皆さんこんにちは。

 

急行だいせんを撮影後 慌てて2番線に移動。 回送で発車した直後の 急行きたぐに号。

 

そして すぐに11番線に戻り。

10番線 寝台特急彗星 新大阪行。 まだ 1往復だけでしたが 彗星号単独運転だったので ヘッドマークの方も 彗星オリジナル。

 

寝台特急 彗星号は 京阪神地区から、日豊本線 大分 宮崎方面への列車でした、 山陽新幹線が全通するまでは  583系でも運転され 5往復が走っていましたが、この時点で1往復になり 14系15型B寝台2段式で運転されていました。

 

特急雷鳥11号の側面に貼られた ステッカー。 当時の北陸地区への観光キャンペーンのものです。

 

少しお見苦しい写真ですが、 回送幕の クモハ485ー200番台。 スーパー雷鳥 分割運転用に改造された 中間車改造の先頭車。 

 

5番線から 4番線を。

寝台急行銀河 大阪止です。  A寝台車1両B寝台は2段式8両での運転で、 寝台特急彗星には、なかったA寝台車も連結された 急行列車でした。

 

その5番線の反対側6番線からの撮影。

201系の普通電車にはさまれた スーパー雷鳥号のパノラマ先頭車 赤いテールランプが点灯したました。

左は 西明石行 右は 高槻行です。

2000年代に入って 大阪駅の大規模改良工事が実施されるまで 6番線と7番線の間には、留置線がありました。 そこに お盆や年末年始の最繁忙期に 運転される 北陸方面への臨時特急の車両が留置されていました。 この編成は、このあと神戸方面にある折り返し線に入り、そこから、定期のスーパー雷鳥3号の発車直後に11番線に入線して 臨時特急スーパー雷鳥83号金沢行になりました。

 

10番線から発車する 寝台特急あかつき 京都行です。 

 

特急雷鳥11号金沢行です。 この時代は空気みたいだった? 国鉄特急色の雷鳥を記録。 今のサンダーバード号と同じで 一日中1時間から30分おきに見れました。

 

その雷鳥11号の後ろ。 逆光が残念ですが

臨時特急リゾート立山 富山地方鉄道線直通 立山行です。 

 

この時の リゾート立山の併結相手は 金沢止まりの雷鳥号で 時刻表を見てみると 金沢までは 雷鳥11号にぶら下がって行き 金沢で11分停車。 485系が、回送入庫してから発車。 2両の短編成で 北陸本線を走って 立山に向かっていました。

 

 

臨時寝台急行 霧島 新大阪行です。

 20系客車で運転されていた 西鹿児島ー新大阪間の臨時列車でした。 急行に格下げされる前は、臨時寝台特急明星82号だったと思います。 

 

普通大阪止まり。 113系800番台6両編成。 当時の福知山線は、非電化時代のダイヤが色濃く残っていて 

この電車も快速ではなく 客車時代と同じ普通電車でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続きなんですが、同じ1991年の5月の写真になります。

 

5月は1日の撮影分。 所用で出かけた帰りの大阪駅。

特急スーパー雷鳥5号富山行。 スーパー雷鳥号の運転開始は、1989年3月で 当初は7両編成でした。その後9両編成に増強されました。写真の列車は、9両編成です。 10両編成になったのは、 この直後で 1991年9月七尾線電化完成で 和倉温泉直通運転が開始した時です。

 

9番線に回送車の入線案内があり 慌てて撮りました。 キハ58-571号車の試運転。

 

8番線快速野洲行。

 

続いて 新快速草津行。  昼下がりの大阪駅に ポツンと単行気動車。。。

 

新快速の後を 追うように 発車しました。 後にも先にも キハ58の連結面を撮影したのはこれ一度です。 それも 大阪駅で。 どこから来て どこへ行ったのかは不明です。

 

快速米原行です。 113系で JR西日本になってからの冷房改造車は、特には先頭車には、阪急電車?のような 集約分散式という3台の冷房装置が載っていて 少し変わった印象になっていました。

 

117系300番台 快速大阪止まり。 篠山口からの列車でした。  

この117系の最後の一編成が、寝台特急になるとは。。。

 

ここからは 日付が変わって 5月4日GWの真ん中の大阪駅です。 快晴の日だったので少し見苦しい写真になっています。

 

