皆さんこんにちは。

本題に入る前に 先日 1978年3月時刻表の急行ニセコ号2号 と言う過去に投稿した記事が未だによく検索されているということを記事にしたんですが、 それにちなんで 1978年10月号の時刻表をめくっていたんですが、記事にしようと目星をつけた急行があったんですが、それは どの列車でしょうか?  私が 時刻表をめくった限りでは、昼行急行で 12時間を超える列車が 2本ありました。 そのうちの一つです。

 

では 本題に入ります。

少し時間が経っているんですが、9月8日に 時間ができたので 梅田駅と園田駅の様子を見てきました。

 

まずは 梅田駅。雨の平日のお昼頃。

梅田駅 神戸線ホーム。

綺麗に移動した線路跡が埋められていました。 奥に見える白い壁は 宝塚線6号線の線路跡の仮設柵です。

天井からぶら下がる 号線札が 9~4まで一直線になりました。

改札側から。 点字ブロックも移動していました。

 

3階改札口の神戸線発車案内。 正面は7号線ホーム。右が6号線。

 

3階改札口 宝塚線発車案内。 正面は4号線ホームです。移設されて整備された神戸線側を見てからこっちに来ると やはり窮屈感がありますね。

 

3階改札口 京都線発車案内器。正面は3号線です。3号線は 週末に 京とれいん雅洛の発車ホームになるので ホーム端には 雅洛の装飾があります。 今後これもどうなるんでしょうね。

 

1号線側から9号線を見ました。 この風景もあとわずかですね。

 

1

1号線には 9308F 特急京都河原町行が停車中。  梅田駅の改装工事が完了した時 この9308Fは、ロングシート化になっているのでしょうね。

 

このあと エキタグ収集のために中津駅と十三駅に寄り道して 園田駅に向かいます。

中津駅 宝塚線ホーム。 ホームドアが設置されると 歩く場所がないような。。。

 

特急大阪梅田行 9305F。 9300系の定期的な特急運用も あとわずか。

 

十三駅では ちょうど5104Fが来ました。

 

普通大阪梅田行 5104F。 最近検査を埋めたらしいので もうしばらくは 走りそうですが、車内は、リニューアルされておらず、昭和の香りがしています。(別な日に 停車中の5145号車の車内)

 

カメラを下ろそうとしたら 5300Fが陰から出てきたので 一枚 フルマルーンの並び。

 次に園田駅に。

梅田方面上り3・4号線ホームのホームドアは 10月15日から。

 

下りホームの梅田よりで撮影。

梅田方面通過線の3号線は、ほぼホーム端に先頭車が停まる様です。

下りホーム梅田方。左通過線の2号線側は、屋根のない梅田方までホーム柵が設置される様ですが、右側1号線は、梅田側2両分には停車しない様です。 現状の停車位置と同じ位置でホームドアを設置する様です。

 

3号線側を見ました。

 

下りホームの神戸方です。通過線の2号線と 上り3・4号線は ほぼ同じ位置でホームドアが設置される様です。

 

ホーム端。 左側1号線は、現状と同じホーム端に近いところに先頭車が停まる様です。

現状より少し後ろで 柱に注意したら 上列車は撮れそうな気がしますが、 この日は大雨だったので試し撮りはしませんでした。

 

上りホームの三宮方。 

 

下りホーム。

 

下りホームの完成は、来年2027年の6月の様です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1996年の年末 最後は尼崎駅での撮影。 前回の元町から移動しました。

 

尼崎駅では 北側の改札を出て 北西方向に歩いて 今はなくなった 踏切で撮影しました。

117系300番台快速大阪行です。工場の隙間を縫うように走ってきました。 

 

1997年JR東西線が開業して 現在 JR宝塚線上り線も鉄橋で東海道本線とオーバークロスをして尼崎駅に侵入していますが、それまでは、 国鉄時代からずっと 塚口駅を出た上り線は、東寄りに直進して 平面のまま 尼崎駅に到達していました。 画面右手奥が塚口駅宝塚方面になります。

 

続いて 103系普通大阪行。  おそらくですが、この線路跡は現在4車線の道路になっているのではないかと思います。 尼崎駅舎を出て商業施設へ向かう陸橋の線路よりにある4車線の道路を西に進んでいくと 緩やかにカーブして北に向かいます。 その道路の右側にある潮江緑遊公園付近がこの場所ではないかと思います。

 

振り返って南側方向。 左手が尼崎駅です。 右の奥に見える 黄色の壁はなんだと思いますか?

