こんにちは。

前回まで、僕がJARTAというトレーナー養成派遣機関を設立した4つの理由のうち、無償サポートに関する問題点について触れてきました。






今回は二つ目である「真に選手に貢献できるトレーナーが正当に評価される仕組みを作る」は次に譲り、それに先立って三つめに挙げた「手段を選ばず選手に貢献できるトレーナーを増やす」という点について書いていきたいと思います。






前回の記事の最後をもう一度引用します。


(以下引用)

報酬に関する内容はここまでですが、最後に最大の注意点です。

それは、無償サポートだの報酬もらうだのを言うのは、あくまで「プロとして選手に成果を出させるだけの仕事が出来る」のが大前提での話です。






僕はスポーツトレーナーに無償サポートが増えてきたのは、単にチームや選手に経済的な苦しさがあることだけが原因だとは考えていません。

むしろ根本的原因は、トレーナー側の力量にあると思っています。






「いたら助かるけど、いなくても別に大丈夫」






多くのトレーナーが、そんな価値しか提供できてこなかった、と考えるべきです。

(無償サポートの問題を選手やチームの経済力、という「相手の責任」にしていたら何も解決しませんよね。)

(引用ここまで)






つまり、報酬だ無償だと言えるのはチームや選手にとって意味のある価値を提供できる人だけです。

トレーナーの地位を高める、価値を高める、必要性を感じてもらう、など、全てはトレーナーにそれを実現できる能力があるかどうかが根本的な部分です。






ここが成立しないと、何を言っても無意味ですし、逆に地位を下げることになります。






では、チームや選手に意味のある価値、すなわち成果を提供できるのはどんなトレーナーでしょうか。

(手前味噌で申し訳ないのですが、JARTAの講習会やworkoutという地域別練習会でお伝えしている内容にそのファクターを全て導入しています。)





そしてそのファクターをJARTAが一言で表現しているのが、「手段を選ばず選手に貢献する」です。






なぜ、「手段を選ばず」という表現になったのかをご説明したいと思います。

(手段を選ばない、というのはもちろん倫理的な範囲内ですよ)






トレーナー業界やセラピスト業界は、一般的に「手段」をとても重視します。

言い換えると理論、テクニックです。





多くの人が⚪︎⚪︎理論、⚪︎⚪︎テクニックなど、自分が理解・共感するものを大事にしています。





それは当然でしょ?と思われるかもしれませんが、ではその理論やテクニックで対応できない場合はどうしますか?





自分の理論やテクニックを使っても痛みがとれない、動きが改善しない、パフォーマンスが上がらないことは確実にあります。
(「ない」と断言できる人を僕は残念ながら信用できないです。)






理論やテクニックに限らず、世の中のものは何でもそうですが、全員に確実に効果を出せるものなんて存在しません。

なぜなら人体は同じ構造でありながら、これまで生きてきたヒストリーや思考や意識など、その人を診る上での前提条件となるものが全て異なるからです。

ただしそれらを捉えらえ認識するという思考プロセスを構築することができれば、応用という形で抽象度や汎用性を高め、対応することは可能だと思います。






話を戻します。

自分の持っているものでは対処できない症例や現象。

これはほとんどの理論やテクニックの抽象度や汎用性に欠落があるから生じることなのですが、

全ての理論やテクニックは万能ではないという前提は、特にスポーツ選手を相手にする場合は絶対に必要です。






また、特に理学療法士などの世界でよく言われている「科学的根拠のあるテクニックやトレーニングの提供」についても同様です。





「科学的根拠」という言葉が独り歩きし、それらの要不要が議論されて久しいですが、僕はどちらの意見にも賛成というか、そもそもまず科学的根拠という言葉を定義しないと議論にならないと思っています。






科学的根拠を絶対視する人は、その根拠となるデータを信用しているでしょうし、不要だという人は恐らく根拠となるデータそのものやその研究モデルに疑問を持っているのだと思います。






つまりこの議論は、科学的根拠という言葉の前提がすでにずれているので、どこまで行っても議論にならないです。

どうせなら根拠としているデータを出した研究モデルに対する議論をした方が有効な議論になると思います。

(関係主義的に取得した科学的なデータは非常に重要なものですので)





またしても話がずれましたが、とにかく現場で選手に対峙する立場にある者には、どの理論がどうとかテクニックが、科学的根拠が、など、綺麗事を言っているヒマなんてありません。






