みなさまへ

お元気でおすごしですか。

先日、コロナ禍以降の、オンラインを使っての講演や
ライブなどの取り組みが、月によっては、10万から20万前後に
なるようになったよ!
(ここから、共演のかたへの謝礼や通信費など、経費などを引いていくので、
自分の手元に残るお金は少しですが)
ブログに書きましたところ、

たくさんのかたが読んでくださり、

「障害をもつかたが在宅で、生活保護を受給しながら、
オンライン(ZOOMなど)を使って、働いている事例」
として、ジャーナリストのみわよしこさんに取材をいただきました。


2021年4月30日
「生活保護から脱却したい「車椅子の歌姫」が闘う、貧困の罠」
https://diamond.jp/articles/-/269622


「だっこさん、曝け出しすぎよ」
と、会ったことがあったり、直にわたしを知る友人知人に笑われるほど
暮らしのことやお金のことをわたしがこの頃
よく話しているのは

「多様な働きかた」って、きっと「障害を持つ人だけ」の問題じゃなく、

こどもさんのいらっしゃるお父さんお母さんや、

たとえばですが、生理が重いとか、それを会社に言い出すことができず、
ふるえるほどガマンして働いているとか、

特には女性なのかなと思いますが、「体力の無理」をしているのって
「障害当事者に限った問題」ではないんじゃないか、、、、という思いが、
私自身が年齢を増すごとに大きくなっているからです。

また、昔は、

「生活保護を受けるくらいなら死んだほうがマシ」

「生活保護なんて人様に恥ずかしい」

という人々の価値観、偏見も本当に強くあり、

ゆえに親子で餓死をしてしまうとか、「亡くなる時まで、困窮が見えない」事例も
後を絶ちませんでしたが

とくに、東日本大震災以降、全国各地で
「ちょっと昔とは、地球規模で変わって来ちゃったのかな」
と 不安を煽りたいわけではけっしてないのですが
思わざるを得ないような
大きな地震や 台風などの 自然や気象の災害が多かったり

そこへ来てのコロナ禍で

「本当に、きのうまでふつうに続くと思っていた人生が今日から変る」
ということって、
だれにでもあるんだよな・・・ ・・・・ということが、

障害のないかたの中でも、昔よりは多く共有されて、

あらゆるすべての障害のないかた、若い方を含めて、
生活保護をはじめとする福祉制度は

「だれでもが使えるもの」として

正しく認識をされなおしているように思います。

昔の時代はほんとに、
「あの人のうちはね、生活保護だから。あまり親しくしないほうが。関わらないほうがいいわよ。」とか、
「障害者ばっかり、ずりぃよな。どうせ不正受給してるに決まってるんだぜ?」と
【聞こえるように、陰口で言われる】とか
そういう、苛烈な仲間外れや、いじめのようなことを受ける人も、生活保護を受給している当事者のかたの中にはたくさんいました。

私にも本当に辛い時期もありました。

でも、やっぱり、
世の中には、「みんなおんなじ」じゃなくて「多様な人がいる」という認識や、

生まれ落ちたところの、身体や生育環境は ひとりずつ全員違う とか

【毒親】や【家庭内暴力】という問題
そこから逃げ逃れて生き抜いてきた人や

「大きな企業に雇用されたら、一生安泰。一生幸せ」という、
わたしたち(今30代~50代くらいの人達?)のお父さん、お母さん世代の方々の
価値観が、不景気の中で、今ではほぼなくなってしまっていること。

さまざまな状況から、今の時代を生きてきた人が
語り出すことによって

生活保護制度をはじめ、福祉制度は

「受給するなんて恥ずかしいもの」ではなくて

「だれでもが使えるもの」
「よりだれもが使いやすいものとして、柔軟に、仕組みを変えてゆくべきもの」
として、捉えなおされているように思います。

私が、みわよしこさんにはじめてお会いしたのは、
もう6年前!エッセイ「バリアフリーのその先へ!ー車いすの3.11ー」(岩波書店)を書いた
2014年夏のことで、
当時の状況を思い出すと、まだ、
「生活保護を受けている当事者本人が、(生活保護の当事者への差別やいじめなどの様子も含めて)暮らしや気持ちを書いたもの」
は、非常に珍しく、センセーショナルなものとして、みわさんにも応援をいただいたり、
新聞等でも取り上げられていました。

そこから、住まいのこと、地域の方々と15年間継続して取り組んだチャリティーコンサートのこと、
今回の在宅・オンラインでお仕事を(少し)はじめたよ!

と、3回の記事にしていただきましたが、

記事が一回進むごとに、

私の場合は、「ますます辛く、ますます苦しく、ますます困窮し、死ぬほうへ」ではなくて、
やじるしの方向が、
「いろいろなことがあるけど、そのときどき、できることはがんばって、生きるほうへ」
すすめているのではないかと、、、、写真の表情などを比べても、思っています。

そして、そこには、
(ほんとけっこう何件もわたし、「車いすで生活保護の人じゃああぶなくって貸せない」と、断られているので)
お部屋を貸してくださった大家さんからはじまって、

介助さんたち、ミュージシャンたち、
「コロナ禍においても、できることはやってみようぜ!」と

わたしを生きるほうへ、生きるほうへと、引っ張り出してくれる、
障害の有無を越えた、個人起業家の方々や、フリーランスで、イラストやデザイン、ファッション、被服など
いろいろなお仕事をしている個人のかた、、、
今は、女性でお仕事をもっているかたも、ほんとうに多いんですね、
「いまこの時代の中で、できることはなんだろうか」
と、常に考えて、

未来を見て、

生きて、動いていくかたの、存在があります。

これがね

「うちらもう生保に落ちちゃったから人生終わりだよねー」

「どうせ働いたって返金ばっかりで意味ないもんねー、なんもしないほうがましよー」
と、こういうだけの、価値観の人だけに、まわりを取り囲まれていたら、

たぶん、それがいいとか悪いとかじゃなくて

私は、人生が、「つまらなかった」だろうと思うのです。

そうじゃないところに行きたい。

収入額面がどうとかじゃなくって

たった一回きりの人生を、投げやりになって、放棄して終わりたくない。

少しだけ、結果が出せたことの背景には、
この思いに共感してくださる人へ、昔の時代よりは、今のほうが、声が届くようになった、
ということがあります。

返す返すも、わたしもがんばったけど、でも、一人ではできなかったよ。

だから、ブログを読んでくださったり、本を読んでくださったり、
「生活保護を受けているやつが音楽ライブなんていったいあのバカはなにを考えていやがる。」
と 一部の人からは1ミリも理解してもらえなくってバックステージでは実はけっこう泣いていた頃から

私を応援してくださったかたや そばにいてくれた人っていうのは

すっごいなー!!!!!!と 思っています。

わたし本名小沢っていうんですけど(一冊目の本はまだペンネームがなかったから本名で書いたよ)
「朝霧 裕さん」は、わたしと、
「こういう人が世の中にいたら、自分も少し生きやすくなるような気がする」
と 思ってくださった人達の 共同作業で作ってきたような気がします。

とにかく心から、みわよしこさんはじめ、出会い応援くださる方々へ、感謝しかないです。

わたしの夢は、
みわさんが、この、朝霧の暮らしのこと、だっこさん成長記録シリーズ(?)を
書いてくださっている間に、

2025年くらいまでのあいだに

「あの朝霧 裕さんが、歌の活動も、ゆめコンサートのあともずっと続けて
カーネギーホールで歌いました!!!!!」

という記事を 書いていただくことなのですが、、、
がんばります。

★これは、だっこ家の暮らしかたや、うたのこと、取材シリーズ★
2021年4月30日
「生活保護から脱却したい「車椅子の歌姫」が闘う、貧困の罠」
https://diamond.jp/articles/-/269622

2018年9月14日
「車椅子の歌姫が生活保護に支えられて掴んだ「自立」とは」
https://diamond.jp/articles/-/179749

2014年8月1日
住宅扶助は許されないゼイタクなのか?
“車椅子の歌姫”が強いられるギリギリの「住」
https://diamond.jp/articles/-/56948

★こちらは、わたしの記事ではありませんが、自分の中で、とっても印象に残っている記事。
たった5年前は、まだ、「生活保護のかたがエアコンを節電で我慢してたら亡くなった!!」
というニュースが、酷暑の中、繰り返し聞かれました。
「みなさん、酷暑ですから、エアコン、つけてください!」と、全国の市町村で
福祉課から通知が届いたり、ケースワーカーさんにお電話をいただいたりしました。
時代は変わりましたね。
より、だれもが、暮らしやすい社会になりますように。

2016年
「生活保護ならエアコンはつけられない」は本当か?
https://diamond.jp/articles/-/99296

 

今日もみんなが、無事に元気にお過ごしくださいますように。

 

朝霧 裕エッセイ4冊目。

車いすで体験した東日本大震災。介助者との生活、その家の中で起きた虐待の経験と再起。

【自分を生きたい】すべての人に届きますように。

 

 

 

身体と心に優しいお仕事つくりの話し専用LINE

 

CDがデジタル音源になりました。

 

 

 

 

みなさまこんにちは。お元気でお過ごしでいらっしゃいますか。

 

この絵はね、最終回 彩の国 ゆめコンサートのときに、盟友・パステル画家の辻友紀子さんが描いてくださった

記念の絵・ゆめたね船(記念CDの表紙にもなっております)

 

 

ずっとね、

「バリアフリー」について、考えていたのね、自分の中で。

 

バリアフリーについて、じゃ、私に語彙力が足らなくて、広すぎるんだけど、

「見たい未来について」

ずっと考えてたの。

 

この絵みたいがいいな。

 

それから、柚木ミサトさんが描いてくださった、わたしのエッセイの表紙絵。

 

 

この絵。

この絵みたいがいいな。

 

身体性を枷とせず、心の自由を持ってどこまでも、歌の歌詞で想像の空を飛ぶこと。

 

