9月23日のダイヤ改正で国鉄時代からの交直流近郊形電車415系鋼製車が引退した九州地区。主な運用エリアだった下関ー小倉間は、ステンレス車体の415系1500番台が引き継いでいます。関門の主役に躍り出て1カ月。1500番台の近況を追ってみました。

 

 

下関駅で並ぶ415系1500番台。鋼製車100・500番台の運用離脱に伴い、関門間の全ての普通列車を担うことになりました。写真は南福岡車両区から大分車両センターに転属してきたFo1519編成(左)とFo1513編成

 

 

下関駅で115系3000番台(左)と顔を合わせる415系1500番台(Fo1514編成)。同じ国鉄車両でデビューもわずか4年差ですが、外観は大きく異なります

 

 

 

415系1500番台は、国鉄末期の1986(昭和61)年にデビュー。主要機器類は従来の415系に揃えつつもステンレス車体やボルスタレス台車を採用するなど、少し前に登場した直流近郊形電車211系に似た外観となっています。

 

JR九州には現在、常磐線から移ってきたFo1501編成と、Fo1509〜1521の4両編成14本が在籍していますが、このたびの415系鋼製車の引退に伴い、全ての編成が大分車両センターに集結したようです。南福岡車両区所属だった編成は、前面窓の編成表示が「FM」から「Fo」に改まり、車体の所属表記も順次「本ミフ」から「分オイ」に書き換えているようです。

 

 

前面窓の編成表示が「FM」から変わったFo1519編成

 

 

車体の所属表記も「分オイ」に変更。消された「本ミフ」がうっすら残っています(写真はFo1519編成)。Fo1514編成は私が遭遇した9月末時点では「本ミフ」のままでした(現在は変わっているかもしれません)

 

 

 

下関から九州へ向かう列車は、これまで朝夕に日豊本線に直通するものが見られましたが、415系の運用が縮小したダイヤ改正後は、大分出入庫の1本を除き、全て小倉か門司止まりとなりました。朝夕に下関市と小倉南区、苅田町、行橋市方面を行き来する利用客は乗り換えが必要となり、少し不便になりました。

 

415系の運用縮小はワンマン運転の拡大とリンクしていますが、現状同系でないと運用が成り立たない関門間に、予備車も含めて集中させる目的もあるのではないかと思います。

 

 

関門トンネルを抜けて下関側に顔を出したFo1512編成

 

 

関門トンネルを出て門司駅の直流から交流に切り替わるセクションに差し掛かるFo1520編成

 

 

415系鋼製車がいなくなって1カ月たちますが、1500番台は元々走っていたこともあり、日常風景にすんなり溶け込んでいます

 

 

 

415系1500番台は、同系鋼製車と比べると見た目は一気に新しくなりました。軽量ステンレス車体とボルスタレス台車の影響か、走行音を聞くと明らかに軽やかです。ドアの開閉音も205系や211系と同じで、一段下降窓や平天井の明るい車内など、私が子どもの頃に感じた「新型車」のイメージそのものです。

 

関門間ではこれまでも1500番台を見ることができましたが、それでも全列車が1500番台になると刷新感を覚えます。

 

とはいえ、1500番台も車齢としては35年を過ぎ、若くないのが実情です。これまでの鋼製車と比べると1世代あとの車両ですが、車内を細かく見ると経年劣化と思われる黄ばみなどが見られます。

 

 

下関駅に停車中のFo1514編成。従来の国鉄スタイルから離れた外観は下関かいわいでは一番の「新型車」になりますが、それでもデビューから35年が過ぎたベテラン車両です

 

 

下関駅で415系1500番台の発着を見ていると、ようやく1980年代後半の首都圏のようになったな…と感慨深いものがあります(周回遅れどころではありませんが…)

 

 

 

新車だった国鉄末期~JR初期以外は何となく影の薄かった九州の415系1500番台。ダイヤ改正後の関門間を見ていると、長く脇役として頑張ってきてようやく主役の舞台を得たような感覚です(安住の地とも言えそうですが…)。

 

後継形式の具体的なアナウンスはありませんが、車齢を考えると見られるのはあと10年くらいのような気がします。最後の国鉄車両の一つとして、その活躍を見守っていきたいと思います。

 

 

 

※トップナンバーFo1501編成は以下をご覧ください

 

 

 

※1500番台と入れ替わりで引退した白電もまとめています