ボヤジャントの呟き。 -8ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

取材日時 2008年 7月23日

コメント・このサイトを見てくださった方から頂いた情報である。
そのいきさつは、埼玉の山奥にある白い廃墟「物件72 埼玉県 山奥の廃墟」をみて、場所を教えて欲しいというリクエストをこの方から頂いた。
当然のことながら、無償で廃墟情報を教えるという事はしないので、こちらからそちらの持っている有用な廃墟情報があるなら教えてもいいと応じたら、数件の地元ならではの廃墟物件を教えてくれた。
当然どれもネット未既出物件ばかりで、久しぶりの新規開拓が出来る喜びでテンションは上がる一方だった。
まずこの日に訪れたのがこの廃ヘルスクラブ。
ヘルスクラブというと、風俗店を連想するか健康ランドを思い浮かべるかどちらかになると思う。
実際に内部には入っていないのでどちらのカテゴリーに属する店舗なのかを確かめることは出来なかった。
内部へのアクセスはつい最近まで出来ていたようで、建物上層部の窓ガラスが割られていたり開放されたままになっていたが、探索当日は頑強な板張りで入り口という入り口は全て塞がれており、管理人ですら入る事が出来ないようになっていた。
裏を返せば、一旦中に入ってしまえば誰も入ってこないという答えが出てくるが、今物件ばかりは完璧な封鎖が施されておりまさにねずみ一匹潜り込めるスペースは無かった。
しかし、生命力あふれる夏のDQNはこういった障壁もいずれは乗り越えてくれることだろう。
半年後あたりにふらっと寄って見て、突入可能かどうかを確かめてからでも遅くは無いと思う。
今回は敢えて無理をせず外回りだけを見るだけに留めておいた。

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取材日時 2008年 5月25日

コメント・ほぼ一年前にk氏との廃墟探索チーム「ロバート調査団」として訪れた「旧横川駅アプトの道」の探索の終わりに偶然発見した、旧信越本線の線路設備。
その突入口から見えた数々の鉄道設備の保存状態の良さにえもいわれぬ期待を高まらせたまま、その時は撤退してしまった。
それから今日の今日まで、探索のチャンスを伺っていた。
そして、群馬県某所で毎年開催されるキャンプオフ会の帰り道に此処に足を運ぶ機会に恵まれたのである。何せそう簡単に来られる場所ではないだけに千載一遇のチャンスと言えた。
場所は完全に把握していたので、迷わずにバイクを邪魔にならない場所に止め、そそくさと線路内に侵入。
道路から簡単に侵入できる物件だけに周辺住民やK察が作ったと思われる警告看板がそこかしこに立てられている。
だが今日は生憎の曇り空、今にも雨が降り出しそうなこんな日に、どんちゃん騒ぎをしたくて来るような輩が居るはずもなく、あくまでも静寂に満ち満ちた探索になるであろうと予想していた。
ところが、最初のトンネルに入ろうとした刹那、向こう側から人の気配を察知、物陰に隠れて伺うと、なんと小さな子供を連れた家族連れだった。どうやらオヤジが率先して子供をつれて駅舎を見に行った帰りらしい。
たまたまうまいことにこのトンネルは、片方ずつに貫かれているのでトンネルの中ですれ違うという事を避けることが出来る。
俺は家族連れが歩いていないトンネルの方から駅舎方面へと歩を進めやりすごした。
一本目の短いトンネルを抜けた先の光景を見た瞬間思わずつぶやいた。

「これはすごいかも・・・・・」
実はこの駅舎を見るまで、俺はこのトンネルの先に旧熊ノ平駅が有るなんて事は全く知らなかったのである
たまたま短くて先が見えるトンネルから歩を進めていきたかっただけなので、廃駅を発見したのは正に偶然の賜物に他ならなかった。

 

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取材日時 2008年 5月2日 

コメント・ここの工場はミュージシャンのPV撮影に使われたり、ドラマのロケ現場となったり、スチルのスタジオになったりと、なにかとその業界では有名な場所である。
滞在時間は朝の7時から夜の9時近くまでとかなりの長丁場となった。そこで、現地に到着した直後からソソクサと探索を始めあらかた廻れるるところを廻った後は一旦探索を中断し、某氏の指示を受け、前橋市内や高崎市内にある近代建築(群馬会館・群馬県庁・大川酒蔵・上毛倉庫・・・等)のロケハンに出かけた。
撮影した画像は某氏のカメラにて行ったので俺は持っていない。どれも廃墟ではなく立派な現役建築物(大川酒蔵だけは廃墟らしい)である上に、このサイトの主旨とも基本的に異なる理由からコンテンツには盛り込まないことにした。
スライドショーの後半部分で夜間撮影画像があるのは、この市内ロケハンからこの工場に戻ってきたのが夜の7時過ぎで、一旦中断していた探索を再開した為である。
この有名物件非常に厳重なセキュリティで守られているので通常の手法で突入することはほぼ不可能。