特急スーパー雷鳥1号富山行です。 この列車 神戸駅6時35分発で三宮に停車して 大阪駅7時3分着 2分の停車で富山に向けて発車していました。神戸ー大阪間も 1号で定期列車でした。

 

EF66-44号機牽引 快速ムーンライト九州 京都行です。

 

冬は、シュプール号に使われている 14系200番台客車で運転されていました。

後は、塗装だけが変更された感じの スハフ14でしたが、機関車次位になってしまった 反対側は 和風客車 あすか と同様の展望ラウンジ付きとなっていました。

 

DD51牽引の定期列車でしたが あまり撮影していなかった列車。

DD51-1179号機牽引 急行だいせん 大阪止まり。

 

急行だいせん号は 国鉄時代は、大阪から福知山線経由の 山陰方面への 代表的な列車でしたが 城崎まで電化されると 昼の列車は 特急北近畿号になってしまいましたが、夜行の1往復が残りました。 14系14型寝台車と12系座席車の編成で 寝台車は 1991年は3段式で 座席の方は4人掛けボックシートでした。 

この編成になる前は、20系客車で運転されていて、B寝台は同じく3段式でしたが、幅が狭いタイプでしたが、座席車の方は、同じ ボックスシートでも、元A寝台車ナロネ21を座席車に改造した ナハ21だったので、シートっピッチの広い座り心地の良いタイプだった様です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

特急白鳥 青森行です。 前面は 非貫通のスマートなクハ481ー1000番台。 

 

後は、貫通型200番台でした。 私が この頃の特急白鳥号を撮りに行くと 前後どちらかが、ボンネットの編成に当たる事が多かったのですが、この日は珍しく両端ゲンコツスタイルに 当たりました。 1日1本しか見られないという事で 大阪駅に出かけると撮影することの多かった 特急白鳥です。 車両は、白と青の濃淡の塗装となっている JR東日本上沼垂運転区所属の車両です。

 

221系で運転の臨時快速。 当時の春の時刻表がないので 確実ではないのですが。 9番線に停車中なので嵯峨野嵐山ホリデー号ではないかと思います。神戸か姫路が 始発駅で 今は無くなった 梅小路の短絡線を通って 園部方面に向かったはずです。

 

特急雷鳥19号金沢行です。  その後ろに エーデル丹後みたいに ディーゼルカーが連結されていました。

特急 ゆうトピア和倉 和倉温泉行です。 485系電車に併結されるぶらさがり特急の元祖です。 こちらは、 新大阪 京都では客扱いしますが、 その次は 金沢までは通過となっていました。  

エーデル丹後は 普通車指定席でしたが、こちらは グリーン車 キロ65で、時刻表には 欧風気動車となっていました。

この キロ65は、 急行型キハ65改造の ジョイフルトレインの一つで 国鉄金沢鉄道管理局で改造され 「ゆぅトピア」の愛称がついていました。

 

8番線 新快速野洲行。 まだ国鉄時代のままの 大阪駅です。

 

10番線に到着した 特急はまかぜ2号 大阪止です。 少し列車が小さくなりましたが、その失敗のおかげで 当時の大阪駅の雰囲気が分かってもらえますでしょうか?  先頭車のすぐ左。 8番線ホームに 業務用のエレベーターが見えています。 その隣のホームにもあります。 当時は、車内販売や売店の商品運搬などの 業務用で使われていたと思います。 それより前は、荷物列車や郵便列車の物資運搬にも利用されていたと思います。 右の線路は、11番線で 画面の端に切掛け式のホームとなっていて、荷物扱いの客車が3両ほど止められる配置となっていました。

 

11番線側には 特急雷鳥21号富山行が停車中で国鉄特急色が並びました。

 ボンネットのクハ481は、 ゆうトピア和倉 併結の為にスカート周りが 改造されています。

 

1991年の特急雷鳥は、朝7時から毎時10分と40分。 白鳥 スーパー雷鳥とあわせて ほぼ30分おきに運転され 485系が一日29往復ほど走っていました。 

 

最後の2枚は 別な日に撮影。

4番線に到着した 特急スーパー雷鳥2号。

 

後ろから2両目 サロ481-2000番台車。 食堂車サシ481から お座敷車 だんらんに改造後 再び改造されました。 食堂車時代の客席部分が グリーン座席に。厨房部分にビュッフェカウンターと大型ソファが設置されていました。

 

