場面に合わせて、

私たちは馬(欲求)ジョッキー(コントロール)の

バランスをうまく変えていく必要があるんですね。

でも、それがなかなか難しいですショボーン

 

キラキラ馬とジョッキーがどういうバランスであればよいのかはてなマーク

このことをより具体的に考えるためには、

それが人生のどの場面で最適なバランスなのかを

考える必要がありますグッ

 

自分の中には複数の人生があるからなんですびっくり

 

キラキラ人生は複数である

人生にはさまざまな場面があって、

そこにはそれぞれに違った自分が生きている

 

心を分割する補助線は、

「人生を分割する補助線」

によって補われなければなりません。

 

キラキラ人生を真っ二つにすると、「働くこと」と「愛すること」びっくり

これは深層心理学者フロイトの言葉です。

Q「大人にできなくてはならないものとは、何か?」

 

A フロイトは「働くことと愛すること」と答えました。

 

では、「人生を分割する補助線」から、

教えられたいと思います。

 

キラキラ「する」と「いる」!

「働くこと」と言う言葉には広がりがあります。

それはいわゆる「労働」以上のものを含んでいるのが

重要なことです。

 

◆ボランティアで行う海岸掃除も、

「働くこと」ですし、

親に頼まれてスーパーに買い物に行ってくれた子どもは、

「働き者」と呼ばれてしかるべきです。

 

ここが「仕事」や「ワーク」より、

「働くこと」の方が言葉として

ふか~い理由がありますOK

 

それはお金が発生するか否かとは

まったく関係がないからです。

 

赤薔薇「働くこと」とは

なんらかの目的があって、

それを達成するために「する」ですグッ

 

私たちの日常にはさまざまなタスク(任務)があります。

夕食の準備、掃除・洗濯、子育て、

PTAの役員、近所付き合いなど、

お金がもらえるものもあれば、

そうでないものもあります。

 

それでも、誰かがやらないと回っていかなくなる

タスクや役割が無限に存在していますびっくり

 

それらを一つずつ片付けていくのが、

私たちの人生ともいえます。

 

赤薔薇「愛すること」の目的は

「愛すること」そのものにありますグッ

 

恋人と会うとき、

目的は会うことそのものにあります。

用もないのに待ち合わせをしたり、

必要性もないのにメッセージをやりとりするのが

恋人というものです。

 

友人や家族との関係も、

趣味の時間もそうです。

それは目的を達成するためにあるというよりも、

それ自体が目的になるものですニコニコ

 

死者との関係は、

「愛すること」の最たるものですね。

 

亡くなった大事な人のことを偲ぶのは、

その人を思うことで心が慰められる。

それで十分。

 

死者を思うことの報酬は、

死者を思えたことにあります。ニコニコ

 

赤薔薇「愛すること」の本質は、

何かを「する」ことではなく、

何かと共に「いる」ことにある!

 

「働くこと」(する)と「愛すること」(いる)。

人生の二つのモードが絡み合いながら、

私たちの人生はできているのではないでしょうか。

 

キラキラ「働くこと」と「愛すること」を混ぜるな、危険!

これらの二つの人生は混ざってしまうと、

よからぬことが起きがちになります汗

 

例えば、社長が家庭で経営者のように振舞うと、

家族は傷つきますガーン

 

子どもに対して成果目標を導入し、

モチベーションを向上するための面談をしたら、

子どもは家庭内で上司を手に入れますが、

父親を失いますガーン

 

「働くこと」のやり方を、

「愛すること」に持ち込むと

「愛すること」は台無しになってしまいますショボーン

 

アットホームな職場が、

労働契約を超えた無理を従業員に強いるガーン

 

家族を扱うように従業員を扱うと、

それはハラスメントになってしまうことが、

しばしばあります。

 

「働くこと」は他者の役に立っているという感覚

もたらしてくれる

 

一方で、

◆「働くこと」もまた、

「愛すること」によって可能になるものです。

 

キラキラ「頑張る」とか「頑張れ」とよく世間で使われますが…

「する」が意志の力でどうにかなるものだと

思われがちだからなんですショボーン

 

ですが、意志とは、

「いる」が保障されていないと、

発揮するのが難しいものだと思うのです。

 

キラキラ「働くこと」と「愛すること」の関係は、

鶏と卵の関係に似ていますびっくり

 

「働くこと」によって、「愛すること」が可能になるし、

「愛すること」によって、

「働くこと」が可能になる

 

赤薔薇重要なのは、鶏と卵だったら…

卵が先であること!

 

それは普通に考えて、

先に卵があって、鶏が育つわけだからです。

 

赤薔薇卵(愛すること)の根源性

「働くこと」と「愛すること」であれば、

「愛すること」の方が根源的ではないでしょうか。

 

Q 「愛すること」だけあって、

「働くこと」がない状態とははてなマーク

 

赤ちゃんや、年をとるとだんだんそうなっていきます。

あるいは病気になったり、

ケガをしたりすると、

「働くこと」は失われますガーン

 

だからといって、

私たちの人生そのものが失われることがありません。

 

ワタシは自分が「いる」ことの意味、意義を

見出せるような人生を

送りたいと思っていますお願い

 

赤薔薇「愛すること」の方が、

「働くこと」よりも根源的である所以です

 

逆に「愛すること」に支えられていない

「働くこと」は…

常に敵に取り囲まれる

リスクにさらされていますガーン

 

失敗すれば、破滅する、

そういう不安にさられているからです。

 

キラキラ「働くこと」の小舟化

「愛すること」が「働くこと」に飲み込まれるガーン

 

現代は必死にサバイブしていないと、

いつ「いる」が奪われるかわかりませんショボーン

 

かつては日本社会が豊かであった頃は…

大船に乗船にしていれば、

不自由さと引き換えに、

安心の「いる」を得ていました。

 

今は「働くこと」から「いる」が失われました汗

それぞれが個人の単位で、

「働くこと」を設計し、

実践していかざるを得なくなりました。

 

「働くこと」は本来、

お金にならない「する」も含めていたものがショボーン

 

今ではお金と結びつかないものは、

無価値に見えています汗

 

キラキラ「愛すること」は飲み込まれやすく、

「働くこと」はお金とばかり

結びやすいガーン

 

赤薔薇「働くこと」とは、

何かの目的のために「する」こと

 

「愛すること」とは、

「敵ではない」と感じられる他者と共に

「いる」ことでした。

 

赤薔薇大切なのは、

この二つが鶏と卵のような関係にあったことです。

 

両方が存在していて、

きちんと相互作用していることが大切!

 

それなのに、

赤薔薇「働くこと」が小舟化するシビアな社会では、

「愛すること」が失われやすい

 

Q この小舟の時代に、

どうすれば「愛すること」を回復できるのかはてなマーク

 

Q 危険なものが一杯潜んでいる海で、

「いる」を確保するにはどうしたらよいのかはてなマーク

 

Q 危険なところもあるけれど、

そうじゃない部分もある他者と、

いかにすれば、一緒にいられるのかはてなマーク

 

◆人と人とは、

どのようにしてつながり、

関係を深めていくことができるのかはてなマーク

も考えていきたいですお願い