人がクッキングしている時に
「このコンロが必要なんだ!」

人が布巾で掃除している時に
「そのフキン貸してくれる?」

人が電話してる時に
「ねえ、これ見てよ!」

もちろん私はその火を消すことはしませんが、フキンは貸しました。会話を遮るのは良くないと思うけど、、、世の中から気配りの無い人が消えることはないのでしょう。

アマゾンで「windows 8 pro upgrade」買おうかなと、発売当初から値段をみてたのですが、定価が199ドル。去年は59ドルとか69ドル、時々49ドルに下がってある時期はサイトでダウンロードすれば39ドル!でも今や105ドル、先週は169ドルまで上がってどうも買う気が失せてしまいます。
2年前に8ギガバイトのSDをヨドバシカメラで一枚5000円以上したのですが、どうしても必要なので2枚も買ったのに今や一枚10ドルあれば十分。
10年前は400ドルあれば金貨一枚買えたのに今は1700ドル!!!

全く上がったり下がったり消費者は大変です。ガソリンもハワイにいた頃は一ガロン1ドル前後だったのに今や3ドルを超え10セント上がるたびに
「う~ん、プリウス買うべきか」

こういう動向を楽しめる、もしくは動じない状況であればたぶん「神頼み」の心境に至らないかもしれないけどぼくの状況としては「銭洗弁天」に毎日参拝したい気分です。この世には恒久的なものは何一つありません。上がったり下がったり、悲しくなったり嬉しくなったり、生まれて死んで、、、。

唯一、あなたのバクティ、これは消えることはありません。
金曜日は朝から、というかこの数日間寒くて湿ってる薪は互いに凍りついて剥がすのも大変なわけですが、回廊式のアパート内も外と大して変わらず寒い。スタディルームの窓から外を眺めると雪が降り出して来ました。マネージャーのスーザンさんは「ユタカが帰る頃はまだ間に合うと思うけど、、、私もジャクリン(ボス)に言って早めに帰った方が方が良さそうね。」

帰りはみんなのろのろ運転、誰もチェーンをつけてないしスノータイヤを履くほどのエリアでもないし四駆もそんなにおおくありません。途中、スリップして道路脇に停車してしまった車を見るたび「なにもできない」自分。

T字路を前にした下り坂でブレーキをかけると

「止まらない」
「ハンドルが言うことをきかない」

左に曲がるつもりが、右に流れ始めてちょうどストップサインを超えた路肩で止まってくれました。幸いに後ろにも前にも車がなく、木にぶつかる事もなく、人をはねる事もなく、ダメージもありませんでした。

が心はかなり乱れて落ち着くまで4,5時間かかったわけですが、車同士がぶつかったら、数千ドルが数秒で吹き飛んでしまう。人をはねたら数万ドル?が飛ぶだろうし、過失で「死」に至ったらたぶん一生、心の傷が残って癒されることもないでしょう。

僕らが住んでる現代社会は一見快適なように見えるかもしれませんが、実のところは闇だらけです。いつ脳梗塞で倒れるか分からないし、上から木が倒れてあっという間にあの世に行ってしまうかもしれない。頼りになるのは、保険ではありません。家族でもありません。残念ながらご先祖様でもない。神様との絆だけがすべてです。
NHKが4月から『おとうさんといっしょ』を始めるようですが、『おかあさんといっしょ』はタイトルは良く覚えてるんだけど、全然中身が思い出せない。

おじいさんといっしょ
おばあさんといっしょ
おとうさんといっしょ
おかあさんといっしょ
おにいさんといっしょ
おねえさんといっしょ
おともだちといっしょ

家族はとても大切な絆です。誰もおろそかにすべきではないんですが、いろいろ事情があって音信不通だったり全然会話がなかったり離縁してしまったり、という場合もあります。いずれにせよ、「死」によってそれは切れる運命です。切っても切れない縁、それがバガヴァーン・クリシュナとの絆です。

'N'ew 'H'are 'K'rishnaの新番組『かみさまといっしょ』、、、誰か放映してないかな。
2011年の「漢字」に選ばれた「絆」。

ウィキペディアによると、、、以下のとおり

「絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。
人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。。」

この年は東日本大震災の年でしたから、一躍有名になった「絆」だと思いますが、本来の意味とずれてるのがよくわからん、、、。マスコミが使い出したのかどうか知る由もありませんが、人と人との結びつきをあらためて考えさせてくれる言葉です。

