皆さんこんにちは。 今回は1998年4回目以降の画像です。

 

1998年度は、塚本駅で撮影していました。

普通高槻行。 デザインが写真的なものに変更されました。

 

普通尼崎行。

 

普通京都行。

 

普通西明石行。205系にも。

 

普通大阪行。JR宝塚線からの黄色の103系。

 

普通尼崎行。 JR東西線開業後、JR宝塚線内のみの運用だった103系も7両編成となって ラッシュ時間中心に高槻まで直通 1994年に終了していた JR京都神戸線内の運用も復活しました。

 

普通高槻行。

普通尼崎行。 JR京都線方面への乗り入れと共に 車体色がスカイブルーに変更されていきました。

 

207系普通高槻行。 

 

環状線外回り 京橋行。 103系関西地区の3色までは記録できました。

 

その後、1999年と2000年は写真はなく。2001年。 大阪駅。

普通西明石行。 1998年度以降は、毎年デザインも変更されていたようです。

 

普通西明石行。

 

205系と207系の並び。  現在は、橋上駅舎やホーム屋根などで背後の阪急のビル群観覧車は見えませんが、この頃は、観覧車もはっきりと見えていました。

 

大阪環状線外回り 普通天王寺行。

 

これが 私のルミナリエヘッドマーク最後の一枚になりました。

 

翌年の2005年からは、ヘッドマークの掲出がなくなりました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 阪急駅構内のポスター 先日 張り出されていました。

 

今年で31回目。1月30日〜2月8日まで開催されます。

 

 
1995年1月に発生した 阪神淡路大震災の 犠牲者への鎮魂 街の復興と再生への希望を込めて 神戸ルミナリエが始まりました。毎年 12月のクリスマス前の時期に開催されていましたが、 コロナ禍の2020年〜2022年の間は 神戸ルミナリエとしては休止。 再開された2023年度末の開催から 1月に移行されて 2024年から1月下旬ごろに開催されるようになりました。
 
さて 阪急電車の方では ポスターは掲出されたりしているのですが、ヘッドマークの掲出はなかったと思います。 が JR西日本の方では、PRヘッドマークが取り付けられていました。
1995年度はなかったのですが、 翌年1996年開催から だいたい12月の開催期間中に取り付けられていました。
 
元町駅で撮影。
普通高槻行。
 
普通西明石行。
 
快速網干行。 当初は、12月25日のクリスマスが最終日でした。
主に 普通と快速についていたようです。
 
尼崎駅にて。
快速加古川行。 1996年というと JR東西線開業前で、尼崎駅の配線変更改良工事が行われていました。 右手に黄色く見えるのは、キリンビール工場が駅の北側にあり その瓶ビールのケースが高く積まれていました。
 
普通須磨行。
 
続いて 3回目開催の1997年度。 川西池田駅で撮影。
快速篠山口行。 3月にJR東西線が開業、JR宝塚線には 207系使用の快速列車も走るようになりヘッドマークがつきました。
 
普通新三田行。 ヘッドマークのデザインは、前年とほぼ同じ 開催期間が変更されていました。
 
普通大阪行 117系300番台にも少し大型のヘッドマークがついていました。
 
快速同志社前行。 ラッシュ時は、転換クロスの117系は普通運用。 ロングシートの207系が快速運用となっていました。
 
快速大阪行。 宮原区の113系も湘南色で活躍中。
 
大阪駅。
223系0番台 関空快速 京橋行。
 
環状線外回り 天王寺行。
 
JRの方は、かなりの路線で多数ついていました。
 
御覧頂きましてありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 

 

皆さん こんにちは。 湯前駅から 八代駅までやってきました。

 

寝台特急はやぶさ 東京行です。 西鹿児島12時20分発。 八代15時16分発 東京には、翌日10時30分着でした。

 

電源車の一つ前がA個室寝台オロネ25です。当時は、はやぶさ 富士 あさかぜ1号4号 出雲1号4号にのみ 連結されていました。 当時は 唯一の個室寝台車で、枕木方向にベッドがあって 縦長の14部屋でした。

個室内には、洗面台兼テーブルがあるのみのシンプルなもので 寝台料金は、12.000円でした。ちなみに B寝台2段式は、5.500円です。 現在のサンライズエクスプレスのシングルDXで 13800円。シングルツイン9.600円になりますが、40年近い時間差を考えると 現在のサンライズの料金は安すぎるのではないでしょうか?

