ボヤジャントの呟き。 -5ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

取材日時 2008年 8月31日

コメント・実はこの日の前日に雨の中を強行探索した奈良DLの後、大阪は貝塚市へと移動し、街中にある水間神社に立ち寄り、その足で一龍旅館の下見にでも出かけようとしたのだが、そこでカメラが突如動かなくなったのだ。
電源が入らない、バッテリーの消耗かと思い交換してみたものの全く起動しない。
更にバッテリーを換えてみたところ、一旦起動するが今度は電源が切れなくなると言う現象が発生。
考えるまでも無く、雨水が内部に侵入し回路がショートしたのである。
万事休す。少々濡れても大丈夫だろうとあの雨の中をろくな雨よけもせずにカメラを持ち歩いたのが災いしたわけだ。
結局この日の下見は中止、急遽デジカメを現地調達することになったのだが、生憎自分が居る貝塚市と阪南市には郊外にしか大型電気店が無い。
この日は奈良DL探索に多くの時間を費やし、体力も使い果たし後は宿を探してチェックインするだけなので店を探しに行く余裕は無かった。
カメラの現地調達は翌日に先延ばしにする事にして、阪南市内のビジホに飛び込みで泊まる事にした。
そんな最中、俺のmixi日記を見てある女性からメッセを頂いた。
和歌山県に在住する女性廃墟探索家といえばマリリンさんである。メッセをくれたのはその人だった。
彼女とは実際に会う前から何かのきっかけでマイミクになり、それまでは極たまにメッセでやり取りする程度しか交流が無かったのだが、今回俺が関西入りして大阪南部の廃墟探索をするという内容の日記をmixiに上げたところ、マリリンさんの目にとまり「是非会って、一緒に廃墟に行きましょう」というお誘いを受ける事になったのだ。
これも何かの縁、俺からも是非ということでお誘いを受けた。
翌日、宿から10数分の所にあるJRの駅(なんと無人駅)で待ち合わせ、今日の突入物件はマリリンさんのお気に入りである「廃旅館ホトトギス」であった。彼女はここに既に過去10回以上入っていて、何処に何があるのか目をつぶっていても分かると言うほどのホトトギサー(笑)である。
待ち合わせの時間に少々遅刻してきた彼女はこれまでにもブログにその姿を晒していたので、おおよそ予想は出来ていたがそれ以上に華奢でこの体で廃墟の中にズンズン入っていくのはちょっと想像できなかった。
「いや~~どうしよう、なんかちゃう(汗」
挨拶する間も無く何か動揺するマリリンさん、
「どうしました?何が違います?予想と違いましたか?」
と俺が聞くと。
「うん、何か予想とちゃうかったんで動揺してる。どうしよ(汗」
「具体的に何が違うんです?やばい事?」
「ちゃうねん、何か・・・廃墟マニアっぽくないっていうか」
「今まではどんな人が多かったんですか」
マリリンさんはかなり奔放な人で、これまでにも多数の異性廃墟探索家と方々の廃墟に2人で突入している経歴がある。
「なんていうか・・・その、あれ何ていうねん、こういうの好きな人を、ほらあれあれ」
「ヲタクですか?」
「そうそう!それが言いたかってん、Tavitoさんそんなん見えへんもん」
「らしくないと?」
「うん、mixi日記とか見てるともっと神経質そうな人かなって思ててんけど、なんかちゃうかった」
「で、具体的に会ってみてその感想は如何ですか?」
「うん、こんな男前て思わへんかったしめっちゃウチのタイプやったんで、ビックリというか汗出てきた。顔あっつう~」
「なんと言いました?今」
「Tavitoさん男前やし、ウチのタイプやって言うたの!」
「それはもっと他の女友達に言ってくださいね」
「Tavitoさん若い子好きやからなぁ・・・・もっと早うに出会ってて独身やったら絶対彼女にしてって言うてたわ~」
ハイハイ自慢話自慢話wwww

