こんにちは!
アラフィフ、ワーママのなおです。
障害を持つ5歳の男の子を育てています。
 
 
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私が気づいてしまった致命的なこと

 

それは2つありました。

 

 

ひとつめは

映像をつくることに興味がないということ。

 

 

 

みんなで一緒にテレビ番組や映画を観ていると、

他の人たちはカメラワーク、編集の仕方に

注目しているのに対し、

私だけ内容にはまり込んでいたのです。

 

 

 

2つめは

ディレクターになりたくない

ずっとADでいたいと思っていたことでした。

 

 

しかし、そんなことは許されず…

 

 

ディレクターデビューが近づいてくるにつれ、

仕事がつらくなってきました。

 

 

 

こんな気持ちで

この仕事を続けていけるはずがありません。

 

 

 

担当している番組のチーフディレクターに

相談したら、

 

「まず1本、ディレクターやってみろ」

 

と言われ、とにかく何も考えずに目の前の1本

 

といっても1時間番組の中の3分のコーナーですが

 

のディレクターをやってみることにしました。

 

 

そのチーフディレクターが、

 

俺が最高のADやってやる!と言ってくれ、

ベテランのカメラマンとアシスタントさん、

タレントさん

みんなが新米へなちょこディレクターを

助けてくれました。

 

 

 

3分のコーナーが完成してスタジオで流れたとき、

お世辞にも面白いとは言えない内容で

出演者も観覧客も静まり返っていたけれど笑い泣き

とにかく1本つくることができました。

 

 

 

ディレクターとはいえ、

チームの他のスタッフの方がベテランで

助けられてばかりで、

自分がつくったっていう感覚は

そのときあまりなかった気がしますが、

貴重な体験でした。

 

 

 

ただ、またつくりたいのかと訊かれたら、

もういいや…という気持ちの方が強かったです。

 

 

 

さらに追い討ちをかけたのは、

大先輩のディレクターに相談したときに、

 

 

「俺だって毎回、これ以上のものがつくれるかって

不安と闘いながらつくってる」

 

 

と聞かされて、

こんなすごい人でも毎回こんな不安を抱えて

胃が痛む思いでつくっているのかと驚き、

自分には到底無理だと思ってしまったのです。

 

 

 

ディレクターデビューから3ヶ月後、

結局、私は制作会社を辞めました。

 

 

 

 

今思うと、

 

もう少し辛抱できなかったのか

 

開き直ってやってみたらよかったのではないか

 

そんな後悔もよぎります。

 

 

あれほどやりたかった仕事に就けたのに。

 

こんなにあっさり辞めてしまうなんて。

 

 

 

ディレクターといっても、

たった1人で作り上げるわけではない、

チームみんなで作り上げるものなのだから、

完璧でなくたっていい

 

できないところ、わからないところは

他のスタッフに頼ればいい

 

 

今なら、こんな風に

もう少し力を抜いて

考え直すこともできたかもしれません。

 

 

でも、当時20代前半の私には

そこまで考えることはできませんでした。

 

 

きっとあまりにも忙しすぎて、

自分の気持ちと向き合う余裕もなく、

大好きなテレビを見る時間すらなく、

初心を忘れてしまったのでしょう。

 

 

こうして私は10代から大事にしてきた夢を

手放してしまったのです。

 

 

私にとって生まれて初めて体験する

大きな大きな挫折でした。

 

 

 

そして、ここから長い長い迷走期間へと

突入していくのです。