最後の2枚の写真 今気づいたのですが、右隅の日付が 1989年4月7日になっていました。。。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は 、昔の大阪駅での撮り鉄風景です。 もう35年前になります。 1975年〜1995年の間は、春夏秋年末と 臨時列車が多数運転されるシーズンは 午前中中心によく大阪駅に出かけていました。

 

 

臨時特急TAPエクスプレス号です。「Tourism Action Program」 という 観光キャンペーンの一貫として 設定された臨時特急のようなんですが、実質は 週末に姫路から運転された 臨時雷鳥号であったようです。

 

ヘッドマークは 白幕に臨時の文字だけマークでしたが あまり見られないので 新鮮です。

時刻表を見ると「TAPエクスプレス号」は 3月ごろから7月14日まで運転されたようで、  そのあとの7月20日からは、8月11日までは 大阪始発で 臨時特急マリン雷鳥号金沢行として運転、 お盆期間は 臨時特急雷鳥85号として 運転されたようです。

 ちなみに 隣の寝台車も臨時マークなのですが こちらは、臨時特急彗星82号です。

確か 14系座席車3両 寝台車3両の編成だったと思います。 こちらは 今回は撮り漏らしたようです。

 

新快速近江舞子行きです。 1991年は 221系が 一番輝いていた時かもしれません。

 

そうそう 今月号は 衝動買いしました。

 

474両が製造されて 37年が経ち 全ての車両が現役で走っているそうです。

 

特急北近畿4号 大阪行。 現在の特急こうのとり号は全て新大阪まで運転されて 新幹線に連絡していますが、1990年代前半は一部を除いて 新大阪まで行かず このまま宮原運転所に回送されて折り返していました。 正面のクハ481は 非貫通の300番台 みたいな感じですが、 屋根に乗っている クーラーカバーが キノコ型の旧式なので 初期型からの改造車みたいです。

 

後は、純粋な貫通型200番台のクハ481 みたいですが、車両の中央にグリーン車マークがあり、半室グリーン室に改造された クロハ481-200番台です。  この時期のJR宝塚線を走る車両たちは 旧国鉄の改造車が多く走っていて 趣味的に楽しい時期でした。 

 北近畿地区の特急電車は、183系800番代でしたが、1986年の特急北近畿号運転開始時は、485系のままで運転されていました。 183系800番台には、窓周りの赤帯の下に細い赤帯が入っていましたが、写真の北近畿号は、改造前なので入っていません。

1番線に移動しました。 特急北近畿5号 城崎行です。  車体中央のラッピングは 太平記 のPRみたいです。 この写真の先頭車は 窓下に紅細い線が入っているので クロハ183ー800番台になります。 しかし 後ろの車両は 細い帯が入っていませんので 485系のままです。 485系は 直流区間ではパンタグラフを2台とも上げて走っていました。

 

臨時特急エーデル丹後 天橋立行です。  非電化区間に直通する特急用に改造された キハ65系エーデル型気動車の元祖です。 

福知山までは、北近畿5号に併結(ぶらさがって)運転されていました。 停車駅は、大阪 福知山 宮津 天橋立のみで 北近畿5号の方は、宝塚 三田 篠山口 谷川 柏原 と停車するのですが、 エーデル丹後号は、旅客扱いはせず通過扱いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

皆さんこんにちは。 今回は、押入れ回収品ネタです。

 

1975年(昭和50年)の夏休みの家族旅行 紀伊勝浦まで行った時の帰りの特急くろしお5号の指定席券です。

私は小学校4年製の頃なので 父親が 大阪駅旅行センターで 一般周遊券を組んで申し込んだと思います。ハンコと手書きで作成されていました。

 

1975年10月号時刻表より 紀勢本線下りのページ。

真ん中の 水色のラインの列車、 名古屋発天王寺行 特急くろしお5号。1978年10月ダイヤ改正で381系電車に置き換わるまで 特急くろしお号の下り5号上り2号の1往復が、紀伊半島を全周していました。所要時間8時間23分。しかし 置き換わる直前まで 食堂車が連結されていました。 ちなみに 私の食堂車初体験がこのくろしお号で ジュースとサンドウィッチを食べさせてもらった記憶があります。

 

確か 紀伊勝浦駅。特急くろしお5号天王寺行。先頭は、非貫通の元祖特急型気動車 キハ81。 先頭車キハ81は、1960年東北本線 特急はつかり号でデビュー。最後は、この特急くろしお号で引退しました。