 

尼崎駅の北側には、キリンビールの工場がありました。 多分 瓶ビールのケースが積み上げてあったのではと思います。 キリンビールの工場は、1996年頃に三田市の方に移転しました。

 

ホームに戻りました。

2番線から 発車した 特急エーデル北近畿7号浜坂行です。 もうJR東西線開業直前、 配線変更は済みつつあったはずです。

 

快速加古川行きです。 エーデル北近畿もそうですが、この快速加古川行も 当時は、尼崎駅は通過していました。 現在のように ぜんれっしゃが尼崎駅に停車する様になったのは JR東西線開業の1997年3月ダイヤ改正からです。

 

福知山線の普通大阪行です。 ビールケースのトンネルから出てきたような感じです。 先ほどの踏切は 画面の右奥になります。

 

少し 引いて一枚。 ビール工場の建物は 現在の駅至近のキューズモールのところまでありましたから 線路は ビール工場の中を抜けていたようです。 ただ この付近は、国鉄時代は貨物の駅にもなっていました ビール工場の向こうには、尼崎市の中央卸売市場がありそこまで線路も繋がっていました。

 

もう少し引いて撮りました。 手前に予備の線路?それとも撤去した線路? レールが架線柱と架線柱の間に置いてあり 複雑に線路が入り組んでいて どれがどの線かわかりにくいですね。

 

画面左隅の僅かに見えるのが2番線 その隣が3番線 架線柱の根本にある35キロ制限の標識のそのすぐ右が4番線でしょうか そこにポイントがあり その先の線路が 現在もある 内側上下線間にある折り返し線でその右が 上り5番線になるのかなと思います。

 

普通須磨行きです。 201系の先に見える白い壁が 新しいJR宝塚線の上り線です。

 

普通新三田行です。 当時の普通列車新三田行きは、日中15分間隔の運転で 外側線を走行していました。 ですので、103系や207系の他に このように113系の運用もありました。

 

続いて ビールのトンネル?から出てきた 207系も連写しました。

普通大阪行きです。当時の207系のうち JR宝塚線用は4両編成は 日中は、普通電車に。 朝夕ラッシュ時は、2本併結の8両編成で 快速運用についていました。 

 

ところで 現在は どうなっているかなんですが、1996年の写真は 1・2番線ホームの神戸方で撮影しているんですが、 その位置で撮っている写真が 手持ちになく 隣の3・4番線ホームから撮った2015年の画像をどうぞ。

下り外側線1番線を発車した快速姫路行。 画面右隅のダブルクロスが、5枚上の201系の手前に写っているダブルクロスです。45の速度制限表のある直線が2番線で 113系新三田行や エーデル北近畿が撮っていた線路です。

 

30年前 エーデル北近畿号がいた場所をさしる 381系特急こうのとり号。 ほぼ同じ位置です。

 

上り特急こうのとり号。 30年前 ビール箱の壁の横を走ってきた 207系や103系が写っていた場所付近です。

 

別な日に撮った同じ方向の写真。321系はJR宝塚線から陸橋を降ってきた普通高槻行。 一番右端の少し波打っている様に見える線路、 8番線の外側にある列車遅延時の貨物列車の待避線なんですが、この線路が、30年前の103系や207系が走っていた線路になります。線路横の柵が 黒から灰色に変わっている付近で右奥にカーブする様に線路があったはずです。

 

以上 JR東西線開業直前の旧ルートを走るJR宝塚線上り列車の記録でした。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1996年の年末の撮影分として元町駅で撮影した写真です。

 

元町駅の上りホームの姫路方で撮影しました。201系普通高槻行。 KOBEルミナリエのヘッドマーク付でした。

快速網干行。113系にも ヘッドマークがついていました。

 

新快速 米原行です。ヘッドマークは 国宝彦根城 築城390周年 及び 平成の大修理完工を記念したヘッドマークでした。 今では 12両の新快速も 30年前は8両編成が主力でした。

 

EF66-23号機牽引 コンテナ列車。

 

特急雷鳥15号金沢行です。 冬の臨時列車だったと思いますが、神戸駅始発で運転されていました。

 

