板橋の自然健康ヨーガ教室 -191ページ目

サーファー‘ジェリー・ロペス’談

今日は、レジェンド・サーファー‘ジェリー・ロペス’が大波に揉まれてしまったお話です。


波に乗ることに失敗したジェリーは、物凄い勢いで大波にのみ込まれてしまいました。


そのような波にのみ込まれると普通の人だけでなく、熟練したサーファーでも命の保障はないそうです。


まず波にもみくちゃにされるとどっちが水面かが分からなくなってしまう。


慌てて水面に上がろうとすると、逆に海底に潜っていたということになり兼ねない状況に陥り、海底に潜む珊瑚や岩なんかに身体がぶつけられ大怪我をする可能性もある。


水面を確認し、ようやと水面から顔を出したと思ったら次の大波が襲ってきて一息する間もなくまた海中に揉まれてしまう。


これを繰り返すと体内の酸素が不足してきて、呼吸をしたいという欲望に駆られてきます。


しかし水中でちょっとでも呼吸をしようとするものならばその時点でアウト、水中では生き延びられなくなるそうです。


そんな状況を繰り返し、‘もう駄目だ’と思ったジェリーは、どうせ駄目ならと身体の力をスッと抜いて、呼吸をしたいという欲望を解き放つようリラックスすることに努めました。


この欲望を解き放つことに成功すれば、一所懸命に水面に這い上がろうという時よりもずっと長く呼吸を止めておくことが出来るということを学んだそうです。


この時何よりも大きな教訓となったのは、


‘自分の欲望を解き放つ’ということだったと語っています。


「私の体の内なる羅針盤は水中で空気を我慢した時間の分だけ、欲望を解き放つ方向へと私を差し向けた。以来、普段の生活でも私は同じように欲望を解き放てるよう努力し続けている。それがすべての可能性へとつながる鍵のような気がするのだ。」


「サーフリアライゼーション(真実を知ること)は思いがけない時にやってくる。そしてそれは波の中だけでなく日常生活においても注意していないと見逃してしまいやすい。しかしその教訓を学ぶことができたら、それは全くもって素晴らしいことなのだ」


私達の周りには真実で埋め尽くされているのですね、そう、宝の山で覆われているのです。


では周りに囲まれている宝をなぜ私達は見る事が出来ないのでしょうか?


そしてその宝を見出す為には一体何をすればよいのでしょうか?



神業

昨日、スマップの番組「スマスマ」に女性シンガー・ソングライターの大御所、キャロル・キングが出演していました。


キャロル・キングは、60年代初頭から曲作り、シンガーとして活躍しており、あのビートルズの1stアルバムにカヴァーされているくらいの才能溢れる音楽家です。


昨夜はキャロルの曲を2曲、スマップのメンバーと一緒に披露しました。


2曲目にキャロルの代表曲「You've Got A Friend」が登場。


ピアノ・イントロと最初のフレーズはキャロルのソロ。


第1声から完全にキャロルの心がその場の空気を作り、画面を通して観ている私を魅了しました。


最初のキャロルのソロが物凄かった。


私達素人は、サビの部分に感情がピークになるよう歌い上げようとしますが、キャロルのような頂点に立つ人は、最初の第1声から違います。


上手く歌おうとか、感情を込めようとか考えていないようです。


心にあるものを外に表現しようとも考えていないように思えます。


自然と心が外に出てしまっているようです。


その域に達する為には技術が必要なのか?どの方面からアプローチすればいいのか?どういった練習をすればいいのか?


そこを見える人が神業を成すことが出来るのでしょうね。


昨日のキャロルの歌は確かに神業でした。


何かを狙っているという感が全くしない。


これは歌に限らず、全てのことに対して当てはまることだと感じました。


そう言えばインドでスヴァーミージーも同じことをおっしゃっていました。


「ヨーガのアーサナは、行うものではない、自然と行われるものだ」


成瀬先生も全く同じことをおっしゃっています。


自然と出るまでに反覆するしかないんでしょうね。


そして出た時には、きっとそのこと自体、意識から消えているんでしょうね。

雨男は誰?

昨日、父の一周忌の法事は雨でした。


先週は土曜日に一時雨が降りましたが、本格的に降ったのは昨日だけです。


父の通夜、本葬は寒さに加えて立派な雨。


四十九日には大雪。


そして昨日の一周忌も雨。


因みに本日は晴天。


どうやらうちの家族の誰かが雨人間のようです。


その話をするとみんな


‘俺は、私は、晴れ男、晴れ女なんだけどな’と決まって言います。


しかし昨日、お墓の前でお坊さんがお経を読んでいる時は一時雨が止んだのですが、最後ににお坊さんの説教が始まった途端、また大粒の雨が降り始めました。


どうやら父が泣いているようです、通夜も本葬も四十九日も一周忌も。


父が犯人なのか?