すべての判断基準は、「”その選手に”、効果があるかどうか」「それを実施して選手が良い結果を出せるかどうか」です。






選手に対峙する立場にある者は、その一点にすべての思考回路を集中すべきです。





どんな素晴らしい理論・テクニックでも、どんなに大勢が有意差を示した科学的データであっても、目の前のその選手に効果がなければ、その選手にとっては無意味なのです。





あるプロ選手は僕に言いました。





「良い結果出せるなら、お祈りでもいいです。それぐらい僕らは追い込まれていますし不安なんです。」






これが僕らスポーツトレーナーが「すべきこと」の全てを集約した言葉だと思います。




目の前の選手はこの世にただ一人、その人しかいません。

我々は理論やデータでなく、その選手をサポートしているのです。






以前トレーナー業界は縄張り争いが熾烈だと書きましたが、理論やテクニックによる論争も本質は同じ縄張り争いです。

もちろん素晴らしい理論もたくさんあります。

しかし、選手を置き去りにしたものには何の存在価値もありません。






僕はJARTAの講習会を受講してくださっている方にはこのことを伝えたいのです。

このような姿勢を持ったトレーナーを世の中に増やしたいのです。







これが、僕がJARTAを設立した理由の一つです。








JARTAオフィシャルサイト
http://jarta.jp



JARTA認定トレーナー資格の取得方法はこちらから
http://jarta.jp/seminars/



選手に習得させたい方はこちらをご参照ください。
JARTAでは全国に認定トレーナーがおり、各地域ごとにトレーナーのご依頼に対応しております。

http://jarta.jp/flow/






JARTA

中野 崇



「無償サポートは決して選手のためにならない。」





僕はそう確信しています。





前回はスポーツトレーナーの無償サポートに対して、僕の感じている問題点を書きました。


今回はその続きとなる内容です。






前回書いたように、スポーツトレーナーとしてチームや選手のサポートに入る際、メディカルチェックも含めてですが、報酬が発生しない形は非常に多いです。

それはその時点だけ考えると、双方が納得していれば何も問題はないでしょう。






ただ、それは業界の発展性や継続性、スポーツトレーナーという業種の価値の向上を考えたときには社会構造上大いに問題があることを説明しました。





このへんはトレーナー側からの視点ですね。






次にここでは、トレーナー側の観点に加えて、選手やチーム側の観点からもこの問題を考えたいと思います。






結論から言うと、無償でのサポートを入れることは、選手やチームにとってデメリットは確実に存在します。






ちなみに無償サポートにおけるトレーナー側のメリットについては、割と容易にサポートに入らせてもらいやすいってことですね。

選手側のメリットは経済性。ほとんどのチームや選手は慢性的にお金が不足していることが多いので、当然大いなるメリットです。






それに対して双方に生じるデメリットは、成果に対する責任と継続性の欠落です。




例えば、一定期間サポートに入っても選手やチームになんの成果も出せない(パフォーマンスの向上が見られない)、けが人も減らない、としたらどうでしょうか?






まずはトレーナー側の視点で分かりやすくなるように、二つのチームをサポートしている状況を想定してみましょう。


一方は無償。もう一方は報酬ありです。






上記のように仮にそれぞれで成果が見られない場合、どちらに対して大きな責任を感じるでしょうか?

(無償だから責任が軽い、という意味ではありません。トレーナー自身がどう感じるか、です。)






また、同じ日にサポート依頼が重なったら、どちらを優先すべきでしょうか?





どちらを優先せざるを得ないでしょうか?







継続性の観点から考えてみても、何か事情があってどちらかを辞めなければならない場合、どちらを辞めることになるでしょうか?





ここで考えて欲しいのは、「お金をもらえるから」という短絡的な観点ではなく、「お金を払うほどそのトレーナーに価値を感じてくれている方」を優先すべき、ということです。

(お金には、それそのものには価値がある訳ではなく、対象となるモノ・サービス・人の価値を社会的に約束されたもの、という本来のお金の意味から考えると分かると思います。)






そして報酬をもらっている相手よりも無償サポートをしている相手の方が、自分の都合で休みを取りやすい雰囲気は確実にあります。

(チーム側も報酬を渡していないだけに、なかなか強くは要請できないですね。)