今回の物件は、前述したようにカメラの故障があったので、今年の春に購入した携帯電話のカメラで探索を行った。
それで出来上がった画像を見て思ったのだが、「A-200と大差ねぇwww」という事だ。
今の携帯カメラ、特にカシオのエクスリムエンジンを積んだタイプはかなりのハイスペックで、廉価なコンデジとタメを張れるほどの解像度を誇る。これには驚かされた。
そして、本体には外部メモリーとして1ギガのマイクロSDが挿入されているので枚数としては十分に足り、唯一フラッシュが無い事だけを覗けば十分に予備機としての役目は果たせる。
今回の長期ローラー作戦ではナビも日記の入力も兼任しているので、正に大活躍である。数年前の頃には考えもしなかったほどにツールの発達には目を見張るものがある。
ただし・・・・ワンセグだけは未だにいらないと思うのだが。
何回も来ているマリリンさんなのに、未だに足を踏み入れた事がないという場所が有ると聞かされた時には正直驚いた。
そこへは段差が大きく、同行者の補助が無ければ中に入れないと言う浴場だった。つか、一緒に行った男はそういう所で何故にサポートしてやらないのかね?
俺に引っ張り上げてもらったのが初めてだったとマリリンさんは言っていたが廃墟探索家の中には、そうやって女性をリードしてあげられるようなヤツは居なかったのか?

川の手前側の建物は殆どが木造なので、
朽ち果て方が激しい。内部に入るのも躊躇してしまう。
夏の盛りなのだが、建物の中は比較的乾燥していて過ごし易い。
木造の利点なんだろうか。
フラッシュが無くても、かなりいい感じで撮影が出来るカシオの
携帯は大したもんだと思う。
筐体が軽く、決してホールド性も良いとは言えない筈なのに、
テブレも殆どしないのが不思議なくらい。
川に下りて渡り廊下を見上げる。この旅館を特徴付ける場所だ。
石を積み上げてアーチにしてあるのだが、あまり意味が無いような。
 
屋上は夏の日差しの照り返しでとんでもなく暑かった。
ここでマリリンさんと2ショットで記念撮影。
久しぶりの合同探索、楽しかったです。
しかも異性との合同探索なんて何年ぶりだろうか。
今度は紅葉の時期にでも再訪してみたいものだ。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月30日

コメント・名が知れている割には突入レポートが見つからない、というか無いのではないかと思うほどに情報が枯渇していた奈良DL。
俺の周りでも内部に入って探索してきたという猛者はおらず、これは俺が最初の突入者になるのかと思うと、嫌が上でもテンションは上がる。
こうして俺が人のやっていない事を実行して、それが成功すると必ず2ちゃんねるで陰口を叩く人間が出てくる。
その事に対して、俺はそういう器の小さい人間が同じ廃墟を愛好しているのかと思うと非常に情けなく思う。
某関西に在住する廃墟愛好家の方からも同様の話を聞いたのだが、どうやら自分が思うように行けない物件へ他人に先回りされると、非常に不愉快に思う輩が数人居るらしいのだ。無い事無い事をでっち上げ、それを2ちゃんねるの廃墟スレッドに名指しで書き込む。当然事実が伴わないデマであるので、当人にとっては何らダメージは無いのだが、決していい気分ではないのは確かだ。陰口を叩く人間はそうやって、誹謗中傷するターゲットの交友関係に亀裂を生じさせ、仲間を引き離そうと画策しているようなのだが、一体どこまで幼稚な発想なのだろうかと思う。
そして、この物件に関しても既出のレポートが無い為に(2008年11月現在)俺が最初にレポートを上げる形になるわけだが、それを自慢話としてだけを強調し2ちゃんねるにそれを書き込む。はっきり言うが俺なんかよりも「ニッポンの廃墟」の作成に助力して自分の名前を本に載せてもらい、それを自分のサイトでひけらかすあの人々の方がよほど自慢話をしているように俺には見えるのだが。
誰も上げていないレポートを実地調査した上で作成し、無料でだれでも閲覧する事の出来るサイトで公開して、それを見る事が出来るようにしている。
誹謗中傷するやつも当然自由にそれを見る事が出来る。スレッドに俺のサイトのURLを直リンして「この廃墟は何処に有るのか場所を教えて」と場所を聞くなどという愚行を行った上で、バッシングをしようとしているのだから、怒りを通り越して笑ってしまうしかない。
挙句の果てには、俺に対しては「廃墟で金儲けしている」と言っている文言があるが、これこそ言いがかりもいい所で金儲けの「カ」の字も廃墟に絡んで金銭の授受をした事は一切無い。それを言うなら「ニッポンの廃墟」はどうなんだろうか?本に出して金儲けをしているインディビジョンに対しても同じ事を言う事が出来るのか?
答えはNOである、結局個人しか叩けない人間は権力に抗うなどという事は出来ない、その程度の人間なのである。
要するにこういう事を書くような人間とは、俺が積極的に廃墟探索に出かけ、新しい物件や取り壊し前の物件、合法的でないと突入する事の出来ない物件などに、業界のコネを利用して探索をしレポートを上げる事が単純に面白くないのである。

