皆さん こんにちは。  2004年中編です。

 

伊丹駅。

普通福知山行 117系4両編成。 300番台には、モハユニットを1組抜いた4両編成もありました。

大阪付近では 主に早朝深夜の運用が多かったようです。

 

 

普通新三田行。ただ 現在もこの時間帯の下り電車には、223系225系の4両編成の運用が残っています。

 

普通篠山口行。 なら歴史キャンペーンのヘッドマーク。

 

大阪駅。

回送マークの 普通大阪止まり。 なぜか このヘッドマークは、117系300番台でしか見ませんでした。

 

特急雷鳥9号金沢行。

 

2003年にパノラマグリーン車が、特急しらさぎ号から 雷鳥号運用に戻ってきた際 国鉄特急色になったので記録しました。

 

サハ481-503  グリーン車サロ481からの格下げ改造車。

 

やはり 特急電車と言えばこれですねえ。

 

11番線から撮影。 10番線に221系 9番線に223系のそれぞれ回送。8番線が 新快速草津行。3本並び。

 

寝台特急なは 新大阪行。

 

これを撮影したのが2004年10月ごろ。 前年に九州新幹線 新八代ー鹿児島中央間が完成、それまで西鹿児島発着だった 「なは」は熊本発着に変更。 基本編成も7両になっていました。 その際 大阪方の先頭車が、B寝台二人用個室デュエットのオハネフ25−2000番台、2両目に普通指定席車オハ24−300番台車となっていました。

 

1年後の2005年10月に 「あかつき」号との併結運転となって この「なは」単独のヘッドマークも見納めとなりました。

 

クモハ183ー200番台 普段大阪付近では見ることがない 貫通型先頭車が回送されていました。

 

つづく 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今までは あまり取り上げてなかった 2004年の画像です。 2000年代になると 仕事に家族にと 鉄活動にさく時間が乏しく もっぱら最寄りの JR宝塚線や阪急電車を撮り鉄することしかできませんでした。

 

2004年のJR宝塚線は 117系113系画多数運用されていました。

伊丹駅で。


普通新三田行と快速大阪行。

 

117系は扉付近ロングシート化された 300番台で 白に緑の帯の福知山線色。

 

 
快速篠山口行と普通四條畷行。JR東西線は開通していたので 207系も走っていました。
 
発車した 快速篠山口行。117系は、平日朝ラッシュ時は、上り大阪方面の最も混雑する時間帯を避けて運用されていました。
 
中山寺駅
117系普通大阪行と 普通新三田行。
 
この日は、 車両故障か検査のためか、新快速色の117系0番台車がJR宝塚線内運用についていて 偶然撮影できました。
 
宝塚駅。
1番線特急北近畿1号 城崎行。と2番線普通新三田行。
 
発車した 普通新三田行。現在では、宝塚駅2番線を使用しての 下り方面特急を待避するダイヤは無くなりましたが、2000年代前半には、この北近畿1号を待避するダイヤがありました。 これ以外は、通常は、手前の川西池田駅で待避しています・
 
 
宝塚駅1番線 普通新三田行。 橋上駅舎ができる前の宝塚駅です。
 
臨時特急カニカニ北近畿1号 城崎行。 この年は、ポスターのデザインに似た 特製ヘッドマークがついていました。
 
 
後は、臨時マーク。どちらも 珍しいヘッドマークでした。
 
川西池田駅
特急北近畿3号 城崎行。 通常は 川西池田駅で待避しています。
 
御覧頂きましてありがとうございました。
 

皆さんこんばんは。 1995年1月のお正月ごろの写真です。

 

大阪駅に行くその前に 伊丹駅にて。

臨時特急タンゴエクスプローラー81号 宮福線経由久美浜行。1990年にKTR001系は運転開始されましたが、当初は京都駅発着の特急で運用されていて 福知山線へは 臨時列車でしかありませんでした。

 

特急北近畿2号大阪行。 現在の特急こうのとり号は、全列車 新大阪発着ですが、7時〜11時頃までの列車は 大阪発着でした。新幹線との連絡はあまり考慮されていませんでした。 