 

ホームで連結作業をしていた ED76とスハフ42旧型客車。  八代駅始発の普通127レ 西鹿児島行。 これに乗って 西鹿児島まで4時間40分の鈍行旅でした。

 

西鹿児島からは、折り返し 急行かいもんの自由席に乗車して一晩を過ごしました。

筑豊本線の北端 若松駅。

若松から折り返して 折尾に戻る左手で キハ20系列が解体されていました。

 

折尾からは 鹿児島本線の普通電車で 香椎駅に行き 香椎線に乗り換えました。

北側の終点 西戸崎駅。 香椎線は、鹿児島本線香椎駅を中間点にして北の西戸崎駅と南の宇美駅を結ぶ路線です。現在は、1時間に2~3本運転されていますが、国鉄時代は、一日12往復程度しか走っていませんでした。

 

西戸崎駅からは 折り返し  終点の宇美駅まで乗車しました。

次に乗ったのは、現在は廃線になった 勝田線。

勝田線の時刻表。勝田線は、博多駅の隣 吉塚駅から筑前勝田駅を結ぶ路線でした。

その筑前勝田駅の隣に宇美駅があります。 時刻表にも注意書きがあるように 香椎線の宇美駅と100mほど離れていますが 国鉄時代は、同一駅として乗り換え可能でした。

 

勝田線の宇美駅に到着した 普通827D。筑前勝田行。

 

筑前勝田駅駅舎。 ゴミ箱が 漢字で護美箱。

 

筑前勝田駅停車中の普通826D。 これに乗って吉塚駅に向かいました。

 

博多駅に移動して 帰りの新幹線まで少し撮り鉄。

特急有明7号 西鹿児島行。 数ある485系の中でも 超異端者の クハ481ー500番台車。直流型特急電車の181系 クハ181からの改造で、2両しか改造されませんでした、 運転室上のヘッドライトがないのがその証です。 同じボンネットでも 元祖ボンネット車の151系 こだま型は、 屋根上にもヘッドライトがありましたが、 上越線 とき号で走る 181系の時に トンネルの関係からか ヘッドライトが撤去され のっぺりした印象になりました

西鹿児島に向けて 発車した 有明7号 後は オリジナルのクハ481型でした。

 

特急にちりん13号 宮崎行きです。 ゲンコツスタイルのクハ481の小さい表示幕には、絵入りヘッドマークが入っていましたが、 ボンネット車は まだ字幕でした。

 

にちりん13号と普通下関行。 ローズピンクの交直流近郊型電車423系。 ローズピンクの交直流電車は、近畿圏でまず見ることがなかったので珍しかったです。

 

発車した にちりん13号 最後尾は200番台のクハ481で 絵入りマークが入っていました。

 

次の写真は、別な日に撮影した分。

寝台特急みずほ 長崎・熊本行。 さくらとはやぶさの影に隠れて あまり印象にない特急でした。 ヘッドマークも地味でしたね。

 

寝台特急さくら 長崎・佐世保行。 牽引機が 九州では珍しい?ED75型でした。

 

この両列車名、現在も九州新幹線で走っていますね。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 本年もご愛顧のほどを。 約1週間ぶりになります。

 

40年前 九州ワイド周遊券で乗り鉄した時の2回目です。

改めて見ると この駅やこの線にも乗っていたんだと 思い出すことができました。 ただ 詳しいメモが残っていないので どういう行程だったか思い出せません。

赤いインクの使用済みスタンプの下に 逆向きになっている途中下車印 さつま大口駅。 さつまがひらがなになっている珍しい印です。 さつま大口駅は、鹿児島本線 水俣駅と肥薩線栗野駅を結んでいた 山野線の中間駅で この駅から川内駅まで 宮之城線が通っていて 二つの路線が乗り入れる拠点駅でした。