ジェラシーが鬱積して焦燥心が肥大化し、自分の行動力の無さや器の矮小さを棚に上げ、結局は無記名で2ちゃんねるに書き込んで憂さを晴らす事しか出来ないのである。
こういう連中に対して俺は、敢然と反論させてもらうが、奈良DLのレポートは自慢話であると取って貰って結構である。苦労して内部に入り、豪雨の中カメラの故障もいとわずに数百枚の写真撮影をし、全身濡れネズミになりながらも探索を続け、ガードマンに発見されるかも知れないという恐怖心と戦いながら広大な園内を歩き回り、そのレポートを惜しげも無くネットに公開する。それが有名物件で有りながら未既出であれば、当然先駆けとなる訳だから、自慢話にもなるだろう。俺は自分だけの力で目標を勝ち取った場合は廃墟探索レポートに限らずそういう所は、なんら引け目無く自慢させてもらう。
仮に俺が逆の立場だったら、「いやはやご苦労さん」と労いの気持ちをもってサイトを訪問し、情報を有効に収拾し探索を安全確実に行い、後追いのレポートを作成する事だろう。
その物件が素晴らしければ感謝の気持ちをこめてお礼のメールも送るし、それが出来なければBBSなどにコテハンで書き込む。
そういった礼儀はたとえ廃墟探索などという趣味での話でもすべきところはきちんとしている。それが大人という物だろう。
羨ましいと思うのなら、陰口を叩くような根性の腐ったまねをせずにさっさと廃墟に行って探索をすればいい。
それが出来ないのなら、潔く諦める事だ。できない事を口実に先人に対して恨み言を書き連ねるような人間は、実際の社会生活で競争の中を勝ち抜く事など絶対に出来ない。
負けを素直に認める事が出来ず、結局は粗捜しに奔走し己の実力を謙虚に見つめなおすと言う、大人としての有り方が出来ないからだ。そいつは努力をしないから結果が伴わない、結果が伴わないのに出し抜かれたことを恨み、自分の事を棚に上げ相手に対して盲言を壁に向かって言うしかない。
そういう意味ではどこまでも可愛そうな人たちだ。


さて、話は横道にそれたが前述したようにこの物件は探索レポートがネットに出回っていない。
閉鎖されて間もない遊園地という事と、厳重な警備体制がなされていて難攻不落侵入不可の管理物件という情報が一人歩きをし、内部には犬が放されているとか車に乗ったガードマンが始終園内を巡回しているので直ぐに見つかるとか、機械警備が至る所に設置されているので何処からも入る事が出来ないという情報が大勢を占め、そこに来たまでは良かったが、結局塀の前で及び腰になり、そのまま回れ右をして引き返してしまうという同士が沢山居たという。

確かに、俺自身が内部に入れたからと言うだけで、この情報が全て眉唾で実際はオールウェルカムかと言うとそれはウソであり、内部の警備体制は万全で油断する事は絶対に出来ない。24時間常駐し何かあれば直ぐに現場に急行できるようにガードマンもきちんと配備されている。
俺が内部に入って長時間に渡って探索できたのは、この日が大雨であったという事、早朝夜明け間もない時間帯を選んで突入したという事、内部の警備体制を事前にネットや地元住民から詳細に聞き出し、突入本番の前日には念入りに下見を行いどこから突入してどういうコースで内部を巡り、どこから出ればよいのか、緊急の場合の退路は何処に確保しておけばよいかなどの周到な準備があったからこそ成し得た訳で、誰でも簡単に内部に入れると思ったら大間違いである事を認識すべきである。

3時間近くに渡って行った奈良DL探索のスタートは
この機関車車庫からとなった。
この山の内部に入る事は出来なかった。
今考えれば出来ない事は無かったんだが・・・。
カッパ・ピア以来の極上保存状態の遊具達が、
そのまま残されている。
 
 
 
 
 
