こんにちは!
アラフィフ、ワーママのなおです。
障害を持つ5歳の男の子を育てています。
 
 
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2月に帰国し、すぐさま就職活動スタート。



行きたい業界は決まっていました。

小さい頃から親しみ、
わくわくどきどきするものをいっぱい見せてくれたテレビ。

私に新しい世界を見せて見聞を広めてくれたテレビ。


今度は自分がつくる側になって、
誰かをわくわくさせたり、元気にしたり、
行動するきっかけを与えられるようになりたい。

そう思いました。


だけど、マスコミ業界は就職活動のスタートが早く、
私は完全に出遅れていました。


結果は全落ち


ろくに対策しなかったし、

東京のキー局と大手の制作会社しか受けてないし、

特別目を引くような個性も才能も経歴も

持ち合わせていないし、

当然の結果です。

 

 

 

 

マスコミ業界の競争率が高いことは

重々承知していたので、

第2希望として食品&酒類業界を受けていました。

 

 

 

その中の1社から内定をいただき、

就職することに決めました。

 

 

 

チーズやワインを取り扱っている大手企業。

 

 

フランス語を活かせるチャンスがありそうだし、

両親も安心するだろう。

 

 

いきなり本社の営業部という花形の部署に配属。

 

 

数少ない4大卒の総合職で期待されていました。

 

 

同期の男性はみんな地方の支店を転々として、

最後に目指すのが本社なのに女性は特別扱い。

 

 

まだ、そういう時代でした。

 

 

 

会社の人はみんな優しいし

一般職の年齢不詳のお局さまは何を考えてるかわからなくて不気味だったけど

 

 

ここにいるのも悪くない…

 

 

一生懸命に自分を納得させていました。

 

 

 

しかし、そんな私の心を試すかのように

入社した会社の同期のお姉さんが

長年テレビ業界で働いていることが判明。

 

 

心がざわつきました。

 

 

居ても立っても居られず、

お姉さんに会わせて欲しいとお願いしました。

 


会社帰りに収録スタジオに遊びに行かせてもらい、

現場の雰囲気を体験させてもらいました。

 

 

クセが強そうなプロデューサー

 

口が悪くて人遣いも荒そうなディレクター

 

走り回るAD

 

 

それでもワクワクしました。

 

ディレクターは先頭に立って

大勢の人を動かさなくちゃいけない。

 

ADだって番組づくりに必要とあらば、

突撃取材しなくちゃいけない。

物怖じなんてしてられない。

 

 

私の性格とは真逆の苦手なことばかり。

 

体力もいるし、精神的にもきつそうだし、

大変なのは間違いない。

 

 

だけどだけど、

やっぱりこの世界で働きたい!!

 

 

 

以前にも苦手を好きなことで克服した私は

今回もまた苦手なことであっても挑戦することを選びました。

 

 

体力勝負の仕事なら早い方がいい!

 

 

すぐに転職活動を開始しました。

 

 

入社してわずか3ヶ月後のことでした。


まもなく新聞で制作会社の求人広告を見つけて応募し、

内定をもらいました。

 

 

両親には事後報告でした。

実家にいたら、こんなこと絶対にできなかったでしょう。

 

当然、両親には反対されました。

 

でも、私がもともとテレビの仕事をしたいと知っていたので、

最終的には認めてくれました。

 

 

こうして新卒で入った大企業を半年で辞め、

社員50人ほどの制作会社に転職したのです。

 

 

 

今思うと、これぞまさに「引き寄せの法則」なのでしょうか。

 

絶対にやりたいという思いを持ち続けていたら、

信じられないような出会いや運に恵まれ、

夢を現実のものにしたのです。

 

 

 

制作会社に入ってから、

大企業での生活とは一変しました。

 

 

休みは月1日か2日取れれば良いほう。

 

終電帰りはしょっちゅう。

徹夜も月2~3回あり。

 

化粧っ気ゼロで、いつもTシャツ、Gパン、スニーカー。

ロケのときにはウェストバッグ。

 

 

(ここでもウエストバッグ抱えてる)
 

 

 

 

ロケ場所を探し回って、

ロケの日は近づいているのに見つからなくて

夜うなされたり…

 

ロケの仕切りが悪くて怒鳴られて泣いて…

てめぇ呼ばわりされたことも…

 

 

それでも好きなことだったからがんばれました。

 

 

それに、この仕事をやっていなかったら

出会えなかったような人たちを取材させてもらえたり、

まったく知らなかった世界に足を踏み入れることができたり。

 

 

毎日が刺激的で楽しかったです。

 

 

(顔がパンパン 恥)
 

 

 

 

チームでひとつの番組を作り上げていく醍醐味も味わえました。

 

 

さらに同期の仲間たちが最高で。

 

寝食を共にし、苦楽を分かち合っただけに絆が強くて、

仕事が終わった後、夜通しドライブしたり、

カラオケで熱唱したり、

学生時代よりもずっとずっと楽しくて

私にとってかけがえのない時間でした。

 

 

(同期と夜中のドライブ中)
 

 

 

 

無我夢中で過ごして2年が過ぎ、

同期の中から徐々にディレクターに挑戦する人が出てきた頃、

私は致命的なことに気づき始めていました。

 

 

 

 

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