薩摩大口駅と宮之城線の列車。 キハ20後にキハ40がつながっていました。多分この列車に川内駅から来たと思います。急行かいもんで 早朝川内駅で下車。4分の接続で始発の523Dに乗ってきたと思います。

1983年の時刻表より

当時の南九州の国鉄路線図です。 肥薩線の人吉ー吉松間の 大畑ループは有名でしたが 山野線にもループ線がありました。 

山野線も宮之城線も全線乗り通すとなると2時間程度かかる路線で乗り潰しにくい路線でした。  車窓は、本当に山と林しか印象に残っていません。

 宮之城線は1987年 山野線は1988年に廃線になっています。

 

薩摩大口駅からは、山野線で栗野へでて 矢武越えをしました。

吉松駅で接続待ちの間に駅の裏手に出て 撮った一枚。吉都線都城行 626D。

 

吉松からは 吉松9時30発の860D人吉行に乗りました、最近までは観光列車も走る区間ですが、当時は、キハ52が1両 寂しく行き交う区間でした。

 

真幸駅。当時は、寂しい無人駅でした。

 

矢岳駅。

 

大畑駅 日本で唯一のループ線の途中にあるスィッチバック駅。 背後のキハ52-40に乗っていました。

 

急行えびの1号宮崎行。 大畑駅で行き違いしました。えびの1号は、折り返して見ての方向に。乗車していたキハ52は、左手の方向に進みました。

 

人吉到着後は、現在は、第三セクター鉄道になっている 湯前線に乗車しました。

終点 湯前駅の駅名板。

 

湯前駅では6分の待ち合わせで 折り返し、肥薩線直通の2726Dで八代に向かいました。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 新年最初の投稿。 今年もよろしくお願いします。

 

時は戻りまして 大晦日の早朝宝塚駅。 日中は 人通りが絶えない駅構内も 早朝は、電車から降りた数人がいなくなると無人に。 大晦日は特にがらんと感じました。

 

鳩もゆっくりとお散歩。

 

阪急の改札口。

宝塚大劇場への道筋が 右奥の階段を降りて ソリオ1まで続いています。

 

改札内 コンコースの柱は、ようこそ宝塚大劇場へ。 バージョンになっています。

 

続いて 神戸線の車内。

中吊りポスターが 全て青一色。 

 

壁面も扉のシールも。

 

しあわせな街で、暮らそう。神戸市垂水区。

 

神戸市垂水区にジャックされていました。 はっきり覚えていないのですが、確か1017F だったと思います。

他の編成は、通常でした。

 

そして 元旦の昨日。 私の家の元旦は、おせち料理とお雑煮を食べてから 家族全員で門戸厄神に初詣が、長年の恒例となっています。

 

門戸厄神は、最寄りの阪急電車今津線の駅名となっていますが、 正式?には、門戸厄神 東光寺となっています。

厄神明王様が祀られていて 日本三大厄神の一つとされています。 他の二つは、京都 石清水八幡宮と和歌山県丹生都比売神社 で、両神社にも厄神明王が祀られているそうです。

 

今年もかなりの人手でした。

 

その後、前年に買った お守りを返納し 新しい一年用のお守りを購入します。

例年ですと 緑色の厄除け金蘭お守りを購入していたのですが、 本年から?かカード型のお守りがありました。

テレフォンカードサイズのお守り。私は、財布に入れて持ち歩いていたので 今後はこちらにすることにしました。

 

では 今年もよろしくお願いします。

 

回送 2302F。西国七福神ヘッドマーク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさんこんばんは。
帰りの電車の中です。

やはり、普段の休日の半分ぐらいの乗車率って感じです。

一年間ご覧いただきましてありがとうございました。

皆さんこんにちは。   今年もあと2日になりました。

 

JR宝塚駅の時刻表に貼り紙が

JR西日本近畿地区の年末年始は、12月30日〜1月3日までが休日ダイヤです。4日も日曜なので 4日までとかいてもいいような気がしますが、

 