 
ここだけは正面入り口の中央に位置しているので
接近する事は出来なかった。
この物件最大の目玉であるASUKA
流石に目立つので木造軌道を歩く事は出来なかった。
ASUKAの反対側にあるモノレール。
DLといえばモノレールだが、横浜のとは当然タイプが違う。
場内をほぼ中央に横断するゴンドラ。
時間が止まっているような錯覚を覚える。
拭いても拭いても雨粒がレンズに付着し、撮影を妨害する。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月29日

コメント・今更説明不要の超有名物件である。
名前を伏せなかったので、今更伏せても意味が無いほどに方々のサイトで紹介されているし、物件そのものには既に可燃物となりうるようなものは無く、ただのRC構造の破壊し尽くされた廃旅館だからである。
場所の特定は某女史のブログに掲載された詳細な地図を元に行い、携帯のナビに登録。
しかし、いざ現場に近づいてみると直ぐ近くの国道は交通量も多く非常に車の流れも速い為、滋賀県方面からきた場合はトンネルを出て直ぐ反対側の駐車スペース(では無いのだが)に車を突っ込まなければならない。このタイミングが非常に難しく後続車を引き離して出口に差し掛かっても、対向車が来てしまうと右折する事ができない。信号の無いトンネルの出口でいくら合図を出して停まっているとしても、あの現場を知っている人ならその行為が追突事故を誘発する可能性を多分にはらんでいるという事は容易に想像がつくはずだ。
結局余りにも危険という事で安全策として、もっと先のほうまで走りそこでUターンをし、普通に左に分岐して車を停めるという方法でなんとか急場をしのいだ。

車両は入れなくなっているトンネル脇の道路。
その奥に笠置観光ホテルはある。
蒸し暑く小雨の降る天気は京都府も変わらなかった。
ホテルの前の鬱蒼とした坂道の途中には、ボイラー室のような
プレハブが一棟立っている。
これが何のための物なのかは、どのサイトでも解明している
様子は無かった。
ホテル一階部分。
徹底的な破壊。
一切の妥協の無い陵辱。
心霊スポットとしては雰囲気は有るかもしれないが、
廃墟愛好家としては脱力するしかない。
厨房にはかろうじて遺物が残されていた。
愉快犯的な破壊行為と、業務での解体行為のあわせ技で
物件内部は妙な清潔感に覆われていた。
普段簡単に見る事の出来ない、エレベータシャフト。
これは下から上層階を見上げたところである。
角の一室では、このような浴槽が用意されていたが、
はっきりいって客を舐めているのかと思うほどに小さい。
どうやったら手摺りだけ残して、階段だけ取り壊せるのか
教えて欲しいくらいだ。
てか、夢に出てきそうだし。
最上階にあった不思議な隙間。
人一人がやっと通れるような幅しかなく、何のための隙間なのか
分かる人は解説をして欲しいくらい。
これを見て、ウィンチェスター夫人のミステリーハウスを連想したのは
俺だけだろう。
屋上にも簡単にあがることが出来た。
近くの山向こうで雷鳴が鳴り響いている。
見るものも余り無く、とりあえず有名なところに寄って見た程度の
感慨しかなかった。
早々に退散する。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月29日