障害のあるなし、世代、住む場所、国籍、一切関係なく、

 

多様な仲間と、

 

「どっちの立場が上」

「どっちの立場が下」

という上下関係

 

「お世話する側/される側」の関係性しか

生きる上で選べないのではなく

 

それはもう 時代の中で うんと古い考え方だから

 

真横にね 隣に立って いっしょに行こうぜっていう仲間と

 

楽しさや うれしさや 喜びで繋がって歩みたい。

 

悲しみは 癒えるまで ひとりかふたりかだけの本当の友だちにだけ言って

あとは癒えるまで 誰にでもは言わないで 一人でいたいし

 

苦しみは 解決ができればいい。

 

わたしは

 

「人とのつながり」がなければ、身体的・物理的に、生きていけない。

 

まあ、それは みんなだれでもほんとうはそうなんだけど

 

私は障害のない人よりは

日常の中に できないことばっかりだから

人がいないと 日常の一日が 生き延びていかれない。

 

だからね

「つながりかた」をすごく考えるんだよ。

 

どんなことばで どんな伝えかたで

 

『どんな未来を見るために』

 

『どんな手段で』

 

だれと どのくらい どのように関わりたいのか。

もしくは、関わりたくはないのか。

 

どんなことばで

なにをどう話し

どんな行動をすれば

 

どんな明日が

 

どんな半年後が

 

どんな1年後が 来るだろうと予測ができ、自分でも強く信じられるのか。

 

・・・ ・・・って言いながら、明日大地震が来る可能性とか

地球規模の想定外は常につきものだけど、

 

でも

 

考えて 事に望むのと

 

完全に考えなしの無策の出たとこ勝負では きっと結果が違って

 

わたしはけっこう

 

「こういう未来を見るために、今、こうしゃべる」

 

というようなことを、すごく考える。

 

大切なことを、他者に伝えるときに。

 

それは、「顔色伺いをする」とかとはまた全然違って、

 

「より素敵な未来へと自分の身体を運ぶために

考えるべきこと」だと思ってる。自分に対してね。

 

この絵みたいな、今であり、未来へ着くために。

 

だれに、なにを、どう話すか、

 

どんな詞を どう書くか ものっすごく考える。

 

それで、

 

「怒り」は、

 

人が事故とかで亡くなったり殺されたりしたような内容のことへの怒りだけは別だけど

 

たとえば、障害を持っているゆえに日常下で起こることとかの中でも、

解決できる範囲のことは

 

話しあえて 聞きあえて

「じゃあ、今ここを改善するには、私は 今から 何をどうすればいいのか」

と 現状への解決策への歩み寄りができれば

 

できさえすれば

 

もういい と思ってる。

 

人が「怒り」に留まり続けるって難しい。

 

人が、っていうと、語弊があるな、「私」は、難しい。

 

怒りを、人とつながる手段としては使いたくない。

 

だって、それをしちゃうと 

 

「もっとやれやれ!!」と煽る人や

「お前が間違ってるぞ!!」「いやいや相手のほうが!!」と

争いをさらに大きくしたい人

 

「怒っている人ばっかり」をどんどん自分の周りに引き寄せて

 

最終的に自分が一番疲れるし、心も辛くなるから。

 

できるなら、

「怒り悲しみ」に、長く留まらないほうがいい。

 

世の中には、生活のうちの何かに不平不満があって

「ずっと怒り続けているけど、全然解決しようとはしない人」もいるし

「ずっと誰かの悪口を言っているだけで、一生涯を終わる人」というのもいる。

 

常に怒れる時事ニュースのネタを探して、SNSでいつ開けても怒っている人とか

もう別れたのに元旦那さんの(もちろん奥さんのという場合もあるでしょう)

悪口をお酒を飲みながら一生言いながら一生が終わる人とか。

 

いろんな人がいる。

 

そういう人生の時期だってあっていいけど

 

「でも、あの人、いつもずっと何年でも文句ばっかだよね。なのに、動かないし。」と

まわりの人に言われ始めると、いつか 本来味方であったはずの人も離れ始める。

 

私も、音楽が無かったら、人権は平等だけど身体性は不平等っていうことへの矛盾から来る

悔しさに負けそうになって

 

歩ける人への嫉妬や妬みも込みで、悲しく悔しいことがあったとき(昔家で虐待があった時)、

祟り神みたいになって、人生闇落ちで自分から棒に振ったんじゃなかな と いうくらい 

精神の正念場だった時期がある。

 

3年くらいの間、うつでお医者さんに通ってた時期。

 

だけど 何らかの差別で心を踏みつけられるような思いをしたことがあるとか

いじめに遭ったとか パワハラやモラハラに遭ったとか

DVに遭ったことがあるとか

物凄く 本当に物凄く辛いことがあったとしても

 

一生を同じ場所で終わるわけにいかない。

 

辛く苦しく大変なことがあったけど

 

ほんとうは どうしたかったのか

 

ほんとうは なにをきいてほしかったのか

 

どんなことばを 相手から聞きたかったのか

 

歩みよりの 余地があるのか そもそもそんなことはもう望まないのか

 

未来にも関わることなのか

 

とても苦しかったことだけども 「過去のこと」なのか。

 

自分が怒りの渦中にいる時には

「わたしも同じだよ。あなたのように私も怒ってる」と、

怒っている人がそばにいてくれるし

 

悲しみにとどまっている間は

「わたしも同じだよ。わたしもあなたの悲しみがわかるよ」と、

同じような悲しみや喪失を経験した人がそばにいてくれる。

 

でも 同じようなことを経験した共感者がそばにいてくれることは

どんな感情のときであれ 心が安心できる状態になるから

 

怒りの中 悲しみの中 同じ共感者の中にだけずっといると

 

段階を踏んで(幾年をかけてでも)

また 他の感情にも帰ってこれる人ももちろんいるけど

 

「わたしは、怒ってることが楽しい」

 

「わたしは、悲しんでいることが楽しい」

 

という心理状態から、永遠に帰って来られなくなる人もいる。

 

それは少し(すごく!)もったいなと思う。

 

できれば、限られた人生の時間の中で

怒ったり泣いたりする時間が多いよりかは、

 

笑顔でいられるような、楽しい、うれしい、喜びの時間のほうが、多い人生を手に入れたい。

 

そう肚から思った時に

 

「私の世界」を変えるには

 

「私が発信すること」を変える。

 

それしかない、って思っている。

 

何事も、

他人のことは他人のこと。

他人が決めればいいことで

「アイツのことムカついた!!」

「アイツもっとこうだったらいいのに!!」

と思っても

 

会って、話して、直接に話したのだけど喧嘩になっちゃった

みたいな 稀な場合を除いては(いや、それであってもなお。)

 

人生で変えられるのは自分だけ。

 

だから、

 

「(自分の思うところの)楽しさ」で 人と繋がりたい。

 

手段としては歌や詞で。

 

どんな人にも 心の闇とか(闇が無い人っていないわよ❤)

SNSにも書くはずもない、近しい人にも話さないほどの心の傷だとか

怒りや悲しみの他にも

「嫉妬、羨望」とかさ 「喜怒哀楽」の4つ以外にも いろんな感情がきっとあって

人様のそれをぜんぶ知るなんて 無理だし

 

他人を ましてネット上で知った気になるなんておこがましいことだと思ってるし

(「知った気になる」と「知る」は違うから)

 

だから 何か世の中に言いたいことがある みたいなときも

やっぱり

手段としては歌や詞で言うのが、私は、好きだ。

 

私がね、

私の世界を変えるには。

 

創作で人と繋がる。

 

「これしかない。」って

最近も思ったんだよ。

 

それでね、

『どんな未来を見るために』

 

何をどう書くか

 

物凄く考えるようになった、昔より。

 

叩かれるのが怖いとか、控えめに書こうとかじゃなくって

 

「これを書くための私の人生だったんだ。」っていう、歌を生む未来、っていうのを

わたしはいつも見たくて

 

いろんな活動を最近やっていますが

 

やっぱり「本当に伝えたいこと」って、講演もするしブログもこうやって書くけど

 

歌の詞、しかない、と改めて思っています。

 

その上で、絵で表現できる人を本当に心から尊敬しています❤

 

今日もみんなが無事でで元気でおすごしくださいますように。

 

著書4冊目。「自分を生きたい」すべての人に届きますように。

デジタル音源、ベストアルバム


過去CD(ミニアルバム)もデジタル音源になりました❤

 

 

特に障害や病気の当事者のかたや女性が

心と体にむりせずに、在宅で働くこと、生きる力を取り戻すためのお仕事つくりや暮らしの話し専用LINE

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさまへ❤❤❤

 

おげんきですか。

本日は、女性のフリーランスのかたや、個人事業主、副業としてご自身の作品(絵画、アクセサリー、被服、などなど)を

制作販売する多様な働きかたの女性たちの勉強会、

「自分ビジネス養成所」に参加しました❤

 

前回には、講師を務めさせていただいた場所です。

今回の講師はは、ジュエリーデザイナーのERINAさん。

 

 

 

わたしの講演も熱く応援をいただいて、

『車いすの友人の車いすを押したときに感じたこと』など、最高にすてきなブログを書いてくださったかたでもあります。

 

ERINAさんは、東京藝大→さまざまな画廊への挑戦→OL→夜のお仕事→ご結婚・ご出産→体調不良

今ふたたび、「自分のありのままの身心を解放し、自由に、制作し、販売をする」、浮世絵師、衣装デザイン、ジュエリーデザイナー

と、多様に大活躍するアーティストに・・・ ・・・。

もうね、大っっっ好きな人です!

 

ERINAさんの夢は、「アーティストがどうやって、芸術で、食っていくか?!」を、ご自身でも「アーティストの、お金と暮らし」に

向き合い、実践を重ねて、母校・東京芸術大学に凱旋をすること。

 

わたしの夢は、その日のERINAさんを見ること。

 

なんだかもうね、未来が見えますね!

