ボヤジャントの呟き。 -6ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

取材日時 2008年 8月24日

コメント・実は俺が知っている産業遺産のなかで一番古い物件である。
今から10年以上前に刊行されたバイクツーリングマガジン「OUTRIDER」がまだ月刊誌だったころ、この鉱山廃墟に入り込んで散策するという記事が俺の目にとまった。当時は廃墟というものを全く意識しておらず、あくまでも景色のなかの一つのオブジェとしか捉えていなかった。
だが、あの朽ち果てた建物に残されたアーチ状の窓ガラスが妙にモダンで印象に残っており、北海道の山奥にあんな物が遺されているのか・・・と漠然とした気持ちで読んでいた記憶はある。それから長い時間を経て2008年。
俺はその記事の記憶を確かめる為にここに来た。この日の天気は曇りで気温も今まで以上に低く、長袖の作業着の上に小道具を携帯する為のベストを着込んで活動しても汗をかかない位に肌寒かった。鉱山のあるエリアを貫く道道を歩いていても、全く携帯の電波は入ってこず、完全に取り残された場所になっていることを実感する。かつてここには何万もの人がすんでいたにも関わらずだ。ここには民家というものが全く無い、人の気配は皆無で黙っていると山を越えて吹き抜けてくる風の音が無気味なほどに上空から降りかかってくる。バイク雑誌でみた鴻之舞の景色は、初夏の明るい日差しに照らされ、建物の中も差し込む太陽光の効果で綺麗なコントラストを描いていた。
しかし、この日は鉛色の雲が重く垂れ込める生憎の天気だったために、撮影してもトーンが単調で薄暗く、探検していてもあまり気分の高揚を憶える事は出来なかった。
あれほど長い事記憶の中に留まっていた廃墟だったのに、実際目にしてしまうとそれほどでもない。これも廃墟慣れの影響か。

目印は道道からも見える、慰霊碑。
そのすぐ近くには、索道の基礎が残されている。
パイプラインは現在も転用されているらしい。
鉄橋の基礎か?
現役の住金鉱山の坑口。
先ほどのパイプラインの近くの山肌にも索道が。
かつてここには大きな町があったことを偲ばせる
看板。
川沿いにある木造炭住、俺が探したかぎりでは、
たった一棟しか残されていなかった。
近くには接近困難な住友のマーク入りの倉庫が。
鉄橋基礎の近にあるRC炭住。
ほぼ半数の棟は屋根が無くなっていた。
鴻之舞最大の遺物である煙突。
築別坑の時もそうだったが、原生林の中に聳え立つ姿は
とても神々しく威圧感たっぷりである。
ここの煙突は周囲に雑草が殆ど生えていないので、
簡単に接近する事ができた。
いたずら書きも無く、綺麗なものだ。
煙突の近くにある倉庫。
OUTRIDERで見た鉱山事務所と言われている建物。
部屋の隅にスズメバチの巣があり、
あまり満足に探索できなかった。
このアーチの窓が強烈に印象に残っていた。
鴻之舞を訪れたのは、これを見るためだったと言ってよかった。関連画像はこちら
   

炭住街

殆ど草に隠れてます。
気候の厳しい日本海側なので、高い木は無いですが。
この建物、実は全体が平行四辺形にゆがんでいるのです。
いずれはペシャンコに潰れてしまう事でしょう。
遺物が少ない炭住にしては珍しい。
しかも左のスピーカーはかなりのレア物。
 
 
道路の反対側にも炭住が有りますが、もっと酷い。
屋根が完全に落ちてます。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月23日