 

普通新三田行・ 207系運用でも4両編成の時代でした。

 

快速篠山口行。

 

この後は、大阪駅に。

特急はまかぜ1号 浜坂行。お正月期間で 7両編成に増結。

臨時急行但馬81号 浜坂行。

先頭1号車は指定席。 しかし、白いカバーはついていましたが、4人がけの普通のボックスシートでした。

最後のボックシートの有料列車だったかもしれません。

 

国鉄+国鉄。

 

シュプール妙高・志賀14号の入庫回送。 14系一般座席車使用の列車。 普通のスキーヤーからしたら 大外れだったでしょうね。

 

寝台特急日本海4号。

 

快速福知山行。 現在は、日中 福知山まで直通する快速はなく、2両編成の普通に篠山口で乗り換えですが、 当時は、国鉄時代の名残か 日中も福知山直通がありました。

 

余談の余談。

宝塚駅 下り方面始発の2525M普通福知山行。113系800番台3両編成で運用されていました。 この列車は、1995年ごろまでは、国鉄時代の流れで 城崎行でした。

 

1995年に戻って

日本海4号と 117系快速。 国鉄+国鉄 Ⅱ

 

臨時特急冬こそ北陸雷鳥号富山行。 カニすきシーズンに 1往復 スーパー雷鳥号から列車名を変更して運転されていました。 専用のヘッドマークも用意されていました。

 

特急はくと81号 倉吉行。 81号となっていましたが、毎日運転の列車でした。 このヘッドマーク好きでしたねえ。

 

特急雷鳥23号 新潟行。

 

発車の25分前に入線しました。 寝台特急トワイライトエクスプレス 札幌行。 色は JR+JRですが、 車両は、国鉄+国鉄。 30年前の大阪駅でした。

 

この数日後にもう一度撮影しました。

臨時特急冬こそ北陸雷鳥号。富山行。 この日は、白山色の489系で運転されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1995年2月ごろのJR宝塚線の様子です。

 

宝塚駅にて。

2番線に停車中の 普通新三田行。117系後期型100番台車。  迂回輸送のために増発された列車。

 

特急エーデル鳥取 鳥取行との並び。

 

続いて 急行みやづ 天橋立行。 この2本の列車を待避していました。

 

117系の臨時普通に乗って新三田駅まで来ました。 真ん中は、応援に来ていた、日根野区の赤帯113系です。

 

川西池田駅。

時刻表には 未掲載だった 臨時快速。 播但線経由の姫路行だったと思います。

 

普通大阪行。 前の3両は、広島地区からの借り入れ車でした。

 

北伊丹駅。 朝ラッシュ時の運用を終えて留置されていました。白帯の103系も和歌山方面からの応援だったようです。

 

北伊丹駅を通過する 臨時快速。  後ろから2両目の車両の塗装が 秋田地区のジョイフルトレインのような感じでした。

 

最後に道場ー三田駅間。

特急北近畿1号城崎行。 前から2両目に485系のモハユニット2両を増結した 8両編成でした。 (そのモハユニットの窓下に赤帯がありません。 ) また 真ん中のモハ182ー800番代のパンタグラフが下がっており このユニットはサハ扱いだったようです。

 

普通新三田行。

 

同じく 普通新三田行。

 

またまた 普通新三田行。 

特急エーデル鳥取 鳥取行。 1両増結した5両編成。

 

特急エーデル北近畿4号大阪行。 2両増結の6両編成でした。

 

急行みやづ と並びました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 阪神淡路大震災では、JRも山陽新幹線とJR神戸線が長期に渡って不通になりました。

 

JTB1995年4月号時刻表より

不通期間中は、東京・大阪発の西へ向かう寝台特急は全て運休。新幹線も不通だったためにその代替え措置として新大阪ー熊本間に寝台特急なは81・82号 京都ー長崎・佐世保間に寝台特急あかつき81・82号が 14系15型B寝台車7両編成で 福知山線・播但線経由で運転されていました。 

その中で あかつき82号だけが 宝塚付近で撮影可能でした。

 

