私のスピリチュアルストーリー2(家は安全ではない幼少時代) | ふらふらスピリチュアル 船と魚とわたし。ときどきヒーリング〜地球は遊び場〜

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矢印私のスピリチュアルストーリー1(母に殺されるという強い記憶を持って生まれました)

矢印私のスピリチュアルストーリー2(家は安全ではない幼少時代)

矢印私のスピリチュアルストーリー3(ポルターガイストに頻繁にあっていました)

矢印私のスピリチュアルストーリー4(誰も頼れないと思って生きていました)

矢印私のスピリチュアルストーリー5(なぜか辞められないスピリチュアルの仕事)

矢印私のスピリチュアルストーリー6(犬がきっかけで家族の絆が取り戻せました)

矢印私のスピリチュアルストーリー7(宇宙人との出会いがはじまる)

矢印私のスピリチュアルストーリー8(宇宙語を突然話し出す)

矢印私のスピリチュアルストーリー9(2011年3月11日がきかっけでチャネリングがはじまりました)

矢印私のスピリチュアルストーリー10(チャネリングで失敗した話)

矢印私のスピリチュアルストーリー11(スピリチュアル業界の裏と表)

矢印私のスピリチュアルストーリー12(人としての修行?もしました)

矢印私のスピリチュアルストーリー13(宇宙人はいるのか?)

矢印私のスピリチュアルストーリー14(赤血球リーディングができるまで)

 

 

小学校低学年くらいまでは、それほど大きな波風はなく私は暮らしていました。

 

 

小学校3.4年くらいからかなぁ、

バブルがはじけて父が社長をしていた会社の業績が悪化、常に倒産の危機にさらされるようになり

 

それがきっかけでもともと神経質だっった父親が精神病院へ入退院を繰り返すようになりました。

 

 

父は、お酒のせいや精神的な不安が暴力、DVにでるタイプで

父が家にいる時は、暴力がとても多くなりました。

お風呂の水に顔をつけられたり、ロープで縛られてたり、殴られたりと、しんどい時も多くありました。

 

DV男の典型です。 お酒ものまず冷静になると良い父だったり真面目だったりしますが

ひとたびスイッチがはいると大変でした。

 

 

また、当時父が会社で作った借金等が原因で借金取りが家に頻繁にきていました。

 

知らないおじさん達が複数でやって来て、大きな声でお金のことを話していました。

精神的に不安定な父が、借金取りの前で怒鳴ったり、パニックなったり。ということを見たり

父が不在の時は私も対応することもあり

玄関のチャイムと電話の音がとても不快に感じるようになりました

玄関のチャイム、電話=借金取り!

という図式が刷り込まれた感じです。

 

なんで私の家は普通じゃないんだろう?

 

ということをいつも思っていた気がします。

 

何も考えるのをやめよう。感じないようにしよう。という感覚が強くなっていった時期です。

殴られることが多かったので父にも殺されるのかもしれない。という絶望を抱えました。

 

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その同時期に、夢で頻繁に霊体になって、世界を旅する夢を見ていました。

その世界は美しく、涙がでるほど懐かしいような人物が私を美しい場所に連れていって見せてくれたりもしました。

世界中を霊体になって、空から眺めているんです。

 

ある日、とある場所で火事の風景が見えたので

必死に消そうと、空の上から手をかざして火事を消そうとした夢を見たのです。

 

その翌日テレビで、その場所で火事があったと知ったとき

「ああ、あれは夢じゃなかったのかもしれない・・・」と思いました。

 

私はおそらく幽体離脱をしていたのかもしれないなぁと気がついたんです。

 

懐かしい人物は、私のガイドのような存在だったのかもしれません。