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取材日時 2008年 4月26日

コメント・時系列としては逆なのだが、猿島に上陸前に探索したのが、ここ浦賀ドックである。
当日は咸臨丸フェスティバルと銘打って大々的なイベントが現地では開催され、ドックがある敷地内に一般民間人が自由に出入り出来る。つまり合法的に探索できるのだ。
ただし、目当てのドックの深部にまでは下りることが出来ない。
勿論ドサクサにまぎれて降りようと思えば出来ないことも無いが、いかんせん隠れる場所が無い上にいつも以上に人間の出入りが激しい。加えてガードマンやすぐそばの警察署からもオマワリが応援に来ている。
これではいくらドサクサでも一発見つかれば洒落にならない事態に陥る可能性が高い。
無理してまで下に降りるほどの見所は無いので、今日はあくまでもドックはオマケでそれ以外の諸施設の内部を歩き回って探索をするという主旨の日となった。

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取材日時 2008年 4月26日

コメント・
戦争遺跡である。
某有名廃墟サイトの管理人が開催するBBQオフ会が縁でこの島の廃墟の存在を知ることとなった。
詳しい説明は他の戦跡サイトにお任せするとして、あくまでもスライドショーにコメントを一言二言添える程度にしようとおもう。
何故なら・・・・・・
あまり見所が無いから。
確かに全国に4箇所しかないフランス積みレンガのトンネルや、山全体を露天掘りにして要塞の存在を空から分かりにくくしたとか様様な見所があるかもしれないが・・・・・・・。
俺個人としては内部に入れない、遺物が無い。
これだけでかなり廃墟に対する魅力が激減してしまっているのは確か。
今回はいつもおせわになっている某情報筋のM氏と同行するという形で上陸したが、まだ本格的な海の季節では無かったので、かつてBBQオフ会を開催したビーチには数えるほどの観光客しか居なかった。
M氏はある事情で健脚ではないので島の施設の殆どは俺単独で歩き回り写真を撮った。
しかしこの日一番閉口したのが、毛虫の大群だった。要塞の各所にアクセスできる遊歩道が整備されているわけだが、その手すり手すり全てに渡って、数センチの大型毛虫が行列をなして這い回っていたのだ。
これだけでテンション下げるには十分だった。

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取材日時 2007年 6月3日

コメント・梅雨明けを待って敢行された久し振りのロバート調査団の活動が再開された。
ここ数年は休みが合わなかったり、K氏の体調がすぐれなかったり、俺が近年単独行動を活発に行うあまり、調査団としての探索は殆ど行われなかった。
しかし、時間が経てば「そろそろ久し振りにどうよ?」という話も出てくる。
元々は近代建築が好きなK氏、大型廃虚物件の探索と最近は廃屋にまで触手を伸ばし始めたTavito、互いに趣味嗜好は違えど、古い建物に魅力を感じるという所では一致する。
単独で好きなように敷地内を走り回るのも楽しいが、自分以外の人間と行動を共にするのも悪くない。
今回の探索物件は、厳密に分ければ廃虚ではない。
どちらかと言えば、管理物件でそれもかなり整備されている・・・・いや一般公開されているところも含めれば、このサイトの主旨に合わないのかも知れない。
しかし沿線に建つ諸設備、中でも「丸山変電所跡」は名の知れた煉瓦造りの近代建築物であり、多くの廃虚サイトにも紹介されている。
本音を言えば、こうやって整備される前に突入していれば被写体としての魅力はもっと上がっていたかもしれない。
最近の調査団の瞬発力(行くと決めたら、前の晩でも出発する)の衰えを痛感し、体力の衰えも痛感してしまった、灼熱のアプト道を遡行する。


 

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取材日時 2007年 8月17日

コメント・2007年夏の北海道廃炭鉱ローラー作戦(長!)の最後の突入物件である。
この廃鉱山も道内では超有名物件で、数多くの廃虚サイトにて紹介されている。
しかし、厳密にはこの鉱山は炭鉱ではなく金属鉱山であり、亜鉛テルルが採掘されたそうだ。
これといった遺物も無く、頑強なコンクリートの選炭施設が緑の生い茂る斜面に残されているだけだ。
この鉱山を見つけるまでに意外と時間が掛かった。
直ぐ近くを通る「札樽自動車道」のパーキングエリアに「金山PA」という所があり、それが最大のヒントになっていた。
俺はその近辺を虱潰しに探してみたものの、立ち並ぶビルと迷路のような住宅街の道路に阻まれ、思うように山に近づく事が出来ない。
しかも、あのコンクリートの選炭施設が全く麓から見えないというのが、これまでの予想と大きく違っていた。
国道337号線沿いにある、バス停留所には「鉱山入り口」というのが有る事も分かっていたし、この付近に間違いなく鉱山があることは分かっていた。
しかし、山の上に向かう道路があれば必ずその先に鉱山が有るはず、ましてや採掘された鉱石を運び出すダンプが行き来できるような道路が無ければならない。片っ端から怪しいと思われる道路をトレースし、1時間ほど探し回ってようやく、山の斜面にそびえる要塞のような建造物を発見したのである。
今回の物件は、特に遺物も無くポイントとなるような見所も無く、廃虚というよりは遺構に近いものが有る、真谷地のように選炭施設はがっかりだったが鉱山事務所で掘り出し物に出会えたという事も無く、現役の三菱マテリアルが管理しているとは言え、俺の感想としては只の残土置き場にしか見えない。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/WhwCzBjji8Q1EHzn8