中山寺駅。

DD51-1116号機牽引 臨時寝台特急あかつき82号 新大阪行。

播但線内の有効長の制限で 7両編成に限定されていたとか。

 

川西池田駅。

前4両が長崎編成。後3両が佐世保編成でした。

 

三田ー道場間にて。 急行だいせん号以来の福知山線でのブルートレインでした。

 

最後は 新大阪駅。

岡山以西の運転時刻は、運休になっていた 寝台特急さくら号のダイヤで運転されていました。 また なは号の方は、はやぶさ号のダイヤだったそうです。

 

JTB1995年4月号時刻表の阪神大震災関連のページ。

JR神戸線は 4月1日。 山陽新幹線は4月8日に復旧しました。

 

最後に 山陽新幹線六甲トンネル東側の公園から

崩落現場の復旧状況を撮影しました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 本日は1月17日 阪神淡路大震災から31年が経ちました。 当時 仁川駅の近くに住んでいましたが、家の中がぐちゃぐちゃになる程度で 身近には大きな被害はありませんでした。

 

明るくなって 家族が無事なのを確認して 当時の職場があった宝塚駅方面まで 歩いて出勤することにしました。

宝塚大劇場横 脱線した6025F。 電気は、7時頃に復旧しテレビやラジオは見ることができていました、 しかし 神戸方面の惨状についての報道はありませんでした。 ただ 今津線の脱線だけは報道していました。

 

 

以前 6013Fの記事の時にも撮影していた 宝塚大劇場横 花のみち付近。 写真の大きく凹んだ2721号車は廃車になりました。 この後 176号線を東に歩き職場に向かいました。  もうこの時点で 176号線の西行きは大渋滞になっていました。 職場についてからは 余震に怯えながら後片付けをし その途中で休憩室のテレビで徐々に大きくなっていく神戸の被害状況を知りました。

翌日以降からは 渋滞を避けつつ車で通勤しました。 1月30日に仁川ー宝塚間が復旧。地震後初めて1日休めることができて、当時は、箕面スパーガーデン(現在は大江戸温泉物語)とだけ呼ばれていた箕面温泉に行きました。

家族と合流する前に少しだけ撮影しました。

逆瀬川駅にて 普通仁川行3058F。

 

普通宝塚行5203F。 運行標識板は、宝塚ー西宮北口間の板に 印刷したものを貼ったもののようでした。

 

普通仁川行 7022F。だいたい 10分間隔での運行でした。

 

普通宝塚行 6012F。字幕車にも 運行標識板を設置していました。

 

仁川駅。

折り返し線に バックする5203F。

宝塚から到着したした電車は、 通常時とは逆の手順で折り返していました。

 

下りホームに入線する5203F。

 

普通宝塚行5203F。

 

次の6012Fが到着。5203Fが発車した行きました。

当時の仁川駅は、西宮市内の被災地へ向かう入り口の一つになっていて 宝塚線経由で来た多くの人々が支援物資などを持って 親戚や家族 職場に向かっていました。

 

転線する6012F。

 

この後は 家族と合流して箕面温泉に行き 帰りは、壊れた電子レンジや カセットボンベなどを買い直して

十三 西宮北口駅経由で門戸厄神につきました。

 

普通門戸厄神行 7020F。 門戸厄神駅のすぐ南側で落橋した国道171号線の橋桁の撤去が済んで 一駅だけ復旧していました。

 

門戸厄神ー仁川間は、山陽新幹線の高架が今津線の線路上に崩落、また 甲東園駅東側のマンションが線路側に傾いているなどしていたために以前普通でした。

 

ここからは、徒歩で仁川の自宅を目指しました。 線路沿いの道を北上 新幹線の崩落現場に辿り着いた頃には、

真っ暗でした。 街灯もほとんどついていなくて 崩落現場では投光器に照らされる壊れた橋桁が不気味に感じました。 現場付近は山側に迂回、甲東園駅にたどり着いた時にはへとへとでした。