そしてこれらに関連してチーム・選手側。

報酬を支払っているトレーナーに対してであれば、成果が思わしくない場合、それを問うことができます。

なぜなら「報酬を支払っているから」です。

これは非常に重要なことです。






無償で「サポートに来てもらっている」場合、そこを問うのはとても難しいのです。





選手やチームは、場合によっては非常に難しい要望をトレーナーにすべき時があります。

チームとして成果を出すためにはそこは妥協してはならない、負担を強いる場合も多々あります。




例えば、すごく単純なことで言うと、「普段は一週間に一回のサポートだが、この期間は毎日来て欲しい、少なくとも3日に一回は来て欲しい」みたいな感じです。実際可能かどうかは別として、このような依頼は割とよくあります。





しかし、無償の場合、そこにトレーナーへの遠慮や申し訳なさという形で「妥協」が生じる隙が生まれるリスクがあるのです。






なぜなら、トレーナーの働きに対して対価を支払っていないからです。

(もちろん報酬を支払ってもらっているからといって、何でも要望を受け入れるべきという訳ではありません。)






「責任と成果に対する報酬」という社会構造上当たり前の関係が成立していないことが問題なのです。






そして更に懸念されることは、あまり精神的に成熟していない人たちで構成されるチームの場合、無償でサポートに入っているトレーナーを軽視する雰囲気が出てくる場合もあります。

これは非常に残念な話で、あってはならないことですが、これもまた選手心理として存在するのも事実です。

(もちろんハイレベルなチームでは、無償でサポートしてくれるトレーナーに対しては最大級のリスペクトを持ってくれます)






いろいろ書いてきましたが、このようなトレーナーとチーム・選手の関係性が、果たして良い発展を遂げ続けることができるでしょうか?






あくまで様々な事情を加味した上での個人的な意見ですが、ここまで挙げたことを理由として、僕は無償サポートはお互いにとって中途半端な関係だと考えています。(前にも書いた通り、双方に明確なメリットが存在しているのであればこれには当たりません)





それがまかり通っているようでは、トレーナー業界は社会的な地位や信頼性を高めていくことは難しいです。











報酬に関する内容はここまでですが、最後に最大の注意点です。






それは、無償サポートだの報酬もらうだのを言うのは、あくまで「プロとして選手に成果を出させるだけの仕事が出来る」のが大前提での話です。


僕はスポーツトレーナーに無償サポートが増えてきたのは、単にチームや選手に経済的な苦しさがあることだけが原因だとは考えていません。

むしろ根本的原因は、トレーナー側の力量にあると思っています。






「いたら助かるけど、いなくても別に大丈夫」






多くのトレーナーが、そんな価値しか提供できてこなかった、と考えるべきです。

(無償サポートの問題を選手やチームの経済力、という「相手の責任」にしていたら何も解決しませんよね。)






だから僕はJARTAの認定トレーナー資格というものを作ったんです。

そのへんはまた一連の流れの中で書いていきたいと思います。






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JARTA

中野 崇



おはようございます。
今回からは、僕が「なぜJARTAというトレーナー養成派遣機関を作ったのか」について何回かに分けてお伝えしたいと思います。


設立の理由は大きく分けて4つあります。





①トレーナーの無償形態のサポートに危機感を感じたから



②真に選手に貢献できるトレーナーが正当に評価される仕組みを作りたかった



③「手段を選ばず」選手に貢献するトレーナーを増やしたかった



④トレーナーという仕事のやりがいと素晴らしさを出来るだけ多くの人に感じてもらいたかった






まず、第一がトレーナーの「無償サポート」に関してです。






「なぜ多くのトレーナー志望者が、スポーツ現場で無償サポートを続けてしまうのか」






1年半ほど前に、JARTAの公式ブログでもよく似た内容を掲載しましたが、今回は改めてここに触れたいと思います。

とても反響の大きかった記事です。

ぜひ読んでみてください。
「ボランティアでのトレーナー活動はやめたほうがいい」

今回の記事も含めて、これらは全てのプロフェッショナルには非常に重要なことですので、共感いただけた折にはシェアなどしていただけますと大変ありがたいです。





スポーツ現場における無償でのサポート活動は、スポーツ現場に出たことのある方でしたら、ほとんどの方が経験されているのではないでしょうか。






結論から言うと、僕はここには大きな問題を感じています。

(もちろん、無償でサポートすることそのものに明確なメリットがある場合は除きます。例えば経歴などですね。)






僕自身、現在に至るまで、甲子園大会メディカルサポート、某高校野球超有名校、オリンピック選手、関西独立リーグなど、ほとんど無償でのサポート活動を何年も続けていました。