コメント・関西では知らない人は居ない今では貴重な廃遊園地である。
現在ではゴルフ場がその敷地の頬殆どを占領しているが、それ以上の開発をしていない為、守られるように残されている。私有地の最深部にある為に簡単には中に入る事も出来ない為、隠密行動を主とする我々廃墟探索愛好家はどうにでもなるが、破壊活動を目的としたDQNや肝試し目当てで騒ぐ連中は入る事はほぼ不可能といえる。
ただ、問題は傾斜地にある為に乗り付けた車両を何処に停めるかで行き返りの体力のロスが変わってくる。
人によっては外周道路の行き止まりまで直接突入し(決して推薦できる方法ではない)そこに車両を置いて探索に向かうというが、結局は一番下の部分まで探索をしてしまうと、結局車に戻る為には延々と登り勾配を昇っていかなければならなくなるので同じだと思われる。勿論周辺の地形や道路事情に詳しい御仁であればなにかしらの抜け道が有るのかも知れないが、すくなくとも出入り口はクラブハウス脇の一箇所しかないはずだし、単独で現地にやって来たのならば、車の所まで自分の足で歩いて戻らなければいけないから、あまり効率としてはどれも変わらないような気がする。
だが、気をつけなければいけない事がある。これは私自身の体験に基づくものなのだが、くれぐれもクラブハウス前の駐車場に車を置いていってはいけない、一見広大な駐車場で片隅に一台だけ停めたってわかりゃぁしないと思っていたが、どうやらまずかったらしい。あくまでも注意だけですんだがここでは言えないような事があったからだ。
それならいっそのこと外周道路の終点まで車を入れてしまえばとも思うのだが・・・見つかったときのことを考えるとどちらもリスクが高い。いずれにしても突入には細心の注意を払うべき物件である事には間違いない。
さて、肝心の物件の方だがなんといってもここの目玉は「観覧車」であろう。
さすがに乗り込んで最上部へとはいかないが、カッパピア亡き後現存する貴重な遊戯施設となった。それ以外にも忍者屋敷とかトランバンド、チェーンタワーなども残されていたが、あまりパッとした印象は感じられなかった。閉演してから時間がかなり経っているという事もあるだろうが、全体的にショボイ。やはりカッパピアのあの規模を見た後ではどうしても見劣りしてしまうのは仕方が無いか。
しかしそれ以前に閉口したのは、湿度の高さだ。さすが内地、北海道から下ってきて最初の本州での探索となったのだがいきなり滝の汗である。
これが九州ラウンドまで続くと思うと気がめいる。北海道の乾燥した空気が早くも恋しく感じられた。

2008年11月23日付けの楓さんの廃墟サイト「廃墟ちゃんねる」の掲示板にて甲賀ファミリーランド解体の一報が入った。
詳しい情報は未確認だが、場内に侵入した人が逮捕されたと言う事が影響して、当該物件の有るゴルフ場の所有者が業を煮やして決断したらしい。
この知らせを受けて、当サイトも「取り壊された、あるいはリニューアルされた廃墟物件は原則実名公開とする」という方針に従って、伏字を解除することにした。

ゴルフコースの外周路から見える観覧車。
汗だくになりながら登り切ってこれが見えたときは
倒れそうになった。
タバコやめてダイエットしておいて正解だ。
それをやっていなかったら途中で息を切らしていた事だろう。
まず最初の建物に入ってみる。
もうとにかく蒸していて、じめっとしていて、かび臭くて。
暗闇の中蚊を追い払いながらサクサクと撮影を事務的に進める。
 
湿気が多いせいか、風でギイギイと音を出してくれるはずの
観覧車、今日は静かなものだった。
この勇姿を見上げる事も叶わなくなった。
カッパピアに続いてまた一つ、俺が突入した直後に有名物件が
取り壊された事になってしまった。
とても乗ってみる気は起きなかった。
その代わり、だれもやらないようなアングルから写真を撮る。
三菱美唄の竪坑櫓のように、やはり奇抜な写真を一枚くらいは
撮っておかないと、ハクがつかないからな。
で、これが観覧車の中心部分、ここまではとりあえず登れた。
チェーンタワーと呼ばれる遊戯施設。
殆ど木に囲まれて、何がどうなっているのか良く分からない。
かの有名なお方。高湿度の為ガラスケースが曇っていて、
普通にフラッシュを焚いても全く写らなかったのでこうする他無かった。
建物の外側は見事に抹茶色に染められていた。
トラバンドという施設。
これまた熟成がかなり進んでいた。
晴れていればもうすこし陰影がはっきりして、写真移りに無頓着な俺でも
少しはましな写真が撮れたとは思うが、とにかく蚊が多くて。関連画像はこちら

甲賀ファミリーランドのパンフレット

スカッとさわやかコカ・コーラですよ。
ちなみに電話番号は生きていて、
どこかに繋がるので消しておきました。
実名公開に切り替えたが、画像のボカシはすでに原本にも施してあるのでそのままとした。
イラストでは沢山のアクチビティがあるように見えますが、実際はトホホなものばかり。
現役時代の観覧車の姿。
かなりカラフルだったんですね。
D51は何処へいったんでしょうか?
完全なお化け屋敷となってしまった忍者屋敷。