 

わたしも、この頃、「からだとこころを楽にお金を稼ぐ」と、書いたりしていますから、

ちょっとだけ、ごくごく一部の人からは、

なんかへんな目で見られます(ーvー)

 

「歌や芸術はお金じゃないのに、お金、お金って言ってるぜ?」というふうに。

 

でもさ、わたし、「仕事」「働く」ということが、苦しい、苦しい、辛い、辛い、こんなに苦しいのに、

食うや食わずしか稼げない、

だから、生活保護の人がうらやましい、

っていうことが、もう何年来デフォで、女性だったら、生理がめっちゃ重くてお腹痛くても休めないとか、

 

まだまだ、「家事」「育児」は女性がやるもの、っていう価値観の男性が、わたしたちの世代にもいたりとか

やっぱり、いろいろ、おかしいと思うんだよね。

 

お父さんお母さん世代の、バブル世代とおんなじにとは思わないけど

 

働いたら、仕事をしたら、ちゃんと豊かになれる、

 

体力勝負がむずかしかったら、福祉制度を権利として利用しながら、でも、

捨て鉢にならないで、できるかたちで、仕事もできる、

 

なんか、辛い、辛い、苦しい、苦しい、不安、、、、って、それで人生が終わっちゃったら、

 

なんのために生きているのか?と思わない?

 

だれかが、変えなきゃいけなくて。

 

だれかが、結果として成功しても失敗しても、「試す」ことをしなくちゃいけなくて。

 

思うことは、その一念だけなんだよね。

 

ERINAさん、ご自身が、お金のことや、投資のことなど(経済学というのでしょうか)講座を受けて、学ばれて、

それを極めて安価に、みんなに自分が講師に立ってシェアします、と、宣言しておられたのですが

 

『わたしが、人柱になって』

 

とおっしゃったのだよね。

 

痺れました。

 

藝大って、「プロになるのは学校で1人か2人」って、ほんと日常会話として言われるじゃない?

 

「じゃあ、他の人って、その1人になれなかった人って、どうしてるんだろう?」って、思いますよね?

 

わたしはね、今、自分企画のチャリティーコンサートを、ゆめコンをやめたあとはしていないのはね

(趣旨・内容に対して絶対にチャリティーでの開催が必要だと思ったらそのようにやるけどね。)

 

自分と、そして「障害をもつ人の仕事と収入」というところに、向き合いながらすすみたい、と思ったからなの。

 

2016年に、障害をもつかたの当事者や家族の団体
「きょうされん」が、障害をもつかたやご家族、1万4745名に調査を行ったところ、
 

障害当事者の81・6%は年収122万円以下。
 

98・1%が年収200万円以下という結果が出ているのだよね。

で、わたしもここにいる。

障害年金なども、確定申告のとき、「(年金等の)収入」となるけど、

「じゃあいいや」じゃなくって

 

自分で生み出せた収入、いくら?」という部分では、122万円以下のところに。
 

「生き方がそれしかない」って、やっぱりおかしい。

 

でも、「今までのやりかたにあわせなければ」

「健常者のかたに体力でついていかなければ」

「それしかない」、と、思わなくてもいいのだったら、できることがあるかもしれない。

 

コロナ禍で、障害のないかただって、仕事を失う人が多い今で、

 

「このやりかたはどう?!」

「この生きかたはどう?!」

と 自分自身も生き延びて、さらに他者をも自由にするために、やっぱり、だれかが、試さなきゃいけない。

 

「仕事」。「働く」のイメージを変えたい。

 

そして、もちろん男性もだけど、特に女性、わたしの個人的な願いは、さらに特に、障害者病気をもつ当事者のかたが、

 

暮らしも不安、お金も不安、ぜんぶ不安、、、みたいな負の連鎖から、

 

一生、足元の床を見て死ぬような人生じゃなくって

「顔を上げて生きる」

どんなかたちでも、それができるところまで時代をもっていく、一人ではできないけどさ、

先駆者の方々と、わたしも、試行錯誤の、自分を使った人体実験を続けたい。

 

だって、何もしない人生より面白いから。

 

「仕事」「働く」のイメージを変えたい。

 

やりましょう!と言える仲間で、

できること、なにからでもやりましょう。(自分に言ってます。)

 

今日もみんなが、無事にげんきにいてくださいますように。

 

朝霧裕エッセイ4冊目

Amazon<社会福祉の本>ジャンルランキング1位

「バリアフリーのその先へ!ー車いすの3.11ー」(岩波書店)

表紙・挿絵 柚木ミサト/帯文 大野更紗/写真 桐生眞輔

「自分を生きたい」すべての人に届きますように。

 

 

デジタル音源、全曲無料試聴あり

 

こころとからだに無理なく働く
お仕事や講演つくり

 

 

 

 

 

みなさまへ❤❤❤

 

お元気でお過ごしですか(・v・)

先日は、【自分ビジネス養成講座】ゲスト講師講演、お聴きくださいました皆様、

本当にありがとうございました!!

 

参加者の皆様はたぶん、

「だっこさんが、生活保護を受けながら、講演等でお仕事をして、

在宅だけで、

収入が約20万円になったって!」

という、1月~3月のブログやFBを見て、きてくださったのではないでしょうか。

 

「楽しく、楽に、仕事する。」

「楽しく、楽に、お金を稼ぐ。」って言うと

 

「ズル」

「インチキ」

「騙されてるよだっこちゃん!そういうのって詐欺に決まってる!」

 

「できるわけない!!」

 

「あるわけない、そんな都合のいい仕事!」

 

って それはもう(!)アレルギー反応みたいに、目くじら立てて嫌う人がいるわけ。

 

でもさ、思い出して?少なくとも、コロナ禍のギリ前。2019年までを。

 

ほんとに、ほんとに、ほんっっっとに、障害をもつ人たちなんかさ、

仕事のオンライン化なんて、少なくとも10年は前からずーーーーーーーっと言ってたぜ?

でも、ぜんぜん、ぜんっっっぜん、なんなくて。

 

月金8時間、週40時間、一か月160時間。

雨の日も、風の日も、雪の日も、全っ部通勤。

 

それができなきゃ

 

落ちこぼれの、仲間外れ。

 

本当に、そういう時代だったじゃない?

 

健常者の、特には女性かな、女性だってさ

「お子さんできたら会社は辞めるんですよね?」っていう無言の圧とか。

生理が重くても、生理休暇取れない、取るの言い出せない雰囲気、とかさ。

 

そういう職場って、2,3年前まではそれが【ふつう】じゃなかった?

 

「かぜひいたくらいで休むな」とかさ。

 

でも、コロナ禍の中で、どう?

今。

今の時代に、

「ちょっと微熱があったくらいで会社休むなんて近頃の若いやつは弱いな」

なんて言ってさ、上司が言ったら、もうその人懲戒免職になるよね?!

 

【常識】って変わる。

 

だって、私、たった10年前だって、

「今のパソコンもう音楽CD聞ける開口部ないぜ」とか

想像もできなかったもん!

テレビ電話がもう「当たり前」とかさ。

 

たとえば、夢を叶えるのに、

クラウドファンディングも「もう常識」とかさ。

 

それと同じで、

「仕事は、苦しく辛いもの」という、「古い常識」を、

昭和から令和へ、上書き更新したかったのね。

 

あと「お金の話しは人前でしちゃいけない」とか「はしたない」とかさ。

そうやって、言ってる人ほどホントはお金欲しいって内心思ってるからね?(←経験則です)

 

知りたいことをお互いが言わないのって気持ちが悪いし

 

本音を言わないのって、気持ちが悪い。

 

だからね、わたしは

「辛く苦しいやりかたで、震えるほどガマンして、体をいじめて働く」ような働きかたと

 

「体も楽に、心も楽に、楽して稼ぐ」しかも、オレオレ詐欺みたいなんじゃなくてさ(←ああいうのは仕事じゃなくて犯罪です)

自分の講演やうたや、同じように考えて、やっていきたい人へのコンサルティング。

【好きで、楽しく、できること】でね、

人にズルイって言われても

 

わたしはこっちがいいから

 

楽しく、楽して、稼ぎます!

 

って 決めたの。

 

決めたらできたの。

 

大学出てない、(特別支援学校卒)

24時間介助の車いすユーザー

 

マジでほんとに 体力が赤ちゃん並み(ほんとうに)

 

このわたしができれば

だれでもできる。

 

今度はわたしが、みんなを、

【自分が見たい未来】に連れて行く!!!