しかし生前、父も‘冗談じゃない、俺は晴れ男だ’と言っていました。


私の結婚式は雨+雷でした、一週間後は晴天にも関わらず。


一ヵ月後の弟の結婚披露のお食事会は大雨。


毎週水曜日の地元でのヨーガ・レッスン日も雨が多いです。


私が仕事で外出をし始めると雨がぽつん、ぽつんと降り始めます。


Y.L.S.の日も雨が多いので、一時は先生のせいにしていたのですが、


先生も‘私は晴れ男だよ’と言い張っていました。


一体誰が雨男なのか?


私の周りから一向に犯人の臭いが消えません。



私の父

父が亡くなって来月で早くも1年が経ちます。


そして明日は1周忌です。


私がまだ学生の頃、よく父と意見が合わなく衝突していました。


*高校2年の夏休みと冬休み時にアルバイトをするといったら反対

*高校時代にバンドをやると言ったら反対

*私が会社勤めから独立をすると言った時も反対


父は大学を卒業してから30年以上、ずっと一つの会社に従事していた典型的なサラリーマン人間でした。


とても保守的だったのです。


私はどことなく人の上に立ちたい願望が強い性格でしたので、そういう父の性格に対して


‘俺はお父さんみたいな人生を歩みたくないんだ!’


と母に言ってよく泣かしていたことを覚えています。


特に目立ったところがなく、外面が良い内弁慶的な人間。


男臭い、強いという感じではなかったので、父に対して憧れというものはありませんでした。


そんな父が、生前最後の4年間は大病に侵され闘病生活を送っていました。


いよいよという時には、近しい方がお見舞いに来て下さいました。


肺に水が溜まっていたので呼吸するのも苦しかったのですが、それでもお見舞いに来てくださった方々に


‘お加減はいかがですか?身体に気を付けて下さいね。’


と逆に気を遣って見舞っていました。


息を引き取る1時間半前のことです。


夫婦共々とても親しくお付き合いしていただいていたご夫婦が最後のお見舞いに来てくださいました。


その前日から父はしゃべることはなく、その時も意識がもうろうとしていた感じでした。


そのご夫婦が涙流しながらも‘頑張って、元気になるんだよ!’と声をかけていたのですが、父は反応しません。


そして時間が経ち‘もう帰るからね’と父に言った時に、一瞬ですが頭をがっと上げて、口をがーと開けました。


‘自分は大丈夫だ’という意思表示を笑みをもって、最後の力を振り絞って示したのでしょう。


普段、私達は周りの様々なものに惑わされながら生活をしています。


よってどこか覆い隠す面が少なからずあると思います。


人間の本性というのは死ぬ直前に表われるものなのかもしれません。


体内中に水が溜まってしまった父の顔は浮腫んでいましたが、息を引き取った瞬間、顔の浮腫みがスッと引き、苦しみのない、とても凛々しいいい顔になりました。


この父の表情を見て、‘死’というものがこの世の中で最も酷な出来事なのではないかもしれないと思いました。


はっきりした答えは今でも分かりません。しかし‘死’という概念が少しでも変わったのは確かです。


最後の最期まで人に気を遣っていた父はとても気丈な強い人間でした。


生前の父から何も学べていなかったぼんくらな私は、今になって‘人様への気遣い’というものを父から学びました。


まだまだですが、父に追いつけるよう‘気遣い’というものをもっともっと勉強していきたいと思っています。


そして明日は、父が用意してくれた親戚の方々との大切な時間を楽しみたいと思っています。





道端で声をかけられるお話

昨日の昼間、新宿の人通りの多いところを歩いていました。


そしたら向こうから一人の人が大勢の人を掻き分けて私に声をかけてきました。


‘すみません、手相の勉強をしているのですが少しお時間よろしいでしょうか?’


新宿などを歩いているとそのような方が沢山いる。


私はそのような方に本当によく声をかけられる。


大勢人がいる中でなぜ私に白羽の矢が当たるのか?


声をかければホイホイついて行きそうな単純な人間に見えるのか?


声をかけても怒らなそうな温和な人間に感じるのか?


それはともかく宗教の勧誘、手相の勉強、アンケート依頼、若い人からお年寄りまで色々な方に声をかけられる。


完全無視が何となく出来ない私は、いちいち‘すみません、忙しいもので’などきちんとお断りをしていたが、きちんと対応すると捕まってしまうので、最近は顔を合わせないで軽く済みませんのお辞儀だけをするようにしている。


日常生活でこれほど知らない人に声をかけられるのなら、たまには素敵な女性からどきどきした仕草で声をかけられたいものだ。


最近はそんな出来事は全くないが、自分で言うのもなんですが以前は結構なものでした。


そう、23年前に一度、道端で若い女性に声をかけられたほどの実力の持ち主ですから.........