくらいしかないスマートな秋刀魚のようなさかなでした。この日は魚をもちかえる予定はなかったので、水にもどしてやりました。

まだ、水温が高いので、鱒釣りのシーズンとはいえないのですが、なんとか1匹をものにして、満足の日でした。
仕事にむかったのが、8時すぎでした。仕事がおわって、家に帰ってから、Fさんに電話をして私が帰った後の釣りの様子をきいてみたら、一人が鯰をつりあげたほか、釣り師10名みな坊主だったそうです。虹鱒については、この日私は、あの湖の大様でした。エヘン

10月になると、本当のシーズンですから、これからシーズンまで、リールの糸をかえたり、油をさしたりと楽しい準備がまっています。早くこいこい虹鱒釣りシーズン。



Gout

タイトルの単語がなにか分かったなら、あなたの英語の能力は一流です、(嘘です。)日本語では、風が当たってもいたいという処から「痛風」と呼ばれています。もともとは中国語のようで、痛風とググッテやると、中国の文献も出てきます。

私の持病のひとつが、これで時々思い出したように出てきます。私のばあいには、風があたっても痛いといった重症ではないのですが、右足の親指の第一間接が腫れてきます。一名、帝王の病気とよばれる贅沢病の痛風はおきると、歩くたびに痛むので、厄介な物です。ビールが良くないといわれていますが、私は飲まないのでこれのためではないようです。もしもこの「発作」が起きた時には、アイビュープロフィンを飲んで、水をがぶがぶ飲むと言う単純な治療をします。

この発作の原因だといわれる、尿酸を体から排出すつためのクスリもありますが、今までのところは、このクスリの世話になる必要もないと思っています。一度は、日本に行った時に飛行機のなかでおこり、足をひきずりながらの旅をしたこともありました。この時は医者にもいき、3万円くらいの治療儀を払った覚えがあります。

足が地面に着く時の角度がうまくないと、激痛があったりします。こういうときには、おまじないの「ウップクプー」これを繰り返してを唱えます。このおまじないは、ころげまわるほど痛いときにも、その軽妙な音感からか,痛みからの開放感がすこしだけあり、これを言っている時には顔をしかめられないし、ひょっとこ面になるため、おかしさもこみ上げてきます。精神的な苦痛の時はどうか分かりませんが、肉体的な苦痛のときには、効き目があります。これはある文人の英知ですが、私も利用させてもらっています。

あちらが痛いとか、こちらが上がらないといった老化現象は、年をとると出てくるのが当たり前ですが、これをどれだけ遅らせるのか、が課題の年齢になってきました。

お試しください、ウップクプー

負債額世界一の企業の国有化

レッセ・フェールでやってきた、アメリカ経済も、その何でもありの放任主義のつけがまわってきて、不動産のローンをの卸元の2大会社がついに、国有化されたというニュースはもうご存知だと思います。これについやされる、税金は
25Billionから200Bellionドルといわれています。

負債額という面では、これら2つの連邦制府管轄の民間運営の会社は世界で一番の規模だそうです。これら2社の負債総額は日本の国家が抱えている負債額をこえるといいます。これらの会社の救済は、もしも倒産したら、その波及効果が甚大なために、なんとか不景気の今の状態が悪い方に急転しないと言う願いから行われました。しかし、裏づけのない、ドルは下落していて、そのためにドル価の原油は他の通貨よりも値上がりし、その結果、消費が低迷してきているため、対アメリカ輸出国の景気もすこし低迷してきているようです。

これらの会社をとってみれば、いままでいい思いをしてきた幹部や、高い配当を得ていた投資家達も居るわけですから、リスクを負う事が、より大きな利益に繋がるという資本の論理でいえば、投資家と重役達には、その損失を甘んじて受けてもらいたいものです。いいときの儲けは独り占め、悪い時には国民の税金で損失をうめてもらうというのは、あまりにも虫のいい話です。

20年前にレーガン大統領が経済活動を統制するのは、その成長を阻害するという立場から、お目付け役の統制機関を廃止し始めた時に、私は、これはヤバイぞと思ったのですが、結局はあらすじとして、私が想像していた
通りの仕儀となってしまいました

私は、アメリカの国民が、ほとんど全員がある程度の生活レベルを維持していると言う状態であれば、小さな政府問うことも可能でしょうが、所得の格差が初任給の新人と社長では400倍のちがいがあるとことまで来てしまった、今の社会では、やはり、政府が富の再分配、落ちこぼれの防止、国民の健康の管理、退職後の最低の生活保障といった面でやはり、国民を導いたり、または直接に支援をするという機能が必要だと思っています。