 

って思ってね

 

お話をさせていただきました。

 

 

沖縄にコンサートで呼んでくださった主催実行委員長、優花さんの記事。

優花さんが、過去に、ご家族で生活保護を受給したことで人生を助けられた世帯当事者で、

そのときの、ケースワーカーさんにも、地域の方々にも、本当に助けられた。

 

当時があったから、現在の、精神的、経済的自立にもつながっているし、

「ギフトシェア」という価値観にもつながっている、と、書いてくだった記事。

 

それをリブログして、わたしも書いたのね。

 

「生活保護なんて、恥ずかしいことなんだから、人前で言っちゃいけないんだよ」

という意見もね、まだ、あったよ当時。

 

#生活保護は権利

ってハッシュタグできたのって、コロナ禍で、ものすごい人数の方々が

バイトや派遣切りとか、仕事の解雇とか、

飲食店が潰れたりして今困っていて

 

障害者だけ、とか、シングルマザーだけ、とかじゃなくて

「あらゆるすべての健常者を含む、誰もが使える制度」

として、知られたのって、まだ、去年だもんね。

 

だから、

「福祉制度って誰でも使えるんだよ?」

「福祉制度にお世話になるくらいだったら死んだほうがマシとか言っていじけていると本当に死ぬよ?」

いろんな啓もうを含めて

【生活保護は最高だ❤】というパンチが効いてるなーというタイトルで

優花さんが、まず、勝負に出たのだよね❤

 

(いや、ほんとに、今も尊敬しています。

3年まで、この記事、優花さんも書いて下さり、だっこも、公の場に、よく書いたと思っています❤)

 

いやはや、この時ね

激的に好かれたし 激的に嫌われたわよ。

 

でもね。

コロナ禍からね、この記事、落ちないの。閲覧数が。

「よく読まれる記事」みたいなところに、ずーーーーーーーーーっと入ってるのよ、

けったいなタイトルなのに。

 

それだけ、なにがしかの理由で、生活保護制度に興味を持ってくださっている人が

明らかに、増えているっていうこと。

ほんとにね、コロナ禍に被ってるんだ。

 

だから、これからも、

わたしは、ほんと、何年でも何度でも書くけど、

福祉制度は使っていいし

だれもが使える、権利だし、

 

その上で

 

やりたいことは、どんどん、大いにやればいい。

 

「生活保護になっちゃったからもうなにもできない」

「障害者になっちゃったからもうなにもできない」

 

ほんっとうに病気や障害の末期でできない人ももちろんいると思うけど

「いじけ」や「拗ね」でできないって言ってるんだったら

 

ほんとうに 後悔するのは 自分だよ?って 思ってる。

 

仕事が、月金フルタイム通勤で、筋肉・体力勝負だったら、わたしもぜんぶ

できないけど、

 

【自分に合ったやりかた】だったら、ちゃんとできることはあるし、

 

自分自身が

「できわけない」って、未来を放棄しなければ

 

だれかしらお客さまはいるわけ❤

 

わたしは、過去の自分みたいに

「会社の採用基準」に自分を合わせられなくて、

 

努力をしたけど

どうがんばっても無理で、

体調を壊したり

心を壊した経験がある人に

 

人生もうダメだ、もう絶望だ、、、って思ったまま死んでほしくない、っていう、願いを持ってるの。

 

だれよりも、私自身を、そうやって、信じて、助けたかった。

 

だからね、これからは、「自分ビジネス きほんのき」で、まだ月収何十万円とかじゃないけど、

 

「わたしは、ここから、やっていく。」

 

っていうかたのコンサルティングもしてゆきます。

 

「わたしの仕事はわたし自身」

ここから、いくぞ!という、

本気のかたとつながりたくて、

歌の活動とはわけて、

特に【自分ビジネス】や、在宅でのお仕事(特に、講演、コンサルなど)を作っていきたいかたへ向けての

講演や長期講座のご案内のため、公式LINEを作りました。

だっこコンサル公式 LINE はこちらから(文字をクリック)

 

ぜひご登録いただけたらうれしいです。

 

また、自分ビジネスや、特に体力のないかた、障害や病気の当事者のかたの

新しい働きかたを、ともに考えたり、伝えることをテーマとする

単発講演についても、企画をしてゆきます。

 

仕事=辛く苦しく大変なもの、体力がない人は出来ない、

 

というこれまでの常識を

 

私達で変えてゆきたい。

 

今日もみんなが、無事に元気にいてくださいますように。

 

 

 

 

 

皆様へ❤❤❤❤❤

オンライン映画上映会の受付の次は(!)

講演です(笑)。

 

いや、トークショー?!

 

座談会?

 

公開ふたりおはなし会。

 

すごいでしょ?!

 

ねえ、すごくない?

 

きのうまでわたし映画会の受け付けの中の人だったのに

あした 本番よ!(笑)

 

でもね、さすがにゆうべいっしゅん心配になってね

ちえみさんなにをしているかしらとおもってね

 

いっしょに入っていたグループメールをあけたらね

主催の長・ちえみさんは気球にのってシャンパンのんでたの❤(笑)

 

 

あー、わたし、この人だから話したいって思ったんだわ、と

思ったよ❤

 

だって人生一回だもん

やりたいことやっていいじゃん、ね?

 

【がん患者】と呼ばれたことがあるちえみさん。

彼女は、乳がんの経験者。

 

【難病患者】と呼ばれることもあるわたし。

 

気球にのったりうたうたったり

講演したり なぜかふたりともが上映会の受付しながら

 

(しかしなんでわたしもほぼ同じタイミングで

やることになったんだかいまも不思議よ!笑

ちえみさんの上映会が先に決まっていたから

わたしはそのあいだ、このトークの宣伝係りを

自分でやろうと思ってたのに。)

 

でもやっぱりこのトーク

ほんとなんにも準備してないんだけれども

中止にしなかったんだよね。

 

で、あした本番❤❤❤

 

だから、

すてきなお話しができると思うんだ。

 

それは、いったいなぜか、どういうわけか、

「自己信頼」と、比例して、お互いが相手を信頼できるから、

成り立つ

自分と他者への 信頼感。

 

わたしこれ、なーんにもひとつも不安要素がないし

なーんにも心配してないし

ぜーったい、楽しく しかも最高に終わる って 思ってるのね。

 

ふしぎだよねえ、わたしまだオンラインでしか

ちえみさんに会ったことがないのよ?!

 

会ったのだって、なんなら去年。

 

時間的な付き合いの期間はまだごく短いよ。

 

でもさ。

年数じゃないんだ

距離でもない。

 

それに

根本的には「患者同士」だからってわけでもない。

 

でも

ちえみさんがちえみさんだから。

 

朝霧 裕が朝霧 裕だから。

 

あえて、言う。

 

【がん経験者と

希少難病当事者が語ります。】

 

… …わたしたちは、自分たちが発するこの宣伝文に飲まれない。

 

だってだって

【患者】だってさ

名前で呼ばれたいよね。

 

もうさ、そういう、時代じゃんか?

 

生きるとは?

 

死ぬとは?

 

楽しむとは?

「今を、生きる」とは、なんだ?

 

 

あそびをせんとや

うまれけむ。

 

これは「遊び」だ。

 

わたしたちの。

 

 

ふたりであそびます。

 

YoutubeとちえみさんのFBに連動します、

ストリームヤードから話すよ❤

 

ちえみさんとだっこのファンのかたは

お聴きくださればうれしいです。

 

★★★語り手ふたりをご紹介★★★

◆CHIEMIさん(体といのちを癒すセラピスト)◆

出身地 長野県

現在は長野県松本市で8歳になる息子と二人で暮らしています。

長野県中部北アルプスの麓の安曇村(現在は松本市安曇)で生まれ育ちました。

子供の数も少なく、小中併設の学校で幼なじみたちと兄弟同様に育ち、高校からは親元を離れ、それぞれ一人暮らしとなりました。

 

なかなか環境についていかれず、過度に人の目を気にして、心の引きこもりになり始めたのはこの頃かなと思います。

友だちがプレゼントしてくれた本『あなたは絶対運がいい』がきっかけとなり、

見えない世界に大きな関心を寄せるようになりました。

それからというもの、バッチフラワーレメディー、

フィジオセラピー(自然療法)、東洋医学に基づく整体、

脳科学に基づくコーチング、がん哲学、訪問スピリチュアル、

など、興味の赴くままに、学んできました。

 

けれど、当時は、お仕事にしていく根性がなく、働きながら、インプットだけしていた感じです。

転機となったのが、30歳の時の未婚での出産(お相手のいる方だったので)、

それから2年後の乳がん発覚ですね。自分の意志を貫く覚悟が試されました。

 

そのあたりから、どう生きるかが私の中で大きな関心事となります。

その後出会う「がん哲学」をきっかけに、私の住む松本でがん患者さんの語り合いの会を主宰するようになり、丸3年となります。

 

がんの悲しみはある程度理解できるけど、それよりも本音や自分らしさを押し殺して、

肉体の命にばかり執着して生きている姿をみるのが、私には悲しく、耐え難く、

「もっといのちや魂の輝きを解放したい」と思うようになりました。

 

それでも、日々の生活をしていかなきゃいけないのはがん患者も一緒で、

体と生活、その人らしい生き方を、それぞれよくしていくにはたくさんのハードルがあります。

 

病気や障害があっても、むしろ、経験やその人の内面を社会的で、金銭的な価値に

変換できないものかと思っていたときに、八木さやさんの自分ビジネス講座開催を知り、

ダメージを受けた体でも死ぬまで働きたいと思える働き方を作ろうと、自分の繁栄はもちろんだけど、

がん患者さんの働き方改革のひとつの見本を目指して、自分ビジネスに取り組んでおります。

 

今までインプットばかりだったけれど、振り返ってみたら役立つことばかりで、

私の命はちゃんと導き通りなんだなぁと感じています。

体の楽と自分の欲をベースに、

本音を大事にできる生き方をサポートするサービスを展開していきたいと思っています。

 


◆だっこさん(シンガーソングライター、作家)◆

朝霧裕 1979年埼玉県生まれ。愛称は「ダッコ」。

進行性の筋肉の難病ウェルドニッヒ・ホフマン症のため,車いすの生活。

重度訪問介護を利用し、24時間の介助サポートを得て、さいたま市にひとり暮らし中。

シンガーソングライターとして、コンサートやライブ活動、学校講演を行うかたわら、エッセーを執筆。

「障害の有無、世代を問わず、誰もが輝ける社会」を夢として、書き、語り、歌う。

 

後に続く、障害をもつミュージシャンやパフォーマーに大きく影響を与え続けるパイオニア的存在。

 

近年は、コロナ禍の中、オンラインでのライブや講演にも取り組む。「現在、生活保護を受給しながら、

在宅でできる表現活動で仕事をしています」と、生活のことも隠さず語り、

生活保護受給当事者へのネガティブなイメージをぶち破るとともに、

より多様な、じゅうなんな、生活や仕事、生きかたを含む、バリアフリーな社会への提言。

「体と心に優しい働きかた」を提案し、体現する、講演講師としても活躍中。

 

著書「バリアフリーのその先へ!車いすの3.11」(岩波書店)他多数

 

 

 

皆様へ❤❤❤❤❤

 

お元気でいらっしゃいますか。

 

昨夜には、映画「逃げ遅れる人々ー東日本大震災と障害者」(飯田基晴監督、東北関東大震災障害者救援対策本部制作)

オンライン上映 そして、それをふまえてのZOOM交流会。

 

ご参加くださいました方々、

お仕事で参加ができないけど応援していますとメッセージをくださったみなさま 本当にありがとうございました!