下り快速網干行を望遠で撮影。 KOBEルミナリエのヘッドマークは、2000年ぐらいまでは 毎年掲出されていた様に思います。 毎年少しづつデザインが変わっていました。

 

普通高槻行。

 

新快速長浜行です。 221系が 元町駅付近から見られなくなったのは、2024年。 最後は、6両編成5本が残っていて ほぼ限定運用でよく 撮影しに行ったんですが。 30年前は 当たり前に走っていたんですよね。

 

この日の元町駅での撮影はこれで終わり。

ここからは 2022年5月に25年ぶりにどうなっているか再訪した時の画像です。

普通須磨行。 カラフルな国鉄型電車はすでになく 銀色の電車が主役。

 

新快速近江塩津行。 2022年ホームの端には、信号機が設置されていて1996年のような撮影はできなくなっていました。少し大阪よりから撮影しています。 列車の位置的には、221系新快速とほぼ同じ位置です。

 

快速野洲行。 225系100番台6両編成車。 この編成の増備で 最後の221系が置き換えられました。

この列車の位置も 4枚前の201系とほぼ同じ位置です。

 

快速網干行です。

今月号の鉄道ダイヤ情報は、221系が特集されている様です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1996年11月22日 12月1日のダイヤ改正で383系に置き換えられる 最後の381系を撮影するべく大阪駅に行きました。 

 

しかし ホームには。。。

特急しなの15号 長野行。 ダイヤ改正を待たずして 383系が運用についていました。。 381系しなの号は、前回の塚本駅での撮影が最後になってしまいました。 

ただ よく考えると 明るい大阪駅で撮影した 383系も数少なくなっています。

 

113系快速大阪行との並び。

 

続いて 特急雷鳥15号富山行と113系快速米原行の並び。

 

10番線側からも撮影した 雷鳥15号。 681系がデビューして脇役に回った 485系パノラマグリーン車付編成。 塗色もそのままで 停車駅の違いで名称がかわっていたので 一般の人には分かりづらかったかもしれません。

 

2番線に移動しました。

キハ58系改造のジョイフルトレイン 「セイシェル」。 福知山支社所属のジョイフルトレインでした。 

 

キロ59-554 車内は 横4列の リクライニングシート。座席間隔はグリーン車以上に広くとってあり 斜め45度で窓に向けて固定することも可能でした。

 

中間車 キサロ59-501。 

左の車端部が あの車体に似ていますね、 キサロというように気動車なのにエンジン無く 12系客車のスハフ12から改造されていました。 車内の半分は、ソファー テーブル カウンターのあるくつろぎスペースとなっていました。

 

キロ59-555。 この「セイシェル」は、 キハ58の表示幕のあったところにヘッドライトが移設されています。 わかりやすく言えば 阪急電車みたいな感じですね。 シンプルな 小回りの効きそうなジョイフルトレインでした。

 

寝台特急日本海4号 E F81-113号機牽引と「セイシェル」が並びました。 

トワイライト色との並びも珍しいかなと思います。

 

この後 野田駅に移動。

103系大阪環状線外回り。体質改善工事が完了した103系で 車内外ともに201系並になった車両でした。

 

特急スーパーくろしおオーシャンアロー4号京都行です。

 

この頃の283系は、京都ー新宮間の3往復に運用されていました。 新型JR東海の383系を撮影したので そのついでに JR西日本の新型283系も撮影しました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

JR宝塚線 普通大阪行きです。 1996年JR東西線開業前の207系は、JR宝塚線には、4両編成と3両編成2本併結の6両編成が存在し そのうちの6両編成は、朝夕ラッシュ時は 大阪ー新三田間の普通に 日中は 大阪ー篠山口間の快速に運用されていました。

 

113系は 快速米原行。 207系は普通京都行。 端の221系は 快速米原行きです。

 

大阪駅から 特急雷鳥15号金沢行になる 485系パノラマ車グリーン車付きの編成です。

 

特急エーデル鳥取 福知山線経由鳥取行です。 本来の先頭車が検査中だったのか、旧エーデル丹後に使用されていた展望車が両端に連結されていて、珍しい 白いエーデル鳥取が撮影できました。 

特急エーデル鳥取は、 城崎までの電化区間より西の 香住・浜坂・鳥取方面への直通需要に応えるために 運転されました。 大阪ー鳥取間に1往復、大阪ー浜坂間に 特急エーデル北近畿号7号16号として1往復の2往復運転されていました。