一番よわい者がどのような、暮らしをしているかで、その国の民度がわかるといいます。この点から、私に言わせてもらえばアメリカの民度は残念ながらずばり「後進国」ですね。

サブプライム、今回のプライム ティザー ローンといった、回収が不可能のローンからきている不況をまえにして
、不動産以外の金融でも引き締めがおこり、借金が簡単にできなくなり、ました。以前はクレジットカードの勧誘が毎週のようにきていましたが、いまではちらほらと言った感じです。この信用貸付の引き締めの影響は、学生ローンにもおよび、今年度は学生でも、民間の機関から学生ローンを得るのが難しくなってきているそうです。私立の大学の学生のなかには、卒業時に4万ドルくらいの学生ローンがあることも珍しくなく、’大学入学時の当初の計画二そって、大卒とともに大学院に進学するかわりに、まず就職して、このローンを軽減してから、大学院に行くという学生もでてきているそうです。

1930年代に、ルーズベルト大統領が国有化をふくむニューディール政策をとったわけですが、自由経済の旗手、共和党のブッシュ政権が、企業の国有化をするということに歴史の皮肉を感じています。日本ではどうして税金をつぎこんだ銀行を国の管理下において、国有化しなかったのでしょうね。


マルクス主義再訪

歴史の原動力は経済であり、そのもとになるのは労働というところから、絵解きして、歴史的必然、唯物的弁証法といった論理を駆使して、その理論的な到達点として将来の世界の姿を見せてくれたのが、マルクス主義でした。

最近の中国をみて、これは資本論的な歴史の課程を省略しての、はしょった革命をしてしまったので、資本主義を取り入れて、歴史のやり直しをしているんだと私が友達に冗談をいって、友人の顰蹙を買ったりしています。しかし、つらつら、世の中をみていると、今のアメリカの社会のありかた、階級の2極化、ホームレスにみるルンペンプロレタリアートの出現、組合の無力化といった面、さらに金融資本の経済全体に対する影響力の強化と言った傾向をみるとき、この面の分析として、資本論の主張もうなずける部分があるのではないかと感じています。

片方に、社会主義革命という現実があったために、その抑止としてアメリカの社会は中産階級社会としての社会の枠、経済の枠のなかで発展してきたように、私は感じています。組合員であることが中産階級であるという図式のもとになっていたと思います。しかし、ソビエトの崩壊後、制度としての社会主義の破綻は、理論的な破綻であると言う理解のもとに、全面にわたる、資本からの社会変革の攻勢が現れてきているように私には思えます。ウォールストリートによる、企業への締め付けがはじまり、利益を前期よりもどれだけ上げられるかという要求があらゆる産業に対してなされるようになりました。タガの外れた資本主義というのもこまったものです。

ここでの掛け声は、グローバルエコノミーのなかで、競争するにはコストダウンするしかないという主張でした。その掛け声とともに、工場は海外に移転して、2百万人以上のアメリカ人労働者が、このたった8年間に失業をしています。受け皿のない工場閉鎖にあった人々は、せいぜいが失業保険の給付のみの支援をうけて、あとは自分でなんとかしろという処遇でした。

リーガン大統領が始めた、アダムスミス方式の統制のいっさいない経済活動の結果が、さまざまなところで問題となって出てきています。私は経済については社民的な考えをしているので、ある程度の統制は必要だとおもっています。善人だけが資本家ではないというのは、この10年にあいだに飽きるほど証明されたことのように思います。また、
税金についても、いまでは全面的に採用さてていない、累進課税方式は、所得の再分配と言う意味で欠かせない中産階級維持の方策のように思います。

極少数の大金持ちと、貧しい大衆といった構図ができてくれば、まさに世直しの風向きですから、これでいいのかと
すこし、心配になります。私は社会主義者ではありませんが、どうもベクトルの方向としては階層の摩擦が大きくなる方向に向かっているように感じます。したがって、中産階級の再構築という社会の調整が問題の解決のためにも、急務であるように思われます。もし、これが上手くいかなければ、長い目でみて、まさに歴史的必然の結果をみる可能性があるように感じています。

