東京からJR東海道本線〜山陽本線として約1090㌔続いてきた鉄路と、京都から分かれて日本海側を約672㌔走ってきた山陰本線は、本州西端の山口県下関市で再び合流します。昔から名所として知られる現地周辺を歩いてみました。

 

 

山陰本線との合流地点を行く山陽本線下り普通列車。左が上り線、中央の少し低い位置にある線路が山陰本線です。周辺は住宅地ですが、線路沿いにはわずかに緑が残っています

 

 

 

合流地点は下関市の山の田〜川中地区にかけて、JR幡生駅の約1.5㌔北にあります。新下関駅から山陽本線下り列車に乗ると約2分。火ノ見山のふもとを過ぎると市街地に入ります。しばらくして進路を南に変えたところで、右手から単線の山陰本線が現れます。

 

 

山陰本線は綾羅木駅から南東方向に下りてきて、山陽本線上り線をくぐって下り線との間に入り込みます。築堤区間を過ぎると3本の線路が並んで幡生駅に入ります。

 

 

綾羅木駅を出て合流地点に向かう山陰本線のキハ40系普通列車。手前に見えるのは山陽本線上り線

 

 

合流地点に入った山陰本線の普通列車。左奥に見える貨物列車が走っているのは山陽本線の上り線

 

 

すれ違う両線の普通列車。合流地点を過ぎると、3本の線路はきれいに並んで幡生駅に入ります(右端は下関総合車両所の試運転線)

 

 

 

この区間は、先に山陰本線が1914(大正3)年に長州鉄道として開業した際に敷設されたようです。当時の山陽本線は約2㌔南の中国自動車道下関インター付近を走っていました。28(昭和3)年に川中地区を通る現在のルートとなり、この合流地点が形成されたと思われます。

 

 

山陽本線上り線を行く117系「ウエストエクスプレス銀河」=2021年

 

 

山陽本線(上)と分かれて綾羅木駅に向かう山陰本線のキハ40系普通列車

 

 

合流地点の北側から見た、山陽本線上り線を走る105系普通列車。中央の山陰本線とその踏切の位置から、独特の構造が分かります

 

 

 

合流地点は昔から撮影名所だったようで、山陽新幹線開業前で多くの特急が行き交っていた昭和40年代の写真を鉄道雑誌などでよく見かけます。それらを見ると当時は宅地化が今ほど進んでおらず、まだ緑が残っていたようです。

 

 

その後70年代後半〜80年代にかけて造成が進んだようで、例えば「鉄道ファン」85年1月号に寝台特急「あさかぜ」をけん引して合流地点を走るEF65 1100の写真が載っていますが、背後の山は既に削られていました。

 

 

昔の定番ポイントを行く115系3000番台の普通列車。70年代はのどかな風景が広がっていたようですが、その後周辺は一変しました

 

 

 

現在の合流地点周辺には多くの団地や住宅が建っていて、緑の中を走る雰囲気はありません。それでも線形自体は変わっていないため、大きくカーブしてやって来る長い貨物列車やひょっこり顔を出す気動車など、多彩な鉄道シーンが楽しめます。

 

 

合流地点は大きなカーブになっていて「福山レールエクスプレス」のような長い編成の貨物列車が雰囲気よく撮れます

 

 

幡生駅方面に向かうEF65 1131。線路沿いにはわずかに緑が残っています=2020年

 

 

 

周辺は幡生駅寄りが高台になっていて、歩いてみるといろんな角度から合流地点の構造が見られます。また山陰本線の稗田川踏切は、山陽本線のガードに挟まれていて、独特の景観が楽しめます。

 

 

合流地点にある山陰本線の稗田川踏切。山陽本線のガードに囲まれた独特の景観です。小さな踏切ですが、しばらく眺めていると人もクルマも結構通っていました

 

 

 

合流地点は幡生、新下関、綾羅木の各駅のちょうど中間で、アクセスは新下関、下関両駅から出る路線バスに乗るとすぐ近くまで行けます。クルマの場合は、旧国道191号の山の田交差点付近にコインパーキングがあります。

 

 

二つの本線の合流する鉄道の名所。ベテラン国鉄形の活躍が見られるのも魅力です。今回ゆっくり歩いてみて、市街地にある鉄道ファンのオアシスのように感じられました。

 

 

 

 

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