 

205系普通京都行。7両編成4本28両しか投入されなかった 東海道山陽本線地区の205系0番台です。

国鉄時代末期に 201系に続いて製造された系列で 山手線で走り始め その後 関西地区ではJR化直前の1986年に投入されました。 しかし その数年後の103系などの置き換えには、JR西日本になって207系が製造されたので 東海道山陽本線の201系0番台は ごく少数になりました。

現在205系葉、1000番台も含めて 奈良線で走っている様です。

 

113系快速網干行。

 

寝台特急なは 新大阪行です。 1980年台のブルトレ全盛期の頃 塚本駅で撮影するという気持ちが 私には全くなく 撮影は 全て大阪駅でした。 この場所で撮ったブルートレインは これ1枚だけです。

 

快速大阪行です。 JR宝塚線用117系300番台車は、ラッシュ対応で扉付近をロングシートに改造されていましたが、片側2扉では 最も混雑する時間帯には対応できなくなり それを外した時間帯に運転されていました。

 

快速米原行です。 もうこの時期は、113系快速が来れば ほぼシャッターを押していました。

 

特急雷鳥14号です。 大阪駅で乗客を降ろした後、宮原区に引き上げ 折り返し金沢方面に行くために 車内清掃を実施していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

今月号の鉄道ダイヤ情報は 221系の特集みたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の新大阪駅で撮影した 1週間後ぐらいの撮影分です。

 

塚本駅 上りホームの神戸端で撮影しました。 この日も私一人でした。

普通大阪行。207系の6両編成です。 JR宝塚線新三田からの列車で 現在でもそうですが、JR宝塚線からの直通列車で 大阪駅終着となる列車は、ほぼ外側線を走るので 普通列車で207系321系使用列車でも塚本駅は通過になります。

 

113系800番台快速大阪行。 現在だと丹波路快速に当たる列車です。

 

字幕が 大阪になっている 113系。 京都方面からの大阪行快速が 宮原運転所に引き上げていきます。

 

普通大阪行。 次のJR宝塚線からの普通は、黄色の103系6両編成でした。

 

新快速姫路行です。当時は、唯一日の当たる時間帯に運転されていた117系新快速でした。  光線の加減で新快速色で統一された編成に 見えたのですが、後ろから4両目のモハユニットが 300番台の福知山色でした。

 

JR宝塚線からの 快速大阪行です。 JR東西線開業前のJR宝塚線の207系は、4両編成と6両編成の2種類が走り 4両編成の方は、日中は、普通運用につき ラッシュ時は2本併結の快速運用についていました。 この写真の 快速字幕は、新製投入時のものです。

 

207系の直後に 姫路方面からの113系快速野洲行です。 デカめのヘッドライトがしびれますねえ。

 

113系湘南色の次は 国鉄特急色 特急北近畿2号 大阪行です。 先頭車は 平面顔の改造車クハ183です。 この顔を見ていると 貫通幌のついた姿も見たかったですね。

 

新快速大阪行です。221系がきました。

列車の本数は、今もこの頃もあまり変わらないと思いますが、走る列車のカラフルさは やはり1990年代の方が見応えありました。普通高槻行です。今も走る207系ですが、1996年のこの時は、8両編成で運転されていました。

 

そして この列車。

貫通幌付381系。 前回新大阪駅で 北方貨物線を西に向けて走り去った 381系は、ぐるっと回ってこのこの日は、11月終わりの平日ということもあり 基本の6両編成でした。塚本駅を通って大阪駅に向かいました。

この日は、11月終わりの平日ということもあり 基本の6両編成でした。

「しなの」のヘッドマークは、 列車の走る 木曽路の森林とカラマツをイメージしているそうです。 385系にも引き継がれるのでしょうかねえ?