取材日時 2008年 8月26日

コメント・ここは炭鉱施設そのものというよりは、牧草地の中にぽつんと取り残されたかのように佇む二棟のRC二階建ての炭住ではないだろうか。
俺がここの物件を始めて知ったのは「クシロダイスキ」という釧路のローカル情報サイトで見かけたモノクロの写真だった。
3人の女性が立っている後ろに、まるで戦争映画にでも出てくるような重厚なつくりのコンクリート建造物が見えている。これについての詳しい説明はここではなされていなかったが、ほかにめぼしい物がない尺別炭鉱ではこの建物を探し出し撮影するだけでも十分価値があると思った。
しかし、雄別の次にこちらへ赴いて思ったが、意外と探し出すのに苦労した。まず、国道からまっすぐに伸びる道道を北西へズンズンと走っていく、民家などは国道を離れた時点で既に無く、周囲は全て牧草地帯。とてもこの先に炭鉱の町があったなんて想像もつかない、それは羽幌も雄別も美唄も同じなのだが、特に尺別に関してはJRの駅といい町の寂れ具合といい、飛びぬけて廃れ方が酷いように思えた。やはり、人が一気にいなくなるという事はその町が過疎という過程を辿ることなく一気に死に至らしめてしまうのかもしれない、どこにも痕跡が殆ど無いのだ。それゆえに最初は道道の終点と言うべき場所まで車を進めたが、これまでに無い深い藪と、路面が半分崩落した場所に遭遇してやむなく引き返す事となった。
恐らくあの場所から先にも何かあったとは思う、しかし今回の尺別での目的は二棟の炭住だけで、鉱山施設を探すという事は念頭に置いていない。その理由はネットにそれに関する画像や情報が全く無いからだ、勿論往年の記録写真はいくらでも見つける事は出来た、そうではなくて今現在の遺構や廃墟が探索の目的であって、それが無ければ行っても無駄になるからだ。
行き止まりの道道を延々バックで引き返し、たまたまダメ元で入ってみたわき道をゆっくりと走る、この先何も無さそうなあぜ道程度なのに轍が不自然にくっきりと残されている。そこからみても、この先にはもしかしたらという勘が働いた。やがて、道は木立の生い茂る丘を登る坂道となり、その先で突如視界が広がった。
目の前は見渡す限りの広大な牧草地。確か、あの炭住は牧草地のなかに要塞のように建っているはずだった。しかしそこでは何も見えない。ということで、車を降り丘全体が見渡せる所まで歩き、振り返ってみると・・・・・その先に目当てのRCニ棟炭住が姿を現した。
周囲を綺麗に刈り込んであるためにその建物が草原の中に浮かび上がっているようにも見える。現役の住宅と見まごうばかりに風景に馴染んでいる。しかし壁は剥がれ落ち窓ガラスというものが全く無い、やはり紛れも無く「廃墟」なのであった。
この日を持って北海道の廃墟めぐりは終了。
去年の夏、ここに忘れてきたものは全てやりとげた。これ以外にも遺構しかない炭鉱や産業遺跡は幾つかあるらしいが、この先にも関西~中国地方~九州ラウンドの廃墟探索が待ち構えているし、今回のメインディッシュである軍艦島上陸のイベントも予定されている。
それも考えてノルマを果たしたら北海道は離れると最初から決めていた。
明日以降は、夕張に一泊しその後は小樽へ向けて札幌市内観光をしつつ深夜発のフェリーに乗り、舞鶴へと一気に南下をする。

国道から尺別に向かう道道、通り過ぎる車は一台もなかった。
尺別にへの鉄道がこのカルバートボックスの上を通過していたわけだ。
現在は得体の知れない資材置き場となっている。
当然のことながら、記念碑もあった。
この建物もよく紹介される。
不法投棄の巣窟と化していたので内部に入る気は起きなかった。
探していた廃炭住、同じ所に建てられているのに、
なぜ見た目の構造が違うのだろうか。
内部には遺物とよべるものは殆ど無く、
床も無くなり山の上だからだろうか、朽ち果て方がかなり激しい。
窓の外には牧歌的な風景が広がる。
なんか音楽のPVとかに使えそうな気がする。
 
壁にあいた大穴から隣の炭住を見る。
なんとなくシュールな風景だ。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月26日

コメント・釧路から雄別に向かう手前にある集落が布伏内(フップシナイ)である。炭鉱の繁栄にあわせて人が住むようになり、炭鉱の閉山に取り残されて過疎化が進んでいる。
街中には工業団地を誘致したかったかのような空き地があちこちにあり、建物は残っているが大した稼動期間も無くすぐに撤退したとおもえる。なぜなら、建物そのものが新しく全く傷んでいなかったからだ。それよりも目に付いたのは集落内にいたるところにある炭住の廃墟だ。
草に覆われ近づく事もままならないが、かなりの規模の炭住が残されたままになっている。
その状態の良さから見ても、どうして同じ時期に閉山した羽幌と朽ち果て具合にこれだけ差があるのか不思議でならない。