今日はすこし硬い話ですが、どうかこれに懲りずに、、、、

救急病院に運ばれました。

最近あった、我が家での大事件です。ある夕刻に息子から電話がかかってきて、保険についての情報がいるとのことでした。どうしたのか問い聞いたら、救急病院にいるとのこと、ワイフの顔色が変わって「どうしたの、大丈夫?}と聞くと声がいつもとちがって、発声がちょっと困難といった様子でした。あまり、話せなかったのですが、要点としては、イタリアレストランでペストをたべたら、アレルギー反応をおこして、顔河腫れ、口の中も晴れてきたので、べネドリルを飲んだけれども、良くならないので、救急車でERに運ばれたとここと。ありがたいことに彼のガールフレンドが付き添っていてくれて、
現在、リンゲルとべネドリルの点滴中ということでした。電話で話しをするのもつらそうだったので、また後で電話してといって、その通話は終わりました。

4時間後に、電話がまたあり、そのときにはもうアレルギー反応も収まったようで、その夜に病院に泊まるかどうか医者が検診してから決めるという話でした。この時の話で、すこし、詳しい事がわかりました。それによるとピーナッツアレルギーのある息子は、レストランでウェイトレスにペストの材料をきいてみて、ピーナッツは入っていない事を確認して注文をしたと言います。食事中に反応があったので、寮に帰ってすぐにべネドリルを摂ったのですが、よくならず、CampusSecurityを呼んだら、救急車を呼ぼうということになり、息子は救急病院に搬送されたそうです。Epi-Penという緊急用のステロイドの注射を持っているのですが、自分としては、その必要がないと思ったので使わなかったといっていました。私としては、このような時のためにEpi-Penがあると思っているので、彼の状況判断は甘すぎると感じています。

結果としては、点滴が奏功して様態が改善され、医者の検診の結果退院となって、その夜のうちに寮に帰りました。
退院が決まったあと、Pomona CollegeのあるDeanが病院まで迎えに来てくれて、二人を寮まで送ってくれたそうです。彼の体の方はもういいのですが、さて、保険の方がどうかですね。決まりのとおり、24時間以内に主治医に連絡をして、保険会社にも通知をしました。bLue SheildのHMOですが、初めてのことなので、どのような請求がくるのか気になるところです。

遠くの大学に子供がいると、このような「まさかの事」があるとどうなるのか、心配ですが、今回は大学の手助けもあった無事にすみました。

大統領候補

民主党と共和党の大統領候補指名の大会もおわり、選挙戦はあと60日を残すのみとなってしまいました、この13にちにはマッケイン候補とオバマ候補の討論会があるそうです。期待しています。

この選挙戦もみていて思い出したのですが、1970年頃に私は、東京でアメリカの大統領選挙の候補者と会ったことがありました。皆さんはご存知かとどうか分かりませんが、その頃、アメリカの国内の非暴力の運動と袂を分かち、武装してでも、体制に反対すると主張するML派の黒人の団体があり、カリフォルニアのオークランドを中心とした活動をしていました。その名はBlack Panther Partyといいます。ボビー・シール、アンジェラ・デーヴィス、ヒューイ・ニュートンといった有名な活動家がいまいた。 彼はここからの大統領候補でした。

東京でであった、そのときに私は大統領候補のXXXXです、と言われたのでぶったまげたわけですが、候補をたてることはどの団体でも手続きさえすればできるわけで、それ自体はそんなに困難なことでもないと後から納得しました。ただこの大統領候補をたてるという発想そのものには、関心しました。当選の見込みというのは全くないのですが、ビジョンなり政策をつたえる空間としての選挙を利用していたのでしょうね。

今回の選挙でもリベタリアンやグリーン党、などからも候補がでているはずです。そうなると、2大政党以外の候補は国民に政策を宣伝する機会を平等に与えられているかどうかが、疑問になってきます。前に出た、ロス・ペロウのように無党派として候補となり、主な報道機関からも取材され、他の候補と同等に扱われた候補もいましたが、彼はBillionareであったこともあり例外であったように思います。関係のない話ですが、このペロウ氏は、現存する
2つの内の一つのマグナカルタの所有者です。

さて今回の候補者達をみると、弁護士対非弁護士という構図も描けるようですね。学歴でいうと、College Grad VS Post Graduateという構図です。Naval Academiy+Idaho State University VS Harvard Law
School + Syracuse University Law。 このような対置をみていると、社会のなかの指導者になっていくにも、さまざまな道あるという証のように思います。この対置を見る限りでは、在来の道の弁護士からの政治家に対峙するわき道からやってきた政治家という構図もできるように思います。「デモクラシ」がよくなるのがいい、というのが
庶民のねがいですから、結局は政策において、どちらが民衆にアピールできるのかが、今回の大統領候補たちの課題ではないかと思います。W Bushのように、宗教の倫理を使っての選挙民の分断という戦術は、今回は上手くいかないのではないかと、リベラルの巣窟に住む私は感じていますが、Bible Beltではまた違った風潮があるのかもしれません。

