こんにちは!
アラフィフ、ワーママのなおです。
障害を持つ5歳の男の子を育てています。
 
 
ブログを訪問してくださり、
ありがとうございますラブラブ
 
 
 
私のことを知っていただくために
ストーリーを書いています。
 
 
 
 
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会社を辞めて時間ができた私は、
仕事漬けの生活だったので、
しばらく好きなことをやろうと思いました。
 
 
まずは3週間のフランス旅行。
留学中に出会った友人を訪ねる旅でした。
 
しかし、着いてまもなく
国鉄の大規模ストライキが起きて、
地方の田舎都市の友人宅に足止めされてしまい、
計画していた友人全員には
会うことができませんでした。
 
 
それでも日本人が1人もいないような田舎町で、
共働きの友人夫婦に代わって
子どものお迎えに行ったり、
公園で一緒に遊んだりして周囲の注目を浴びたり。
 
 
旅行者というよりも現地で生活している人のような
生活ができて、それはそれで楽しかったです。
 
 
フランス旅行中にフランス語熱が高まり、
帰国後にフランス語の学校に通い始めました。
 
 
 
その学校で見つけたのが、
 
長野オリンピックの
ボランティア募集の告知
 
 
日本でオリンピックが開催されることなんて
そんなにないし、これは面白そう!!
 
 
ミーハーな私はすぐに応募しました。

 
応募したとき、
長野オリンピックまで約1年ありました。
 
 
当時は自由な身だったので、
オリンピックのボランティアとして
めいいっぱい活動しようと
長野滞在OK、期間も1ヶ月間OKとしました。
 
 
仕事のことは、
長野オリンピックまでは
正社員にはならずに派遣社員やバイトでつないで、
オリンピックが終わってから本腰を入れて探すことにしました。
 
 
それからは日払いや週払いのバイト、
派遣社員として事務の仕事など
数え切れないくらいの職場で
いろんな仕事を経験しました。
 
 
その中で1番長期で勤めたのは、
レコード会社での事務仕事で半年間。
 
 
当時、大人気だったアーティストを抱える部署で
活気もあったし、私のミーハー心も満たされて
とっても楽しかったのですが…
 
主に任されていたのが経理的な仕事で…
 
決算の時期に夜10時過ぎまで残業になり、
まわりは誰1人残っていない中で、
電卓たたいて帳簿とにらめっこする羽目に。
 
 
友達と約束していた旅行もドタキャンになり、
もう二度と決算の仕事はしたくないと思い、
次の決算前に派遣契約を終了したのでした。
 
 
 
 
そして迎えた長野オリンピック
 
 
1ヶ月間、長野市内の旅館で
同じ場所に配属となったボランティアの子と
相部屋で生活しました。
 
 

同じ部屋だった彼女と善光寺にて。
 
 
 
宿泊先とボランティアが着用するユニフォームは
提供されましたが、それ以外は全部自費でした。
 
 
 
私が配属されたのは
大会運営委員会の本部。
 
そこで問い合わせの電話の対応をしたり、
競技関係者の車両の手配をしたり
とっても地味~な仕事です。
 
 
ここが仕事場
 
 
 
華やかな競技会場とは違い、
机が並んでいて
見た目は普通の会社のオフィスと変わらない感じ。
 
しかし、大会の要となる重要な場所での
大切なお仕事。
 
 
時々、外国語での電話がかかってくると、
「通訳さ~ん」と呼ばれて
何人かいる外国語ができるスタッフが対応します。
 
 
一応、私もそのメンバーなのですが、
聞き取りが苦手で、正直電話に出るのは怖かった…
 
そんなに話せるわけじゃないから
「通訳さん」なんて呼ばないで…ガーン
 
 
身を隠したくなる気持ちでしたが、
そんなことも言っていられないので
ゆっくり話してもらうようにお願いして
毎回必死に対応。
 
 
最後にありがとうと言ってもらえると、
私でも役に立てたとうれしかったです。
 
 
仕事が終わってからの一番の楽しみは表彰式キラキラ
 
 
長野大会では、競技会場ごとにではなく、
長野市街の会場で、
まとめて表彰式が行われました。
 
 
 
競技は見に行けなかったけれど、
表彰式は見ることができました。
 
 
スキージャンプの船木選手
 
 
 
スキーモーグルの里谷選手
 
 
 
 
ボランティアをしていなかったら、
きっとテレビ観戦していたのだと思いますが、
オリンピックをあれほど肌で感じることは
できなかったでしょう。
 
 

 
 
 
運営側の一員として参加できたのは
非常に貴重な体験でした。
自腹を切って参加しただけの価値は
あったと思います。
 
そのときに一緒だった仲間とは
今でもつながっています。
 

 
 
 
 
長野オリンピックに参加して
意気揚々と東京に戻ってきた私。
 
 
 
さぁ、仕事探しだ!と
本格的に就職活動を始めました。
 
 
しかし、職を転々としていて、
仕事内容にも一貫性のない私の経歴は
採用側から見るとマイナスでしかなかったようです。
 
 
それに、このときの私は
自分がどんな仕事をしたいのか
全然定まっていませんでした。
 
 
だからとにかく面白そうと思った会社や仕事に
次々応募してみたのです。
 
そんな状態だったから
志望動機にも説得力がなく…
 
 
当然といえば当然の結果でした。
 
 
そんなときに気晴らしに行ったコンサートで
財布をすられるというアクシデントに見舞われ、
踏んだり蹴ったりえーん
 
 
 
どん底の状態でした。
 
 
 
 
そんなときに1本の電話が。
 
 
日払いのバイトをしていたときに
出会った人からでした。
 
 
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