 

この企画、3月の一週目に、Youtube収録時に、DVD版でわたしが持っていた同映画を

ちょっとご紹介したところから、

「オンライン上映会、やろうよ!!」と綾ちゃんと話しがはじまって、

まず、制作である、救援対策本部の事務局様、次に飯田監督。

監督とご連絡が取り合えたのは

今年、3月11日の夜でした。

 

ので、映画のアドレスをお申込みの皆様にお配りし、(メールでね、)

ZOOM交流会まで、準備期間は、14日間。

 

映画には、50名のかたにお申込みをいただきました。

 

昨夜のZOOMでは、16名の皆様にご参加をいただきました。

 

車いすユーザーなど見える障害、外見では見えない障害、

障害をもつ当事者のかた

障害をもつこどもを育てるお母さんたち

今回はじめて参加してくださった、障害のない同世代のかた

車いすの市議会議員さん

認知症のかたへの理解を広める活動をなさっているかた

それぞれの立場からの、日頃からできる、

防災、地域交流、バリアフリーな社会づくりへの、思うこと、、、、

とても1回では語りつくせぬ

思いを参加者のおひとりずつがそれぞれに持ちより

わけあってくださいました。

 

また、飯田基晴監督もご参加くださり、映画を撮影した当時のこと、

障害を持つ方々の防災、災害時支援対策などをふくめて、震災後10年で変わったこと、たくさんお話しくださいまして

心より感謝の思いです。

 

「話したいこと、聴きたいことがまだまだあって、

後ろ髪引かれる思いです」

「勇気を出して、参加してよかった!」と

メッセージをくださったかたもいらっしゃり、初挑戦でございましたが、やってよかった!

 

綾ちゃんのポジティブシンキング、

監督と参加者のみなさんの大きな愛で、無事の開催

ほんとうにうれしかったです。

 

だれかのために、とか、社会のために、とか、

と思ったわけではけっしてなく

 

映画を最初に一回目見た時に

「これはぜんぶがわたしのことだ」

と思ったから。

 

そして、この震災10年の節目に

今また、大きな地震が増えていること、、、、。

 

これは、今、わたしや綾ちゃんが、やるべきことだな、と思う、

自分のカンを信じての開催でした。

 

みなさまからの投げ銭は19000円になりました。

今回の投げ銭は、全額を、飯田基晴監督はじめ、

映画「逃げ遅れる人々ー東日本大震災と障害者ー」

制作チームの皆様への寄付とします。

 

今回の1回だけで

はいさようならとするのはあまりにも

もったいないので、

ぜひ今回ご参加のみなさまが

次からは

なにかテーマ性のある企画をやるぞー!というときに

綾ちゃん・だっこを支える仲間によろしければ加わっていただければうれしいです。

 

また、もし、

「綾ちゃんとだっこを疲れさせまいと

遠慮して言えなかったけど、どうしても映画本編が

見られなかった」

というかたは、facebookメッセンジャーか、

ストアーズのお問い合わせから教えてください。

 

今日が、また、バリアフリーな社会づくりの種となって

それぞれの日常に生かされることを願い止みません。

 

今後も、

Youtubeyチャンネル「綾子とだっこのささやきトークショー」では、

「これは、他のだれかがやってくれるのを

ただ見て待ってるんじゃなくって

【わたしたちが】、やるべきことだよね」

と感じるテーマに対して、

Youtube

ZOOM

ときどきは生のステージでの音楽ライブ、

コロナ禍の状況を考えながら、

できる形で、

色々な企画をしてゆきますので、

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

また、朝霧裕個人では、

今後も(なんと明日よ!!!!!)対談がございましたり、

 

「だっこさんの、生活保護を受給しながら、

できることでお仕事をしています、という、

車いす在宅での仕事の話をもっと聞きたい!」

というかたの為に講演の内容を考えたり、

 

わたしにしかできないこと(語り得ないこと)。

 

仲間といっしょにやるときは

【わたしたちにしか、できないこと】

そこに重きをおいて

発信、表現をしてゆきます。

 

「はーい!わたしも一緒に、やるやるー!!」という時が来たら

巻き込まれていただければうれしいです❤❤❤❤❤

 

今日もみんなが

無事に元気にいてくださいますように。

 

 

【この記事は、特にシェア応援いただけたらとてもうれしいです。】

 

みなさまこんにちは!おげんきでおすごしですか。

去る3月11日は、綾子とだっこのささやきトークショー

【障害者と震災体験】。

 

 

お聴きくださいました皆様、本当にありがとうございました!!

 

震災の日、女性介助者1名と池袋駅で震災に遭い、

駅構内エレベーター全停止の中、

移動困難と帰宅難民を経験したわたし。

 

ご家族と有明水族館にいて、「津波が来るかもしれないから、高いところに逃げてください」との指示に

「走って逃げられない」という思いを体験した綾ちゃん。

 

そして、震災のその日その時、埼玉の家に一人でいて、

ご家族が1型糖尿病の当事者のために、

「いざのとき、どうやって、インスリン注射を持って出られるか」

「這ってでも外へ逃げろというけど、できるのか」

震災後に、ご家族と真剣に何度も家族会議をした、というかずよちゃん。

 

3人それぞれの震災体験を語りました。

 

わたしも、震災の日を思い返すと、大きな揺れに伴い、エレベーターが全て止まり、

駅の非常口までの階段を駅員さん6名に、御神輿みたいに車いすを担いで、

踏みしめながら、上がっていただいたこと。

「今、余震が来ませんように、、、」と階段を上げて頂きながら、祈ったこと、

池袋駅から赤羽駅まで4時間かかったバスでの帰り道。

長蛇の列を、「お先にどうぞ」と、譲ってくださったかたがいたこと、、、。

非常時の恐怖も、その中でも、助けてくださった方々の、複数の手があったこと、

時がすぎても、忘れられません。

 

また、あのとき、

「茨城にいる、画家の辻 友紀子ちゃんは、人工呼吸器、、、停電で、

呼吸器が止まっちゃったのじゃないか、ゆきちゃんは生きているのか」

往来の中、目の見えないかたが、杖で、駅員さんに付き添われて避難路を目指すのを見て、

「目の見えない人、耳の聞こえない人はどうしているのか」

「仙台の、ありのまま舎(お世話になった社会福祉法人)のみなさんや、友人は?」

と 一度期にたくさんの友人の顔が胸に去来したこと。

 

震災のことは、たくさんの方が亡くなった辛い出来事でもあり、

「もう思い出したくない」というお気持ちの方もたくさんいらっしゃると思いますが、

先月から、関東でも、震度4から5の地震も起きており、

 

わたしたちはわたしたちのできることを

 

災害時 ひとりでは一歩も動けない当事者として、見える世界を語っていこうと

あらためて思いました。

 

もしそれが少しでも 日頃から 障害をもつ人や

有事の際にハンデが大きな人が、日頃から、地域社会に認知されて、

生きやすくなることにつなばればと思うばかりです。

 

また、この放送を機に、私達としてははじめて、オンラインでのドキュメンタリー映画上映

「逃げ遅れる人々ー東日本大震災と障害者ー」(飯田基晴監督:東北関東大震災障害者救援対策本部制作/74分 日本語)

と、映画の感想や、日頃から、障害をもつ人もふくむ、防災・減災のアイデアなどを自由に語り合う

ZOOM交流会を企画しました。

 

少し急ではありますが

「この震災10年の節目の3月に、やろうよ!」

という、湧き上がる気持ちに任せ、小規模でも開催することに決めました。

 

●本編の映画は、飯田基晴監督さんにもご相談をいたし、

3月24、25,26日の3日間、vimeoにて、いつでも視聴可能のアドレスを。

 

●3月25日夜8時から9時半まで、上映を踏まえてのご感想などを語りあうZOOM交流会のアドレスを

お申込みのかたへ併記してお送りいたします。

 

参加費は、無料、投げ銭制です。投げ銭は、500円よりお受付。

通信費等経費を除く、純利益は、映画製作者の皆様への全額寄付と致します。

 

お申込みは、投げ銭応援をいただけるかたはこちらから↓

オンライン上映&シェア会「逃げ遅れる人々ー東日本大震災と障害者ー」

 

その他、お申込みは、yuhasagiri★gmail.com(★を@に変えてください。担当 朝霧)まで

お願いいたします。

 

FBをやっていらっしゃるかたは、朝霧 裕のFBメッセンジャーでもお受付いたします。

 

「逃げ遅れる人々ー東日本大震災と障害者ー」公式HPはこちら。

 

映画は、特に東北の、地震、津波、原発事故を

生き抜いた方々の証言集ですから、

 

けっして楽しくてハッピーな内容のものではありません。

胸に迫り、見ていることが辛く苦しいという場面もあります。

 

ですが、震災の中、障害当事者が、いかに亡くなり、いかに生き、そして震災後に、

全国のCIL(障害をもつかたの一人暮らしや仕事などを支援する、障害をもつかたが主体となって運営する自立生活支援センター)の

方々や、支援者がいかに立ち上がり、個人の声をつなげていったか。

最後には、

 

「辛かったですね」「苦しかったですね」という感想のみにはとどまらない

 

ひとりずつの、個人の生命の奥底にある、生きる力を呼び起こすような内容も含まれていると思っています。

 

また、

「もし、妊婦さんだったら?」

「もし、小さい子を3人つれた、お父さんやお母さんだったら?」

「もし、自分の、80代、90代の、高齢の、お父さんお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんだったら?」

若い障害当事者だけでなく、障害をもつかたの困難は、

いろいろな立場のかたへきっとリンクする一点があります。

 

「映画をふまえての交流会」というものは、わたしも人生初めての企画であり、体験ですが

企画のパートナー小澤綾子さんはじめ、障害をもつかたや、家族の声の「小さな個人の声」を

これまでには障害をもつ人とふれあったことがないような多様な方々や、

ひいてはマスメディアなど、広く、つながるべきひとへ、届けること。

 

この今を、共に生きる仲間を増やすこと。

個人レベルで、やっていけたらと願います。

 

応援いただけますかた、また、当日のZOOM交流会の様子や、告知を

取材くださるメディアのみなさま いらっしゃいましたら、ご参加いただけますように、何卒よろしくお願い申し上げます。

お申込み、締め切りは3月22日24時といたいsます。

 

ZOOM交流会のほうは、3月25日 夜8時から9時半。

みなさまにお会いできますことを、

本企画、パートナーの、歌手・小澤綾子さんといっしょに、

心よりお待ちいたしております!