お兄さんとのきずな

遠い親戚とのきずな

古い友達とのきずな

両親とのきずな

人それぞれいろんな絆が浮かび上がってると思いますが、困ったことにそれはすべて現代社会での出来事。「死」によって本人との意思に関わりなく断ち切られてしまいます。もし人がバガヴァーン・クリシュナとの絆を蘇らせられたなら、それが人生の完成です。
子供の頃読んだ本でいまだに印象深い宮沢賢治の短編です。山の中のお店に入ったのはよいけど、様々な注文をつけられながらほとんど最後までいいなりになる二人。

自分の感覚も死の直前までいろんな事を要求することでしょう。

「うなぎが食べたい」
「あゆみの歌を聞きたい」
「バラジーの神像を見たい」
「焼肉の匂いがたまらない」

誰も疑問に思わずその願いを聞き入れようと様々な努力をしていくわけですが、手に入れたとたん、また次の扉が開いてしまい、その道はあの世に行くまで延々と続いていきます。それを普通のように受け入れている間 神様の光は照らされることがない。

「無知の闇」
ヒルズボロー、今シーズン初(だよね)の雪が降ってます。どれくらい積もるか分からんけど、明日仕事にいけるかな?
時々、頭に浮かんでくる場所。三泊四日で88のお寺を回るわけですが、歩いている時は「南無大師遍照金剛」と唱え、お寺では「般若心経」を唱え、ロウソク、お米、お賽銭を捧げます。道中は杖をつきながら「な~むだいし、へんじょうこんごう」と唱えて、朝から夕方まで歩き続ける。あれほど楽しかった時間は、他の記憶にない。もちろん、菜食ではないし、そんなこと教えることもないわけですが、、、そのうち本場の四国を歩いてみたいなあと思いつつ、何十年と過ぎてしまいました。たぶん今、歩いたら体が持たない気がするわけですが、ゴヴァルダン(インド)を歩いたらどうなってしまうんだろう?
「のぞみはないが、ひかりあり」と言ったのはどこの誰だかさっぱり思い出せないのですが、よく頭に浮かんでくる言葉の一つです。世間を見渡しても、自殺者は絶えず、政権が変わっても庶民の生活は変わらない。ビジネスと言えば聞こえはよいけど、結局のところ人様の財布からいかに金銭をいただくか無限の思考をはりめぐらせているわけです。消費者もいかに出費を抑えようか有限の思考を凝らして「こっちのミルクが安い」。ちょっと気が抜けるとつい必要でもないイヤリングを買ってしまう。自分の感覚をコントロールしないと後で困るのは本人です。人には誰もが二つの目がありまして、アクション映画を見たい、きれいなビーチで心地よい波を眺めたいといろいろな要求が起こるわけですが、それをもし荘厳なバラジーを拝観したいとか神様を感じられるならそれは徳の様式を越えることができます。二つの耳でエルトンジョンの音楽を聴きたい、松田聖子のバラードを聴きたいという要求を、シェルターを聴いてみよう、カルナムリタのキルタンを聴こうという方向に向けるとそれもまた激情の様式を越えることが出来る。何ヶ月前か何年前か全然わからないまま殺されミンチされたソーセージをほおばるより、自分で小麦粉からグルテンを取り出してモドキ肉をつくれば、それは無知(激情もないと無理かな)の様式を越えられる。

問題はそういうことを教えてくれる人があまりにも少なく、興味を持つ人もあまりいない。偽善と闘争の時代、まだまだ始まったばかりなのに、これからもっと酷くなることでしょう。誰も地球の回転を止められないように、時代のムードは変えられません。そういう中でたった一つのヒカリが、マハーマントラを唱えること。それがチャイタンニャマハープラブの教えです。
日本はすでに4日になって正月を過ぎてしまったようですが、アメリカは正月のムードさえないので、なかなか気持ちの切り替えが大変です。年末はクリスマスを過ぎた水曜日、家内の実家へ向かいました。が約一時間後「ハイウエイが雪で閉鎖しているから無理だろう」とお爺さんの電話があり、いろいろ迷った末、引き返す羽目になり次の木曜日に再出発。山を越える手前から雪が見え始め、ウエストヴァージア州のマーティンスバーグは約20センチぐらい積もってました、、、。家が丘の上に建ってまして裏は絶好の滑り台と化し、子供たちは大はしゃぎで、楽しんだようです。こういう休暇も悪くない。年末はキルタンで年を越し、いいスタートかもしれない。さて2013年も残り361日、時間は止まりません。