1992年6月、山陽本線岩国ー下関間で運用される車両の冷房化促進のため関西圏の淀川、奈良、日根野の各電車区から下関運転所に転属してきた16両の103系。国鉄通勤形電車の代表格で大都市向けだった形式が、乗客が少なく駅間距離の長いローカル輸送に就く姿は、鉄道ファンとしては新鮮でした。

 

 

4両編成4本の103系は翌93年3月のダイヤ改正で広島運転所に移ったため、下関時代はわずか9カ月間でした。一方で趣味的に見ると、元は首都圏で活躍した車両だったり改造車があったりと、個性派揃いでした。当時の4編成を振り返ってみました。

 

 

■E1編成(クハ103-94+モハ103-235+モハ102-390+クハ103-156)

 

4両とも淀川から転入。下り方3両のクーラーが分散型WAU102で、その特徴的な外観が目を引きました。一方で上り方のクハ103-94は比較的ノーマルな装いながら本来は下り方の先頭車。E1編成の組成にあたって方向転換を実施した隠れた注目車?でした。E1はクハ103-94を除き電動表示器がなく、広島転属後も長い間サボが使用され、編成番号や運用が他と区別されていました。2005年引退。

 

徳山駅に停車中のE1編成。写真手前のクハ103-156など3両の分散型クーラーがよく目立ちました

 

 

 

E2編成(クハ103-183+モハ103-29+モハ102-29+クハ103-98)

 

淀川からのクハと日根野からのモハで組成。4編成の中では一番ノーマルな構成でしたが、上り方のクハ103-183は下関で唯一の1次改良型で、「ブタ鼻」のシールドビームライトは一目でE2編成と判別できました。モハのユニットは最初の量産グループとして1964年に山手線に投入されたうちの2両。広島ではのちにB01編成となり2010年まで活躍し、晩年は103系初期型モハの生き残りとして注目されました。

 

防府駅付近を走るE2編成。先頭のクハ103-183のライト形状で判別できました

 

 

 

E3編成(クモハ103-23+モハ102-105+サハ102-2+クハ103-26)

 

奈良からの3両と淀川からのサハで組成。下り方先頭車クハは山手線の量産グループ1期生、上り方のクモハのユニットは京浜東北線投入組でした。注目はサハ102という形式。サハ103形に自動解結装置を付けた片町線のサハ102形5000番台由来の車両で、方向転換していた影響で装置撤去後も元のサハ103に戻らず、若番風?の車番になりました。サハを除く3両が95年から阪和線羽衣支線用になるなど、最終的には全車が関西圏に戻りました。サハは2006年、ほかは2008年引退。

 

クモハ103-23を先頭に徳山駅で発車を待つE3編成

 

 

 

E4編成(クモハ103-13+モハ102-86+サハ102-8+クハ103-518)

 

E3と同じ編成内容・経緯で下関に転入。下り方先頭車に偶数向き専用のクハ103形500番台が入り、テールライト横のジャンパ栓納めがないことが編成の識別ポイントとなりました。クハは97年に廃車となりましたが、他の3両は関西圏に戻り、サハは大阪環状線などで2006年まで、クモハとモハは阪和線で2007年まで活躍しました。

 

防府駅に到着するE4編成。ジャンパ栓納めがない最後尾のクハ103-518が同編成の特徴でした

 

 

 

下関時代の103系は30年前の思い出となってしまいましたが、大都会の顔が突然田舎に現れた衝撃は今でも忘れられません。瀬戸内色の103系といえば、その後長く活躍した広島時代が注目されますが、その前段階として少しだけ山口県を走っていたことを思い出したり、知っていただければ、当時のファンとしてはうれしいです。

 

 

 

※下関配置の103系については、姉妹ブログ「歴鉄2番線」でも当時の様子を紹介しています