 

感謝をこめて。

 

朝霧 裕

 

 

 

 

 

皆様へ❤❤❤❤

先日は、お話し&シェア会「自分ビジネスきほんのき~一番遠くのわたしへ~」

お越しくださいましたみなさま、本当に本当にありがとうございました。



 

3回シリーズ通して、自分が心に芯を通していたことを

参加者のCHIEMIさんがブログに書いてくださいました。

 

CHIEMI公式ブログ

『それでも、この人生がかわいくて』より、以下、ぜひ読んでね。

もうね、一部分抜粋とかしないよ、だって全文読んでほしいんだもん。
CHIEMIさんは、がんという大きな病気のサバイバー。

 

「がん患者」という【括り】と

「障害者」という【括り】。

 

わたしたち

 

それぞれに 名前で呼んでほしいよね?

 

そんなことを、以前にお話ししたな。

来月ね、一緒にイベントをやる予定だよ。


これは2回目のときのご感想。

本も読んでくださり、嬉しいです。

こんあんこさん。


私たちの希望の光


 

こんなにこんなに、お話をメモに書き出して

思いをかけて聞いてくださった参加者のかたも。

これ、この1枚じゃないんだよ。

A4ノートに2頁に渡ってめいっぱい。

、、、もう、ほんとに、一言一句、聴いて下さり、、、、これもう、これって、

「わたし」じゃん、参加者さんの、心の中が。

 

本気で話したから

本気の人が来た。

 

こちらは、ずっとずっと、音楽を愛する仲間として

わたしを支え続けてくださっている歌手のツダユキコさん、公式ブログ。

【わたしたちだからこそ】。

 

講演の副題

1回目「私だけが幸せに、なっていい」

2回目「私だけがお金持ちに、なっていい」

3回目「一番遠くの私へ」

特に2回目が、過激と感じたかたもいて(?)

 

前回の「どんなファンにいてほしい?」の

書きたいことをぐわっと書いたブログを上げた次の瞬間、

オンラインストアがバーンと閉じてしまったり❤

 

ハプニングもございましたが

 

お店の入り口が無い(!!)にもかかわらず

なんとしても、とたどり着いてくださったみなさま

 

すぐに、お客様への対応をアドバイスくださったみなさま

 

心より、感謝の想いです。

 

わたしはね

 

当たり障りのないことば

 

誰から見ても優等生

 

【みんな】に【それなり】に好かれるけれど

 

『本当のファン』はだれもいない

 

そういう「なんとなくの一生」はもう嫌なんだ。

 

歌の活動だっておんなじ

 

どうせインディーズなんだから

 

自由に書いて

 

自由に歌いたいよね。

 

それができなかったら

なんのためにやってんの?って思う、自分に。

 

窮屈に苦しく辛く生きるためにじゃなくて

 

自由に楽しく生きるために

 

生きる喜びを知るために

 

私は生まれてきたから

 

だから だれがなにをやったところで賛否はあるでしょうが

 

いつまでも猫被ってないで(←過去のわたしに言ってます)

 

ほんとうのことばで

自由に話す

だっこさんのことが好き!

 

と思ってくださる人に対しては

 

絶対に応えたいと思っているし

 

何よりも

第一番に

私は私に応えたいと思ってる。

 

今回の講演は、できたと思う。

 

放てたと思うよ、わたしのことば。

 

応援くださいました皆様

この場をともに作ってくださいました皆様に、

心からの感謝をこめて。

 

どうぞこれからも

だっこ教 いやだっこ狂

いや だっこ鏡だな

みんながね わたしの鏡でいてよ?!

 

ええもちろん

わたしもだっこ狂です❤

 

車いすで体験した東日本大震災。

介助者たちと暮らす家の中で起きた虐待の経験。

「自分を生きる。」といま願う

すべてのあなたに、届きますように。

朝霧 裕、魂のエッセイ。

【バリアフリーのその先へ!ー車いすの3.11ー】(岩波書店)

 

 

みなさまこんにちは!

お元気でいらっしゃいますか。

 

なんかね ふと ほんとに「湧いてきて」と「降りてきて」の感覚がつながって

 

だってほら ゴロがいいしね

 

2月22日の午後2時からなにかやりたい(・v・)と 決めまして。

 

それで、でもなにやろう、って思ってたとき、

1月開催の「自分ビジネスきほんのき 2-私だけがお金持ちになっていいー」

のご感想を、ブログやメールで本当に幾人ものかたからいただきまして(;v;)

 

うれしくってうれしくって、この波にのっていくことにしました。

以下にお話し&シェア会、開催します。

「自分ビジネス きほんのき3ー一番遠くの私へ」。

 

今回は、自分ビジネスを愛する同志でもある、

現在、ビジネスコンサルを特待生で受けさせていただいております

渡邉いつきさんからの学び(「自分の声」を、粘り強く、遠くへ、拡大させるための意識付け、コツなど)を

入れて、ちょっとだけスピ的な内容も入る部分もありで

お話しします。

 

このブログタイトル、たしか、自分ビジネスの創始者である、

実業家でアーティストの八木さやさんが、まず書いていらして。

 

わたし、見てからというもの、

講演やライブをやるときに、他主催さんのものでも、自分で企画をしてやるものでも

必ず、自問自答するんですよね。

 

「どんなファンにいてほしい?」って。

 

わたしはどんなファンにいてほしい?

心に聴くとね

 

自分でもぞっとするほど

冷たくも聞こえる答えが、まず、出てくるよ。

 

いいね専門員は要らない。

 

と。

 

SNS上だけで、

ファンです(^^)って口だけで言ってくれるけど

ライブは来ない 講演来ない CDも本もいっぺんも買ってくれない

そういう人ほど

 

「個人的にお会いしたいです(^^)」とか

「個人LINE教えてもらえませんか」って 言うのですよね

 

でもそいういう人に「囲まれちゃってる状態」のときって

思い返すとどっか自分も媚びてるんですよね。

 

感謝をしてる、んじゃなくて、謙虚さでもなくってさ

『自分が』

「もうだれでもいいから来てください」っていう、売り方をしてるわけ、ライブのチケットとかを。

会場費が払えないとか、

歌を聴いてほしいよりむしろでかくなってしまってる「お金払わなきゃ」っていう理由で。

 

でね、そうすると

「この人困ってそうでかわいそうだから助けてあげたい」

っていう人は 来るわ。

わたしなんて車いすで舞台に出てきて

生活保護の当事者ですってエッセイとかブログに書いてて

 

だから自分が

ストロングポイントを間違った場合には

 

かっこうの、この上ない、かわいそうキャラだわ。

 

「かわいそうだから応援してあげたい」

いっくらでもくるわ。

 

でも「それだけ」になるのよ。

 

一生人に媚びてないといけなくなるの。

 

自分で過去に

「わたしは人様にお世話にならなければ生きていけないのだから」

という理由で

自分を下げて 下げて

なんにも動けなくなっちゃったし

「自分が招いた、いてほしくないファン」と引き寄せ合っちゃったり

 

(今更だけど、引き寄せの法則って あるよ。

むしろ、引き寄せでしかない。マジで。ほんとうに。)

 

大失敗もさんざんしてる。

過去振り返りや 内観すると

もう、痛いって痛いって!

 

よくあれいい子ちゃんやってたなー

よくあれ生きてたなーあのとき

自作自演で よく耐えて

なにやってたのかしらホント、、、、

 

と思う 人生の時期って あるんですよね。

 

でもね

 

それが わかったら

 

次に行くしかないじゃない?

 

わたし、ただただ だっこさんが好き!!!

だっこさんのお話しが聴きたい!

もうなんなら

「だっこさんについて行きます!!」

っていう人に だけ いてほしい。

 

それ以外の 障害とか生保とかそういった話しは

ほんとうに必要な人に対しては

隠さずどんどんわたしはするけど

 

「だからきてぴょん」

「わたし生活苦しいのぴえん」

とか言って

それで 人に来てもらったってちゃんちゃらおかしい。

ばっかじゃないの?

と 思うわけ、ほんとーに。過去の自分に。

 

で、ある日突然人格が変わったわけじゃなくって

もともとわたしはこういう人間だったけど

 

でもさ どっかに

「ライブやるのに会場費が心配だから

だれでもきてくれ」

っていうやりかたをしている自分って、いたんだよ。

「人に媚びてる自分」って いたんだよね。

 

もー痛い。

ほんとに痛い。

 

穴があったら自分の背中を蹴り飛ばしてぽーんて入れてやりたい。

20代から30代前半くらいまで。(長い、、、、、。)

 

でもね、八木さやさんの生きかた、ありかたを見て、

 

あと、自分が、引き寄せの結果として

生活の中で 介助さんからの虐待を引き寄せて 命懸けで懲りて。

 

東日本大震災に遭った時(本当の「死の恐怖」を感じる、という、気持ちを、知って。)

「ぜったいこっから生きてやる。」

と思い直して。

 

わたしの人生、東日本大震災が節目だったよ。

そこから、「ファン層って変わって行くよ」という

緩やかだけど だんだん体験をして。

 

2016年に、自分ビジネス創始者の八木さやさん、歌手のツダユキコさんと

イベントをやらせていただいて、またそこで、

ファン層が一回変わって。

 

(あ、文身(いれずみ)入れた年も一回けっこう変わったわ(・▽・))

 

それで。でもね。

 

現実が変わっていくこと、

 

「願いが叶っちゃうこと」を恐れる自分ってさ、、、、、

 

この期に及んで、いるんだよね?!