甲東園駅前には、灯りのついていたバスが止まっていました。 甲東園駅から仁川駅を経由して宝塚市内の武庫川付近を通って逆瀬川駅まで行く阪急バスが運転を再開していました。  発車までは、時間があったのですが、仁川駅までの上り坂を歩く気力もなく バスで帰りました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんばんは。 前回の続きです。

 

石橋駅。

普通梅田行3066F。 今は 行けなくなった 定番撮影地にて。

 

急行梅田行5128F。 シングルアームに換装された編成です。 この編成が 最後まで残るのでしょうか。

 

普通宝塚行 5102F。

 

急行梅田行8006F。

 

急行雲雀丘花屋敷行 7052F他 10両編成。 はっきりとは覚えていませんが、 特急日生エクスプレス以外の10両運用は、宝塚方に増結編成を連結していました。 

 

回送 5124F+5106F。

 

普通箕面行3157F。 2枚看板!!

 

特急宝塚行 5146F。 清荒神駅にて。 2000年は、日中宝塚線にも特急運用がありました。

 

ここからは 別な日です。

準急梅田行6007F。  この編成は、現在は 車内もリニューアルされました。

 

通勤特急梅田行 5106F+5125F。 当時この編成は、 ほぼ10両編成運用固定だったようでした。

 

阪急電車の10両編成運用は、1982年に宝塚線から この5100系で始まりました。 

 

その1982年の画像です。

梅田駅 回送で折り返す、 5108F他10両編成。

 

急行梅田行5102F+5112F。 10両編成運転は、雲雀丘花屋敷始発の急行2本で始まりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。  6013Fの写真を探していて 目についた 2000年代に入って デジカメで撮影し出した写真をどうぞ。

 

まずは 十三駅。

準急梅田行。 フレッシュ宝塚線 6月4日 ダイヤ改正 PRヘッドマーク。

普通梅田行6008F。 この時は気にしていませんでしたが、左の6011Fはフルマルーンでした。

 

急行梅田行7010F。

 

普通梅田行 5132F。 

 

特急日生エクスプレス 梅田行。8042F他。 川西能勢口駅で前に2両増結して10両編成で運転されていました。

 

普通梅田行5146F。 淡路花博PRヘッドマーク。 フルマルーンの後期型5100系も活躍中。

 

豊中駅。

普通梅田行6005F。

 

急行梅田行7014F。

 

普通梅田行 フルマルーン 6011F。 

 

通勤特急梅田行 5106F+5125F。宝塚駅発の通勤特急運用には、5100系もついていました。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 もうご存知の皆さんも多いとは思いますが、阪急6000系は1976年デビュー 今年で誕生50年になります。それを記念して 6013Fのアイボリーの帯を無くし 登場時のフルマルーン塗装にするそうです。 運転開始は 明日1月15日から。Hマークと旧社章の復刻 記念ヘッドマークの掲出。 車内にも記念プレートがつくそうです。

6013Fが選ばれた理由は、運転室背後の小窓が設置されていないためかと思います。

 

 

詳しくは HPをどうぞ。

 
ということで 過去写真から 6013Fを特集します。
ダイヤモンドクロスを渡る 普通三宮行 6013F。1982年頃の西宮北口駅。
阪急電車で初めて 表示幕を設置した 2250系の車体に5100系の制御機器関係を組み合わせて登場したのが 6000系でした。 宝塚線用には、 トップナンバー 6000Fからの8両固定編成 9本。 神戸線用には、6010Fからの6両編成6本と 6020Fからの2両編成7本  6016Fの4両編成1本が新製されました。
 
神戸線用の6000系は、山陽電車須磨浦公園駅への直通運用を中心に運用されていましたが、写真のように8両固定編成運用にもついていました。
 
6013Fに限定すると なかなか写真が出て来ず 次の写真は、1990年ごろです。
仁川駅。
普通西宮北口行 6013F。  この姿が 再現されますね。
 
普通宝塚南口行 6013F。 宝塚駅付近の高架化工事のために 宝塚ー宝塚南口駅間が単線になっていたため 朝夕のラッシュ時中心に 宝塚南口行が運転されていました。 行き先表示が青幕なのは 乗り間違い防止のためでした。
 