対する阪急電車というと。

こんな感じとなっています。 JRは、29日は 平日ダイヤだったのですが、阪急電車は休日ダイヤでした。 ただ 29日のみ 朝に臨時普通電車を武庫之荘始発で運転となっていました、ただ そのダイヤについては HPなどには乗っていなかったようなのですが、

 

29日の西宮北口駅時刻表。 もちろん 臨時列車の案内はありません。

 

しかし、職場最寄りの神崎川駅。

ホームの時刻表に 貼り紙がありました。

 

神崎川発 7時46分〜8時26分まで4本運転されたようです。 仕事だったので 実車の写真などはありませんが、想像では、園田で 特急の待避はしたようです。

 

話変わって 車内ポスター。

初詣ポスターは恒例の宝塚歌劇団の方が出演。 もう長年阪急の初詣ポスターといえば、歌劇団です。

 

その横 今年初めて気づいたのですが。

十日戎のポスター 阪神タイガースの伊原選手が笑っていました。

 

そしてそして 阪急の毎年恒例のお正月イベントは 他にもあります。

西国七福神集印めぐり。 宝塚線沿線の7社寺の参拝印を集めると オリジナルグッズがもらえるというものです。

 

詳しくは HPをどうぞ。

 

阪急ハイキングの特別企画もあるようです。

 

ポスターにもありますが、 今年から 阪急電車のニューイヤーチケットや、ぐるっと初詣パスが、磁気

券ではなくなって スマフォ仕様のデジタル乗車券になってしまいました。

 

回送 大阪梅田行。 9305F。 初詣ヘッドマークもついて 新年を迎える準備万端です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 いよいよ 今年もあと4日になりましたね。 一年が過ぎるのは早いです。 

 

今回の切符はこちら。 1984年3月に利用しました。

バイトで貯めたお金を全額投入して 全て車中泊6泊7日で九州を乗り鉄しました。

九州までの行きの行程が どうも思い出せないのですが、 当初は、夜行急行を利用したと思っていたんですが、その夜行急行くにさき・阿蘇・雲仙・西海は、1980年に廃止になっていました。

ので どうも山陽本線を普通で九州入りしたのか、新幹線を使ったのか。。・

 

豊前川崎駅です。

キハ20の単行列車で、上山田線を完乗したと思います。 特定地方交通線で廃線になった 上山田線、漆生線 添田線の3線と 平成筑豊鉄道転換された 伊田線 田川線 糸田線。 また JRに残った 後藤寺線などを 効率よく乗りこなすにはどうしたらいいか。 時刻表で 熟慮を重ねて 訪れた記憶があります。 でも本数が限られているので、 皆 同じような行程になって 閑散線区では 御同輩ばかり乗っているという感じでしたが、 実際 写真の改札口の人々も御同輩みたいです。

 

添田駅にて。 豊前川崎から乗って来た 普通列車の 日田行きです。 キハ66系近郊型気動車です。 急行型キハ65の後継みたいな車両で 1974年に北九州地区に投入された気動車です。 空気バネ台車に 転換クロスシート 冷房付きの当時としては 破格の豪華列車でした。 デッキがなかったので 近郊型?みたいでしたが、 当初は 急行日田 はんだ にも使用されていました。 私が訪れた 1984年には、列車名はそのままに、快速となり料金不要になっていましたが、 この普通日田行は、折り返し 快速日田として小倉に戻っていたようです。

 

添田駅からは 添田線に乗りました。

その添田線の車中から撮った 香春岳です。 添田からは 添田線に乗って 香春駅まで向かいました 列車の写真は、撮っていませんが、なぜか 石灰石の発掘で 山頂が平くなった 香春岳は記録していました。

 

この後は 夜行急行日南か かいもん号の自由席で南九州に移動しました。 途中下車印を見るといくつかの線を乗車したみたいですが、 写真は、志布志駅での2枚のみ。

キハ55型準急用気動車の2両編成。前が キハ26で 後の首都圏色が グリーン車キロ25の格下げ車 キハ26ー600番台です。 確か 600番台の方は、元の回転式クロスシートが固定されて残っていた 乗り得列車でした。