思うことない?

 

許可したら

叶っちゃうんだよ。

 

「体と心をいじめない、無理をかけない働きかたで、お金がほしい。」も。

 

「わたしを、かわいそーだからじゃなくて

わたしがすきだから、ついて行きます!!!」

って感じてくれるファンにいてほしい、っていうことも。

 

叶っちゃったら、

縁が切れる人もいる。

 

叶っちゃったら、

経済的なことで、自分が勉強したり、人に助けてもらわなきゃいけないこともふえてくる。

 

「あー苦手」「あーめんどくさい」って感じる作業だってもしかしたらあるかも。

 

その「変化」に自分が

また失敗したくないとか

また傷つきたくないなとか いやな思いしたくないな と いうところでさ、

 

世の中のほっとんどの人は、

「で、結局、なにもしない。」に、戻っちゃう。

 

でも、もどったら 結局

「また、つまんない」よね。

また、ライブしても一向きてくれる気配もないけど言葉だけでファンですっていう人にムカつくよね?

でもね

人にムカついてるときにそれを作りだしている原因を よーく見てみて?

 

自分のまわりに いいね!専門員しかいないのは

自分がつまんないからだよ。

 

いや 違うな。

 

きっとあなたは すごく素敵だし面白いし優しいし

ほんとうは 燃える火が身に余るくらいの情熱だって

考えただけで(まだだれにも話していないのに 涙がこぼれてくるような)

純粋な希求だって

それをだれかのひかりにすることだって

 

身の内に

 

ぜんぶ ぜんぶ 持ってる。

 

なのに 自分で

「わたしは全部持ってる」って

「わたしはこんなもんじゃない」って

 

ほんとは 解ってるくせに

 

「だれもきてくれなかったらどうしよう」とか

「今までファンでいてくれただれさんが離れていったらどうしよう」とか

 

なにかで傷つきたくないなーとか

 

考えているだけ。

 

本性晒さないから

本当にファンになってくれる人が来ないの。

 

あなたが

あなたのファンじゃないから。

 

知ってる?

自分のファン

第一号は まず 自分なの。

これは絶対。

 

そしたらね

「まず」自分より他人の顔色や評価、反響

気にしてた価値観がひっくり返るよ。

 

そしたらね

まずごきげん伺いしてくれて 自分下げてお安くサービスしてくれて

あいそよく無理して笑っていてくれてなんならタダでファンのかたのカウンセリングもやってます

みたいなあなたを好きだったファンは全員いなくなるけど

 

別に笑顔が時々は真剣すぎてなくても(ー▽ー)

塩対応でもチケットのお値段がこれまでの倍とかゼロいっこ桁足したみたいになっても

 

本音・本性を晒して

本気で

自分を1000%見せているあなたを

ただ好きでいてくれる本物のファンに会えるし

 

もう前から好きで

その段階まで来てもまだ居残って好きでいてくれる人に対しては

もう結婚したいっていうか(ー▽ー)

 

そういう人だけの

客席になってくるのです。

 

これができると

波動が合わないファンのかたは入れなくなる。

 

だからね。

会いたい人、会うべき人がきてくれる、って信じてるから

だからこそ 今ならば

たくさん来てほしい、って、言える。

きっと素敵な人しか参加席に座っていない空間になるから。

 

わたしが、当日のみなさんのことを、見たいから。

 

きっとわたしも、来てくださる人のことが

「すごく好き(恋しちゃう)」と思うと思う。

 

なので、世界のどこからでも、会いにきてくださればうれしいです。

 

、、、どんなファンにいてほしい?

 

この舞台にきてくれる人にいてほしい。


ピン!!ときたら ご参加ください。

 

お申込みは、当日2月22日お昼12時まで、
オンライン参加むずかしくても、録画お送りいたします。

 

おはなし&シェア会

【自分ビジネスきほんのき3(ファイナル)ー一番遠くの私へー】

2021年2月22日午後2時から4時

前半1時間 講演

後半1時間 ご質問、感想、生活の悩みや、

アピールしたいお仕事などシェア会

ZOOM限定配信 

録画あり(録画は翌日よりyoutubeにUPします)

参加費 4900円

全力のご参加お待ちしています❤

お申込みはこちらまで\(・v・)/

yuhasagiri★gmail.com(★を@に変えてください)

 

だっこさんのエッセイの本、4冊目。

「バリアフリーのその先へ!~車いすの3.11~」(岩波書店)

「自分を生きる」と決めた、すべての人に、届きますように。

 

 

 

みなさまへ❤

 

お元気でお過ごしですか。

 

先月末日開催しましたお話し会「自分ビジネスきほんのき2 私だけがお金持ちに、なっていい」

とってもとってもとってもすてきな女性に感想をいただきました。

ご自身のジュエリーブランドE.JXOGAのデザイナー、そして浮世絵師のERINAさん(本名がまた鼻血が出るほどかっこいいのよ!)


だっこがこの頃たびたび書いております

女性個人の起業家や、好きなことを仕事に活かしたいかた

体と心に優しい働きかたをつくりたい、学びたいかたの勉強会(講座受講生の個人)

事業家でアーティストの八木さやさんが創出した【自分ビジネス】のグループで出会ったERINAさん。

 

ご自身のジュエリーやファッションブランドを多くのかたに広めたい!と

「海外アーティスト、マリリン・マンソンの衣装メイクで」

「商品をPRしたい人がみんなでストリームヤードで告知しよう」という回に登場して

 

わたしはそのときその瞬間

マリリン・マンソンという歌手のかたを知らなくて(すみません、、、、!!)

ERINAさんがお顔立ちもスタイルも抜群に良いので海外のかたに見えて

 

「あーやっぱり自分ビジネスともなると、面白い人ばっかりだから
ついにこういう海外の歌手のかたもメンバーにいるのか!(・▽・)!」

と 思ったら ジュエリーデザイナーさんだった!という鮮烈な第一印象でございました。(・v・)

 

そしてERINAさんはこんな人。(リブログが1記事しかできなくって、タイトルにリンクを貼っておきます)

ERINA MUKAIJO Official Blogより 2021年1月22日の記事

 

【自分が自分のプロデューサーで何が悪い。】

 
これ、元々の記事を、私もシンデレラプロジェクトでお世話になりましたるHappyさんが
書いていらっしゃって
【誰かが何かしてくれるのを、受け身で待っているだけでは、何も起きない】ということを
熱く書いていらっしゃる記事を、ERINAさんがご自身の体験からシェアしていらっしゃって。

ERINAさん、
ドバイアートフェアに行きたいのだそうです。
叶う❤
 

私も、私を応援してくれた人の応援を、もっとバンバン好きなだけ自由にできる自分に早くなりたい。

その意味では、まだまだ自分が不甲斐ない。

でね。これまでの「画廊が付かなきゃアーティストとしてダメなんだ」と思っていた頃のこと
藝大でいろいろな才能に出会って打ちのめされた時期のことや

社会人も経験したけど、ご出産後に体調不良に陥った時期のこと、、、

プロフにもブログにも、ぜんぶ晒して、
一心に、作品作りに打ち込んでいらっしゃるERINAさん。

 

わたしもね、つい昨年末、藝大DOORという「福祉とアートの接点に何ができるか」というテーマのある
プロジェクトで講演をさせていただいたことや

一心に、真摯に、ご自身の作品と向き合う、その職人となっているときのERINAさんのまなざしが

透けて見えるようなブログに心が揺さぶられたことや

 

「このかたが来て下さったらいいなあ、、、でもあんまりこっちから

きてきてきてきてっていうのも気が引けるしなあ、、、、」と

 

実は 【この人が】来て下さったらいいな と

心の中で 決め打ちで ラブラブコールを念じていたかたのお一人だったのです(ー▽ー)❤

 

そしたら、多忙の中の時間を割いて録画をすべて見てくださって(;;)

こんな素敵な感想をいただきまして!!

 

いやー ほんっとうにうれしくて わたしも 感動して

真剣に何度も読ませていただいて お返事に時間がかかってしまいました。

 

ERINAさんのブログを 以下に 抜粋させてください。

 

ーERINAさんOfficialblog記事より抜粋ー

批判や不快を承知で言うと、

私は いわゆる、障害者にフォーカスを当てたチャリティー的なものや、NHKの夜の番組やらが

苦手だった。はっきり言うと、嫌い。

事実や現実の苦しみや重みを伝えることは必要なのかもしれない。

けれど
伝えるというか、押し付けられるだけ押し付けられて、じゃあ健常の私はどうしたらいいのよ?って、むしろ絶望感が出る。

介護や支援職にない人間は手出しできない。

それに

かわいそうってどこかで感じてる自分に嫌気と罪悪感がわく。その罪悪感に薄っぺらい偽善すら感じる。

下に見てる。

罪悪感。

偽善者。


いい意味で(くれぐれもいい意味で)ショッキングなブログだった。
そして、私一人の体験では、言語化できないところをこのかたが言語化して可視化してくれた、と思った。

 

【伝えるというか、押し付けられるだけ押し付けられて、じゃあ健常の私はどうしたらいいのよ?って、むしろ絶望感が出る。

【介護や支援職にない人間は手出しできない。】

 

そうなのだ。

 

これが、「新幹線に車いす席はいままで全車に2席だったけど4席になったよ、よかったね」とか
「車いすの人でも介助さんがいて一人暮らしできるよ、ヘースゴーイ!」とか

「車いすの女性で今は結婚・出産・育児なさってる人もいるよ!ヘースゴーイ!」とかなってしまう

なんて言えばいいんだろうね

 

歩けない人と歩ける人とで なんでこんなに 圧倒的に見える景色が

違ってしまうのか

わたしたちは 一人暮らしできたら「すごいねー えらいですねー」になってしまうのか

結婚したら 子育てできたら「たいへんですねー だんなさんがすばらしい優しいかたなんですねえ!」になってしまうのか

色んな疑問の 根本にある芯の部分なんだろうと思った。

 

わたしは、今大人の年になってみれば、いろんなチャリティーの番組とかも

嫌いではない。出る人の武勇伝にはなるのだろうな、とか、こどもたちがダンスに励むとか、

出た子たちの自信になったらそれはそれで(こどもたち本人にとって)素敵なことだ、とか思うから。

実際、一日で寄付金何億円をいっきに集めるとか、

リフトカーを何十台も介護施設などに寄付するとかって

テレビのすごさだよなーって思う番組、あるしね。

 

でも それでも 中には

たびたび えーーーーーー?!と 解せないものもある。

 

たとえば 重い障害をもつ子とお母さんを特集していて

「この子は私が介助するしかないんです」みたいな場面が映って

『お母さんはほぼ毎晩一睡もしないで介護をしています』みたいなナレーションが入って

まじで疲れて憔悴しきったお母さん(!)