布伏内炭住関連画像はこちら
布伏内集落の中にあった廃墟
まだ新しく破壊もされていないので、内部に入る事すら出来なかった。関連画像はこちら

雄別諸施設

炭鉱病院へ通じる道沿いに残されている住宅地跡。
大量の地下水が遥地下深くの坑道から噴出している。
完全に塞がれている雄別坑口、
入り口のアーチにかろうじて三菱のマークを見る事が出来る。
道路から住宅地へはこんな階段を昇る。
侵食されて段差が小さくなっていて、かえって登りづらい。
一目で分かる、浴槽跡。
車で走行中、非常に大きな音と衝撃を受けた場所がここ。
道路の下に敷設された配水管のフランジ、
一瞬床下に穴があいたのかと思ったくらい
思い切りぶつかり肝を冷やした。
住宅地の近辺には、用途不明の建物が幾つもある。
ただの倉庫にしては大仰な作りだ。
ここの倉庫には近寄るのを諦めた。
ヤブが深すぎるし、多分近寄っても何も無いと思ったからだ。
要塞を思わせる背の低い建物、
部屋の中はまぁまぁ広いが不法投棄の修羅場と化していた。
雄別のランドマークでもある大煙突。
これを見たかぎりでは何ともないように見える。
あえていたずら書きが見えない角度で撮影した。
煙突近くにある索道跡。
炭鉱跡地には必ずある慰霊碑。
夏前辺りに草刈をした形跡があった。
こんな山奥でもちゃんと人は来るのだ。
これが問題の工場。
あの煙が鉱山跡地まで流れ、クサヤを焼いているような
凄まじい臭いを撒き散らしている。
悪臭工場の近くにあるので、
咳き込みながらGSも見てきました。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月26日

コメント・地図とネットでの下調べとかなり違う印象の鉱山だった。どう違っていたかというと、思ったよりも山奥で思ったよりも荒れていたという事だ。
そして、藪も深く最低地上高の低い車では間違いなく亀の子になるような深い轍の場所や大きな段差で、斜めに突っ切らないとバンパーが吹っ飛ぶような場所も有る。
俺が探索している間も、地元のオフロードライダーのグループが周囲の林道を走り回っていたが、なんどか転倒する際の空ぶかしの音を耳にした。
実際に町があったとされる場所を貫いている目抜き通りも、身の丈までのびた雑草が両側から覆い被さるように伸び、車で掻き分けながら前進するという苦労を強いられた。
ここでの強行によって車の両サイドには草木がこすれた時に残る細かな傷が無数に刻まれる事になった。
肝心の物件本体のほうだが、雄別ガソスタ・雄別購買・住宅跡・病院・煙突・索道跡などは一通り見て廻る事が出来た。
しかしこんな山奥で携帯の電波も満足に届かないような所の割には、心霊スポットとして大変有名らしく、DQN達が夜な夜な大挙して押し寄せているというのには驚かされる。
ヤツラの乗っているような車ではこんな山奥まで入ってこられるとは思えないからだ。恐らくDQN特有の周囲の状況を考えずに突進するという修正がなせる業なのだろう。
病院に関しては、余りにもドキュソ爆弾の威力が凄まじく遺物らしいものは全く無かった、つまりは見所と呼べるものも無く、見ていてゲンナリするようないたずら書きばかりが目に入り、廃墟独特の空気感に酔うという事すら叶わなかった。
もっと驚愕したのは、あの巨大煙突である。何を考えているのかDQNhあの煙突にもよじ登って下品ないたずら書きを煙突に施しているのである。あれには怒りを通り越して呆れるとしか言えなかった。命の危険を顧みずしてまであんな程度の低い落書きをするという感覚は、正常な人間には全く理解できない。イッソ本当に落下して死んでしまえばいいのにと思ってしまうのは極々自然な事だ。人気の全く無い原生林の中に、遺跡の様に静かに佇む雄別の炭鉱跡で雰囲気は秘境をも思わせるほどに十分なものがあるのだが、あのいたずら書きは絶対に許せない。かつてここに住んでいた人たちも近くを通る時には、思い出めぐりをするためにここにやって来るというが、あんな風景を見てしまったらどれだけ悲しい事か。DQNは結局そこまで考えを巡らせる事が出来ないから、そう言った事を平気で出来るのだろう。情けない限りだ。