 

同じく 紀伊勝浦駅で キハ82使用 特急くろしお号。 気動車特急の代名詞的な存在の貫通型 キハ82は、改良型になります。

 

ところで 1975年の紀勢本線ですが、 特急くろしお号の他に 急行紀州号が2往復名古屋ー天王寺間を走行していました。 紀州号は、基本的に 名古屋ー紀伊勝浦間の急行列車で 下りの紀伊勝浦行1本は夜行列車で運転されていました。(左上のピンクのラインの列車。) (上り名古屋行は全て昼行) その横には、東京ー紀伊勝浦間を走っていた 寝台特急紀伊号も載っています。

また 黄色のラインの急行きのくに14号ですが、一番下までみていくと 途中和歌山駅で編成を分割 天王寺行ともう片方の終点は、南海難波駅でした。 南海電車 国鉄キハ26系とほぼ同じの気動車を所有していて 難波駅から和歌山市駅を経由して 国鉄和歌山駅まで2両編成で運転 和歌山で天王寺から来た 基本編成と併結して 白浜勝浦方面まで 直通運転していました。

その横で 水色の四角に囲まれた列車は、湯浅ー藤並間の国鉄線に乗り入れていた 有田鉄道の列車です。

最後に右端は 寝台車連結普通列車「南紀」号です。 普通921レ924レは名古屋ー天王寺間の普通列車、夜行区間となる 天王寺ー新宮間で B寝台車を連結して 「南紀」の愛称がついていました。 1978年10月のダイヤ改正からは 「南紀」の愛称を 名古屋ー紀伊勝浦間に新設された 特急に譲り、 「はやたま」号と改称されました。

 

紀伊勝浦駅で撮影した、多分急行紀州号。

 

新宮駅に停車する 急行きのくに5号。天王寺行。

 

これも 新宮駅だと思います。 恐らく DF50牽引の普通123レ 和歌山市行。

 

ここまでの写真は、 全てで父親が撮ってくれたもので アルバムに貼ってあったものを スマホでデジタル化しました。 

 

最後は

中学生になってから 初めて 夜行「はやたま」号にのって 南紀方面に乗り鉄に出かけた時の一枚。

まだピカピカの381系特急くろしお号です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 

 

前回の1757Fの記事の中で、

私が このポスターが 少し残念。と 書いたことで ブロ友さんから 何が残念?とコメントをいただきました。  その返信を記入している途中で あることに気づきました。

 

以下は コメントに対する返信をもう一度加筆修正したものです。

 

「ポスターの1707号車の写真 惜別標識板の取り付け位置に違和感はありませんか? 右側の急行 大阪ー京都間デザインの看板は車掌台側についていますよね。 でも 普通電車デザインの四角い看板は 運転台側です。 ここに 最初に違和感を感じました。 
運行標識板は、基本的に全て 運転台側の向かって右側につけられています。 

これに違和感があって 誤植だ!と間違っているのではないかと直感的に思って残念と感じたんです。

1982年頃 中津駅にて 急行梅田行2811F。

1980年代の実車の京都線急行も 運転台側についていました。


しかし 記事を見てもらっても分かるとおり 

今回の1707号車の急行デザインの看板は、車掌台側についています。

 

ですが

1757号車側 特急デザインの惜別看板は、運転台側。

そして8月。

普通型デザインの角形惜別看板は、1707号車側もきちんと運転台側についていました。


ここで ふと 思い当たりました。 この黄色の入ったデザインの 急行が実際に阪急京都線を走っていたのは、確か、1970年代前半より前の時期。 そのころの画像をネットで検索したり 手元にあったこの本を見てみました。

 

 

 

 そうしたら、 そのころの画像が何点か掲載されていて Pー6や 1600系の急行の写真がありました、 なんと 1968年頃の急行だけ車掌台側についていたんです。  普通列車は運転台側 特急は 2枚看板。しかし 急行は、車掌台側でした。 (すいません。画像は 著作権があるのと思うので載せられません)なぜ 急行だけ 位置が違うのかは わかりません。
 

能勢電さんが、偶然逆につけたのではなくて これを忠実に再現をしたのなら  能勢電鉄の究極のマニアックさには、驚いてしまいます。

 もしかすると 能勢電さんは これに気づく人がいるか 鉄オタを試しているのか????

