私の父
父が亡くなって来月で早くも1年が経ちます。
そして明日は1周忌です。
私がまだ学生の頃、よく父と意見が合わなく衝突していました。
*高校2年の夏休みと冬休み時にアルバイトをするといったら反対
*高校時代にバンドをやると言ったら反対
*私が会社勤めから独立をすると言った時も反対
父は大学を卒業してから30年以上、ずっと一つの会社に従事していた典型的なサラリーマン人間でした。
とても保守的だったのです。
私はどことなく人の上に立ちたい願望が強い性格でしたので、そういう父の性格に対して
‘俺はお父さんみたいな人生を歩みたくないんだ!’
と母に言ってよく泣かしていたことを覚えています。
特に目立ったところがなく、外面が良い内弁慶的な人間。
男臭い、強いという感じではなかったので、父に対して憧れというものはありませんでした。
そんな父が、生前最後の4年間は大病に侵され闘病生活を送っていました。
いよいよという時には、近しい方がお見舞いに来て下さいました。
肺に水が溜まっていたので呼吸するのも苦しかったのですが、それでもお見舞いに来てくださった方々に
‘お加減はいかがですか?身体に気を付けて下さいね。’
と逆に気を遣って見舞っていました。
息を引き取る1時間半前のことです。
夫婦共々とても親しくお付き合いしていただいていたご夫婦が最後のお見舞いに来てくださいました。
その前日から父はしゃべることはなく、その時も意識がもうろうとしていた感じでした。
そのご夫婦が涙流しながらも‘頑張って、元気になるんだよ!’と声をかけていたのですが、父は反応しません。
そして時間が経ち‘もう帰るからね’と父に言った時に、一瞬ですが頭をがっと上げて、口をがーと開けました。
‘自分は大丈夫だ’という意思表示を笑みをもって、最後の力を振り絞って示したのでしょう。
普段、私達は周りの様々なものに惑わされながら生活をしています。
よってどこか覆い隠す面が少なからずあると思います。
人間の本性というのは死ぬ直前に表われるものなのかもしれません。
体内中に水が溜まってしまった父の顔は浮腫んでいましたが、息を引き取った瞬間、顔の浮腫みがスッと引き、苦しみのない、とても凛々しいいい顔になりました。
この父の表情を見て、‘死’というものがこの世の中で最も酷な出来事なのではないかもしれないと思いました。
はっきりした答えは今でも分かりません。しかし‘死’という概念が少しでも変わったのは確かです。
最後の最期まで人に気を遣っていた父はとても気丈な強い人間でした。
生前の父から何も学べていなかったぼんくらな私は、今になって‘人様への気遣い’というものを父から学びました。
まだまだですが、父に追いつけるよう‘気遣い’というものをもっともっと勉強していきたいと思っています。
そして明日は、父が用意してくれた親戚の方々との大切な時間を楽しみたいと思っています。