ボヤジャントの呟き。 -7ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

取材日時 2008年 8月22日

コメント・去年の夏休みにここのすぐ近くにある「炭鉱館」を見に来た事がある。既に閉鎖されていて、内部を見学する事も出来なかった。
周囲の砂川の町もとても寂れており、全く活気がなかったのを憶えている。その日の天気はそれまでの真夏日から一転して、見も震えるような冷たい秋雨が降っていた。だから余計に町や閉鎖された施設が寂しさに拍車をかけているように感じられたのである。

今年は、それとは違い抜けるような青空と、さわやかな乾燥した空気のおかげで非常に気分もよく、前夜に宿泊したビジネスホテルで十分に休息も取れたので気力体力共に漲っていた。廃墟探索はやはり元気で天気で無いと、楽しくないものだ。
さて、今回の砂川中央竪坑だがこの施設についての詳しい説明は別のサイトにお任せする事にして(現役当時のJAMICの様子)、この施設は炭鉱として操業し、閉山した後は無重力実験センターとして再利用され、それも財政難で閉鎖。開口部はやはりコンクリートによって完全に密閉され(このての竪坑が開口している所をこれまでは見たことが無い)、当時の様子を窺い知る痕跡は、それ以外の施設でしか無い。
去年訪れたときには、あまりの保存状態の良さに「現役なのではないか?」と思い込み、近寄る事もしなかった。ところが自宅に戻ってからきちんと調べてみると、数年前に閉鎖され無人になっている事が判明。炭鉱館で壮大な肩透かしを食らった直後だっただけに、このチャンスを逃したのは非常に後悔した。
で、今年はそのリベンジを果たす為にやって来た訳なのである。
実は昨日、美唄から芦別の町へ向かう途中でここに寄り、下見をしてきた。
町からさほど離れていないという事と、街中に警察署が有るという事を鑑みて、突入口と退路の確保と機械警備の有無を確認しておいたのだ。
画像を見れば分かるように、この物件、驚いた事に施錠が全くされていないのである。しかしそのわりには内部は全く荒らされておらず放火や小便、消火器撒き散らし窓ガラスの破壊などの乱暴狼藉を果たした痕跡が全く無かったのである、これには大変驚いた。
だから余計に、内部に入ってからの探索は慎重に行った。つまり破壊がされていない廃墟というのは見方によっては廃墟ではなく「管理物件」である可能性が有る為に、管理者と遭遇する可能性が飛躍的に高くなるからだ。
しかし、2時間半近く内部を歩き回り400枚近い写真を撮影したにもかかわらず、人気はおろか猫の気配すらも全く無かった。
保存状態が余りにも極上すぎる為に、廃墟独特の味というものには欠けるが、北海道を拠点とした廃墟サイトではどこも公開していなかったというのが逆に不思議な位に優良な物件だったと思う。

探索レポート写真と、それ以外にあるルートから極秘で入手した工事記録の写真も公開する。
これは、竪坑櫓の無重力実験施設をクローズする際に、完全に開口部を塞ぎ、カプセルを落とすタワーごと壁を破壊して外に搬出し、産業廃棄物処理業者へ引渡すまでの様子を撮影したものである。
近年産廃処理に対する監視や規制が整備され厳しくなり、こういった取り壊しの様子から産廃として処理されるまでの一連の様子を見ることが出来る資料を用意しておかないと、規制に引っかかるのだ。所謂マニフェスト制度対策というやつだ。

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駅前のメインストリートである。
時刻は夕方の6時辺りだと思うのだが、ご覧のとおりの寂しさ。
写真右端のビルがこの日の宿としたビジネスホテル。
駅前のロータリー(?)にはこんなオベリスクがある。しかし待ち合わせをしている人の姿もない。
とにかく人の姿を見ないのだ。これが北海道の地方の町の姿。
人の姿は無いが、飲み屋のネオンサインは明るく輝いている。
これに誘われて集まるのは、人間ではなく虫だけのようなきがしないでもない。
 
街中の電柱には、星の形をかたどったLEDが取り付けられていていた。
しかし、しんと静まり返った町にはこの電飾はぎゃくに哀愁を呼び起こしてしまう。
どこにも遊びに行く気が起きず、俺は早々にホテルに戻って明日に備える事にした。