 

この夜は、急行日南自由席に乗車。翌朝は、行橋駅で下車。

普通新田原行きです。1984年なので 交直流国鉄色のローズピンクの車体の423系。

 

香月駅。香月線の終点駅。 筑豊本線折尾駅の隣 中間(なかま)駅と香月駅を結んでいました。

乗車した キハ45。香月線は 第1次特定地方交通線に指定されていて 1985年に廃線となっています。

 

博多駅。

特急かもめ号を撮影。博多ー長崎間の電車特急時代。かもめ羽ばたく絵入マークでした。

 

博多からは 急行由布3号に乗って 別府に向かいました。 

途中の日田駅にて。 行き違いの 急行由布4号博多行。

 

久大本線を完乗して別府駅に到着。

 特急にちりん24号博多行だったと思います。 にちりんの このヘッドマークも 大好きでした。

この後は これには乗らず、駅前温泉に浸かって ゆっくり門司港駅に向かい、下り急行日南の自由席で 深夜の津久見駅で 上りの日南に乗り換えて 門司港に戻って 宿代を浮かした記憶があります。

 

つづく。 

どうも年内の通常の更新はこれで最後になりそうです。 この続きは年始になる予定です。

 

あと4日 私の仕事納めは 31日になります。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 

 

1999年 京都駅に撮り鉄に出かけた時

急行たかやま号の自由席を利用した時みたいです。

 

その時の模様は 過去に2階ほど記事にしていて そのうちの一つは以下のリンクからどうぞ。

急行きたぐに号B寝台券。 もしかすると最近記事にしたかも。

 

続いて

この切符は 完全家族旅行の時だったので 手元に他の写真は全く残っていません。 1984年です。

信州への旅行の行きに 急行ちくま3号のB寝台を利用した時のものです。この時のことは全く覚えていません。

 

その帰りは、

急行たかやま号の普通車指定席券。 バスで 松本から高山へ抜けたみたいです。

 

急行列車は、現在のJRではほとんど死語になりつつありますが、1980年代後半は、まだ気軽に乗れる優等列車でした。 

四国周遊券。1982年の年末に乗り鉄した時の物。 当時の四国は DC急行天国でした。

 

実際には、利用しませんでしたが、四国への行き帰りどちらかで 関西汽船のフェリーを利用できました。 その際 小豆島で途中下船でき 小豆島観光もできたようでした。

 

裏面。

 

1980年代後半 中学生の頃なんですが 初めて 友達と二人で乗り鉄に出かけ ほぼ四国内では別行動に近い感じで旅行しました。 その2回ほど行っているのですが、その時に撮影した四国のDC 急行たちです。

 

牟岐駅で撮影した 急行むろと。 高松と徳島を通って 牟岐線牟岐駅を結んでいました。

 

急行うわじま。 伊予市駅付近で撮影。 予讃本線を走っていた急行 高松と宇和島を結んでいました。

 

阿波池田駅に到着した 急行あしずり号。 土讃線を走っていた急行。高松と中村駅を結んでいました。

 

別な日 早朝の阿波池田駅近くの踏切で撮影。

 

同じ日に撮影。

土讃線普通列車。 DE10が牽引する 旧型客車が走っていました。

側線には、引退したDF50が眠っていました。

 

大歩危駅に到着する急行あしずり。 土讃線には、高松ー高地を結ぶ 急行土佐も走っていましたが 日程の都合から縁がありませんでした。 予讃線の急行いよ号もです。

 

土佐山田を発車して 四国山地に分け入り 高松を目指す 急行あしずり号の車内から。

予讃線に比べて 比較的空いていた 土讃線の急行をの方が乗車回数が多かったです。 この時も最終日 中村駅から急行あしずり号に乗って 高松まで 5時間ちょっとの気動車急行旅をしていました。

 

窪川駅で撮影 キニ15-1。10系気動車を改造した 荷物専用車両でした。

 