あと、困ったのはこの雄別炭鉱に向かう途中にある正体不明の工場の存在だ。(この工場は後に廃業、数年後にバイクツーリングで立ち寄りその正体が肥料製造工場であることが判明した)

とにかく稼動中に敷地内かr立ち上るあの青白い煙は何とかならないものなのか。とにかく・・・・・臭い!のだ。おそらくあの臭いからして、肥料かなにかを作っているのかもしれないが、工場から相当の距離を車で走っても吐き気を催すくらいに臭いのだ。あれほど強烈な悪臭を放つから、こんな山奥の民家から離れた場所でなければ瞬く間に苦情が殺到して閉鎖撤退に追い込まれることだろう
それにしても周囲一帯にこれだけ悪臭をたなびかせているのだから、風向きが変わってふもとの布伏内の集落に臭いが届くような事があれば、瞬く間に大騒ぎになる事だろう。
俺は、あの工場の正体を確かめようと現地で色々と見て廻ってみたが、工場の名前の看板や許認可証などを見る事は出来無かった。その後自宅に戻ってからもネットで調べてみたがこれもだめ。つまり何から何まで正体不明なのである。ますます怪しいと思った。いずれはこの工場の正体を暴いてやろうと画策している。

雄別病院

ジャングルの中に佇む廃病院
全ての窓ガラスが割られ、病院と知っていなければ
何の建物なのかを判別するのは難しい。
当然オールウェルカム状態。
内部は無数の落書き。
遺物は殆ど無い。
 
デザインは結構洒落ている。
鉱山施設の付属施設は概してモダンなデザインが
用いられているのが多い気がする。
他のサイトでも紹介されていた千羽鶴。
吊るしてあった筈なのに、地面に落ち踏まれた跡が有った。
こういう事を平気でできる神経が俺には分かりません。
徹底的なドキュソ爆弾。
こんな所まで登って落書きするなんて、ご苦労なこった。
屋上です。草ぼうぼうで特に見るような物も無い。関連画像はこちら

取材日時 2008年 8月24日

コメント・有る意味有名な物件では有る。立派な観光名所でこれもまた今更説明する必要もあるまい。
地元民に聞けばだれもが教えてくれるし、観光案内パンフレットにもデカデカと紹介している。糠平湖へのアクセスもちょっと分かりにくいが固く締まったダートが直ぐ傍まで伸びており、観光バスまで乗り付けるほどの賑わいを見せている。
誰もが簡単に見ることが出来て、こんなのは廃墟物件として取り上げるべきか最初は悩んだが、この橋梁跡は季節によってダムの水位が大きく変わると水没して見えなくなってしまうという所を考えて、「うまく見ることが出来たらそれだけで価値がある」と捉え産業遺跡として物件の一つとしてカウントすることにした。
実際現場に行って見て、荒涼とした景観が広がる中、予想通り多くの観光客が押し寄せていている様子を見ると一種異様な感覚を憶えた。
こんな何も無い所にもこれだけ客が集まるのかと。橋は夏場の水位が上がる季節にもかかわらず半分以上水面から出ていて、橋梁跡として見るには十分な眺めだった。
一般観光客が立ち寄る北側だけでは飽き足らず、俺は更に林道を移動して南側からもアクセスを試みたが、林道のゲートに阻まれ且つ林道から橋梁跡までがあまりにも離れていたので接近は断念した。対岸の橋の袂には釣り客と思われる人影が数人見受けられたが、かなりの距離を何処からか迂回してたどったに違いない、今回は鴻之舞でかなりの時間を潰したし、天気も下り坂で芳しくなかったので、遠くからの撮影で撤退する事にした。

タウシュベツ橋梁跡までの廃線跡には、
このようなアーチ橋が幾つも残されて保存されている。
目的地まで伸びる線路跡、自然遊歩道となっている。
予想外に水位が低くて今回はラッキーだった。
橋の中で一番崩落が激しい部分とされているところ。
対岸から接近を試みたがタイムアウト。関連画像はこちら