それは約9年にも及びました。

この他にも、小中学校や高校、大学の部活動、アマチュアスポーツ選手へのサポートなども含めたら本当に数えきれません。






その間、当然ですが、自分の休日や勤務後の夜間帯を使い、体力を使い、家族と過ごせるはずの時間を使い、しかも移動やその他経費は全て自己負担です。

もちろん、それぞれの現場でやりがいや喜びは大いにありましたが。






でも、心の中にはずっと「これでいいのだろうか」という想いがありました。





理学療法士など、特に国家資格保持者は専門家です。プロフェッショナルです。

それなのに、無償で「トレーナーをさせてもらっている」状況でよいのでしょうか。






そもそも、その業界の発展という観点から考えたときに、社会的な地位を高めることは非常に重要であり、今の社会構造上、その価値の大部分は報酬によって決められます。





これはボランティア活動を軽視するという意味では決してありません。

業界の発展と社会的な地位の向上のためには、「無償サポートが多数という構造」ではまずい、と言っているのです。






なぜなら例えば、「スポーツトレーナーになりたい」という夢を持ったときに、それが無償での活動が常識という業界であれば、目指したくても目指せない、継続したくても継続できないことになり得るからです。





自分が親だったら、我が子が目指す先が経済的な困難が予測される職種だったら止めたくなりますよね。





こういう下部構造を持った業種が発展し続けられるでしょうか。





夢ややりがいだけでやっていけるのは、ある一定期間だけです。

独身の間は継続できても、結婚して子どもができて、、となると最優先されるのは時間および生活の経済性です。






このように、社会構造の中で地位を構築し、発展していくためにはそれがビジネスにならなければそれは成し遂げられないのは明白なことなのです。






僕は、チームにお金がない、という理由で、トレーナーが無償サポートを強いられる、そしてトレーナー側がそれに甘んじているような現状には非常に危機感を覚えています。






トレーナーは専門知識を持っているのですよね?

現場の選手や指導者が持っていない知識や技術を提供できるんですよね?

専門家なんですよね?





なのになぜ無償なのですか?
僕自身も無償サポートをしていた身なので、もちろん事情は多々あるのは理解できますし、気持ちの上では全ての選手に無償でサポートしてあげたいです。




しかし、、僕はトレーナーの方々には決して自分を安売りしてほしくありません。
これは個人的なレベルではなく、業界のために、という意味です。




その場では個人の自由かもしれませんが、それは後進のトレーナーの方々に対して必ず影響を及ぼします。





確かに無償であればサポートに入りやすいでしょう。

でも、そういった行動は、後進の方々に対する、






「今までの人は無償でやってくれてたよ?」






悪気なくこういう言葉を生み出します。

だからといって、個人レベルで有料サポートを申し出ると、ほぼ上手くいきません。





なぜなら、先方は無償でもサポートしてくれる人が他にいることを知っているからです。

有名なチームや選手になればなるほどそうなります。





いくら他のトレーナーさんより自分には実力がある、他とは違うことができる、と思っていても、選手やチームはその違いは実施してみるまではあんまりわからないものです。






そういう構図をたくさん見てきたことから、これは個人レベルでなくて組織として変革の動きを作っていく必要があると考えたのです。






そしてよく考えていただきたいのは、このような観点は、決してトレーナーサイドに対しての話だけではないということです。





チームや選手側にも、無償でサポートを受けるデメリット、そして有料でサポートを受けることには明確なメリットがあるのです。






次回は、
設立理由②
真に選手に貢献できるトレーナーが正当に評価される仕組みを作りたかった


に関連して、このような無償サポートが決して選手のためにはならないということについて触れたいと思います。






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JARTA

中野 崇




こんにちは。
JARTAでは、
認定トレーナーの方々の情報共有の場として、SNSグループを作っています。

そこでは、こんなことやってます。
主に以下のような情報の共有が目的です。
(それぞれ普段は完全非公開ですが、特別に画像付きで少しだけ紹介します。)