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 1996年の画像の続きになっていきます。 11月に入って 新大阪駅で381系「しなの」を撮影したりしました。 新大阪駅は、おおさか東線乗り入れ工事前で ホーム番線は 当時は西端から11番線で始まっていました。

 

新大阪駅12番ホームです。 この日は 臨時 マークでした。

止まる気配なく 轟然と紫煙を噴き上げて加速しました。

当時の手持ちの時刻表には、新大阪を通過する臨時列車の記載はありませんでした。

 

臨時特急くろしお87号新宮行です。 京都始発で 11番線に入線しました。  30年前 おおさか東線の工事などまだ始まる気配もなく 京都からの特急はるか号くろしお号は,上下列車ともに11番線で発着していました。

 

12番線を発車する 快速米原行です。

 

北方貨物線を381系特急しなのがやってきました。

 

特急しなの号用の編成は、前日大阪駅到着後 そのまま 塚本駅経由で北方貨物線に入り 宮原運転所に入らずそのまま 一周して 向日町運転所に回送されていました。 翌日は、逆回りで大阪駅10番線に 塚本駅方面から入線していました。

 

ちなみに11番線に停車するのは、京都行はるか号。 はるか号としなの号の間の線路は、今の おおさか東線にもなっている 梅田貨物線で大阪環状線福島駅に向かう線路です。

 

13番線を発車した 快速草津行。

 

同じく 13番線を発車した 普通高槻行。 この列車は 朝のラッシュ時対応で 4+4の8両編成でした。

 

特急スーパー雷鳥(サンダーバード)3号富山・和倉温泉行です。

サンダーバードが ()内表記になっていますが、当時は、サンダーバードは、681系車両につけられた愛称という位置付けで 正式な列車名は、スーパー雷鳥となっていました。

 

京都方面に向かう 223系 回送。 当時は 223系は導入されたばかりの頃で JR宝塚線には、まだ導入されていなかったので 大阪駅近辺で4両編成は珍しい存在でした。

 

奥の線路を通過して20分後。

特急しなの15号長野行です。  貫通幌を全面に装着したスタイルの貫通型クロ381を先頭のまま戻ってきました。

長野方面へと去っていく 特急しなの15号長野行。381系の時代 特急しなの号は 新大阪を通過していました。 この直後の1996年12月のダイヤ改正で 383系ワイドビューしなのに 置き換わってから 新大阪駅に停車するようになりました。

 

特急スーパーくろしお(オーシャンアロー)3号新宮行です。11番線を発車して 梅田方面に向かっていくところです。

283系特急型電車は、1996年7月31日に運転開始となリマした。 翌年の3月のダイヤ改正までは、283系使用列車は、スーパーくろしおオーシャンアローとなっていました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

皆さんこんにちは。 今回は フイルムに残っていた 6枚になります。

 

塚本駅での撮影。

113系800番台 普通大阪行。JR東西線開業前だったので JR宝塚線からの普通列車は、日中も列車線を走る大阪止まりで 15分間隔113系や117系 207系などで運転されていました。

 

特急文殊4号 新大阪行です。この列車だけ撮影に来ました。  特急文殊号は、新大阪ー天橋立間 福知山線経由で 下り1本 上り2本運転されていました。 下りが1本しかないのは、京都からの特急はしだて号とペアになっていたからです。 現在もそうですが、 大阪・京都と 天橋立・舞鶴・城崎への特急は 福知山駅で対面乗り換えできるようにダイヤが組まれていて 特急券も通算で買えるようになっています。 

 

1996年 宮福線電化完成で キハ58系2両編成だった 急行みやづ号置き換えなどで 運転開始されましたが 高速道路の開通などと 北近畿地方への特急系統整理で 特急北近畿(現在のこうのとり)と特急はしだてに置き換えられて2011年に廃止になりました。 

 

さて 次の3枚は 阪急電車 梅田駅。

通勤特急須磨浦公園行 7035F他10両。 平日朝 3本だけ10両編成を撮影。

 

通勤特急新開地行6021F他10両編成。 1996年ごろは、 10両編成での運転が 上り梅田着列車で 通勤特急・特急・通勤急行 合わせて 14本走っていました。 ですので 6000系の増結車も運用についていました。

 

特急三宮行 8035F他10両編成。 梅田ー三宮間を往復する列車は、上りは通勤特急 下は 塚口通過の特急で運転されていました。

 

ところで 先日 8200系 8201Fが 引退しましたね。 10両編成つながりで 2025年2月 最後の10両編成を記録に行った時の画像をどうぞ。

神崎川駅。

通勤特急大阪梅田行 8201F他10連。 

 

その折り返し

通勤特急神戸三宮行 8201F。 

 

梅田駅。

回送で 西宮車庫に引き上げていく 8201F。 これが最後の記録となりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。前回の続きなんですが、大阪駅での撮影分は 2枚だけになります。