コメント・羽幌鉱業が営んでいた3つの羽幌炭鉱のなかで、一番徹底的に解体されてしまったのが上羽幌坑ではないだろうか。
とにかく何一つ満足に残っていないのだ。
ただ、羽幌川沿いに炭住が立ち並ぶ区画と、上水道施設は健在だ。
肝心な炭鉱そのものに関する設備が全く見当たらないのだ、他のサイトを見て廻っても、現役の頃をうかがわせる物といったら、索道のモノクロ写真とか、福利厚生施設とかでもう残っている事が奇跡としか思えないようなものばかり。
築別坑のようなホッパーとか、本坑のようなワインディングタワー等のランドマークは全く無い。
すぐ近くの畑でトラクターを運転していたファーマーに聞いてみたが、やはり上羽幌にはそういったものは早くから解体されたとの答えしか返ってこなかった。
ということなので、物件名も諸施設となってしまった訳だ。

上水道施設・火薬庫

炭住以外で唯一怪しい建造物といったら、これしかなかった。
すでに放棄された建物のようで、警戒することなく接近。
建物の裏には更に怪しい物があった
・・・・・・・・(汗
先ほどの倉庫の内部
倉庫の隣にある、上水道施設と呼ばれている建物。
内部は物置と化していた。
二階部分。
関連画像はこちら  

取材日時 2008年 8月22日

コメント・北海道には本州とはけた違いに廃校が多い。
休息に収縮している経済状況と、雇用状況、それに併せて行政サービスの大幅削減と住民税等の負担の大幅アップ。
そうとなれば、もっと雇用が安定している都心へ本州へと人間が流れていくのは当然の理である。
大人が居なくなり、子供が居なくなり、取り残されたのは老人ばかり、だから北海道の地方へ行くと見るのは幼稚園児にも満たない年齢の幼児と年金と畑仕事を生活の生業としている老人の姿しか見ない。
この中学校は、築別坑へ向かう途中に偶然見つけたもので、学校廃墟としては円形校舎に引き続き2校目となる。
此処以外にも後で知ったのだが、羽幌太陽小学校跡という物件があり、ここよりもずっと多くの廃墟サイトで紹介されている。もしかしたら、俺自身も車で近くを通ったかもしれないのだが、写真を見る限り余りにも建物が新しく廃墟然としていないので、気がつかなかったのかもしれない。
これは数年後に仕事が安定し、有給休暇がたまり北海道へ渡れるようになったら、訪問してみたいと思う。
恐らく僻地にある学校だから、再利用される可能性はゼロに等しいだろうし厳しい財政状況のなかでは取り壊しもされないだろう。
北海道の深刻な経済状況ならではの皮肉な期待である。

車の全く通らない築別への道道の途中に建物が見える。
建物内部は荒らされているというよりは、自然に返っている。
おがくずというか藁と言うか、
これが何を意味するものなのかは自宅に戻ってから判明した。
合鴨をここで飼っていたらしく、
おそらくここで放し飼いにしていたのだろう。
 
 
学校廃墟につきものの机と椅子がどこにもない。
黒板も無いので、学校廃墟のイメージが湧かない。
ここの教室には黒板だけ有った。
廊下にはところどころ穴があいていて、
安心して歩ける状態ではない。関連画像はこちら
築別から車で走ること10分ほどで、このホッパーは見えてくる。
周囲は原生林に囲まれているが、なぜかホッパー周辺だけは
見晴らしがよく、見落とす心配も無い。
築別と同様に、内部には何も無い。
ただ、草木が育たないので歩きやすいし、
町から遠く離れすぎているのでこういう所にありがちな
不法投機もない。
ホッパーから竪坑櫓へ向かうには、鬱になるようなジャングル
を通過しなければならない。
他のサイトでは、晩秋の時期にも関わらず藪の深さに突入を
ためらったと記述があり、相当の困難を覚悟していた。
しかし、ヤブそのものの密度はそれほどでもなく、キツイガケを
よじ登ったり、段差の大きい建物を乗り越えていなければ
いけない事を我慢すればどうにかなる。
そのかわり非常に根気が要る。
まっすぐに進めないからだ。
竪坑櫓の途中にある建物。
内部はまるでエッシャーの騙し絵を思わせる眺めとなっていた。
道路からは見える竪坑櫓(ワインディングタワー)、しかし
近づくのは至難の業。
竪坑櫓に向かう前に、少しでも多くの写真を撮影する。
画像奥にある構造物には、今回は接近を諦めた。
鬱蒼とした木々の間から見える竪坑櫓。
直下に来ると、見上げても全体像を見ることは出来ない。
いたるところが腐食した鉄階段。これをみて登る事を諦めた同志が多数居た。俺は登ってしまったが。
一階部分には、この立て札がいたるところに貼られていた。
この部屋はコウモリの住処となっていた。
鉄階段で上層階へ。
上へ行けば行くほど、建物の状態は良くなっていく。
薄暗いが、足場は安定してきた。
これを見つけたとき、この上の階に期待が膨らんだ。
で、これだ。
ケーペ式巻き上げ機。
現存のまま、。こういうのが残っているから廃炭鉱探索はやめられない。
この巻き上げ機は他のサイトではお目にかかっていない。
だれも最上階に登らなかったのか?関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月22日

