久々の更新になってしまいました。

 

コロナ禍の中、世の中の価値観は変わって来ていると思います。

 

けれど、教育がなかなか変わらない日本。

教育は人間にとって大きな存在。

9年間もある義務教育。

ここで本来は生きる上で大切なことを学ぶのだと思います。

 

けれど、今の日本では

進学を目指すための詰め込み教育

管理し指導する没個性の教育の場になってしまっています。

 

トライ&エラーを繰り返して

人は成長するけれど

 

エラーをすると怒られてしまう場では

人はエラーを恐れて

思考停止に陥ります。

 

静かにしていれば怒られない。

余計なことをしなければ怒られない。

 

そうやって

本来持っているクリエイティビティを殺してしまう。

 

とても勿体無いことだと思います。

 

人はみんな違います。

違うから面白いし

違うから色々な学びがある。

 

得意なことも、学ぶ速度も、興味の対象も

みんな違うのに

なぜ学校では「みんな同じ」速度で

「みんな同じ」ことを強いるのでしょう。

 

私にはこちらの方がとても不自然に思えます。

 

 

皆さんは靴を選ぶとき

自分に合う靴を探しますよね。

どんなに見た目が素敵でも

足に合わなかったら辛いだけだから

自分にぴったりくる靴を探すはず。

 

少なくとも、合わない窮屈な靴は使いませんよね。

 

人生も靴選びと同じだと私は思うのです。

窮屈な靴を履き続けたら

いつか足は変形し、病も引き起こしかねません。

 

窮屈な場所でずっと我慢していたら

心はいつか限界を迎えてしまう。

 

日本の自死率が高いのは

教育や社会の同調圧力が高いゆえだと、国連からも警鐘を鳴らされているほどです。

 

欧米ではいじめはどんな理由があろうと

いじめる側が悪いと

厳しく指導されます。

いじめられているのに我慢している方がクレイジーだからです。

 

でも日本では

いじめ自殺があっても学校は隠蔽しがちで

不登校になっても

家庭に問題があると言われることもかなり多いのです。

 

先日開催した「教育ってなんだろう」の講演会でも

(講演会内容こちらに書いていただきました!)

(http://go-practcei.blog.jp/archives/1077891141.html

)

木村先生は

「不登校は学校が100悪い。どんな理由があろうと目の前で困っている子供に向き合えない学校側に問題がある」

とおっしゃっていました。

西郷先生も以前お会いした時に

「いじめは本人がいじめと感じた時点でいじめ。毅然と対処している」とおっしゃっていました。

 

そんな学校が増えたらいいなと思います。

 

そんな風に人と関われる社会になるといいなと思います。

 

世の中は広くて

木村先生や西郷先生のような人がいる場所は必ずあります。

 

あなたの今いる場所が窮屈ならば

ちょっと一歩踏み出して

他の世界を覗いてみてください。

人生はあなただけのもの。

他の人に決められるものではありません。

 

幸せになるために私たちは生まれました。

あなたが幸せに過ごせる場所はどこかにあります。

 

すぐそばになければ自分で作ってみてもいい。

 

自分に合った軽やかな靴が

あなたのそばにありますように。

 

 

今日が良い日になりますように。

 

未来を創る、サードプレイス

NPO法人 自由創造ラボたんぽぽ

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中学校での 不登校のお話会

https://ameblo.jp/cafetanpoposhonan/entry-12616762053.html

 

桜丘中学校レポートはこちら

https://ameblo.jp/cafetanpoposhonan/entry-12557805293.html

 

感覚過敏と不登校

https://ameblo.jp/cafetanpoposhonan/entry-12611216380.html

 

死ぬということ

https://ameblo.jp/cafetanpoposhonan/entry-12612383150.html

 

 

 

三大あるある、ゲーム三昧はこちら

 

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