 

(公式HPで 種明かされていたら すいません。) 

あともうひとつ 残念に思ったのは、 単純になぜ ポスターの片側は1757号車ではないのかな? とも思った次第です。

 

10月に入って いよいよ 1757Fの引退までのカウントダウンが始まったようで  惜別のヘッドマークが増えて2枚看板になるようです。 記念グッズの販売も始まり 後継の7203Fのデビューも近いようです。

 

 

 

 

長々と お付き合い頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 先日 雨ですが 9月に入り丸型ヘッドマークになった 1757Fを 忘れないうちにと 記録しに行きました。 火曜日の雨の日中でしたが 私と同じ気持ちの人が3人ほど沿線におられました。

 

いつもは、朝のラッシュ時に効率よくたくさん撮影しようと出向くのですが、この日は 1757Fだけに的を絞りお昼前の人の少ないであろう時間帯に出かけました。

 

川西能勢口駅に入線した 1757Fの最後尾1707号車の一番後ろに座りました。 ここで スマフォですが、後面展望を終点まで撮影しました。 動画については いつの日か公開したいと思っています。

 

床面のめくれ上がった点検口に60年の歳月が。。。

1707号車に陣取ったのは、 フォニョフォニョオンは聞けませんが 豪快なモーター音が堪能できるからです。 それも 日生中央行では、ほぼ上り坂になるので。

 

各駅での起動時のモーター音は 吊り掛け駆動にも負けない迫力。

 

山下駅を出て 日生中央までのトンネル区間で 最速70km/hを記録。

 

1707号車の惜別プレート。

 

1757号車の惜別プレート。

 

1757Fだけでしかみられない 広幅貫通路の跡。引き戸を設けた改造によって 窓が小さいので扉横の壁が少し広くなっています。奥に未改造の広幅側から見た貫通路が写っています。

 

日生中央駅に停車する1757F普通川西能勢口行。 1757号車側は惜別ヘッドマークは、神戸線だと 梅田ー新開地などの区間内で折り返す特急ヘッドマークをもした デザインになっていました。

 

5146Fについていた車内ポスター。 よく見ると少し残念。

 

1757Fの車内の扉横には、思い出のパネルが貼ってあります。 

 

ここからは 各駅で撮影した1757Fです。

畦野駅。

1707号車側の惜別ヘッドマークは、確か 京都線でラッシュ時のみ長岡天神に停車していた急行につけられていた デザインだったと思います。

 

続いて 平野駅。

能勢電は日中10分間隔の運転 川西能勢口ー日生中央間は、所要時間20分なので 各駅を少しづつ移動しながら 結構効率良く撮影できます。

 

フルマルーンの並び。

 

次はおとなり多田駅。

多田駅では初めての撮影。

 

今までは 利用客が多そうで 敬遠していたのですが、雨だったためか 閑散としていました。

 

次は 鼓が滝駅で撮ろうとしたのですが、 ここでは上下列車が並ぶので 駅撮りでは厳しいので もう一度多田駅で 上りを撮りました。 雨でなかったら 鼓滝駅の多田駅寄りで撮ったのですが。

 

ちなみにこの日の乗車券もこれです。

川西能勢口ー日生中央 往復700円ですが、 途中で折り返したりするので これが一番便利です。

 

最後は いつもの鶯の森駅で。

いつものホーム端には 傘をさした方がいたので 改札付近で撮影。 発車は 動画のみで記録。 豪快なモーター音を響かせて 鼓滝駅方面への坂を上がって行きました。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 押入れの奥から出てきた 箱の中には メモ帳や切符やらが出てきて整理が済んでいないのですが、 その中の一冊から こんなスタンプが出てきました。

 

1979年10月13日 シティーライナー(新快速)117系電車展示見学記念 スタンプ。と 当時の国鉄大阪駅スタンプ。

 

新快速が走り始めたのは、1970年10月。京都ー大阪ー三宮ー西明石間をメインに113系電車で運転が開始されました。 1972年山陽新幹線岡山延伸で余剰となった 153系急行型電車を明るいグレーに水色の帯のブルーライナー色にして 113系新快速が置き換えられました。

その後1979年、阪急6300系京阪3000系特急車の対抗すべく 2扉転換シートの117系が新快速専用車として製造されました。  

 

その117系第一編成を使っての展示会が大阪駅で行れたようです。

その後117系は1980年1月に153系に混じって 第一編成が新快速の運用につきました。 のその後徐々に本数が増えっていった 夏頃に撮影した画像です。

 