 

山﨑のカーブでも撮影した キハ58。

大阪駅9番線 修学旅行の字幕が入った キハ58。

 

恐らく 草津から草津線 関西本線経由の鳥羽方面への修学旅行列車だったと思います。 私も小学校の修学旅行は 鳥羽へ行きましたが、 私の学校は 国道1号鈴鹿峠越えの観光バスで行きました。 急カーブの連続で酔いかけた苦い思い出となっています

 

もうこの頃は、大阪駅では キハ 58系は ほとんど見られなくなっていましたから 貴重な記録となりました。

でも 連日運転されてたと思いますが、 私以外誰もカメラを向けていませんでした。 だから 珍しいのか 車内から注目されていたみたいです。

 

フイルムの次は、 神戸駅での撮影分。

新快速近江今津行。 神戸駅の上りホーム姫路方にて撮影

 

特急スーパーはくと6号京都行です。

 

113系快速の並び。

快速網干行。 113系4両編成2本併結の8両編成でした。

 

ところで 今から4年前 2022年に 神戸駅で撮影した画像もどうぞ。 2022年になると 1996年に撮影した 上りホームの姫路方は プレハブなどができて撮影不可に 下りホームで撮影しました。

新快速姫路行。 225系100番台車。 一枚上の113系快速は、信号機の右横の線路を走っていました。

 

特急スーパーはくと7号倉吉行です。

 

快速同士の並びではありませんが、銀色の207系普通が並びました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 以前の記事の山崎カーブに行った日と別な日の大阪駅での撮影。

 

現在とは違って開放感があった 大阪駅11番線 特急しなの15号長野行。381系9両編成。 383系に置き換えまで あと1ヶ月ほどにせまった頃です。  しかし この頃は、葬式鉄といった言葉もなく あと1ヶ月となっても 人が集まって騒ぐということありませんでした。 この日も私一人でした。

 

特急雷鳥15号と快速米原行の並びです。 

 

ここで 幕回しが始まりました。

特急きらめき号。 現在ではJR九州の博多ー門司港間の特急列車ですが、1988年〜1997年頃までは 北陸線の 金沢ー米原間を結ぶ特急でした。 同区間を走る 加越号のうちの一部の列車に リニューアル改装した編成を用いて 停車駅を絞り込んだ速達版特急として走っていました。

 

特急かがやき号。  特急きらめき号と同じ頃 金沢地区と上越新幹線長岡駅を結ぶ 速達特急として グリーン車の連結 最大6往復運転されていました。 「かがやき号」の方は、1997年3月北越急行ほくほく線の開業により 特急はくたか号の運転開始により 廃止となりました。   現在では、北陸新幹線版 のぞみ号的な 速達列車となっていますね。

 

ところで なぜ大阪駅入線後幕回しが行われたかというと、 3枚目の写真  列車はスーパー雷鳥の幕になっていました、しかし、本当は、スーパーではない 普通の特急雷鳥号でした、 恐らく ヘッドマークの違いに気づいた運転士さんが 訂正されたんだと思います。 おかげで 見ることができない特急に出会えました。

 

やはり開放感のあった 大阪駅8番線 快速野洲行です。

 

先頭はクハ111-5161号車。 113系の5000番台は、JR西日本になってから 最高速度向上のためにブレーキを改良した際に改番された番台で 元番号は、161番の初期型車両でした。 恐らく 113系グループで一番最初に製造された車両で デカ目のヘッドライト 側窓は角の丸いサッシ窓。 座席間隔も狭いタイプで 国鉄時代はずっと非冷房車だったと思われます JRになってから冷房改造された為 クーラーが見慣れたかまぼこ型ではなく 分散式の小型のものが3台乗っています。 

 

今度は 10番線に到着した 寝台特急なは 新大阪行。

 

牽引機はEF65-1133号機。  大阪発着の寝台特急も 数が少なくなったとはいえ 日豊本線からの 彗星号。 長崎本線からの あかつき号。 そして この なは号 とまだ 単独列車として3往復走っていました。 そして このなは号は、1996年のこの時も 西鹿児島(現在の鹿児島中央)発着の列車でした。

停車してからもう一枚。 この頃は、まだ寝台特急がなくなってしまうとは思ってもいなかったので のんびりと撮影していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。