頑張って、努力の力で自分を変えてきた人たちは、
努力をせず、変わろうとしない人のことが苦手だったりします。
例えば、
自分を律している人は、だらしないひとを軽蔑しやすい面があるし、
美容に気を使っている人は、他人の容姿も無意識にジャッジしてしまう。
自分の力で生きてきた人は、家庭に恵まれて不自由なく生きてきたように見える人を心のどこかで下に見ていたりする。
努力をしない人や、(変わったほうがよさそうに思えるのに)変わらない人を見ていると、頑張ってきた人たちは見過ごせない気持ちになります。
「ああすればいいのに、こうすればいいのに」と指摘がたくさん浮かんできたり、
何もしていないくせに「現状が嫌だ」とウジウジ言う人を見ているとイライラしてくる。
どうしてだろう?
相手が努力をしなくても、変わらないと嘆き続けても、自分の人生には何の関係もないのに。
なのにどうしてイライラしてしまうんだろう?
そのイライラの下に、頑張ってきた人の悲しみがあります。
「頑張らなくても生きていけるなら、私だってそうしたかった」という悲しみが。
努力で変わってきた人たちは、「努力もせずにずっと嘆いているだけの人」を見るとイライラしてくる。
でもそれは、努力をしない人を見下しているのではなくて、「努力するしかなかった自分」の悲しみが見えてしまうから。
変われない人達の中に、「変わる前の自分」の面影を見つけて許せないから。
変わらないと認めてもらえなかったこと、
変わらないと自分を愛することが出来なかったこと、
努力して、走り続けて、現状が変わっていく。
でもその陰で、「誰にも愛されなかった、そのままの私」がいつまでもしゃがみこんでいるのが見える。
そういう時に、頑張っている人はその足を止めないために「イライラ」したりするのです。
他人に対してイライラしているのではなくて、自分の悲しみに触れてしまいそうになったから、だったりします。
*このブログは毎日19時に更新されます
当カウンセリングルームに所属する、女性カウンセラーの情報はこちら