徳島駅 急行阿波号 高松と徳島駅をほぼ毎時1本運転されていました。 写真の中間車は、半室普通車半室グリーン車のキロハ28です。 高徳線には、1両丸々のグリーン車需要がないと判断されて キロ28の車内を真ん中で仕切り 半室にボックスシートを設置していた車両です。 確か1両しかありませんでした。 急行阿波号とむろと号の一部で高松ー徳島間ノンストップの列車も運転されていました。

 

小松島港駅にて 急行よしの川号阿波池田行。 徳島と阿波池田駅を結んでいた よしの川号は、徳島から小松島港線に 快速列車と乗り入れて 和歌山へのフェリー連絡列車の指名もありました。 奥の跨線橋がフェリー乗り場につながっていました。

 

小松島駅に到着する 急行よしの川号。 看板字幕はそのままで徳島までは 快速列車でした。

 

 

その小松島駅で一枚。 見苦しいのでモザイクかけております。 

改札の向こうに旧型客車が見えますが、 一日1本 徳島本線からの普通客車列車も来ていました。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 三河安城駅からは 次のこだま号で一駅 名古屋に到着。ここで 最後の撮り鉄に。

 

特急ひだ9号高山行。まだ登場間もない頃なので ピカピカのキハ85系特急型気動車。

 

後は貫通型先頭車。 そういえば、JR東海の特急型車両は、小さいながらもヘッドマークが付いていますね。

 

特急しらさぎ9号富山行。北陸特急の中でも 名古屋地区の「しらさぎ」号とはあまり縁がなかったので その中でも ボンネット車を記録していたのはよかったです。

 

特急しなの23号長野行。 ほぼ日中1時間に1本運転されている 特急しなの号。 ホームでの折り返しの場合、係員がついて給水?作業が行われていたようでした。

 

快速2129M米原行。 JR東海色になった117系。 1982年に関西地区に続いて 名古屋地区の153系を置き換えるために投入されました。 当初は、関西地区と同じ クリームにマルーンの帯の塗装でした。

 

東海道線下り普通美濃赤坂行。 車両は、211系5000番台。 JR東海になってから 普通電車の置き換え用に投入されました。

 

新快速大垣行。 最近引退した 311系近郊型電車。 こちらも当時は、バリバリの現役。

 

特急ひだ11号富山行です。

快速みえ54号名古屋行。 1990年の運行開始当初は、キハ58+キハ65の2両編成で運転されていましたが、キハ75系登場後は、臨時列車で運転されていました。

 

キハ75 快速みえ15号鳥羽行が入線 新旧快速みえ号が並びました。

 

普通1443M関ヶ原行。 湘南色113系もわずかながら残っていました。 

日中に数本運転されていた レアな「関ヶ原」の表示幕を記録していました。

EF64-6号機牽引 貨物列車。 多分 EF64が珍しくて撮影していました。

中央線 快速中津川行です。211系の7両編成でした。 

 

高山から到着した 臨時特急 ひだ82号です。 臨時列車だからか 先頭車が2両連なっていました。

国鉄時代の長野鉄道管理局で 1983年に製造された 12系客車改造のお座敷客車 白樺 です。 塗装は、晩年の深緑色となっています。

 

牽引機 EF64- 41。 この41号機 よく見ると パンタグラフが前後で形状が違いました。 前が 下枠交差式に交換されています。 

 

117系 15時20分発の快速米原行。

 

地元 JR東海のジョイフルトレイン キハ80系特急型気動車改造の リゾートライナー。

 

キロ82-801+キロ80-701+キロ80-801の3両編成。 キハ58系を2両連結していました。 これは、増結ではなく キロ80系列の方の走行機関が不調で、補機代わりの連結だったそうです。

 1988年に登場し 1995年にひっそりと引退しました。 短命に終ったジョイフルトレインだったようです。

 

新快速大垣行。

 

311系と211系の並びを撮影。 この後 新幹線で帰ったのかと思いきや こんな切符が残っていました。

JRで岐阜駅まで行って 折り返しは 名鉄特急に試乗していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。