コメント・今回の長期探索北海道ラウンドでもっとも収穫があったのが今日ではないかと思われるほどの日であった。
砂川の竪坑施設は、目当ての櫓設備はガランドウだったが、保存状態が良くて及第点はクリアしていたし、この羽幌鉱業の2つの坑口は、ホッパーなどの大型コンクリート施設以外にも残されている施設が多数あり、予想以上に退屈しない所だった。
あまり派手に紹介されていないのが逆に不思議なところで、全ての施設に突入して探索するには、夏場は藪と戦わなければならないし、冬は深い雪に閉ざされて道路が封鎖される為に近寄る事も出来ない。
規模としてはかなりのものなのだが、原野の奥深くに有る為に、あまり廃墟マニアには知られていないというか、興味を持たれていない様にも思える気の毒な物件である。
今回の探索で特筆すべきところは、羽幌本坑の竪坑櫓である。その存在は知られているにもかかわらず、上層階へと続く鉄の階段の腐食が激しく、地上階まで来たのは良かったが、危険な為に足を掛ける事をためらって引き返した同士が多く居たようだ。その証拠に、竪坑櫓の最上階にある遺物を記録した写真を掲載した廃墟サイトを見たことが無いからだ。
まさか未既出だとは思えないが、ここで大々的に公開し、あのジャングルの中に楼閣の如くそびえる竪坑櫓の中には何が有るのかを知っていただければと思う。

 

築別炭砿

築別坑の目印となっている、鉱山病院。
道路の拡張で一部が壊されている。
この建物は、周囲に遮蔽するものが無い為に、風雪にまともに晒され
一番崩壊のスピードが速い。
他のサイトの写真と見比べると、それが良く分かる。
あたり一帯数キロに渡って、人間とよべるのは俺一人しかない。
内部に入るのも全く注意する必要が無い。
北海道廃墟マンセーである。
 
病院の反対側、築別川を挟んで向こう岸には炭住としては近代的な
RC集合住宅が残っている。
これは幾つかあるうちの一つ。
消防署跡。ここも崩壊が激しい。
少し離れたところに有った、用途不明の遺物。
↑のすぐ近くにある煙突。
根元にはヤブが深くて近寄れず。関連画像はこちら
美唄から我路に向かう道道を走っていると必ず目にとまる
原炭ポケット。
去年、我路キャンプ場に幕営したときから
有るのは分かっていた。
ただ、浄水施設の敷地内だったので、入る事を躊躇していた。
今回は、思い切って突入。
広大な敷地の隅っこを目立たないようにソソクサと歩き、
ポケットの直ぐ傍まで接近。
意外とでかい。
今回もまたまたヤブ漕ぎである。
今回はとにかくこんなのばかり。
見えているのは、原炭ポケットの横にあるホッパー。
これは道路から見る事は出来ない、
今回接近して初めて見つけた物件である。
ホッパーには枯葉と枯れ枝に混じって、
僅かながら石炭も残されていた。関連画像はこちら
   
