怒りを出すことに伴うリスクを避けようとするあまり、怒りを押し殺してしまう「怒り恐怖」の人ガーン
「怒り恐怖」に取り憑かれてしまうと、抑圧した怒りを反転させて自分自身に向けるしかなくなり、心や身体の病気になったり、自己破壊的行為に走ったりするかもしれませんショボーン

 

怒りというのは排泄物のようなもので、一定量お腹にたまると、どうしても吐き出さざるを得なくなります。しかし、心の中に溜め込んでいると、いつかコントロールがきかなくなって、キレてしまうことにもなりかねません。
 一方、怒りをドッチボールのようにぶつけてしまい、人間関係を破綻させてしまう人ガーン
どちらのタイプの人も、何よりもキレないようにするために必要なのは、怒りをうまく相手に伝えるスキル、つまり、「怒り方の技術」が必要になりますグッ

「怒り恐怖」の弊害
 しかし、怒らない「いい人」という自己イメージを保とうとするあまり、怒り恐怖からなかなか脱出できず、「怒らない技術」を身に着けようとする人は少なくないです。

普段の生活で欲求がすべて満たされることなどありえない以上、人間は何らかの欲求不満を抱くものであり、怒りや敵意をまったく感じずにいられるはずがないのです。

「怒らない技術」を使って、このようなマイナスな感情やありのままの現実を否認し続けていたら、どうでしょうかはてなマーク

 「怒り方」というのは意外に難しいですよね。あまり感情的にならず、人間関係を壊さないようにしながら、怒りを冷静な主張に変換して、怒りの原因になっている不満や要求を、きちんと伝えるためにはかなりの技量を要します。

 

そのためには自分の深層に何が潜んでいるのか、現状の何が問題なのかを整理して分析する力が必要です。また、ユーモアも持ち合わせていなければなりません。

 

この相手に対して怒って大丈夫か、この場でこのタイミングで、怒りを出すのが適切かどうか、一瞬で判断をする訓練を積まなければ、とんでもない事態を招いてしまうこともありますね。 


 そういうことは面倒くさいとか、それに伴うリスクを引き受けるのが怖いとかいう理由で、「怒り方」を身に着けようとせず、怒りを封印してしまう人が少なくないです。

 

「怒り恐怖」に罹ると目の前にある問題に目をつぶり、口もつぐんでやり過ごすことになりやすいです。少しでも口に出せば、喧嘩になってしまうのではないかという不安ゆえに、自分自身の感情を掻き立てるような問題が、存在することを認めようとせず、怒りを率直に表現することを回避しようとするからです。

 

こうして感情を抑圧し続けていると、怒りが「排泄物」のように溜まってきても、受動的攻撃の形でしか出せなくなります。

例えば、何か抗議したいことがあっても、重苦しい沈黙で応える、あるいは不機嫌そうに「疲れた」とつぶやくといった調子になりやすいです。

怒らない「いい人」でいようとしない
 自分自身の欲求を完全に無視し、自分が感じていることを否認してしまう人。

自分自身の欲求が受け入れられず、満たされていないことを押し黙ったままの人。

自分が何も言わないままで、事態が自然に改善することを期待している人。

問題を否認し続けるにせよ、誰かが勝手に解決してくれることを期待するにせよ、自分では何もせずに「棚からぼた餅」をじっと待っていることになります。

 おまけに問題と向き合うことを回避して、受け身のままでいると必ずイライラすることになります。自分の本当の気持ちを追い払わなければならない上、相手が自分の思い通りに反応してくれるわけではないからです。

そのため、「~してくれない」と愚痴をこぼすしかなくなる、いわゆる「くれない族」です。

 こういう人は自分が不当な扱いを受けていると思い込んでおり、なぜ、こんな目に逢わなければならないのか、という恨みを抱いていることも少なくないです。

 

しかし、それを率直にはっきりと言うようなことはしない。恨みも怒りも極めて微妙な形で、間接的にしか出さないようにすることによって、いい人、優しい人という自己イメージを保とうとしてしまいます。ただ、怒りを発散する手段は、受動的攻撃しかないのです。

それでも時間が経つにつれて、周囲の人との関係は徐々に悪化していく。もろもろの情報を突き合わせば他人を傷つけたり、大切な関係を壊したりしていることも感じており、場合によってはそうすることで自分自身の願望を叶えようとしていることもわかっています。

 

怒りは「排泄物のようなもの」である以上、全く外に出さずに生きていくことなどできないのは当たり前ですね。怒り恐怖が悪化すると、便秘が重症化して腸閉塞で苦しむような事態に陥るのです。

 少しでも批判されるようなことになってはいけないという思いが強く、すべてうまくいっているように外から「見える」ように取り繕う。自分の心の中に悪い部分があることを薄々感じていても、もしくは空虚感が一杯あっても。他人からの評価が悪くなるのを怖れるあまり、自分が辛い思いをすることも厭わないのでノーと言えない。

 

「いい人」に見られなければならないという、一種の強迫観念を抱えています。他人を傷つけることを怖れるあまり、率直に伝えることを避けようとするからです。

自分が怖れている自己イメージの崩壊
相手を傷つけたくないと言いながら、実は自分が傷つくのが怖いのではないでしょうか?自分の気持ちを率直に伝えることを回避しようとするのは、相手の怒りを怖れているともいえます。

 

その一因として復讐への恐怖があるのはもちろんですが、同時に自分自身の怒りが誘発されることへの不安もあります。そんな感情とは無縁であるかのように振る舞い、必死で隠そうとしているのに、相手の怒りに挑発されて怒りを出してしまうと、日頃の努力が水の泡になってしまいます。
 