大阪駅5番ホーム 新快速西明石行。 もしかすると違うかもしれません。 運転台の列車番号表示器が 0000 試 になっています。。。

 

しかし次の一枚は、

西明石駅。 新快速堅田行。

 

側面行き先表示器

 

次は明石駅。

新快速堅田行と EF58-55号機牽引の 荷物列車。

 

発車した 新快速堅田行と明石市立天文科学館。 ちなみに 明石の天文科学館は、1960年の開館だそうです。

 

天文科学館今年の7月にリニューアルしたそうです。

 

 

 

次の写真は、 須磨駅。

離合する 上下の117系新快速。 背後に斜めに見える山は、鉢伏山。日本一乗り心地の悪い乗り物 カーレーターに乗れる山です。 ちなみに 最寄り駅は、山陽電車 須磨浦公園駅です。

 

次の写真は、多分別な日かもしれません。 西明石駅。

113系快速草津行と 117系新快速京都行。  運転開始時の新快速は、日中15分間隔の運転で 西の終点は、西明石行と姫路行が交互に運転されていました。 西明石行は、4番線か5番線で折り返しをし、 姫路行は。西明石には停車せず 下り列車は6番線を通過していました。

 

このフイルム最後の一枚。

EH10-10号機牽引 貨物列車。 西明石の隣 大久保駅です。

 

EH10は、1954年登場の貨物専用の直流用電気機関車でした。  現在走る JR貨物のEH500型の先祖と言う感じの機関車で 4軸駆動の2車体連接車でした。 国鉄最大級のマンモス電気機関車と呼ばれてもいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 先日 押入れの大掃除をしていたら 1970年〜1990年頃の切符や 旅行のメモなどが入った箱をが出てきました。 ちょうどフイルムカメラで撮影していた頃のもので 今の家に引っ越した際に 一つの箱に押し込んで そのまま整理せず押入れの奥に押し込んでいたもので 30年以上ぶりに気づきました。

今まで 画像と時刻表だけで記事にしてきた旅行のメモも出てきて 少し見ていると こう繋がっていたんだということが多々ありました。 いずれ整理して記事にしたいと思います。

 

そんな中で 1986年12月で引退した 能勢電500系・320系の引退記念切符が出てきました。

今最後の時を迎える 1757Fも60年以上走っていますが、320系も50年近く走っていたようです。

 

3枚の裏面が乗車券に

100円区間と切符でした。

 

320系・500系の最後は、1枚目の切符のように5両編成1本が残存していました。

私が 能勢電の撮影に初めて行ったのが その1986年の8月。 吊り掛け駆動の旧型車の魅力に気づいて610系を記録しに行った時でした。  その際 500系の編成は、もう予備編成となっていてほとんど営業運転についていませんでした。

 

平野車庫の一番奥。 ぐるっと回って行き 車庫にいた係員の人に声をかけて撮影しました。

気づいた時には 1500系の導入で置き換えが進み最後の一編成となって居て、 結局営業しているところは撮影できませんでした。

 

ほぼ倉庫となっていた 328号車。車庫の一番奥に留置されて居ました。

 

しかし その328号車。 この後5年間ほどは 綺麗に整備されて保存状態で平野車庫の国道173号線から見えるところに展示?されて居ました。

この328号車 残念なことに 1992年頃に解体されてしまいました。

 

さて 現在最後の活躍中の1757Fですが。 能勢電に初登場した時の姿がこちら。

普通妙見口行 1757F。 能勢電の 躍進と希望を表現した オレンジと沿線の緑を 合わせた オレンジにグリーンの帯の姿でした。 1990年代前半、能勢電は、610系の廃止後 1500系とともにオレンジの電車が走っていました。

 

その後 1994年 新塗装となりました。

妙見急行川西能勢口行 1757F。 俗に言う フルーツ牛乳色です。

この塗装は、合理化で塗装を阪急正雀工場で行うことになった2003年に消滅しました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  前回の記事冒頭での問いかけに対して ブロ友さん一人から正解をいただきました。

 

1978年10月は 国鉄秋の全国ダイヤ改正のあった年で 3月号では 昼行急行では所要時間が最長だった 根室発山線経由函館行 急行ニセコ2号は、札幌駅で分割されて 根室ー札幌間は急行狩勝4号。 札幌ー函館間は急行ニセコ4号となりました。