ちょっと興味があったので、上に述べたように候補者の学歴をみたのですが、人生の「成功」にとっては、上位何位の大学かどうかはあまり関係がないという私の思いを補強してくれたみたいです。教育の器がきちんとしてさえすれば、州立でも私立でも大丈夫、要はそこで、個人がどうするのかということが重要な事で、ソコでの努力が次の段階につながていくというのが人生の流れですね。

大衆の運動としての大統領選挙

私は「アメリカの夢」を体現するオバマ氏を支持しています。いざ鎌倉となったら、財布の紐をといてもいいとも覚悟しているわけです。ご存知のように、アメリカの大統領選挙は選挙登録をした全国民によって行われます。

今回の選挙で画期的なことはあらたな選挙人の登録が4百万人いて、そのほとんどが若者だということです。この数字と若者の割合は歴史的だと注目されています。選挙のためには、チラシを郵送したり、選挙民を訪ねて投票を依頼したりといった、膨大な手仕事が必要です。このための「歩兵」たちはその地のボランティアによって行われますが、手弁当でこの活動をする人たちの数は数十万人に上ると思います。

また、今回はオバマ氏がはじめた、インターネットによる募金活動はその献金者リスト2百万人、一人の一回の献金額は10-20ドルだそうです。今まではホテルなどで、食事をして、一人頭,千数百ドルあつめるというディナーパーティーが習慣的に行われてきましたが、このような行事に参加できる階層の人たちの数は限られています。毛沢東が中国革命の時に、この革命を成就するためには、さまざまな階層の人々との共闘が必要だと説きました。そのときに彼は、力のアル奴は力を出す、金のアル奴は金を出すといった比喩をして他と思います。オバマ氏の運動はいままではその機会を与えられなかった人々に献金の機会を与えたといえます。

国民の政治に対する関心を喚起したと言う意味では、今回の大統領選挙は画期的な意味があるように思います。もちろん初の女性大統領候補であるヒラリークリントン氏の善戦も歴史的な事件でした。また、共和党のなかでは異端をみなされていたマッケイン氏が大戦候補となっているのも大変興味深い進展だと感じます。彼の選んだ副大統領候補のペイリン知事も話題性という点では得点があると思います。

テレビを見ると、候補者の顔が映り、その演説の要旨が伝えられるだけで、実はその顔の裏に何百万人もの支持者がるということが、なかなか見えません。彼らは、家庭訪問をしたり、電話をかけたり、献金をしたり、関りの度合いは違うもののなんらかの能動的な運動をしているわけです。したがって、草の根民主主義とをいうなら、まさに、アメリカの権力の頂点にたつ大統領は、膨大な数の彼ら草の根活動家にによる選挙運動の結果、選出されているともいえます。

Merit ScholarshipとFinancial Aid,

成績や高得点にたいしての奨学金と、家庭の経済状況によってあたえられる財政援助については、すでにおしらせしているので今回はもうすこし詳細にみた違いを述べて見ます。

高校における成績や、SATの高得点、Merit Scholarなどを基準とする大学の奨学金はその成果(Merit)によるものですから、Merit Scholarship とよばれています。これは州立大学でもその制度があり、UC では Regent
Scholarship,あるいはDean's Scholarshipというものもあります。これは他の州立大学でも制度を持っているところが沢山あるようです。私立でもUSCをはじめとして、優秀な生徒をあつめるべく、この奨学金を大盤振舞いいしている
大学も結構なかずあるようです。

息子のガールフレンドの言っている大学のScripps CollegeもMerit Scholarshipの制度があり、受給している学生も沢山います。彼女と話をして最近学んだのですが、このMerit Scholarshipというのは、定額のもので、入学の際に提示されたものが、成績の基準に達している限り卒業までもらえるそうです。しかし、近年のように、私立大学の学費が年に2000ドルちかくも値上がりをしていると、定額の奨学金だけでは足がでるということもめずらしくないようです。入学の時に立てた見込みの大学経費の予算と、実際に卒業するまでにかかる経費の差が大きすぎるという事態もめずらしくなく、やもうえず退学をきめた学生もごく少数ですがいるそうです。