①JARTAやスポーツトレーナーの最新情報


この夏初開講するアドバンスⅣの内容のアナウンスです。
認定トレーナーグループでは、一般公開しているものよりも踏み込んだ内容のアナウンスをしています。





②トレーナー依頼のアナウンス



依頼内容や条件などがここでアナウンスされます。




③トレーナーとして重要な知識や勉強の方法

→動画などを用いて動作分析の観点や知っておくべき選手の情報もシェアしています。


これはNBAで大活躍しているステファン・カリー選手の動きについて。


JARTAにはリサーチチームがあり、トレーニングや障害に関しての調査も水面下で進められています。




④オススメの書籍情報

認定トレーナーの方だからこそ理解できると思える、そして伝えたい形で書いています。



ちょっと一般公開はしにくい、中野家の本棚。


僕の読書の方法とその考え方。実際はこのまま結構長文です。



赤山も。
ananも買っていることが公になり、ちょっとした騒ぎに笑






⑤一般公開できない活動報告



契約上、一般公開できない選手も多数クライアントとしてサポートしています。
もちろん契約内で出せる情報だけですが、一流選手のトレーニング内容なども共有します。


⑥認定トレーナーだから理解できる考え方や中野が大事にしていること


一般向けに書いているブログも、認定トレーナーの方々にはその真意を伝えて深読みを促すこともあります。





認定トレーナーさんには、資格取得後も勉強や研鑽のための行動を継続してもらいたいと思っています。
その理由や考え方もこういった形でシェアしています。




⑦質問など


学生で認定トレーナー資格を持っている方には、先輩たちにアドバイスをもらえる貴重な場ともなります。
かなりの長文でしたが、数人の方が丁寧に回答して下さっていました。







ざっとですが、こんな感じです。

トレーナーという業種は、情報が一つの大きなファクターになります。

個人で活動しているとどうしてもこの部分が弱くなりがちです。

ネット上で出会える情報は膨大で、しかも考え方は多岐に渡ります。

特に現場での経験が少ない場合は、その情報が「本当に使えるものなのか」ということも判断しにくいです。






僕はこのあたりの役に立てる「使えるコミュニテイ」を作りたかったのです。

また、このコミュニテイを通じて同じ方向を見据えている同志がたくさんいることを感じてもらう、そして素晴らしい出会いの場の一つの形として人生を豊かなものにすることの一助にしてほしい、という想いを持って取り組んでいます。






認定トレーナーを目指している方は、資格取得後にはぜひ存分に活用していただければと思います。





認定トレーナー資格の情報はこちらから。
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JARTA

中野 崇





昨日に続き、スポーツトレーナーという仕事に対しての僕の考え方を紹介したいと思います。






今回は「スポーツトレーナーはあくまで黒子であるべき」という観点です。






以前も書きましたが、スポーツトレーナーという仕事は「自分が結果を出すこと」を目指すのではなく、「選手が結果を出すこと」を目的としていると僕は考えています。

それがこの仕事の本質だと思っています。

「結果を出す」という意味





結果を出すのは、トレーナーである自分ではなく、選手・チーム。

トレーナーが「自分が結果を出す」という思考を持って関わっていると、絶対に上手くいきません。





全ての思考は、「選手が良い結果を出すために自分はどうすれば良いか」です。






つまり、そういう意味でトレーナーという立場は考え方も含めて「黒子」であるべきだと考えているのです。





昨今、メディアの扱いも含めてトレーナーという立場で自己主張が強い人が多いですが、僕はそこにはトレーナーという仕事の本質は存在しないと感じています。

ビジネスなので、仕方がない部分もあるかもしれませんが。






そもそも、スポーツで良い結果が生まれるという現象を考えると、選手本人の身体・精神面だけではなく、その日の天候や審判、相手チームなど、多種多用な流動的要因によって決定されることがわかるはずです。






そういった不安定な前提の中で、少なくとも確定できることに近い要因として身体の状態があります。

我々は結果に影響を及ぼす多種多用の因子のうち、ほんの少しを担っているに過ぎない。

なぜなら身体以外の要因はほとんどがコントロールできないものだからです。





でもそれは、「だからトレーナーの責任が軽い」という意味ではなくて、とても重要なことを任されているんだという姿勢が必要だと思うのです。






また、選手心理の観点から考えても、良い結果を生み出して最も脚光をあびるべきは選手であって、トレーナーやトレーニングではありません。
選手は口には出しませんが、自分ではなくトレーナーが脚光を浴びるのは面白くないと感じています。




選手本人が我々トレーナーやトレーニングの重要性を感じてくれて、初めて我々の評価がなされるべきです。

(イチロー選手も、「価値は第三者が決めるもの」と言っていますね。)






だからJARTAの講習会では講師全員が「常に謙虚に、淡々と目の前の人に貢献することだけを考えてほしい」と伝え続けています。






僕は少なくともこの部分に共感してれる人と仕事がしたいと思っていますし、JARTAの講習会にはそういう共感を持ってくださる方に来てもらいたいと思っています。






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JARTA

中野 崇



 