だからこそ、もろもろの防衛メカニズムを駆使し、怒りを直接出さないようにして、怒らない「いい人」という自己イメージを守ろうとします。しかし、怒りを全く感じずにいられる人間なんて存在しえないです。
自分の大切なものを守るためには、やはり怒ることが大切だと思います。

「怒り方の技術」
しかし、怒りはただ出せばいいというものではないです。怒りを伝えることには当然リスクが伴うので、それを選択する以上、問題解決や状況改善に繋がることができるような技術が必要です。

 

もちろん、怒ることによって欲求不満を発散できればいい。うっぷんをはらせれば満足という人もいるかもしれません。しかし、それではかえって状況を悪化させる危険性もあります。

 

場合によっては、受動的攻撃による陰湿な仕返しをされて、怒りの連鎖に陥っていくこともあります。怒りを出す際に必要な技術を心得ておくことが欠かせません。

①自分が何に腹を立てているのか、相手に伝える
 怒る必要があると感じたとき、状況を改善したいのであれば、悪い感情として無視するのではなく、上手くいっていないことを伝えようとしなければ何も始まりません。つまり、「自分が何に腹を立てているのか」、「相手にどうしてほしいのか」、「明確に」そして「謙虚に」伝える必要があります。

「明確に」に伝えるのは、ちょっとしたことが大きな誤解を生むようなことになっては、困るからです。

 

怒りの原因になったことについて、「相手のどんな行動に対して」、「自分の解釈の仕方」、「自分への影響(困ったこと)」、「自分の希望」等を具体的に整理して伝える必要があります。

 

できるだけ、ノートや手帳に書き留めておくことは大事ですね。腹が立ってどうしようもないとき、書きしるすことによって問題点を整理できます。そして、瞬間湯沸かし器のようにならずにすみますね。


特に弱い立場にあって、怒りをなかなか伝えられないような場合、書くことで煮えくりかえる胸の内を少し鎮めることができると思います。また、そのうち怒りを効果的に伝えるための妙案が、浮かんでくるのかもしれませんね。

「謙虚に」伝える態度も大切です。侮辱したり威嚇したりするなど、もってのほかです。喧嘩を売るために怒りを出すわけではなく、あくまでも自分の希望を伝え、受け入れてもらうためだということを心づもりにしてくださいお願い

②相手の立場を考慮する
 自分が何を問題にしているのか、そしてどうしてほしいと望んでいるのかを伝えた後は、自分の言ったことを相手がきちんと受け止めてくれたかどうか、確かめる必要があります。

 

対立して緊張が高まっているような状況では、言ったことが誤解されやすいものなのです。相手がきちんと理解してくれたのかどうかを確認するために、「私の言ったことはわかってくれましたか?」などと尋ねてみるといいですね。

自分の気持ちをいったん伝えたら、今度は相手が何を必要とし、望んでいるのかを聞いてあげる番です。


相手が自分の話を聞いてもらっているし、配慮もしてもらっていると感じれば、問題解決の過程で協力してくれる可能性がかなり高くなるからです。

例えば「私の考えと希望を話しました。今度はあなたが何を不満に思っているのか、どうすればその不満が減るのか、話してください」と……。このとき大切なことは相手の話をじっくり聞くことです。

 

もちろん、それに対して疑問があれば質問してもいいし、違うと思えば自分の意見を述べて、お互いの不平、不満、怒りなど、率直に対話して初めて、解決への道筋が見えてくると思います。

③諦める=事実を明らかに見ることが必要 
 相手も自分も不満と要求を伝え合ったら、次にお互いが満足できるような解決方法を探っていくことになります。可能な解決策を双方が出して、どれが一番それぞれの期待や希望に沿うことになるのか、検討しながら交渉していくわけです。しかし、このとき忘れてはならないのは、望み通りの結果が得られるとは限らないということです。


 せっかく勇気を出して、怒りを伝え、時間をかけて話し合ったのに、実質的な状況が全然変わらないこともあります。自分の要求が通らず、譲歩せざるを得ないこともあるということです。

 

世の中には自分が絶対正しいと思い込んでおり、他人の言うことには一切耳を傾けず、自分のやり方にしがみつく頑固な人もいます。こういう人を前にしたら、「過去も他人も変えられない。仕方がない」と諦める=事実を明らかに見るしかないですね。

それでも決して無駄ではありません。

自分が相手に怒りの原因を伝え、理解してもらえるように努力し、両者がともに満足できるような解決策を探った経験は、怒り恐怖の呪縛から解き放つのに役立つからです。

少なくとも伝えたけど、だめだったということで諦めがつく。怒りをじっと我慢して腹の中に溜め込むより、精神衛生上ずっといいはずです。

 

第一、こうしてガス抜きをすることによって、自分が何よりも怖れている怒りを起こして、取り返しのつかない事態に陥ることを防げます。それゆえ、「怒り方の技術」は実はキレないために必要なことなのです。

怒りを自覚する 
 まず、怒りを自覚できるように、マイナスな感情を否認しないことです。怒りはぎりぎりまで我慢して辛抱しきれなくなってから出すようなことをしない。ゼロか百かではなく、中間の50~70くらいで出すように工夫するといいです。

 

日頃から怒りを出せるような人間関係を築いておくことも必要ですね。また、怒りを感じたのはなぜか?考えてみることも大切です。たいていの場合、根底に潜んでいるのは無力感かもしれません。


 このような怒り、そしてその根っこにある無力感は、「自分はもっとすごいはず」という自己愛的イメージに囚われて感じやすいものです。そうはいっても自己愛のない人間などいません。

 

大事なのは無力感を覚えたときも、怒りを否認せず、それも含めて自分なのだと認めてみる。人は怒り、敵意、恨み、憎しみ、やっかみなどのマイナスな感情を抱えていているのは、当たり前。「にんげんだもの。。」お願い