取材日時 2008年 8月22日
コメント・去年の夏休みにここのすぐ近くにある「炭鉱館」を見に来た事がある。既に閉鎖されていて、内部を見学する事も出来なかった。
周囲の砂川の町もとても寂れており、全く活気がなかったのを憶えている。その日の天気はそれまでの真夏日から一転して、見も震えるような冷たい秋雨が降っていた。だから余計に町や閉鎖された施設が寂しさに拍車をかけているように感じられたのである。
今年は、それとは違い抜けるような青空と、さわやかな乾燥した空気のおかげで非常に気分もよく、前夜に宿泊したビジネスホテルで十分に休息も取れたので気力体力共に漲っていた。廃墟探索はやはり元気で天気で無いと、楽しくないものだ。
さて、今回の砂川中央竪坑だがこの施設についての詳しい説明は別のサイトにお任せする事にして(現役当時のJAMICの様子)、この施設は炭鉱として操業し、閉山した後は無重力実験センターとして再利用され、それも財政難で閉鎖。開口部はやはりコンクリートによって完全に密閉され(このての竪坑が開口している所をこれまでは見たことが無い)、当時の様子を窺い知る痕跡は、それ以外の施設でしか無い。
去年訪れたときには、あまりの保存状態の良さに「現役なのではないか?」と思い込み、近寄る事もしなかった。ところが自宅に戻ってからきちんと調べてみると、数年前に閉鎖され無人になっている事が判明。炭鉱館で壮大な肩透かしを食らった直後だっただけに、このチャンスを逃したのは非常に後悔した。
で、今年はそのリベンジを果たす為にやって来た訳なのである。
実は昨日、美唄から芦別の町へ向かう途中でここに寄り、下見をしてきた。
町からさほど離れていないという事と、街中に警察署が有るという事を鑑みて、突入口と退路の確保と機械警備の有無を確認しておいたのだ。
画像を見れば分かるように、この物件、驚いた事に施錠が全くされていないのである。しかしそのわりには内部は全く荒らされておらず放火や小便、消火器撒き散らし窓ガラスの破壊などの乱暴狼藉を果たした痕跡が全く無かったのである、これには大変驚いた。
だから余計に、内部に入ってからの探索は慎重に行った。つまり破壊がされていない廃墟というのは見方によっては廃墟ではなく「管理物件」である可能性が有る為に、管理者と遭遇する可能性が飛躍的に高くなるからだ。
しかし、2時間半近く内部を歩き回り400枚近い写真を撮影したにもかかわらず、人気はおろか猫の気配すらも全く無かった。
保存状態が余りにも極上すぎる為に、廃墟独特の味というものには欠けるが、北海道を拠点とした廃墟サイトではどこも公開していなかったというのが逆に不思議な位に優良な物件だったと思う。
探索レポート写真と、それ以外にあるルートから極秘で入手した工事記録の写真も公開する。
これは、竪坑櫓の無重力実験施設をクローズする際に、完全に開口部を塞ぎ、カプセルを落とすタワーごと壁を破壊して外に搬出し、産業廃棄物処理業者へ引渡すまでの様子を撮影したものである。
近年産廃処理に対する監視や規制が整備され厳しくなり、こういった取り壊しの様子から産廃として処理されるまでの一連の様子を見ることが出来る資料を用意しておかないと、規制に引っかかるのだ。所謂マニフェスト制度対策というやつだ。