スポーツトレーナーの養成と依頼の受注をしておきながら、何てこと言うんだ、、と思われるかもしれませんね。





 

でも僕はそうなるために今の仕事をやってきているという認識を持っていますし、そうなった方がいいと思っています。






なぜか。




 

まずスポーツトレーナーの仕事をめちゃめちゃ簡単にまとめると、


 

①怪我の治療やコンディショニング

 

②トレーニング指導

 

 

です。

※現場での応急処置などもありますが、ややこしいのでここでは省略させていただきます。

 




 

これらに対して、我々のように既にトレーナーやセラピストとしてスポーツ選手やチームに携わっている者が何を目指して取り組んでいるのかというと、



 

①怪我の発生を未然に防ぐこと。つまり予防。もっというと怪我をしない身体・動きの習得と保存

 

②トレーナーがいないところでも、的確なトレーニングが自主的に実施できるような知識や理解の教育。







 

これらは、大まかにはトレーナーやセラピストがほぼ間違いなく目指している方向性と言えます。




これらが自ら実現出来るようになった方が絶対に選手のためですよね?





 

だから、これらのミッションが本当の意味で達成されたら、トレーナーという仕事は必要なくなります。




 

社会的に必要がなくなるのです。





 

話の意味わかりにくいですよね…。

ちょっとややこしい話です。

意味わからん、、と言われる方が多いと思います。




でもそれを承知で書いています。
スポーツトレーナーという仕事をする人すべてにこの認識を持って欲しいからです。





「絶対おれの方が選手の役に立てる」
「絶対おれの方がすごいトレーナーだ」
「絶対おれの教えるトレーニングの方がすごい」
「あのトレーナーがおれの仕事を邪魔してる」





この仕事の存在意義をなくすために尽力してることが分かっていたら、こんなこと言ってる場合じゃないんですよ。
そもそもこのような発言の真意には選手不在だし。。





「スポーツトレーナーの存在する必要がなくなるためにやっているんだ」ってことがみんの共通認識になれば、もっと良いトレーナー業界・スポーツ業界になると思います。
(現状みてるとすぐには無理ですけどね…)




 

 

これは今トレーナーやっている方はもちろん、これから目指す方には知っておいて欲しいことなんです。





 

僕らは、「自分の存在意義をなくすために」全力で前に進んでいますし、
そうすべきだと思います。
そして、そうできるのはとても価値のあることだと思っています。


 

 


 

そして社会というのは、その先にイノベーションが待っています。

世の中がより良くなるために、って僕はこういう感じで理解しています。





スポーツトレーナーが不要になった後に起こるイノベーションについては、僕の中には想定するものはありますが、それはそうなってからでないとどうなるか分からないです。





だから今やるべきことは、やはり目の前の人や事に全力を尽くすことだけですね。

 







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JARTA

中野 崇

 

 

最近、スポーツトレーナーという仕事の本質を考える日々が続いています。





 

そこで何となく思い出したのが自分の中学生時代。
感覚的には随分長い間、人間の動きを考えてきたような気がしたのです。





 

みなさんはヤクルトスワローズに在籍していた伊藤智仁投手をご存知でしょうか?

(今は確かスワローズのピッチングコーチをされていたはずです。)





 

中学生の僕は野球をやっていて、補欠投手でした。

中学生にして既に肩を痛めて地元の整骨院に通う日々を送っていました。




 

そんな僕にとって、当時破竹の勢いで活躍していたプロの投手であった伊藤智仁投手は憧れの存在でした。


 

 


 

テレビの画面で見てもとんでもなく伸びのあるストレートに、それ以上にインパクトのある、えげつないスライダー。

ぜひ見てみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=SIryiDcZJ68

 




当時野球をやっていて投手だったら、誰だって憧れたと思います。
大好きでした。




 

しかし当時はyoutubeなどインターネットは発展していませんでしたので、野球少年にとってプロ野球選手の動きを観察するためには、試合をVHSに録画することになります。





 

そして更にじっくり見るためには、「一時再生ボタン」で画像を止め、一瞬だけ離してまた押して止める、みたいな泥臭いことを要求されました。

見たいところより行き過ぎたら、「巻き戻し」です笑
古いビデオデッキ笑




 

とても面倒な作業をしなければ実現しないことでした。

当然、周りの誰もそんなことやってませんでしたし、ちょっとというかだいぶ変人扱いされました笑





 

それでも。





 

