ひきこもりの双子の母
心理カウンセラー/白根月子
激務で家にほぼいない夫、ひきこもり20代の双子の息子たち、猫2匹♂♀、亀2匹と暮らす、希死念慮から脱出した還暦主婦です。
前回までのお話はこちら
自分の中に愛情があることを
知らない、または
気づいていない人は、
人に愛情を与えることが
困難なのです。
また逆に
人から愛情をもらっても
受け取ることが下手クソです。
私は、そういう母親に育てられ
私もまた、そういう母親だった
ということです。
だからといって、子どもの問題が
すべて母親のせいかというと、
それは違うと思うのです。
二男が長男に難癖をつけて
長男に暴力を振るう。
我が家から“被害者”と“加害者”が
同時に出てしまうのではないかと
不安に思っていたのですが、
ある日、気が付いてしまったのです。
長男が学校の長期休暇中など、
私が仕事から帰宅すると
2人の間に、多少の緊張感は
あるものの、
一緒にゲームをしていることが
あったのです。
しかも、私が仕事に行っている間
2人が喧嘩をした様子もないのです。
(もしかして、二男が長男に
手を出すのは、私がいる時だけ?)
たぶん、それは思い過ごしではなく
きっとそうだったのだと思います。
でも、その時は、
二男の私に対する怒りなのだと
思っていました。
確かにそれもあったとは
思います。
でも、その怒りの下に、
本当の二男の気持ちが隠れていたことを
私は、心理学を学び始めてから
知ることになるのです。
よく、子どもたちの
『死にたい』
は、
『SOSのサイン』
と言われます。
確かにそうなのです。
では、子どもたちは
何に対してSOSを
発しているのでしょうか?
『生きること』
に対してかもしれません。
子どもたちの
『生きたい』
のその下には
『もっと私(僕)を見て』
『もっと私(僕)に触れて』
『もっと私(僕)を愛して』
という切ないメッセージが
隠れているのではないでしょうか?
よく学校でも、わざと暴れたり、
怒られるようなことをして、
先生が手を焼く生徒がいます。
もしかしたらそれも、
『もっと私(僕)を見て』
『もっと私(僕)に触れて』
『もっと私(僕)を愛して』
という、切ない『SOSのサイン』かも
しれません。
話が逸れましたが、
ワンオペでの双子育児、
夫が勤務する会社の倒産 など、
いろいろあったとはいえ
私が子どもたちに
愛情を持って接する時間は
圧倒的に足りていなかったことは
事実です。
そしてまた、
例え、余裕があったとしても
私自身が子どもたちに
愛情を与えられたかどうかは
わかりません。
愛情と時間は比例しないのです。
短い時間の中で
沢山の愛情を与えることもできるし、
どれだけ時間があっても
愛情を与えることができないことだって
あるのです。