選炭場から車でダートを走る事数分の所に変電所がある。
ここまでのダートがなかなかにご機嫌で、
廃墟探索が目的で無かったらG/Sで来たかった。
選炭場と同じく、崩落は激しく屋根が完全に無くなっていた。
雪国の廃墟はまず、雪の重みで屋根から壊れていく。
建物のなかには遺物は殆ど残されていない。
唯一残されていた書類棚?
キタキツネのものと思われる死骸。
ほとんど骨だけになっていた。
人工の鍾乳石。
今となっては珍しいと思わなくなった。




 
熊の出現に怯えながら探索を続ける。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月21日

コメント・今年の夏に敢行した約一ヶ月に渡る廃墟探索の第一発目の物件は三井美唄炭鉱の選炭場~変電所~原炭ポケットである。
灼熱の本州新潟より新日本海フェリーで北上、早朝の小樽の気温は驚く無かれ「10度」、肌寒く見上げた空は秋を思わせるような雲がたなびいていた。
8月のお盆が過ぎると北海道は一気に秋めく。探索には絶好の季節に渡道出来た幸せをかみ締めながら、道央道を旭川に向けて車を走らせた。
朝の7時には南美唄の街中に入る。
通勤の車がボチボチと出始めてはいたが、さすが北海道。住宅地の中を走っても人の姿は殆ど見ない。
県外ナンバーの車が出勤車とは逆の方向に走っていったとしても、特に目にとまる事も無くその点行動しやすいから助かる。
そして、今回は強力なツールを導入している為に見知らぬ土地で道に迷う事も無い。携帯電話に仕込まれたアプリで作動する「携帯ナビゲーション」だ。これに出発前廻る予定の物件を全て登録してきた。
だから、記念すべき一発目の物件も全く迷うことなく現場着する事が出来た、移動時間大幅な節約は一日に幾つか物件をハシゴするときは非常に重要になる。
目的地に到着し、邪魔にならないところに車を止め、熊よけの鈴をデイバッグに括りつけて山の中へ分け入った。
身の丈以上に伸びたお化けのようなフキをなぎ倒し、顔にバシバシと当たってくる雑草を持参した鉈を振り回しながら前進をする。正にヤブ漕ぎである。
虫が苦手で、ましてやマムシやヒグマ出没多発地帯の山中をこれから数日間やらなければならないと思うと、気がめいる。
特に北海道の炭鉱廃墟は山奥にあり、閉山してからかなりの日数が経っているために、その殆どが深い藪に埋もれている。もしヤブ漕ぎがいやなら初雪が降る前かゴールデンウィークの数日間しかチャンスは無い。しかし、今後社会復帰してしまったらそんな中途半端な時期に北海道に渡れる筈も無く、チャンスは今しかない。
嫌々だが今前に進まなければ、一生このチャンスは巡ってこないかもしれない。だから、頑張るしかない・・・。


鬱蒼としたジャングルの中を歩く事20分弱。
実際はもっと長く感じられた。
このコンクリートの遺構を見つけるまで、自信を半分喪失していた。
まるで密林の中に佇むアンコールワットのようだ。
直下を高速道路が通っているので、以外と騒々しい。
コンクリート以外で残っているものは殆ど無い。
それだけにこんな木造階段は貴重な遺物となる。
選炭場は上下に二ヶ所あるようで、
これは斜面の下側にある施設。
こちらは細い柱が多数立っていて、上部の施設とは若干印象が
違う。
しかしホッパーがあるので、
同じ用途に使われたのではないだろうか。
明らかに人の手で絡ませた細い針金。
妙に気になったので写真に収めた。
選炭場探索を終え、元の道路に戻る。
この煙突は去年の夏にも訪れた。
高速道路からも見えるので、場所の特定は超初心者レベルだ。

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