この点、Financial Aidは家庭の支払能力と経費の差をうめるものですから、支払い能力が同じであれば、経費が上がった分だけ、援助の額もふえます。我が家のように、支払い能力がふえても、援助の額が逆にふえている場合もあります。毎年、大学の経費があがり、その数字に基づいての査定ですから毎年夏まで額がきまりませんが、
ある程度の想像はつきます。

私立大学の大きな潮流としては、Merit ScholarshipのみからMerit ScholarshipとFinancial Aidの両方の制度を、またこの制度からFinancial Aid一本にしていくと言う傾向があるようです。この「運動」の牽引力となっているのは、Harvard, Amherstで、これらの大学では実力さえあれば、誰でもエリート校へに入学して、借金がなく卒業できるという画期的な制度をもたらしたことの影響力は計り知れません。

またの引越し

思えば、Pomonaに行くのは8ヶ月ぶりなのですが、このLabor Day Weekendの土曜日に息子の引越しをしました。私の希望で朝は皆で早起きをして、家をでたのが5時20分、行程は6時間とふんでいたのですが、交通量がすくなかったためと、私と息子がすこし飛ばしたせいか、5時間45分で大学に到着しました。休日ということで、CHPもスピード違反取締り強化をしていて、フリーウエイでの平均速度は78マイルくらいでした。5号線は制限スピードが70マイルです。

地図に定規で線を引いて設計したような曲がりのない5号線はいつ運転しても退屈で、 もう少しカーブをつけたりして遊び心を設計の段階にいれていたら、高速玉突き事故もへっていたのではないかと感じています。

さて、11時をすぎたころ大学に付いて、息子は部屋の鍵をとりにいき引越しにとりかかりました。駐車場からは去年の部屋よりも少し遠くて、その上2階だったので、95度Fの炎天下のなか汗だくになっての引越しでした。当てにしていた手伝いのJ君は大学からの招集がかかり、手伝ってもれえず、もう一人の友達のLさんに手伝ってもらいました。折りたたみ式のハンドトラックを2つ用意していたので、荷物をもって運ばなくてもよかったものの、階段ではモノをかつぎあげなくてはなりませんでした。大学の倉庫の預けてあった冷蔵庫と電子レンジなどを請け出して運んだりで、1時間くらいは肉体労働でした。運んだもののほかに、これもあずかってあるカウチもあるのですが、これは入り口から近い順番に搬出するため、倉庫の様子をみながら受けだしの予定をたてるそうです。

彼の部屋は一人部屋で、大きさは12'x13’と結構おおきいものでした。ベッドと机、椅子が2つついていて、入り口に近い壁には、造りつけの本棚、戸袋、衣装だな、箪笥、鏡があります。天井が11'くらいの高さがあり、そのせいか、ゆったりとした空間です。同じような部屋が4つ並びこれとバストイレの部屋が一つついて、1ユニットのスイートです。このスイートの区画とそとの境界には鍵のかかるドアがあります。引越し荷物が部屋にはいって、すこし荷物を収納してから、息子と友達たちをCOSTCOに連れて行きました、大学から10分くらいのところにあります。中の品揃えは、私たちの住んでいる北カリフォルニアとは少し違ったものもあるようでした。そとにピザなどの食べ物の売店と食事をするテーブルがあるのをみて、さすが南カリフォルニアだなあと感心。

とにかく暑いので、エアコンのあるWalkerという寮のラウンジですこし暇つぶしをして、息子と友達をつれだって、夕食にいきました。私は初めてだったのですが、スペイン料理の飲茶とでも言う感じのPataでした。5人で15皿はたいらげて、満足でした。そのあとで、アイスクリーム屋によって、私はモカを。それからは、息子たちを寮まで送っていって、私たちは定宿のSheraton, Ontarioに、近くのBass Proにいけたらと思っていましたが、これは断念、シャワーをあびて、熟睡しました。

次の日は、クラブルームで朝食を食べてチェックアウト、8時少し過ぎに帰途につきました。途中、居眠り運転か、直線の道なのに高速から転落した車をみました。着地するまでに何回か転がったようでした。これを見てしまったせいか、気を引き締めてその後は運転、Harris Ranchのレストランで昼食をとり、午後3時帰着しました。

ガソリン代がどの位かかったか、まだ精算していないのですが、走行距離800マイルでおそらく170ドルくかいかと見当をつけています。