それでも僕は伊藤智仁さんの投球モーションを見たかったのです。





少しでも上手くなるために。
そのためには周りの声は関係ありませんでした。
「そんな面倒くさいこと止めときや。」という人が、僕のプレーを上手くしてくれる訳じゃない、という当たり前のことですね。





 

大げさでなくひたすら見続けました。





 

当時は自分がプロ野球選手になるために、少しでも上手くなるために自然にやっていたことですが、今となっては少しは仕事にも役立ってるかもですね笑





 

これを見習えとはもちろん言いませんが、ここで僕が言いたいことは一つ。





 

今目の前にある環境が、自分が将来やりたいことにつながっているかどうかが分からなくても、今出来ることに全力で取り組んだ方がいいってことです。




 

その時身につけたことが将来つながるかどうかなんて、その時の自分には分かりません。
Apple社の故スティーブ・ジョブズ氏もかの有名なスピーチでこのことを語っておられます。
https://www.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ




 

また、目の前の「今出来ること」に取り組んで成長してからしか見えない景色って確実にあります。





 

そもそも将来をいくら熱く語れても、目の前のこと・人に全力を傾けられない人は信頼しにくいですよね。

 

 




 



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JARTA

中野 崇

 

 


前回は「暖簾(のれん)に腕押し」の理論による、相手の力の封じ方をご紹介しました。






今回はもう一つの考え方、力の出し方についてです。





パワーを大きくする方法ではなく、「発揮の方法」です。






相手に伝わる力は、一般的に方向で表現されます。

相手に向かって力を発揮しなければ、相手に力は伝わりません。






少しわかりにくいかもしれませんが、

方向があるということは、その根本があるということ、すなわち力源があるということです。





通常、その方向をピタッと向かい合わすことで相手の力に抗することができます。





相手が肩を力源として自分の胸の方向に向かって力を出してきていれば、自分は胸から相手の肩に向かって力を出せば対抗できます。





逆に相手が上に向かって力を出しているのに、自分が自分の胸から相手に向かって力を出しても、力の方向がずれているので押さえ込むことができません。






力のベクトルの不一致というやつです。

人間はこれを一致させる作業を自然にやっています。

無意識に力の方向を捉えてそれに合わせて対抗するのです。






「力の発揮の方法」とは、この性質を逆手にとることです。





力のベクトルと一致させるという行為は、すなわち力源(支点)=固まっているところを捉えるという、前回の記事と同様の意味です。






仮に自分が押される場面だとして、自分に向かって発生するそのベクトルが、何本もあればどうでしょうか?





例えば斜め上から自分に向かってくる力、斜め下から自分に向かってくる力、斜め横から自分に向かってくる力があるとすれば、それに対抗するためには、それら全ての方向からくるベクトルに一致させる方向での力で抗しなければ、押され崩されてしまうことになります。






どういうこと?

となるとは思いますが、身体のパーツをそれぞれ意図的にずらし動かせ、さらに重心コントロールの制度が上がると可能になります。







力の多層化を用いると、体格の差が大きくても、相手を押し崩すことにつなげることができます。
※相手はラグビーの元日本代表選手です。



身体が柔らかく使えたほうがいい、というのはスポーツ関係者みなさんが同意することだとは思いますが、身体が柔らかく使えるメリットは「何となく」そのほうがいい、ではなく、このような大きなメリットを使いこなす「可能性」につながるのです。