取材日時 2008年 8月21日

コメント・言わずと知れた超有名物件。どちらかと言えば炭鉱関連の産業遺跡というよりは心霊スポットのほうが通りが良いという、不名誉なネームバリューがある。
この円形校舎を見つけるまでに意外と時間が掛かった。
何せ、有ると予想されていた川沿いの道を歩けど歩けど景色に変化が現れず、何度途中で引き返そうかと思ったほどに藪が深く、「こんな山奥の交通不便な場所に小さな子供を通わせる施設が本当に有ったのか?」と思ってしまったからだ。
だが、暫く迷いながら歩いているうちに川向こうに体育館と呼ばれる廃墟が僅かに見え、その先に忽然と一本の橋が現れ向こう岸に渡り、廃道に近い道をヤブ漕ぎしながら進む事10分少々(こういう時はもっと長く感じられるものだ)歩いた先に、先ほどの体育館が出現。
屋根が完全に落ち、遺物というものは全く無かった。天井に巨大なスズメバチの巣があり、満足に探索できず数枚の写真を撮って早々に退散。
そして、さらに戻る方向へ歩くとヤブを掻き分けた跡が多数見つかり、その先に円形校舎が姿を現した。
「DQN達もこんな山奥までよく来るよなぁ・・・・」と思えるほどに交通の便は悪い。ツッカケやビーチゾウリで廃墟に訪れるようなDQNがここまで歩いてこられるとは意外とも思える。
校舎の中はご存知のとおり、殆ど自然の力と人間の力によって破壊され、当時を偲ばせるものは殆ど無い。
感慨に耽られるような物が無い為に、とりあえずは「有名所を見る事が出来て良かった」という程度の満足感しか味わえなかった。

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取材日時 2008年 8月21日

コメント・三井関連の炭鉱施設を巡った後は、すぐ隣にある三菱関連の炭鉱施設を探索する。
美唄は石炭そのものの品質には幾ばくかの問題点は有ったものの、空知エリアの中では有数の採掘量を誇っただけに炭鉱施設が沢山残っていて、産業遺跡好きには飽きが来ない。
何せ、去年だって「奔別」や「三笠」「夕張」「赤平」など、保存状態が良い施設を思う存分廻れたからである。気候が厳しい北海道だが頑強な構造物のおかげで、数十年経た今でも満足な探索が出来るのだからありがたいものだ。
そんな中、この炭鉱メモリアル公園は二つの朱色に塗られた竪坑櫓と、道内最大規模の原炭ポケット、開閉所しか残されていないが、産業遺産としてキチンと管理されている(?)ので保存状態は他の物件よりはかなりましである。
携帯も思い切り圏外になり、ナビも作動しなくなったが、美唄ダムへの道路は一本しかないので迷うことは有り得ない。
当日は初秋を思わせるさわやかな快晴の空の下、公園の駐車場には車一台停まっていなかった。
つまりは俺以外に誰一人居なかったということだ。
確かに盆休み明けの平日、しかも町から遥に外れた山奥の公園、外回りの営業マンがサボリに来るには遠すぎる。
子供連れの母親が気晴らしに来たければ、その手前のアルテピアッツァで十分間に合う。
キャンプ施設は我路にあるし、遊具で遊びたければキャンプ場の中で済む。とにかくこの公園はただ単に取り壊しにお金が掛かるようなものをとりあえずの状態で保存しているだけの野ッ原なのである。だから、森林公園とは銘打っているがリゾート施設では無い。

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取材日時 2008年 8月1日

コメント・未既出物件である。某情報筋氏からのミッションを受けて、急遽追加した。
これはここでいくら情報を隠したとしても、すでに官公庁オークションで大々的に競売物件として公示されている。
しかしだからといって場所が分かるような地図を貼り付けたり、正式な名前を明かそうとは思わない。簡単に見つけようと思えば見つけられる物件だったらなおさら明かす必要はないだろう。
これの前に訪問した龍ヶ崎の「竹内農場」で思いのほか時間を食ってしまったので、ここに到着したときには既に周囲は薄暗くなってしまっていた。
しかし、競売に掛けられている物件であり、次に訪問するときまでに生き残ってるかどうか分からないので、とにかく撮影できる明るさギリギリまでがんばってみる事にした。
出来ることならここは夜のうちに内部に入り、オーシャンビューのカフェテラスで日の出を迎えると素晴らしい写真が撮れるのではないかと思う。次に来るのは真冬か。