取材日時 2007年 8月16日

コメント・冷たい雨の降り続く上砂川にやって来た。
上砂川といえば「昨日、悲別で」のドラマの舞台になった場所でもある。ドラマのイメージも暗いものだったが、今日の町はそれ以上に暗い。
気温は低いわ、風は吹くわ、尋ねた無重力館と炭鉱館はものの見事にクローズしてるわで散々だった。
おまけに目の前に見える中央立坑櫓は、無重力実験施設なので入る事が出来ないと思っていたら、後で調べてみると実は廃墟になっていたという事も判明。
来年の探索が出来るのであれば、ここには必ず足を運ばねばならない。
恐らく、最近クローズしたばかりだろうから凸するのは難しいかもしれないが、無人となって既に数年経っているというからには、必ずどこからかはいれる場所があるはずだ。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/eYAWvhFRKJ24zE4y9

取材日時 2007年 8月15日

他の炭鉱都市になり特徴をもつ、赤い三角屋根を
持つメルヘンチックな炭住。
この炭住街の外れには、弥生坑跡があり、コンクリートの遺構が残されているらしい。
しかし、今回は繁茂する雑草に行く手を阻まれ
戦意を喪失したので、探索はおろか発見すらもしていない。
 
 
 
 
 
 
 

取材日時 2007年 8月16日

コメント・北海道の産業遺産である廃炭鉱を尋ねる旅も、そろそろ終焉を迎える。
今日凸したこの物件は、これまで予想以上に遺物の少なさに落胆してきた俺を一転して狂喜させるほどに素晴らしい保存状態だった。
後から知ったことなのだが、この赤平はある限定された時期のみ内部を一般公開しているとのこと、どうりで壊れているところや、長年放置されて朽ちているようなところが殆ど見受けられなかった訳だ。
このヤマが生きていた姿をそのまま残していくという事、それは我々の世代さらにその後世まで語り付けていく事、北海道の歴史を知る事であり、石炭を取り巻く数多くの産業の隆盛と衰退を知る事であり、石炭のガス化利用が注目されつつある今、利益と繁栄だけを追い求め、その渦中に巻き込まれていった数え切れない程の殉職者を二度と出さない、負の遺産をこれ以上残さない、同じ過ちを繰り返さない為の無言の教訓を目撃する為に、三井、三菱、住友はその遺産の保存管理に今以上に尽力して欲しいと、俺は立坑櫓の中を歩きながらしんみりと感じた。

関連画像はこちらhttps://photos.app.goo.gl/DxU6o1x8t7GBiraQ8

 

管理人とのニアミス発生
で、ここの物件の探索をひととおり終え、一服してから外に出ようと思っていた刹那である。
直ぐ側で車のドアが締まる音がして、自分が居る選炭施設のシャッターが勢いよく開けられたのである。
「ヤッバッッッッ!!!!!(滝汗」

タバコを直ぐに消し、三脚に取り付けたままのカメラを抱え、凸してきた窓の側に匍匐前進して物陰から外の様子を伺う。
そして、作業服を着た住友の職員の姿を確認して脱出のタイミングを伺う。
職員が車のほうに戻って何か荷物を運び込もうとしていたらしい、その瞬間俺は手にした荷物をまず外に放り出し、
相手がその物音に気が付いていないのを確認した後、決死の覚悟で頭から外に飛び出した。
グチャッッ!!!!「グヘッッッッ!!!!ペッペッペッペッ!!!!(死」

頭から雨でぬれた雑草の中に飛び込み、全身草まみれ泥まみれになった。
そして、すぐにカメラと三脚と七つ道具の入ったバッグを抱え、脱兎の如く裏側の草薮の中へ全速力で駆け出したのである。
もう久し振りの全力疾走である、2~3分ほど走って敷地の外に脱出した後は暫く立ち上がることが出来なかった。
結局見つかる事無く、ニアミスで済んだのだが、廃虚探索するに当たって必要と思ったのは、咄嗟の時のダッシュ力とスタミナだ。
タバコを吸っっている上に、日ごろの運動不足がおもいっきり祟ってしまった。
まさか、北海道まできて不法侵入でK察のお世話になりたくは無い。
最後の最後で油断してしまったのは、それなりの廃虚キャリアを積んできた俺としてはうかつだった。