方法論と習得はこちらから。
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JARTA

中野 崇




前回からの続きです。

前回はスポーツにおける「パワー」の考え方の一般的なところを書きました。

そしてそこには隙があると言いました。

今回はその部分について書いていきたいと思います。






前回の流れのまま、押し合いの場面を例にとります。

相手との押し合いが、「力の引き算」である以上、自分の力が大きくなればその差は大きくなり、有利に働きます。





しかし、ここで一つ抜け落ち易い視点があります。







なぜならもう一つ、「差」を大きくする方法がありますよね。





それは、相手の出している力を減らすことです。






もちろん相手をいきなり筋力低下させることはできません。

そうではなく、相手の筋力の「発揮」を妨げればいいのです。






相手に力を発揮させないためには大きく分けて二つの考え方があります。






まず一つ目。

人間が力を出すことができるためには、メカニズムというか、大原則があります。





それは、固い対象にしか力を発揮できないということです。





固い対象というのは、物理的に固い、でもいいですし、武道でいう居着いている部分、でもあります。

「暖簾(のれん)に腕押し」という言葉がありますが、これは精神性だけでなく、人間の運動の特徴も表現しているのです。






試しに壁や固いものを思いっきり押してみてください。腕や肩や背中に力が入り、壁にも圧力が加えられますよね。

反対に、暖簾やスポンジのように、柔らかくて全体が固定されていないものを押してみましょう。





力が出せないと思います。




「筋力はあるのに、力は出せない」、状態です。

パワーを十分に発揮したとき、

自分:10

相手:15


であっても、

相手にパワーを発揮させずに

自分:10

相手:7

とさせれば勝機はあるということです。






つまり、相手に固まっている部分が感じられなくなるぐらい、支点が感じられなくなるぐらい柔らかく身体を使えるようになればいいってことです。




そうすると、これぐらい体格で劣る相手にも押し勝つことが可能になります。
※これはあくまで関連要素を最大限省いた、非常に基本的な方法での押し合いです。





そして人間心理上、この戦略は相手に非常に「嫌な感じ」を感じさせることができます。

なぜなら訳も分からず力を出せないのですから。





そう感じさせれば、こちらの土俵での勝負に持ち込みやすくなります。

全力を出してぶつかってこれなくなる、ということですね。






次回はもう一つの考え方、「力の多層化」について考えていきたいと思います。







JARTA

中野 崇



パワーには量と質がある。



スポーツにおいて、「パワー」は非常に大きなファクターとして位置づけられていることは、反論のしようがありません。






スポーツでいうところのパワーは、パフォーマンスに関してだけではなく、「筋力」という形で言い換えられ、その不足は障害の原因とされてきました。






パワーは今更言うまでもなく、スポーツのパフォーマンスを語る上では欠かすことのできないファクターであり、同様に障害改善や予防においても欠かすことのできないものです。





例えば大きな力を出すことは当然としてバランスやスピードにおいても筋力という名のパワーが重要視されますし、身体のどこか(例えば前腕)が疲れやすいと選手が訴えればその部分の筋力不足だということで筋トレしたりします。






だから、一定以上パフォーマンスを高めたい選手の大半は必ず筋トレをしますし、指導者の方もそう指導します。

目的は、もちろん「パワーの”増加”」です。

つまり容量の向上です。

具体的に言うと、筋繊維の肥大や筋出力の向上です。






これ自体はもちろん重要ですし、否定する必要もありません。






しかし前回記事の「体力」と同様に、パワーという考え方にはもう一つの側面があります。

※厳密にいうと発生する「パワー」にはスピードも深く影響していますが、ややこしくなるため、ここではスピードの要因は省いて考えます。

前回記事
「体力」を決めるのは容量だけではない。




それはパワーの「質」です。

ここでは筋肉の質とかいう器質的なことではなく(それも当然重要)、スポーツにおけるパワーの「意味」に関係します。






スポーツにおけるパワーとは、どういう目的があるのでしょうか。

わかりやすいように、押し合いの場面を例にとりましょう。






相手を押すこと、それは言い換えると相手に自分の力を伝えることです。

当然相手も押し返しますので、相手からも自分に向かって力が伝わります。

その「差」が、自分の方が大きければ相手を押して動かすことができます。

自分:10

相手:8

であれば、差が2なので、その分だけ相手に力が伝わって押し勝てる、ということです。






両者の出している力の引き算ですね。

仮に

自分:10

相手:12

であれば負けてしまうわけです。






だから「自分の力を大きくすればいい」ということで誰もがその根源となる筋力を高めようとしているのだと思います。

12の相手であれば自分が15となれれば、ということですね。






しかし当然限界があります。





身体の大きさ(骨格)が決まっている以上、そして骨格をベースとして筋肉が形成されている以上、そこに発生させられる力には限界があるのです。

欧米の選手など、身体のサイズという前提条件が異なる相手と同じこと、同じ運動様式をしていてもフィジカル面で勝てないのはこういうところが理由です。




だから自分の限界以上の力を持った相手に対したとき、勝つ術を失うことになります。

だからフィジカルで劣る日本人が世界で勝つためには技術・戦術、という方向性になったりします。





競技はパワーだけで決まるわけではないので、そういった考え方も非常に重要ではありますが、これは非常にもったいないことです。






僕は世界に対する日本人選手、そして小柄な選手においてもパワーの側面においてまだまだ活路があるはずだと考えます。





なぜなら、上記のような、パワーの一般的な考え方には隙があるからです。






長くなってきたので、理由はまた明日掲載します。





JARTA

中野 崇