宝塚南口駅にて 1992年。
普通西宮北口行6013Fと準急梅田行7004F。 上り線を使っての単線運転実施中で 宝塚南口折り返し電車は、下り線を使用していました。
 
宝塚大劇場をバックに走る 6013F。 
宝塚大劇場横の旧上り線を行く 6013F。 手塚治氏記念館のある付近です。
 
年が明けて1993年。 下り線と宝塚駅の高架が完成して 宝塚への電車は下り線を使用するようになっていました。
6013Fは、次発の普通西宮北口行でした。
 
普通宝塚行 3068Fとの並び。西宮北口ー宝塚間運用の編成には、初詣ヘッドマークがついていました。
 
 
 
次は1年後の 1994年のお正月。
高架工事が完成した今津線。 普通宝塚行6013F。 まだ 新社章の上に マルーンに塗られたHマークが見えました。
 
特急梅田行 6013F。 6013Fの神戸線特急運用はこれ一枚でした。
 
次の写真は、こちら、
宝塚線豊中駅。 通勤準急 雲雀丘花屋敷行6013F。 山陽電車との直通運転が休止になって 神戸線の6000系6両編成グループは、増結編成などの中間車を組み込んで 8両固定編成となって 宝塚線に転属しました。
多分この転属のタイミングで Hマークがとられたようです。
これが フルマルーン6013F最後の撮影。
 
2000年川西能勢口駅。
普通梅田行 6013F。天神祭ヘッドマーク。
 
宝塚駅
通勤特急梅田行6013F。 前に2両連結して 10両編成で通勤特急運用に入っていました。 宝塚を出ると次の停車駅は 山本でした。
 
2024年10月の撮影。
急行大阪梅田行 6013F。 
 
この部分に 銀色のHマークが復活するはずです。 ついでに クーラーキセも古いのに変えて 前照灯も白熱灯に変えたら完璧ですねえ。
 
 車内は、床以外は、ほぼ昭和のままの阪急電車になっていました。
 
御覧頂きましてありがとうございました。
 
 
 
 

 

皆さんこんにちは。 2005年のJR宝塚線の写真です。 JR西日本では、2005年は4月に大きな事故があった年で その自粛ということもあって ヘッドマークなどのPR活動がなかったように思います。

 

事故後JR宝塚線は 6月に運転が再開されました。

伊丹駅での撮影です。

221系快速大阪行。 221系のJR宝塚線での運用期間は短く 1999年から2008年まででした。

 

201系普通新三田行。 201系の延命工事が始まっていました。

 

113系普通新三田行。

普通篠山口行。 113系もリニューアル工事が進行中で 湘南色との混色編成が見られました。

 

尼崎駅に移動しました。

新快速長浜行。 キリンビールの工場は移転し跡地の再開発が始まっていました。

 

普通大阪行。 113系も色は、つまらなくなりましたが、座席は223系と同等の転換クロスシートになってサービス面では向上しました。

 

205系普通尼崎止まり 折り返し中に幕回し。

 

205系は、折り返し線から5番線に入線。 201系はその折り返し線があくのを待っていました。 普通京都行の並び。

 

向かって右は、尼崎始発の京都行。 左は、先発新三田からの普通高槻行です。20年前は、201系が主力でしたねえ。

 

207系と201系の並び。 207系普通西明石行はJR東西線から。 201系普通塚口行は、JR京都線から。

 

201系普通大阪行。この列車は 塚本駅通過。 

 

普通大阪行。

 

快速大阪行。 脱線事故の復旧に際し ATS装置の更新が行われ 対応していない117系はJR宝塚線から撤退。 その代替えで 各地から113系が転属してきました。 クリームに紺の帯の車両は、広島下関地区からの車両でした。

 

最後に川西池田駅。

 

特急北近畿8号新大阪行。 183系800番台もJR西日本標準色に。

 

快速同志社前行。

 

207系の塗装が、321系に合わせたものに変更されて行きました。

 

後の3両は京田辺止まり。 京田辺以遠は、ホームの延長工事中で4両編成しか入線できず 京田辺駅で切り離しされていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。