皆さんこんにちは。 本日は1月17日 阪神淡路大震災から31年が経ちました。 当時 仁川駅の近くに住んでいましたが、家の中がぐちゃぐちゃになる程度で 身近には大きな被害はありませんでした。
明るくなって 家族が無事なのを確認して 当時の職場があった宝塚駅方面まで 歩いて出勤することにしました。

宝塚大劇場横 脱線した6025F。 電気は、7時頃に復旧しテレビやラジオは見ることができていました、 しかし 神戸方面の惨状についての報道はありませんでした。 ただ 今津線の脱線だけは報道していました。

以前 6013Fの記事の時にも撮影していた 宝塚大劇場横 花のみち付近。 写真の大きく凹んだ2721号車は廃車になりました。 この後 176号線を東に歩き職場に向かいました。 もうこの時点で 176号線の西行きは大渋滞になっていました。 職場についてからは 余震に怯えながら後片付けをし その途中で休憩室のテレビで徐々に大きくなっていく神戸の被害状況を知りました。
翌日以降からは 渋滞を避けつつ車で通勤しました。 1月30日に仁川ー宝塚間が復旧。地震後初めて1日休めることができて、当時は、箕面スパーガーデン(現在は大江戸温泉物語)とだけ呼ばれていた箕面温泉に行きました。
家族と合流する前に少しだけ撮影しました。

逆瀬川駅にて 普通仁川行3058F。


普通宝塚行5203F。 運行標識板は、宝塚ー西宮北口間の板に 印刷したものを貼ったもののようでした。


普通仁川行 7022F。だいたい 10分間隔での運行でした。


普通宝塚行 6012F。字幕車にも 運行標識板を設置していました。
仁川駅。

折り返し線に バックする5203F。
宝塚から到着したした電車は、 通常時とは逆の手順で折り返していました。

下りホームに入線する5203F。

普通宝塚行5203F。

次の6012Fが到着。5203Fが発車した行きました。
当時の仁川駅は、西宮市内の被災地へ向かう入り口の一つになっていて 宝塚線経由で来た多くの人々が支援物資などを持って 親戚や家族 職場に向かっていました。


転線する6012F。
この後は 家族と合流して箕面温泉に行き 帰りは、壊れた電子レンジや カセットボンベなどを買い直して
十三 西宮北口駅経由で門戸厄神につきました。


普通門戸厄神行 7020F。 門戸厄神駅のすぐ南側で落橋した国道171号線の橋桁の撤去が済んで 一駅だけ復旧していました。
門戸厄神ー仁川間は、山陽新幹線の高架が今津線の線路上に崩落、また 甲東園駅東側のマンションが線路側に傾いているなどしていたために以前普通でした。
ここからは、徒歩で仁川の自宅を目指しました。 線路沿いの道を北上 新幹線の崩落現場に辿り着いた頃には、
真っ暗でした。 街灯もほとんどついていなくて 崩落現場では投光器に照らされる壊れた橋桁が不気味に感じました。 現場付近は山側に迂回、甲東園駅にたどり着いた時にはへとへとでした。
甲東園駅前には、灯りのついていたバスが止まっていました。 甲東園駅から仁川駅を経由して宝塚市内の武庫川付近を通って逆瀬川駅まで行く阪急バスが運転を再開していました。 発車までは、時間があったのですが、仁川駅までの上り坂を歩く気力もなく バスで帰りました。
御覧頂きましてありがとうございました。