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取材日時 2008年 8月1日

コメント・某巨大掲示板での情報を元に発見した未既出物件である。
山梨にある長大コンクリート廃墟の次に此処まで一気に移動して探索を行ったのが先月の7月29日。この時は日没直前、雷雲接近、詳細な場所情報を自宅に忘れた、などの理由で物件を発見することが出来ず、やむなく撤退した。
しかし、自宅に戻りPCを開いて情報を再確認すると自分が絞り込んでいたエリアとは一ブロック違う所にその廃屋があると書かれていたのである。つまりは完全な俺の思い違いによるものだった。
今回は十分に場所の絞込みを行い、かつGooglemapの航空写真と掲示板に書かれてある周囲の様子とを照らし合わせながら「ここに間違いない、これで無かったら本当のガセネタ決定だ」と腹を決めて再挑戦した。
朝一に自宅を出発し、前回とは一区画違う所へ車を進めた。
すると・・・・真新しい住宅地の中にまるで本庄児玉の心霊豪農屋敷の如く取り残されたかのような屋敷森が現れたのである。さらに近づいて見ると、壊れかけの立派な門、伸び放題の竹薮、不法投棄された粗大ゴミ。もう間違いないと確信した。まさに某巨大掲示板にかかれていたロケーションと寸分たがわずにそこに廃屋は有ったのだ。
外部から見た感じでの印象も凄まじいものが有ったが、内部はもっと凄かった。
本当の話、建物の中に入ることさえ躊躇してしまうほどに空気が淀んでいて、その雰囲気はリザ氏がかつて「呪われた山荘」と呼んでいたあの物件に良く似ていた。
俺の苦手なタイプの廃墟だった。でも、半分はガセ半分はマジの巨大掲示板の情報を信じてここまでやってきて、廃墟が実在したと言う結果を目の当たりにしたからには内部に入らなければいけないと言う気持ちもあった。
誰も知らないこの廃屋の全容を知って欲しいと言う気持ちにとらわれたのも有るかもしれない。

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取材日時 2008年 7月29日

コメント・とあるリゾート地の山の中にある巨大な建築途中のコンクリートマンションである。
見つけるまでにはそれなりの苦労もしたが、根気良くネットを検索して探せばそのヒントとなる場所は絞り込める。だが、いざ現地に赴くと何が苦労したかと言うとその物件そのものが山林の奥深くにひっそりと建っているからである。つまりは遠くから確認できたり、近隣住民に聞き込みをしたりすることが出来ないのだ。
だが、今の文明の利器パワーは凄い、GoogleMapでこの周辺をくまなくスキャニングしてみたら思いっきりその建物が写っているのを見つけてしまったのである。山の中に一本の細い道の行き止まりに場違いなほどの大型建築物。
もうこれしかないと思った。
携帯ナビに場所を登録し、この日は午前中に大仁金山、そしてこちらには正午に到着し近くのレストランで十分体力を回復させ探索に取り掛かった。
車を止める場所も、突入までの安全確認も全く気に掛ける必要の無い初心者向けの簡単な廃墟である。一旦中に入ってしまえば危険なところは無いし、堅牢なRC構造ゆえに足場の心配は全く無い。歩き回っているときの足音が全館に渡って響き渡るがこれも気にする必要は無い。
なにせ、周囲一帯は原生林。聞こえるのは野鳥と虫の声だけだ。
ただ、建築途中で放棄された物権なので内部には少々の資材が置き去りにされているだけで、他には何も無い。
故に10分もしないうちに飽きてしまうかもしれない。放火や野良人の生活跡もない、危険性は無いが感動も無い正にこの建物そのものの印象がそのまま探索している人の心象を表しているようだった。