 そこで10月号時刻表で改めて探してみると 昼行急行で 所要時間12時間を超える最長急行は 1位は 金沢ー青森間を 日本海縦貫線経由で走っていた 気動車急行しらゆき号でした。 


急行しらゆき号下り 金沢9時49分発 青森22時18分着 所要時間12時間29分

       上り 青森6時50分発 金沢19時17分着 所要時間12時間27分。
 
そして 2位は 後にさせていただいて 3位。 3位の急行は 函館ー稚内間を走る急行宗谷号。 
急行宗谷 下り 函館11時50分発 稚内22時46分着 所要時間10時間56分
     上り 稚内7時5分発  函館18時54分着 所要時間11時49分。
急行宗谷号は、12時間を切る所要時間となっていました。
 
さて 第2位の列車。私にとっても意外な列車でした。
1978年10月号時刻表。 山口県内山陽本線 厚狭駅と 山陰本線長門市駅とを結んでいる 美祢線の時刻表。
現在の美祢線は、2023年の豪雨災害で不通となっています。
しかし48年前は、急行が2往復走る陰陽連絡もになっていた路線でした。
その中程 水色の線で囲った列車。 急行さんべ2号3号。この列車が今回の主役です。
 
急行さんべ号は、山陰本線経由で 九州と山陰地方を結ぶ列車で 昼行2往復夜行1往復の3往復運転され 夜行には、B寝台車が3両連結されていました。
 
急行さんべ3号2号は、鳥取ー熊本を結ぶ列車で、九州内の終点というと 小倉か博多がよくあるパターンなんですが、この列車は、始発が熊本駅となっていて 博多ー熊本間の都市間連絡もになっていた急行だった様です。
急行さんべ3号 鳥取8時26分発 熊本20時35分着 所要時間12時間9分
急行さんべ2号 熊本8時46分発 鳥取21時7分着 所要時間12時間21分
 
気動車急行天国でもあった山陰地方ですが、山陰西部という意外なところに 超長距離急行が走っていました。
 
ですが、今回この列車に焦点を当てたのは別な理由で それを調べている過程で 12時間を超えていると気づきました。
 
山陰本線下り 米子ー門司間のページ
 
山陰本線上り 門司ー米子間のページ。
特に 上りの方がわかりやすいと思いますが、水色で囲った枠内 急行さんべ2号のダイヤ。
下関ー長門市間のところ、 この列車、途中で編成を分割して その列車が別な路線を走ってまた再び一緒になって終点に向かうという 異色の列車でした。
 
最初の美祢線を走る編成が 基本編成でグリーン車普通車指定席組み込みの編成。 山陰本線を真っ直ぐ走る編成が付属編成で 途中の米子切り離しとなっていました。
当時の鉄オタ界隈では さよなら〜こんにちは?の有名な列車でした。
 
上りの時刻表には、さんべ4号が小倉ー米子間を走る列車として乗っていますが、その次に急行あきよし号が 美祢線経由で走っていました、 この急行あきよし号 始発駅が 久大本線の天ヶ瀬駅。そこから西に向かい 日田駅から 日田彦山線を通って 小倉に出て関門海峡を越えて 山陽本線を走り美祢線経由で浜田駅までを結ぶなかなかの異色な急行でした。
 
文章ばかりで 申し訳ないので 急行さんべ号の写真はないのですが、代わりに気動車急行の写真を数枚。
1977年頃の山陰本線浜村駅。 上り急行だいせん4号大阪行。 家族旅行の途中で父親が撮ってくれた1枚でした。 この浜村駅は、急行さんべ3号が鳥取を出て最初に止まる駅でした。
 
この写真も家族旅行での一枚 やはり1979年頃の紀勢本線新宮駅での一枚。天王寺行急行きのくに号。
 
次は1983年の生瀬駅付近。
複線電化工事の始まった頃の写真。生瀬駅対岸の青葉台から撮影。 上り急行丹波2号大阪行。
手前の車が連なっているのが 国道176号線。そして武庫川となっています。 現在この付近は、線路もそうですが、国道176号線も改良工事が行われていて大きく変わっています。
 
生瀬駅を通過して宝塚に向かう 急行丹波2号。住宅の裾を右に回り込んで 武庫川を渡って 宝塚・大阪方面に向かっています。
 
御覧頂きましてありがとうございました。