お子さんのリハビリの様子とかが映って

 

「いやー素晴らしい、親子愛ですねえ、、、、(;;)」って司会やゲスト泣いてる、、、、とかさ。

 

いやいやいやいや

 

「お母さん、過労で死んじゃいそうなお顔ですけど

介助ヘルパーさんどうして使えないんですか?!」とか

 

「病児保育ってありますよ?!」とか

だれか一人でも言ってやれよ!!!(>▽<)

ちょっと!!!ゲストか司会っ!!!

って 思うテレビのつくりかた ありますもんね(ー▽ー)

 

で。

 

「はいでは次のかわいそうな人の話題です(ーv-)」みたいなさ。

 

なんなのっ?!と 思う番組も、ありますよ、うん。

 

でもさ、それって、

たとえば重度障害の子供さんとかでも

「この子はどんなことをしてあそぶのが好きなんだろう」

「特別支援学校ではどんな子なんだろう」

「仲良しの友だちっているかな」

「好きな先生とかいるんかな?

「外へベビーカーや車いすでお出かけすることってあるのかな?」

とかさ。

 

お母さんの『本当の願い』はなんだろうか とかさ。

「ほんとうは 1日でもいいから だれかに介助を代わってもらって寝たい」とか

「数時間でもいいから、子育てから解放されて自分の買い物したい」とかさ

「美容院だけでもいいから行きたい」とかさ

お母さん ないんかな、、、?

とかさ 気になることが その瞬間でてきても

 

「はい 次はもっとかわいそうな人の話題です」って

次々 次々 話題が次に行っちゃって

結局

『人』が 名前も だれかも なんかよくわからないまま

一瞬 チャリティーのテレビの日だけ 5分くらい 映って 消えて


2.3日してよりなにか面白いニュースが出たら

忘れ去られてしまう。

 

何が残るって

 

「はいはい、おかわいそうね」っていうふうに 思うしかないことの絶望や

 

「障害者は大変大変って言うけど

健常者のわたしたちだって大変なことなんかみんなあるのに

障害者だからって助けてもらえて、ズルイ!!!」っていう

身体的に障害がない人や

 

障害が、目に見えにくい人(内部疾患とか精神・発達などの当事者のかた)の

やりきれなさとか

 

それらが 消化不良のままで

 

触らぬ神にたたりなし

みたいなさ

 

お互いそんな近づかなければ 今のままでもかわいそーなのに

それ以上に地雷踏んじゃったり 傷つけちゃったりしないしね っていう

「タブー視感」だけが なんかこう

見た人の 心に 刻印されてしまうわけだよね。

(もちろん 見方はいろいろだけど)

 

もーやだー!!!!(このなんか、
身もだえるような、

「これ以上はタブー」みたいな、

このかんじ!なんだってきいてくれれば、

しゃべるのに!)\(ー▽ー)/

 

と 思うわけです、だっこさんはね。

 

もちろん、ERINAさんも書いてくださっているように

ほんとうに「介助がないことの大変さ」を伝えることや

ほんとうに支援が必要な場所にどんどんテレビや報道が入ることは大事だけれど

 

「かわいそーねー」「そーですねー」

みたいなさ、画一的な茶飲み話で消費されるだけの存在として

障害者がだれかに 認識をされるだけだったら

つまらないし すごく悲しい。

 

変えたい。って思う。

 

障害者だって健常者だってどっちだってさ

どっちがどっちにもなり得るからね(私がエバンゲリオンみたいな車いすを着て歩く時代も来るかもしれないし)

いつぞなにがあっても

大変なこともあるけど

でも かっこいい!!とか 楽しい!!とか

たまにはさ 憧れられる存在ですらありたいという欲だって

障害をもつ当事者にも きっとある、わたしのよーな変わり者だけじゃなく

ほんとうは。

たくさんの人に。

人として。

 

でもわたしたちは 学校や 職場や(まずはなにより、学校だよね)生きる場所を

少なくとも今30代より上くらいの人たちは

多くの場合 

「はいこちら養護学校」「はいこちら地域の学校」

というところから

「はいこちら病院か入所施設ね」「はいこちら、住みたいお好きな街へ」と

学校から住居まで

 

ほんとうに こてんぱんに分けられてきたから
(稀に、一般の学校へ行けた人もいる。ご本人というよりは、小学校に上がる時点で、

ご両親が、めっちゃくちゃがんばって、教育委員会のみなさんの反対とかに、

負けなかった場合には。)

 

「分けられてきた時代」を越えて

 

こうやって

 

公に話せたり

 

何よりも 『出会える』ところから

 

わたしたちが変えていく最初の世代なんだと思う。

 

それで、ERINAさんはおこさまがいらっしゃるけれど、

今20代、30代、40代、、、わたしたちの子供の世代が、

親になるくらいの時代には

 

車いすの子と歩ける子が 肩を並べて 同じ教室で学んだり

仕事場にも「ふつーに」いたり

バリアフリーなどということばは

もう必要がなくなって

古すぎて誰も言わない みたいに なtっている はず。

 

なぜならば わたしたちが今から変えるから。

 

で、【私】は。私の仕事は。

 

『介助や福祉などの支援職・専門職でなければ手出しできない』と

思わせてしまうイメージが、障害をもつ当事者のまわりに、今、あるのなら、

それについては、ぶちやぶっていかなくちゃいけないということだ。

 

介助さんという職業が、公的に、国に認められ、全国に周知をされてうれしいけど、

いっぽうで

「介助さんの資格を持っていなければ、手伝っちゃいけないのでは、、、」と

助けの手をひっこませてしまう、無言の圧みたいなものにも

もしかしたら、今の時代だからこそ

なってしまうこともあるのかもしれない。

 

介助さんはもちろん、ライブをやってみるとか、そういうときは

これまでのように、そしてますますに

「多様な仲間と、助けの手を借りながら、作る」ということを、やっていこう。

 

よく書くことだけど、

【介助さんだけ】、【家族だけ】、命綱が一本だけになっては、

たとえ介助さんチームがいても、そこにまとめてなにかあったら

障害をもつ人は生き抜けない。

 

生きる姿を そのまんま 見せていくこと。

 

ただ、ほめそやしてくれるだけの人じゃなくって

 

「障害者の人達に、こういうイメージを持ってた」とか

「テレビの福祉の番組に違和感を感じた」とか

なにか、理由があって、

「僕は、わたしは、障害者嫌いだった」とか

 

(たとえば、街の中で手を貸したときに、「ありがとう」って言ってくれなかったとか、

「余計なお世話だ!」と怒られてしまった、とか、

出会った人の、第一印象で、車いすの人全員嫌い!みたいに、なってしまう人も、

いるよね。)

 

ERINAさんみたいに、

【本当のことば】を伝えてくださる人のネットワークを

大切に、わたしも、わたしに見える世界を綴ってゆける人でありたい。

 

ERINAさんには、車いすのお友達がいらっしゃるのですね(・v・)
そして、すっっっごく重い車いすを押した経験があるのですね。

その、車いすのお友達さんは、いいなあ!とってもうらやましい。

だって、こんな、美しくて、優しくて、楽しくて、かっこいい友達が

もう途中で捨てたいくらいに重かったかもしれない車いすを押してくれたなんて!!

良い友達が、いますねー(・v・)❤

、、、と、ERINAさんを越えて、妄想で、車いすのお友達さんと、

エア会話したよ、だっこさんは(ーv-)❤

 

車いす、しかも私のなんて電動だし バッテリーがへんなところで切れたもんなら

だいぶ重いんですよ(ー▽ー)

ほんとにもう、押してくださる、そして常日頃支えてくださる、

すべての人に感謝。

ほんとこれは、感謝しかない。

 

ほんとさ、もっと、いつでも、どこへでも

住めて、働けて、出かけられる、介助のことでビクビクすることもない、

車いすがハンデにはならない、

世の中がくるといいなあ。

 

それから、身体的に障害がなくても

たとえば、子育てとかでもさ

健常者と言われる人でもさ

「今困ってる。今ここに困難がある」という状態のとき

「助けて―!!!!」と どんどん言えて

言ってよくって

そこにどんどん助けが入るのが当たり前、

そんな時代が

今 もう来るといいなあ。

 

見たい世界は

 

ERINAさんや

 

だっこや

 

こういうふうに 書いたブログが 届いた だれかといっしょにね

 

世界は

 

私達が 自分たちが

今から創る。

 

ERINAさんがぜったいにドバイのアートフェスに出品できますように❤❤❤