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取材日時 2008年 7月29日

コメント・朝早く起きて一番に向かったにもかかわらず、沼津市内で通勤ラッシュにまともにはまり、結局現地に到着したのは9時。
世の中の皆さんがしっかりと起きて、中には仕事している時間帯。
廃墟探索の鉄則は、人目につかずコッソリムックリと済ませるはずなのに、今の時期ではそれも無理。日の出は早いし気温の上昇も早くて原住民の活動開始はどこもその分早くなると言うもの。今回何故今まで話題にも上らなかった静岡の廃鉱山に行こうかと思い立ったのはこれといって明確な理由は無かった。ただ、日帰りで見られる大型産業遺産となるとこちら方面に集中してあるから、自ずからターゲットは絞られてしまうのだ。特にここから南の伊豆半島には「作りかけのループ橋」や「崩れて通れなくなって放棄された国道」やらがある。廃ホテルは次々と解体されている運命にあるけど、こういった産業遺跡は以外と残っていたりするから、行くなら今のうちと思って出かけてみただけなのだ。
しかし、暑い中3時間かけてたどり着いた大仁金山は、俺のテンションを下げさせるには十分なほどの変わりっぷりを見せていた。
ここまで開放的になり、ここまで整備されてしまったら見るところは何もない。ただ、そこに出かけて車中からカメラだけを出し「こんなのが有りました。ハイおしまい」とパチパチと数枚の写真を撮り公開するというどこかの大御所サイトみたいになってしまう。
だから、意地でも選鉱所跡のあの斜面の出来るだけ上まで自力で登ろうと考えた。
最上段まではルートが見つからなかったので断念したが、最後に行き着いた場所でようやく遺物らしい遺物を発見。丸坊主にならずにすんでとりあえずほっとした。

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取材日時 2008年 7月23日

コメント・以前MUHA氏のサイトにて気になっていた、湖畔の廃ホテルの記事があった。
その後、散々場所の特定を目指して調べてみたが力及ばず諦めていた。
そこへ、某情報筋氏から「それK湖(物件の正式名称にもなっている)にあるよ」と言われ、早速調べてみると簡単にヒットしてしまったのである。
MUHA氏のレポートの写真には場所のヒントとなる看板が写されていたのだが、写真の一部を加工してあってそれはそれを見抜くことが出来なかったのだ。まだまだだな・・俺って。結局人の力を借りて結果を出してしまったので、物件を発見した時も嬉しさ半分だった。
むしろ某情報筋氏に「どんなんだか、調べてきてちょ」と言われて来たので、残り半分は「見つかってよかった」とほっとした気分だったのだ。
さて、外観であるがMUHA氏の探索時とは大きく変化がおきている。二つの建物を結んでいる間の建物が完全に取り壊されている。
MUHA氏のレポート写真では、かなり鬱蒼とした木立の中にあるロケーションだが、俺が訪問したときには、かなり人の手が入り明るく風通し通くなっている。
それだけに、ここの湖の名物でもある「ヘラブナ」をつりにやってくる釣り人からは丸見えとなる、勿論建物の中に入ってしまえばそれも関係なくなるが。
この日は、群馬県内の物件ををいくつか梯子して来た為に、ここに到着したのは日没直前だった。
それゆえに、駆け足の探索となってしまったが中々に中身は充実していたと思う。
サバゲやDQNによる破壊も甚大ではあったが、かろうじて建物が残されていただけマシだったのかもしれない。だが、なんとなくではあるが、ここも近いうちに取り壊されそうなそんな予感を感じた。

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取材日時 2008年 7月23日

コメント・久しぶりの廃モーテルである。
ここは情報提供物件で某情報筋のM氏より頂いたものである。
この近所にある超有名大型物件の名前を明かすと、この物件の特定が簡単に出来てしまうのでそれも出来ない。
ただ「こんなところに作っても、客こないだろ・・・」という事は言える。とにかく民家の間の狭い路の奥にあり、周囲を山に囲まれ鬱蒼とした雰囲気である。
連れ込み宿ならばそういうのも有りかも知れないが、大通りから入った手前にもっと大型で垢抜けた(あくまでもこの物件に比べてホテルがあるので、そちらに客を全て奪われたのかもしれない。
入り口のスロープには粗末ながらバリケードが置かれ、車での侵入は出来ない。歩いてなら簡単に敷地内には入れるが、周囲を民家に囲まれているので目撃される可能性は非常に高い。むしろ堂々と振舞っているほうが怪しまれないかもしれない。
内部は、管理人が居た棟以外は厳重に封鎖されていてカメラを差し込んでメクラ撮影するのが精一杯である。
きっちりと、管理されているだけあって客室はさほど荒らされている様子も無く、保存状態はよい。

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